第7話 春ばっかり来てもつまらない

 日が暮れてほんの少しだけ肌寒く感じるようになった頃、カラオケ店から十数人の中学生たちが満足げに出て来る。その中には制服を着ている者も居れば、警察官や看護師、そして忍者や騎士のような格好をしている者も居る。

 彼らは別れる前に今日一日の感想を語り始め、話に花を咲かせた。


「いやー、今日はすっっごく楽しかったねー。もう身体中が悲鳴上げてるよ」

「客が入った人数、うちのクラスが一番だったからなぁ。明日は土曜だしずっと寝てようかな」

「それにしても、多玖くんのコスプレがクオリティ高すぎて皆んなびっくりしてたね。文化祭のレベル超えてたよ」

「先生なんて土下座してきたくらいだしな」

「あははっ、小学生の頃落ちてた百円拾ってごめんなさいってね。あれは笑ったよ」


 しばらく談笑した後、彼らはそれぞれ帰路につく。そして、隼人はポケットから取り出したスマホで時間を確認する。


「そろそろ二十時か…」

(美咲が一緒にゲームしたいって言ってたし、さっさと帰らないとな。…道が分かりづらいしあまり通りたくはないけど、ちょっと近道するか)


 ちょうど彼の左手側にある狭い道を眺める。

 ビルとビルの間に位置する所謂いわゆる路地裏を進むことにする。

 薄暗い慣れない道を歩き続けていると、何処からともなく声が聞こえてきた。なんとなく声のする方を辿ってみると、そこに三つの人影を見つける。


(…喧嘩でもしてるのか?あんまり関わりたくはないが、そこを通らないと帰れないんだよな…)


 角から顔を出して目を凝らす。

 光源が少ないせいではっきりとは見えないが、一人が他の二人に一方的に暴行されているように思えた。


「…おいおい、なんか話と違うくねぇか?お前が外で襲って欲しいって言って、俺たちはここで待ち合わせしたんだよなぁ?それとも、これもプレイの一環か?」

「そんなの知らない!私はそんな約束をした覚えは無いわ…っ!だから、この手を離して!」


 抵抗する少女を一人の男が羽交はがめする。そしてもう一人の男が彼女の着ているTシャツを破く。


「ひゃっ…!」


 少女は絶望し、抵抗をやめる。

 俯いた彼女の流す涙が数多の雫となり、冷えたアスファルトに落ちる。

 男はそんなことを気にする素振りも見せず、前屈みになり、彼女の履いているデニムパンツのチャックを下ろす。隙間からちらりと覗く白の下着に興奮し、彼は鼻息を荒らげた。


「うっひょう。やっぱ俺、ブラよりパンツ派だわ」

「おいおい、誰か来ちまう前にさっさとヤっちまってくれよ。俺も先から我慢出来ねえんだよ。俺、ショートヘアの子好きなんだよね〜」

「そう急ぐなって。こんなとこ誰も来やしねぇし、女ももう抵抗する気なさそうだし。何の心配もねぇよ。とりあえずこの姿勢じゃヤリづれぇから、そいつ地面に寝かせてくんね?」

「…へいへい」


 男は羽交い締めを解いて少女を突き飛ばした。


「んじゃ、精一杯俺たちを楽しませてくれよカオリちゃん」


 もう一人がカチャカチャ、と音を立ててベルトを外そうとしていると、『そこまでだ‼︎』という怒気を含んだ声が響き渡った。

 隼人は懐中電灯を向け、男二人の容姿を確認する。一人はかなり細身で長身、もう一人は筋肉質な中背である。

 二人とも鋭い目つきで隼人を睨みつけるが、恐怖を悟られないように彼は堂々と振る舞いつつ、一歩ずつ距離を詰める。


「きみたち二人とも、現行犯ということで良いかな?抵抗するのなら、こちらも……」


 隼人は腰の拳銃に手をかける。

 当然偽物であるが、このような暗がりでそれに気付ける者はそう居ないだろう。

 彼の姿が二人の視界にはっきりと入ると、男は慌ててベルトを締め直そうとするが、焦って上手く金具を掴めずにいる。


「くそっ…!何で警察がこんなとこ来るんだよ!おい、さっさとずらかるぞ‼︎」


 隼人は奥にいる少女に向けて自分の着ていたジャケットを投げる。

逃走する二人の姿が見えなくなり、隼人は『ふうー、助かった…。コスプレだってバレたら絶対に死んでたよな…』と額の汗を拭う。


「あの…何処か痛むところは——」


 少女の身を案じて声をかけた矢先、パシャッ、という音とともに、眩しい光が彼の顔を照らした。


「…っ!」


 それに反応し、先程まで意気消沈して微動だにしなかった少女は、隼人のジャケットを羽織って走り出した。『ちょっと待って!』と止めようとする隼人だが、彼女を足止めする理由が見つからず、追いかけることはしなかった。


