第3話 BTCのN乗

それは平凡な週末の午後だった。陽光がカーテンの隙間から差し込んで、小さな町の温かい家を照らしていた。東南沿海の小さな都市には、確かに裕福な家庭が幾つかあり、私たちの家もその一つだった。

氷冷たいレモンティーを前に、リビングで姉の方晴と寛いでいると、突然父の声が静けさを破った。


「芳、晴…少し話があるんだ。」

父の声はこれまでにない重さを帯びていた。

「この数年、海外での務めでコツコツと貯めたお金があった。しかし、最近アメリカの株式市場が大きな波動を起こし、資産が大幅に目減りしてしまったんだ。」


両親は長年海外で働いており、普段は家に私たち姉妹だけ。方晴と目を合わせると、何を言いたいのかすぐに理解できた。


「だから、どちらか一人しか留学させる余裕が無くなってしまった。年齢や状況を考慮して、晴を海外に送り、芳にはこちらで学業を続けてもらうことにした。」

父の顔には疲れが滲み、私たちの頭を優しく撫でながら無念そうに言う。

「これが今のところ最善の策だと思う。」


晴はしばらく沈黙した後、決意を込めた目でこちらを見てきた。

「芳、あなたがいつも頼ってくれているのは知っている。でも、今は選択肢がこれしかない。私が海外で頑張って勉強し、できるだけ早く…」

彼女の言葉には強い意志がこもっていた。


その言葉に胸が痛み、目を潤ませてしまった。涙がこらえきれず、こぼれそうになる。しかし、なんとか我慢した。「晴、一人で行かせられない、一緒に行くの!」と抱きしめ、泣きじゃくった。


本当は言ってはいけないことだった。姉には既に海外の大学からオファーがあり、この機会を逃すともう無理かもしれないのに。


「芳…」姉は私の背中を優しく撫でた。

「現実を受け入れるしかない。でも、あなたは強くならないといけない。しっかり勉強して、いつかは海外で学べるように…私に負けないようにね。」

その言葉からは、姉の内心の葛藤が伝わってきた。


その夜、ベッドの上で何度も寝返りを打ちながら、過去に姉と過ごした時間を思い返していた。あの日々の瞬間が心の中で静かに再生され、認めたくないが深く潜む感情が胸に押し寄せてくる。


ある夏の日の午後を思い出す。陽光が明るく部屋を照らしていた。晴は机で試験勉強に没頭していたが、どうしても視線が彼女に向いてしまう。じっとしていられず、彼女の肩に寄りかかると、振り向いて微笑みながら軽くたしなめられた。

「いたずらしないで、ちゃんと勉強しなさい」と。

そんな触れ合いから安心感が生まれ、すべての悩みが消えていくようだった。そっと手を握り締め、その温かさを離したくなかった。


秋の夜、外では冷たい風が窓を揺らし、ソファに身を寄せ合いながら映画を楽しんでいた。恐ろしいシーンに心臓が跳ね上がり、思わず彼女の胸に飛び込むと、笑いながら抱きしめ「怖がりさんね」と優しく囁いてくれた。その瞬間、暖かさがすべての不安を取り去ってくれた。


一緒に料理を準備した日のことも、キッチンは水蒸気で霞んでいた。晴はコンロの前で手際よく料理をし、焦がすことに集中していて、その頬をエプロンで拭ってあげた。近くに寄ると、どうしようもなく胸が高鳴った。彼女の横顔は水蒸気の中で柔らかく映えて、妙に胸を打つ甘い感情へと変わっていった。


これらの思い出が昨日のことのように心に浮かび続けている。ただ、この感情は深く胸に秘めながら、孤独な夜に静かに味わった。


「晴はもう遠いところへ行くことを決めてしまった」と考え、決意を新たにした。「いつかまた、彼女と肩を並べられるように、もっと強く、成長しよう」と。晴を留めておくため、いつか必ずその日が来るように。



