第8話 美味しそうな子見いつけた

 『人間が真に幸福になる為に必要なものは大量の友人なのでしょうか?人それぞれではありますが、僕は幸福になる為に必要なものは、自分自身と向き合う時間であると考えています』


 それだけ打ち終えると隼人はPCを閉じた。

 美咲が出かけてから二時間程度画面と向き合っていたせいで、肩や首の凝りを感じる。

 幸い時間には余裕がある、と休憩しているところに早瀬はやせ瑠美るみからの電話がかかって来た。


『あっ、急にごめんねー。ちょっとこの前の新作のことで話がしたくてさ。これから、いつものファミレスに来てくれないかな?』

「分かりました。三十分後くらいには着くと思うので、急いで支度しますね」

『いつも休日にごめんね〜』

「いえいえ、早瀬さんにはお世話になっているので。気にしないでください」

『くう〜っ!隼人くんの優しさがお姉さんの疲れた心に沁み渡るよ…!そんじゃ、また後でね』


 通話が終わり、隼人は支度を始める。


(母さんはまだ起きなそうだし…書き置きだけ残しておくか)


『夕方には帰るから、ご飯作らずに待ってて』


 ・ ・ ・ ・


 休日の昼前ということもあり、店内では店員たちが東奔西走している。それを横目に、隼人は自分の頼んだハンバーグセットを頬張る。


「いやぁ、隼人くんが居なかったら今頃私は接待させられてたよ〜」


 彼の向かいに座るスーツ姿の女性がほっと胸を撫で下ろす。眼鏡を湯気で曇らせているが、彼女は気にしていないようだ。

 丸くて幼さの残る小さな鼻。ふんわりとした頬の曲線。いつ見ても、童顔の彼女にはスーツ姿は似合わないと感じてしまう。


「俺との打ち合わせがあるって言って逃げたわけですね…」

「当ったり〜!けど、新作の話がしたかったのは本当だよ。なんせ隼人くんがラブコメを書くなんて初めてだからね。どうしたの、好きな人でも出来た?なんならお姉さんが相談乗るよ?」


 曇らせた眼鏡の奥で目を輝かせている。

 先日も同じような光景を目にしたな、と呆れつつ、隼人はその理由を答える。


「いえ、ただ作家として新しいことに挑戦したかっただけですよ。まだまだ力不足ですけどね…」

「なるほどねぇ。ただ、どうしても恋に落ちるキャラクターの心情描写が薄いって思っちゃったんだ。こればっかりはすぐに出来ることじゃないしなぁ…。どう、お姉さんと恋に落ちてみる気はない?こんなことからあんなことまで…手取り足取り教えてあげるよ…ぐふふふっ」


 また始まった…、と隼人は呆れる。


(事あるごとにお姉さんぶるんだよな、この人は…)


 すっかり慣れたことであり、彼には真剣に相手をするつもりはさらさら無かった。

 冷めた目で彼女の話を聞き、セットのサラダを食べ進める。そしてオニオンスープで喉を潤わせ、不意に爆弾を投下する。


「……この前山田さんから、早瀬さんは年齢イコール恋人居ない歴の可哀想な人だって聞きましたけど」


 水を打ったかのようにしんと静まり返り、二人のテーブルを周囲の騒音が埋め尽くす。

 そんなことは一切気にせずに隼人は箸を進めるが、小さく耳に届く呪文のような言葉と負のオーラに手を止める。


「どうせ私なんて非モテの独身女ですよ…。中学生の頃、早瀬ちゃんは付き合うのはちょっとなんだかなぁ、って誤魔化してた武田くんはいったいなんだったの?っていうか私の居ないところでそんな話してどうなんの?チッ!家庭的な女はモテる…?嘘つけ、私なんて家庭的検定あったら特級になるはずなのに一切彼氏が出来ませーん。チッ!もしかしたら、彼女にしてはいけない1Hで早瀬瑠美ってのが存在してるんじゃないの?このままだと私売れ残るんだけど。そしたらまた皆んな私を笑い者にするんでしょ。チッ!というかそもそも独身で何が悪いの?自分の人生ですら自分一人で満たせないヤツらに何が分かるの?チッ!もうここまで来たら歳の差とかどうでも良いよね…。てか私まだぎりぎり二十代だし。……あ、目の前に美味しそうな子見いつけた…‼︎」

