勇者エリク

《僕は勇者になるしかなかった》

〈彼はなぜ勇者となったのか〉


夢の中、僕はあの日の光景をまた目にしていた――すべてが始まった、あの日を。


―――――――――――――――


ある日、村に神託が下された。

『この村に、世界を救う勇者となる少年がいる』と。

 山奥の静かな村で、村人たちは突然の知らせに驚き、誰がその勇者かを予想し始めた。

「世界を救う勇者が、この村から出るなんて……!」


その村には、勇者候補と思われる少年が二人いた。同じ日に生まれ、まるで双子のように似た顔をした二人だった。


一人は、村長の息子。優れた体格にあふれる才能。剣も魔法も大人顔負けに使いこなし、学問にも秀でていた。


もう一人は、貧しく病弱な少年――僕だった。痩せ細った体で井戸の水さえ汲めない僕は、学校にも通えず、村では誰からも軽んじられていた。


「勇者なんて、村長の息子に決まってる!」

「アイツは剣も魔法も使えるし、頭だっていいんだぜ!」


村の誰もが、村長の息子が勇者だと信じて疑わなかった。僕もそうだった。僕なんかが勇者になるわけがない。家族のために、水を汲むことすらできないのに、どうして世界を救うことなんてできるだろうか。病弱な僕は村人たちの期待通り、何の疑いもなく、自分が選ばれるわけがないと思っていた。


翌日、王宮から迎えの馬車がやってきた。村はますます盛り上がり、村長の息子は村人たちに盛大に見送られながら、誇らしげに豪華な馬車に乗り込んだ。僕は遠くからその様子を見ているだけだった。


しかしその時、騎士団長が僕に冷たく言い放った。


「お前も、一応来い!」


「え? 僕も?なんで……」


驚きと戸惑いで断ろうとしたけど、騎士団長は無表情で僕の腕を掴み、無理やりボロボロの荷車に押し込んだ。荷車から見えた最後の光景は、泣きじゃくる妹たち、涙をこらえる母、固く口を結んだ父の姿だった。


「ああ、しばらく会えないのか……」

僕は呆然とその光景を見つめていた。


荷車は揺れながら、何時間も道を進んでいった。僕は眠ろうとしていたが、突然、轟音が響き、荷車が大きく揺れた。外からは悲鳴が聞こえる。


「魔物だ!」


顔を上げると、護衛の騎士たちが剣を構えていた。空には鳥のような黒い影が飛び交い、地上では恐ろしい獣の唸り声が響いていた。次々と倒れていく騎士たち、そして広がる悲鳴――その中で、村長の息子は剣を振り、魔物に立ち向かっていた。彼の体は光をまとい、剣と魔法で次々と魔物を倒していく。その姿はまさに“勇者”そのものだった。


僕はその姿に見とれていた――その時だった。森の陰から、巨大なイノシシのような魔物が飛び出してきた。


「下がれ、馬鹿!」


大きな声が響き、彼が僕の前に立ちはだかった。「助かった」と安堵した瞬間、魔物の鋭い牙が彼の喉を貫いた。彼の体は力なく崩れ落ち、辺りに鮮血が飛び散った。


僕はただ震えていた。目の前で起きたことが信じられず、呆然と立ち尽くしていた。


気がつけば、僕は走り出していた。無意識に、ただ命を守るために必死だった。


「もう、走れない……」


僕は草むらに身を投げ出し、夜空を見上げた。僕は……生き延びてしまった。なぜ僕が生き残り、村長の息子が死んでしまったのか。何度も自問したが、答えは出なかった。ただ、後悔と罪悪感に苛まれながらも、僕は決意した。


「僕が、勇者になるしかない」


それが僕にできる唯一の償いだと信じて。


その日から、僕はただひらすらに鍛錬を積んだ。剣を振り、魔法を覚え、血を吐きながらも努力を続けた。だけど、病弱な僕には才能なんてなかった。村長の息子なら一日で覚えられることも、僕には十日かかった。それでも、僕は決して諦めなかった。


やがて僕は魔物を倒し続ける日々が始まった。いつしか人々は僕を「勇者様」と呼び始め、名前を尋ねるようになった。


そのたびに僕はこう答えた――「ただの勇者だよ」と。


あの日の後悔と罪悪感は消えなかった。僕が生き延び、彼が死んでしまった以上、僕は本当の勇者ではない。だから、僕は決めた――僕を庇って死んだ村長の息子。彼の名を借りて生きることを。僕は「エリク」。勇者エリクだ。


