四 死因究明

「何かわかったか?」

事件発生後の四ッ谷駅中央線の線路で、四ッ谷署の係長渋谷警部が上野鑑識長に訊いた。

「轢断遺体から転落理由を探るのは無理だ」

 上野鑑識長がそう答えて部下に訊く。

「何か出たか?」

「まだ、何もありません」

 数人の鑑識員が線路で遺留品を捜している。

「神田!こっちはいいから高田を手伝ってこい!」

 渋谷警部はホームの監視映像が気になった。轢断現場から、被害者が線路に転落した原因を探すのは難しい。監視映像から転落時を調べる方が効果的だ。

「わかりましたっ」

 神田刑事は線路からホームへ上がり、監視映像を見るため、管理室へ急いだ。


 高田刑事と係員は、大山仁が線路に転落する映像を、車両乗車口の右側からの監視映像に見つけ、大山仁と接触した人物がいないか確認していた。

「神田さん。これ、どう思いますか?」

 高田刑事は電車がホームに到着する映像を再生させた。

 電車が入ってくると、電車を待つ人の列から大山仁がフラフラホームの端に歩き、そこにホームが続いているように歩いて線路に落下した。同時に電車が急停車した。先頭車両の停車位置は、大山仁が落下した位置から二両先だった。


「誰にも接触してないが、妙だな」

 神田刑事は男の態度が気になった。

「何がですか?」

 高田刑事は神田刑事を理解できずにいた。

「そこにホームがあるみたいな歩き方だ。酔ったようにも放心状態にも見えない」

「というと、幻覚でも見ているような、ですか?」

「この映像だとそんな感じだ。催眠術をかけられたような、そんな感じだ」

 神田刑事は、自殺と思われた昔の事故を思いだした。


 過去に、ある向精神薬を服用していた患者が病院の上層階の窓から転落死した。服用した患者は、皆、決まったように高い所へ行き、そこから転落する傾向があった。

 転落から一命をとりとめた患者は、『脅迫観念に襲われ、明るい花園に向かって逃げた』と説明していた。同じ薬を飲んで騒ぎ、看護師に保護された患者も、同じ事を述べていた。

 その後の調査で、この向精神薬に幻覚症状を起す副作用があり、使用が禁止された。

 あれは事故でなく医療ミスで人災だった。大山仁の遺体から同じような向精神薬成分が見つかれば、事故ではなくなる。

「遺体解剖で、アルコールの他に何か出れば、他殺だな」

 神田刑事は呟いた。



 翌日、五月十六日、土曜、朝。

 神田刑事は大山仁の勤務先へ連絡して上司と同僚と人事に会う手筈を整え、大山仁の健康状態と、仕事も含めた交友関係を聴取した。大山仁は健康そのもので、事故と関係する不審点はなかった。


 同僚で、大山仁の大学の先輩に当たる奥野慎司によれば、

 午後六時前、大山仁は奥野とともに、新橋で、取引先と仕事の打ち合わせかねて取引先と酒食をした。

 午後六時すぎ、私用で早めに帰ると言う大山仁と新橋で別れた。別れ際、大山仁はいつになく陽気だった。奥野慎司は、大山仁が親しい女と会ような気がしたが、大山仁から女の話を聞いたことがなかった。


 午後七時過ぎ、大山仁が四ッ谷駅のホームから線路に転落して列車に轢断された。

 大山仁と別れた後、奥野慎司は四ッ谷で飲み歩き、午後八時すぎに婚約者のパブで大山仁の死を知った。



 その日、夕刻。

 大山仁の司法解剖と薬物検査の結果が出た。大山仁の体内から大量のアルコールが出ただけで薬物成分は見つからなかった。催眠状態かそれに近い状態になっていたのではないかとの神田刑事の疑問はいっさい取りあげられず、大山仁は泥酔して線路に転落したと判断された。

 これで大山仁の死因は単なる事故死とされ、調書や葬儀屋の手配など死亡による各方面の手続きが形式的に進められる。明日にも、大山仁の親族が四ッ谷署を訪れて、遺体引き取り手続きをするだろう。

 神田刑事は、何らかの薬物が見つかれば大山仁が通っていたであろう医療機関を調べねばならないと考えていたが、拍子抜けした。


「係長。なんか引っかかりませんか?」

 神田刑事は納得しかね、司法解剖結果と薬物検査結果の書類を持ったまま、渋谷警部の机の前に立った。

「大山仁はホームで誰とも接触していなかった。自分からホームに落ちた。神田が言うように、あの落ち方は、何か考え事をしていてまちがった所へ足を踏みこんだような感じだ。

 大山仁の身体から大量のアルコールが出たが、薬物は出なかった。

 大山仁は酒豪で、悩み事は何もなく、健康だった、事故に遭う前は陽気だった、と同僚が言ってる。酔った挙げ句の事故だろう」

 渋谷警部はそう言って報告書を書いている。 

「本当にそう思うんですか?」

「司法解剖と薬物検査の結果や証言に事故を否定するものがない。不審に思っても、証拠が無い限り、事故として扱うしかないんだ・・・」

 そう言いながら、渋谷警部も大山仁の事故死を納得しかねていた。

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