「ひい…っ!」


 隼人は、自分の意思に反して震える両膝を押さえる。触れてはいけない話題だったと後悔するが、今更そんなものは何の役にも立たない。

 諦めて瞼を下ろした矢先、コツコツコツという硬い足音が近付き、何者かが瑠美の頭頂部に手刀を喰らわせた。


「うぐ…っ!」

「何やってるんだ、お前は。自分の担当してる作家を怯えさせてどうする」

「いてて…どうして華奈はな先輩がここに…」


 やって来たのは、瑠美と同じくスーツ姿の女性。彼女を年齢イコール彼氏居ない歴の可哀想な人、と隼人に伝えた張本人であり、瑠美の先輩でもある山田やまだ華奈はなだ。

 窮屈そうな胸ポケットには無理やり煙草の箱を入れており、今にも主張の激しい胸のせいで粉々になってしまいそうだ。

 華奈は一連の流れを把握していたのか、軽く吊り上がったその目で瑠美を睨みつけている。


「なあに、私もお前と同じくサボりだよ。まさか多玖たくに会えるとは思ってもみなかったがな」

「そういえば隼人くんの前の担当は、華奈先輩でしたね」

「ああ。可愛げが無いところがまた可愛らしい男だよ。また今度ゆっくりと話したいものだな」

「はい、そうですね。楽しみにしてます」

「はははっ!社交辞令まで上手くなってやがる。じゃ、こっちも一応は仕事って建前で来てるから、またな多玖センセ」


 華奈は後ろで結んだ長い髪を揺らしながら、自分の席へと戻って行った。


「相変わらず嵐のような人だな…」


 しばらくして食事を終えた二人は、他の客が待っている為早々に店を出ることにする。


「それじゃあ隼人くん、新作も良いけど続刊もちゃんと書いてね」

「もちろんです」

「あら、隼人くんじゃない。まさかこんなところで会えるだなんて、今日は良い日ね」

「あっ、先輩こんにちは」


 白のシャツにベージュのロングスカート。

 以前隼人が貸した物以外の私服姿の恭子を見るのは初めてである。

 学校での彼の交友関係をあまり知らない瑠美だが、彼があまり他人と関わろうとしていないことを知っている彼女は、目の前の美少女に興味を抱いてしまう。


「この子は隼人くんの学校の先輩なの?」

「はい。この前文芸部に入ったって話したじゃないですか、そこの部長です」

「…ファーストキスをあげたのに、私はまだただの部長なのかしら?」

「……っ⁉︎い、いやぁ…それとこれとはまた別と言いますか…」

「ほほう。隼人くんが突然ラブコメを書き出した理由はこれか——?アッ、オネエサン、ヨウジヲオモイダシタカラ、モウイクネー!ゴユックリー!」


 彼の反応から何かを察した瑠美は、あからさまに感情の込められていない文章を読み、駐車場へ向けて走り出した。


(うんうん、青春だね隼人くん。——あれっ、やけにキスシーンの描写だけ細かかったのって、そういうこと⁉︎)

「うぅ…っ、高校生に先越されたぁぁぁぁぁ‼︎」


 その嘆きは遠くの恭子たちの耳まで届き、彼女は『なんだかとても元気な人ね…』と呆気に取られた。


「ところで先のはご家族の方ではなかったの?」

「あの人は俺の担当の編集さんです。俺ラノベ作家してて…」

「そうなのね。是非あなたの書いた作品を読んでみたいわ。良ければペンネームを教えてちょうだい」

「えっと…『あああああ。』って名前でやってます…」


 照れくさそうに答える。これは昔の隼人が考え無しに付けたもので、その名前では呼びづらい為、関係者からは本名で呼ばれるようになったのだ。

 信じ難い話ではあるが、あまり疑いをかけられるのは良い気がしないだろう、と恭子はそれを受け止める。


「そ、そう…とても個性的で覚えやすくて良い名前ねー…」


 ぴくぴくと頬を引き攣らせながら無理やり笑みを浮かべてやろうとするが、隼人にとってはこういった反応をされるのは日常茶飯事であり、特に傷付くことは無い。


「あ、いや…変な名前というのは自覚してるんで…あんまり気を遣わないでください…」


 ・ ・ ・ ・


「ふっふふーん。今日のご飯は何ししよっかなー」


 友人と遊び終えた美咲は、上機嫌で鼻歌混じりに帰路につく。

 そして自宅の近くにやって来ると、何やら見慣れた人影を見つけた。


「おーい、那由ちゃーんっ。久しぶりだね、部活の帰り?」

「おお、美咲じゃんか。相変わらず兄貴に似てちっこくて可愛いなぁ。部活の疲れが吹っ飛ぶよ」


 そうやって激しく頭を撫でてくる那由の豊満な胸が、美咲の目の前で不規則に揺れている。


(なんか前に会った時よりいろいろ成長してるんだけど…!でも、前に会ったのってもう一年以上前だもんね…)


 美咲は目を伏せ、過去の話を始める。


「……それにしても、ほんと久しぶりだよね。中学の頃はよくうちに遊びに来てくれてたのに」

「あー、まぁ、あれだ。うちも隼人も幼馴染とは言え男と女だし、なんかこう、いろいろとな…」


 那由は何かを誤魔化すかのように突然歯切れを悪くし、左右に激しく動かしていた手を止めた。

 それが、美咲に対して気を遣っている結果だというのは彼女は十分に理解していた。


「…お兄ちゃんはさ、学校でどんな感じなの?」

「ん、んー…っと、すごく真面目で友達も多くて…」

「良いよ、嘘はつかなくて。全部知ってるから。中学の頃の話も、お兄ちゃんが傷付いてることも」

「……そっか」

(流石は妹って感じだな…。兄貴のことは全部分かってるってか)

「まぁ立ち話もなんだし、歩きながら話すか。あんまり美咲を足止めするのも隼人に悪いしね」


 那由は視線を上げ、困ったような表情を浮かべて頭を掻く。

 そして二人は再び足を進め、彼女は学校での隼人の話をする。そこで、相変わらずオークと蔑まれて孤立させられていることを知るが、美咲は大きな動揺を見せることは無かった。


「やっぱりそうなんだね。……那由ちゃんはさ、お兄ちゃんがあの犯人だと思う?」

「んや、うちはそうは思ってないな」

「どうして?」

「どうしてってそりゃ…うちが今までどんだけ誘惑しても手ぇ出して来なかったあいつが、そんなことするとは思えないからな。うち以上に襲いたくなる相手が居るとは思えないだろ⁉︎」

「あー…ウン、ソダネー…」

「その反応ちょっと傷付くんだが⁉︎」


 美咲はやれやれ、という風に力なく返事をした。

 しかし、那由の本心が知れたことに変わりは無く、彼女は『ふふふ…っ』と笑い声を溢す。


「お兄ちゃんが一人じゃ無くて良かった!」

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