数年後、僕は魔王を倒し、世界を救った。勇者“エリク”として。


それが、僕にできる唯一の償いだった。


世界を救った数年後、僕は各地を旅していた。訪れる村には、“勇者エリク”の功績を称える銅像が建てられ、そのすべてに「勇者エリク」の名が刻まれていた。僕はその銅像を掃除し、子どもたちに“勇者エリク”の物語を語って聞かせた。


けれど、僕が一度も訪れない村があった。村長の息子と僕の故郷、お互いの家族がいる村だ。僕は怖かった。自分が“エリク”ではなく、貧しく病弱だった少年であることがことがバレるのが。


だから、僕は手紙と生活費だけを送り、二度と家族の元には戻らなかった。



そして、僕は、“勇者エリク”の銅像を掃除しながら、子どもたちに“勇者エリク”の物語を語り続ける旅を続けた。


 ある日、その旅の途中で“イヴァン”という少年を魔物から救った。だが、彼の両親は助けることはできなかった。目の前で両親を失った彼を、僕は孤児院に預けようと考えていた。けれど、イヴァンは《紡ぐモノ》という特別なスキルを持っていたし、不思議と僕に懐いてくれて、なんだか放っておけなかった。だから共に旅することにした。


それから数年、イヴァンと一緒に旅を続けた。けれど、やがて僕は歳を取り、長い旅路が辛くなってきた。イヴァンが学校に通う年齢になった頃、僕たちは《ヴァルハラの家》の噂を聞いた。そこは、かつて名を馳せた英雄たちが余生を穏やかに過ごす場所だと言う。


僕たちはその場所を訪れることにした。そこに着いてからの日々は、穏やかで幸せだった。イヴァンと一緒に過ごし、笑い合い、他の英雄たちとも時を重ねた。


しかし、その幸せな日々も永遠には続かない。今、僕は《追憶の灯》の中で、最期の夢を見ながら死者の国へと旅立とうとしている。


――――――――――――――――――――――


そして今、僕の目の前には村長の息子がいた。あの日の光景が走馬灯のように蘇る。


「ごめんね…僕だけが生き残って、君の名前を勝手に使って…ごめんね。怒ってる?」


彼はただ黙って立っている。


「僕は…勇者として、ちゃんとやれたかな?」


その問いにも、彼は何も言わない。


僕の意識は次第に薄れていく。少しずつ瞼が重くなり、僕は静かに目を閉じた。


長い旅路を終えた勇者は、ついにその重荷を下ろし、永遠の眠りについたのだった。

 

 ――――――――――――――――


 お世話係“イヴァン”は特殊スキル《紡ぐモノ》を用いて、英雄の最期の夢――勇者エリクの過去を共に見ていた。


 目の前に、少年が高熱で苦しそうに寝込んでいる。その傍らには母親らしき女性が座っていて、彼の額を撫でながら、小さな声で囁いていた。


「アル…アル、大丈夫? ごめんね、丈夫に産んであげられなくて。本当に、ごめんね…」


母親は涙をこらえながら、少年にそう語りかける。

 

「母さん、母さんは悪くない。だから泣き止んで。」 「それよりいつもの絵本を読んでよ! 僕勇者の話がまた聞きたいんだ!」


少年が掠れた声で優しく言った。すると母親は少し呆れたように微笑みながら尋ねる。

 

 「そうね…ごめんなさい。分かったわ、読むわよ!

 でもまた勇者様の絵本なの? この前も、その前も読んだのに、本当にそれでいいの?」


少年は無邪気に頷き、嬉しそうに言った。

 

 「いいの!僕は勇者様のお話が大好きなんだ!今はこんな身体だけど、いつか弱い自分を克服して、勇者様みたいになるから!だから、安心してね、母さん…!」


 少年の優しげな瞳が、母親を真っ直ぐに見つめている。

 

―――――――――

 

少年“イヴァン”は、静かにその光景を見つめていた。

 

――そうか、貴方の本当の名前は、『アル』というのか。


イヴァンは静かに呟いた。


「勇者エリク……貴方の本当の名を、そして物語を、僕は絶対に忘れない」


 そう決意しながら、イヴァンは勇者エリク、いや『アル』の名を深く心に刻み込み、彼の最期を静かに見届けたのだった。

 

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