(今の光はいったい……。とりあえず帰るか)


 そして三日後、彼はいつもと同じように登校する。途中で美咲と別れて教室へ向かう道中、何故だか周囲の者たちからの視線を集めていることに気付く。かと言ってそれに触れようとはせずに素通りする。


(何か変な感じだな…)


 教室に入っても同じような視線を向けられていることに違和感を覚えつつ、自分の席に向かう。

 そしていつものように机に鞄を置こうとするが、彼はその手を止めて大きく目を見開いた。


『二度と来るな!!』『犯罪者』

『消えろ』『最低オーク』

『退学しろ!』『クズ』

『裏切り者』『キモい』


 そんな心無い言葉ばかりが机に書き込まれている。

 しかし、隼人にはそれがいったい何を意味しているものなのか理解出来なかった。

 戸惑う彼の側で、騎士の格好をした男が大袈裟に尻餅をつき、『…くっ、殺せ…!』と言って周囲の者たちを笑わせる。更にもう一人の女子がやって来て、隼人に一枚の写真を見せつける。


「これ、あんただよね?」

「えっと…確かに俺だけど…」

「認めるのね…。最っ低!二度と私たちの前に現れないで!」

「違う…何か勘違いしてるぞ…。俺はやってない…俺はやってない…」


 ・ ・ ・ ・


「——俺はやってないんだ‼︎」


 勢い良く起き上がる。

 そして隣で鳴り続けるアラームを止め、ため息をついた。


(またあの時の夢か…。大丈夫、今日の夢は真実だ…)


 額から一筋の汗が流れ落ちる。

 これが『オーク強姦未遂事件』などと呼ばれている隼人の中学二年生の頃の記憶である。

 彼は何度も当時のことを夢に見ては激しい苦痛に襲われている。

 しかし、何故か事実とは異なった夢を見る場合がある。


(稀に見る夢…俺があの子を襲う夢はフィクションだ…。大丈夫、俺はやってない…俺はやってない…)


 段々と速くなる手の震えを止めるように強く拳を握り締め、隼人は自分に言い聞かせるように呟く。


「……大丈夫だ、俺はやってない…」


 一階に下りると、リビングでは美咲がテレビに夢中になっていた。

 土曜日の朝からいったい何を観ているのかと、コーヒーを片手に持って隣に立つ。


『彼氏と一緒に学校行事を楽しんでいる時が青春してるなーって思いますね』

『やっぱり青春したいじゃないですか、だから頑張って彼氏探してます(笑)』

『暑い日に海で友達と遊んでる時って、やっぱり青春感じますよね!』


 途中から観たのがいけなかったのか、一切内容を把握出来ない。そもそも隼人は、インタビューを受けている者たちとは分かり合えそうもなかった。

 

「……こいつら青春、青春って言ってるが、四季ってものを知らないのか?春ばっかり来てもつまらないだろ」

「はぁ…お兄ちゃんは相変わらず変なことばっかり言うねぇ。ひねくれてるというか何というか…。お兄ちゃんは青春したことないの」

「さあな…。例えあったとしても記憶に残らない程度のものだな」

「……嘘つき」


 隼人の耳には届かない程度の、すぐに消えてしまいそうなか細い声で呟く。

 そして美咲は、テレビを消して彼の持っているコーヒーを飲み干した。


「私今日は友達と遊びに行くから、お兄ちゃんは留守番よろしくね。ママはまだ寝てるから、くれぐれも奇声は発しないように」

「…俺が過去に一度でも奇声を発したことがあったか?」

「念の為だよ」

「念の為ってお前な…」


 美咲は空になったマグカップを隼人に返し、洗面所へ向かった。

 彼はまだ一口しか飲んでおらず、そこそこの量が残っていたはずだが、全て綺麗に飲み干されていた。


「……あれ、美咲ってコーヒー苦手じゃなかったっけ…?いつの間にか飲めるようになってたのか」


 もう一度淹れるのも億劫に感じた隼人は、そのままマグカップを洗い、部屋に戻った。


「うぅ…苦いぃ…」


 そして洗面所では、美咲は念入りにうがいをしていた。

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