高校生活の最後の日々が、こんなにも予期せぬ孤独の中で過ごすことになるとは思ってもみなかった。


もともとは姉と共に海外留学の試験を準備し、一緒に海外で暮らす未来を思い描いていた。しかし、父のあの一言によって、すべての計画が中断され、人生は大きく書き換えられた。新しい現実と向き合わなければならなくなり、一般入試高考の準備に戻る必要があった。


転入したクラスでは、もうあまり時間が残されていなかった。周囲のクラスメートは既に入試に向けてラストスパートをかけていて、小さなグループを形成し、お互いに親しい仲になっていた。


まるで自分だけがその輪の外にいるような気持ちになり、毎日、ぼんやりした顔の中を通り過ぎていく。聞こえるのは知らない名前や声ばかりだが、ひたすら本に没頭し、休憩時間もひたすら問題を解いている。時折、窓の外を見ると、陽光が校庭のコンクリートに降り注ぎ、そこに姉の姿がぼんやりと浮かび上がるように感じた。


以前のクラスメートや友人たちとの距離も、選んだ道によって離れていった。彼らは進捗を気にかけてくれていたが、ほとんどメッセージは返さなかった。誰にも邪魔されたくなかったのだ。この道は、自分自身で切り開かなくてはならないと分かっていたから。


自分への要求は次第に高くなっていき、あらゆる知識や難問に対して失敗は許されなかった。そうすることで、未来に姉と再会するために十分な高みへと自分を導くことができると信じていた。この道を歩む中で倒れることはないと誓った。姉がその先で待っていてくれることを知っているからだ。言葉にはしないが、それは自分自身への約束だった。


毎晩、厚い問題集を胸に抱えて家に帰り、山のような難題に一人で立ち向かう。この一年余り、孤独とプレッシャーは常に私のそばにあった。しかし、つらい時には姉との温かく細やかな思い出が浮かび、その甘い愛着が最後まで支え続けた。


「できるはずだ」と自分に語りかけ、未来の彼方へ向けて力強く叫んでいた。


姉が国外へ旅立つ日、空港の見送りエリアでその背中が人混みの中に消えていくのを見て、心にぽっかりと穴が開いたような感覚に襲われた。その瞬間、私たちは異なる世界へと歩み始めたことを実感した。


時は飛ぶように過ぎ、2020年の後半に入った。高三の授業に追われつつも、未来と再会への願いは胸に残っていた。ある日、同級生の何気ない会話で「大時代」フォーラムの話を耳にした。そこには、多くの投資の情報が載っているという。普段はあまり関心がなかったけれど、姉との距離を縮めることができるかもしれないと思い、好奇心が刺激された。


帰宅後、すぐにパソコンを開いて「大時代」フォーラムにアカウントを登録した。その中を巡るうち、初めて仮想通貨についての情報に出会った。このプラットフォームは本人確認が不要で、投資経験の少ない高校生にとって絶好の機会に思えた。


好奇心から、この新しい投資の世界を深く探求し始めた。昼間は相変わらず授業に打ち込み、夜になると仮想通貨に関する情報に没頭する。この未知の世界は、自分にとっても、無限の可能性を秘めていた。


ビットコインを購入すると決めた日、何度も気持ちを整えた。市場の動向とリスクを念入りに調べ、遂に一枚のビットコインを購入する決意を固めた。当時、1 BTCの価格は10166ドルで、この額は高校生にとっては無視できない投資だった。


じっくりと計画を立て、両親からの日常費用の一部を節約し、毎日の小遣いから貯めた些細な貯金をかき集め、最後にクレジットカードで資金を確保した。今この取引のために、動かせる全ての資金を使い果たしつつも、不安と期待を胸に抱き、キーボードにその金額「10166」と打ち込んだ。ビットコインは部分的にも買えるのに、なぜか一枚丸ごとに特別な意味を感じた。


