剣聖スリグナル

①《無邪気な笑顔、無情な運命》

〈彼はなぜ剣聖となったのか〉


俺は、最期の夢の中であの日のことを思い返していた。あの一瞬が、すべてを変えてしまった。その言葉、その怒り、そして後悔。まるで胸の奥に刻まれた傷跡のように、鮮やかに記憶が蘇る――。

 

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【第一章:剣聖の運命】


  俺は貴族の家に生まれた。それもただの貴族じゃない。父は当時の国王の従兄弟、母は侯爵家に嫁いだ王女の孫娘。ほぼ王族と言っても過言ではない血筋の元、公爵家の長男として生を受けた。俺は王族特有の輝く白金の髪、澄み渡るような青い瞳、そして“美の女神”と称された母に似た端正な顔立ちをしていた。人々は俺を天使のようだと言ったが、その言葉が俺を喜ばせたことは一度もない。

 俺が求められていたのは、美しさなんかじゃない。ただ、強さ――そして、“剣聖”という名誉。それが俺に課せられた宿命だった。


 俺は生まれつき、《剣聖》という特殊スキルを持っていた。だから、父は俺に大きな期待をかけ、3歳の頃から過酷な鍛錬を始めさせた。走り込み、素振り、打ち込み、筋力トレーニング。休む暇もなく俺は剣を握り続けた。基本的な生活の合間ですら、父は俺に鍛錬を強要した。学問や礼儀作法は「公爵家の嫡男」としての強さを補完するための手段に過ぎなかった。それに、どの時間も父は厳しい目で俺を見ていた。少しでも怠けようものなら、すぐに「剣聖たるもの、甘えるな!」と怒鳴り声が飛んできた。

 週に二度行われる「テスト」という名の父上との模擬戦では、少しでも成長が感じられなければ、容赦なく叱責が降り注いだ。木刀を打ち付けられることも多々あり、あのときの木刀を振り上げた父の巨大な姿は、幼い俺にはまるで恐ろしい怪物のように見えた。それでも俺は剣を振り続けるしかなかった。なぜなら、それが俺に与えられ、唯一許された生き方だったからだ。


 だが、俺にはもっと恐ろしい存在がいた。それは、二つ年上の姉――シルフィアだ。


 姉上は、俺と同じ白金の髪と青い瞳を持っていた。顔立ちも母上に似ており、歳は違えど、俺と並べば「天使の双子」と称されるほどだった。だが、姉上は俺とは違った。癖のないまっすぐな髪、少し垂れ目がちな瞳。そして、何よりも――剣を握ることもなく、ただ屋敷で優雅に暮らすその姿。


  俺が朝から晩まで剣を振り続けている間、姉上は母上と一緒にお菓子を食べて楽しそうに談笑していた。俺は、姉上が重いものを持つ姿を一度も見たことがない。父上は姉上を溺愛していて、彼女が何かを欲しがれば、どんな願いでもすぐに叶えてやった。父上が姉を抱き上げて、優しく微笑んでいる――そんな場面を何度も見た。

 だが、俺が同じことを望んだときには、返ってくるのは厳しい言葉ばかり。

「剣聖たる者が欲を持つな。清い心を保て!」

「男が甘えるな。公爵家の嫡男としての自覚を持て!」


 そんな言葉ばかりが返ってきて、その言葉に、俺は次第に自分の存在が何なのか分からなくなっていった。俺は、両親にとってただの道具なのだろうか?彼らの愛情は姉上だけに注がれ、俺には自由も何も与えられない。ただ、剣を握り続けること――それだけが俺の存在理由であるかのように感じられた。


 姉上が無邪気に笑って、両親の愛を享受する姿を見るたびに、胸が締め付けられた。彼女のその笑顔が、俺には眩しすぎて、恐ろしくさえ思えた。


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 そして、あの日がやってきた。姉上の成人の儀の日。姉上は18歳、俺は16歳だった。


 公爵邸で豪奢な宴が開かれ、姉は輝くようなドレスに身を包み、誰からも称賛を浴びていた。父も母も、姉にばかり目を向けていた。その光景に耐え切れなくなった俺は、宴を抜け出し、庭へと足を向けた。

 そのとき、姉が俺を見つけて近づいてきた。そして、微笑みながら、何気ない調子でこう言ったのだ。


「スリグナル、あなたも早く立派な剣士になって、家の名誉を背負ってね。私たち、家の誇りなんだから」


その一言が、俺の中でくすぶり続けていたものに火をつけた。姉上の無邪気な笑顔が、俺にはどうしても許せなかった。


「家の名誉?……誇り?……ふざけるな!」思わず叫んだ。


「俺がどれだけ努力しても、誰も俺を褒めてくれない!この家じゃ、誰もがみんな俺を家の名誉や誇りを守るための道具にしか見てない!俺がどんなに剣を振っても、誰も俺を見てくれない!お前だけが愛されて、自由で……俺には何もない!そうだ、俺はずっと……お前を恨んでいた!」


怒りに任せて、言葉が止まらなかった。姉は驚いた表情を浮かべていたが、反論することはなかった。ただ、へらりと笑った。その無邪気な笑顔が――俺には恐ろしく、耐え難かった。


「笑うな!」

俺は思わず姉上の首元にかけられていたネックレスを掴んだ。


「お前に俺の何が分かるってんだ!?何も知らないくせに、ヘラヘラしやがって!」

 

「なぁ、知ってるか?お前が屋敷の中で母上とお菓子を食べている時、俺は屋敷の外で父上に木刀で殴られてた。俺がお前と同じように父上に抱き着こうとしたら、突き飛ばされた。俺が何か欲しいと言えば、剣聖として卑しい気持ちを持つなと言われた。 俺が欲しいものなんて……一つも手に入らなかったんだよ!」


 怒りが抑えきれなくなった俺は、姉上に向かって全ての感情をぶつけた。積もりに積もった恨み、嫉妬、孤独感――何もかも。もう止まらなかった。胸の奥に長い間詰め込んでいたものが、一気に溢れ出していた。抑えきれない感情を姉上にぶつけ、思いの丈を全て吐き出して、もう言葉は残っていなかった。


 気がつくと、俺は姉上の表情を振り返ることもせず、公爵邸を飛び出していた。もう、戻ることはできない。いや、戻るつもりもない。

 家を出る準備はとうに整えてあった。目立たない質素な服に着替え、用意していた荷物を抱え、馬に乗り込んでそのまま夜の街道へと駆け出した。父も母も、姉も、誰一人追ってこなかった。


 夜風が冷たく顔を打つが、今はその冷たさすら心地よかった。俺はただ、全てから逃げ出すように、馬を走らせ続けた。

 暗い街道をひたすら駆け抜け、人気のない森に差し掛かったところで、ようやく馬を止めて少し休憩を取った。だが、心は焦るばかりだった。すぐにまた鞍に乗り、再び森の中を駆け出す。

 森を抜け、険しい山道に差し掛かっても、俺はひたすら走り続けた。道のりは厳しくとも、この苦しみは俺にとって自由の証だった。今は何も考えたくなかった。ただ、一歩でも遠くへ――。


 そして、三日三晩、休むことなく走り続けた末、ようやくたどり着いたのは、隣国のさらにその向こうにある国。そこは、身分を問わず、誰でも受け入れてくれると噂される国だった。俺は、この国でなら、生きていこうと決心した。


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