三 契約切れ

 三年前の五月初旬。

 四ッ谷荒木町のパブ・ミムラの前を歩いていた佐枝に、店に戻る珠樹が何気なく挨拶した。それがきっかけで二人は話すようになった。珠樹はこの界隈で知られた資産家の娘でパブ・ミムラの他に三店舗を経営している。

 佐枝がバーテンダーと知った珠樹は佐枝に頼んだ。

「ねえ、佐枝ちゃん。私の店で働いてね」

「もうすぐ、今働いている店の契約が切れるので、珠樹さんの店で働かせてください」

 佐枝も珠樹の申し出を受け入れた。三年契約だった。


 そして、昨日、二〇二〇年五月十四日木曜で、契約の三年がすぎていた。

 今日の佐枝は片づけのつもりで店に来たが、珠樹は契約など忘れ、いつものように佐枝に客の対応をさせた。これで最後だと思い、佐枝は珠樹の指示に従って客の相手をした。


 店がはねた。

 佐枝は店内の掃除を終え、支配人三村珠樹宛の封書をカウンターに置き、店の右隣りに隣接した自宅に帰った。この住居は店を境にして珠樹の自宅と反対側にある。ここも三村珠樹所有の建物だ。次のバーテンダーが見つかるまで住んでいいと言われているが、佐枝は都内の暑さは苦手だ。故郷のような涼しい土地に住みたいと思った。

 この住居の家具や調理器具は全て備え付けだ。佐枝は衣類や身のまわりの物をスーツケースに詰めた後、バスルームに入った。


 熱いシャワーを浴びると身体から一日の汗と埃とタバコの匂いが流れ落ちていった。

 佐枝はバスルームの鏡に映る自身を見つめた。ショートカットの小顔。大きな二重の目と可愛い口元が印象的だ。小さな肩に小ぶりの形良い胸。括れた腰に続く少し大きめの尻と長い脚。背丈もあり、見る人が見ればスプリンターの体型とわかる。

 佐枝は髪と胸と下腹部に熱いシャワーを浴びて唇を噛みしめた。頬には笑みが浮び、目尻に涙がつたっている。

『贖わせた。身をもって贖わせた・・・』

 佐枝の手が胸と下腹部へ伸びた。佐枝の脳裡から、義妹の佐枝の胸と下腹部を陵辱した一対の腕が消えていった。

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