震える指で「購入」ボタンをクリックすると、瞬く間にビットコインがアカウントに加わった。その瞬間、心臓が一瞬止まり、その後は制御不能なほど速く鼓動し始めた。興奮と緊張が胸いっぱいに広がり、画面上で閃く数字を見つめながら、初めての取引が完了したことを実感した。血液が体中を駆け巡る音さえ聞こえるようだった。


一枚のビットコインを持つこの感覚は、最初はただの大胆な考えに過ぎなかったが、今、現実のものとしてアカウントに存在し、未来への無限の可能性を担っているように感じた。これはまだ始まりに過ぎず、先は未知数だけれど、この挑戦はかつてないほどの主体性を私に与えてくれた。


きっと、世界の別の場所で姉もまた自分の未来に向けて努力しているはずだ。たとえ二つの地に分かれていても、心の絆と自分への約束は変わらない。この新しい試みが未来への信念を強固にし、それは私と姉の間にある無言の約束の一部となった。どんなに時が進んでも、必ずその後を追い続ける決意を抱いている。


2021年3月のある夜、書斎に座り、画面上で絶えず変化する数字に目を凝らしていた。この感情の渦は言葉にならないほど複雑だ。ビットコインを購入して以来、価格の変動を断続的に注視してきた。この数か月間、市場の波はまるでジェットコースターのようで、多忙な受験準備中には市場を常に見守ることができなかったが、資産は確実に増えていた。


ビットコインの価格が60000ドル近くに達した瞬間、心の中の糸が弾けた気がした。これが絶好の機会かもしれないと直感し、迫る大学入試に集中するために注意力と精力を学業に集中させなければという考えが頭をよぎった。


全てを売却するという決断は容易ではなかった。あの夜、再度プラットフォームにログインし、大きく息を吸い込み、指が静かに「売却」ボタンに重ねられた。心臓の鼓動は雷鳴のように響き、ボタンを押した瞬間、これまでにない解放感と軽やかさを感じたが、同時にかすかな名残惜しさも心に広がった。画面に表示された数字は、当初の投資をはるかに超えるものだった。


この瞬間、「また少し、約束の地に近づいたのだろうか」と静かに心に問いかけた。



微かに肌寒さを感じる九月の朝、陽光が木の葉を通して上海財経大学のキャンパスに差し込んでいた。


新入生歓迎会の会場へと歩を進めると、人々の活気に溢れていた。新しい環境の中でそれぞれが自分の居場所を求めている様子だ。シンプルでありながら上品な白いワンピースを身にまとい、会場の広さに一瞬立ち止まった。どこに身を置けばいいのか、考えあぐねていた。


その時、一群の人だかりに目を奪われた。中心にいる彼女は明るく話しており、その声は澄んでいてどこか優しさを感じさせ、自然と近づきたくなるものだった。


近寄ると見えたのは、林小玉という名の彼女だった。

彼女の目は澄んでいて生き生きとし、目尻が少し上がっていて茶目っ気が漂う。笑顔に引き立てられたその表情は太陽のように明るく、チェリーのような口が軽やかに動いていた。長い髪は黒いシルクのように肩に流れ、動きに合わせてゆらゆらと揺れる。身に着けた淡い色合いのシンプルな服装は、彼女の自然な美しさをより一層引き立てていた。

記憶の中の姉とどこか似ているせいか、その一挙手一投足に懐かしさと温かさを感じ、心がぎゅっと締め付けられた。


彼女は私の接近に気づき、少し頭を傾けて微笑んできた。この微笑みには、まるで久しぶりの再会であるかのような親近感が含まれていた。


笑顔で応じながら、不安がまるで魔法のように溶けた。「こんにちは、私は方芳です。お会いできて嬉しいです」と声をかけ、おのずと親しみが込められていた。まるで、ずっと前から知り合いだったかのような感覚が心に宿った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る