#28. Black, Black, Weapon and Witch.

 生きることは螺旋 めぐりめぐって 不穏の音を呼び覚ます


「〈マギエル〉、《ピュロボルス》はハヤトとジェイムズ・セシルに対応させるわ」

「《ピュロボルス》の後続機は?」

 モニタの前、組んだ手に顎を乗せたアントワーヌはこちらを見向きもしない。

 被験者が埋め尽くす画面は本国へのデータ転送のため白く発光している。

 シンガポール、夜も深くなって暗いラボ周辺はそうしたモニターや艦の照明などで明るい。

「今のところ後続機も母艦も確認されてないわ」

「単機で充分ってこと? 余裕か、そうじゃなきゃ自暴自棄?」

「さあ。連合ユニオンの思惑はさておき、現状で〈マギエル〉は必要ないわ」

「では艦に戻ります。シスネも体調を崩したと聞いたので」

 廃棄・入所・廃棄・入所……延々と繰り返される被験者データにアントワーヌが深くくちびるを噛んだ。

 険しいというより悔しい、と言った方が正しい表情だ。

 イシュタルに着任してから何度彼女のこういった顔を見たことだろうか。

「司令官ならもっと冷静に大局を視なさい、アントワーヌ」

「――ご忠告どうもありがとう、〈マギエル〉。そういえば」

「本国への報告ならさっきしておいた」

「そうじゃなくて。あなた出身はチョンジエンでしょう? 何か知らないの?」

 そこで初めてアントワーヌは私を振り返って画面を示す。意趣返しのつもりなのか、一瞬強張った私の表情に満足して、彼女は知るわけないわよねと独り言ちた。

「生まれたのはたぶんチョンジエンだけど覚えてないわ」

「冗談のつもりよ。笑って流してちょうだい。……シスネをよろしく」

 弧を描いてゆるく微笑む女を、初めて嫌いだと思った。

 議長の愛人とはいえ艦長は艦長。

 したたかさと強靭な精神力、実力がなければ伸し上がっては来れない。

 喰われてしまわないように同じくゆるい微笑みを返した。


 ❖


「シスネ、大丈夫なの?」

 漆黒に染め抜かれた暗い部屋でシスネは一人モニタに向かっていた。彼は私の姿を認めると瞬発的に最敬礼をもって立ち上がり、入室を促した。

 最敬礼は必要ないと手近な椅子に腰かけ、シスネも座らせる。

 正直少しだけ彼の几帳面な慇懃さが面倒だった。

『堅っ苦しいの嫌いなんだよね』

 脳内の声にハッとして、苦笑いでシスネに向かい合った。どこまでも追いかけてくる声に眩暈がする。

「もう大丈夫です。ご迷惑をおかけいたしました」

「いいよ、もう少し休んでて。どうせ今ゴタついてるしさ」

 再度立ち上がろうとするシスネを右手で制して額に張り付いた髪を梳いてやった。血の気がなく、まだ息が荒い。それでも表情一つ変えないなんて大した精神力だと感心する。

「ハヤトがねぇ……さっき厄介なモノピュロボルス鹵獲ひろってきちゃったからさ」

「ミハイロフスキー隊長」

「アイリスでいいよ。歳、あんまり変わらないでしょ」

「アイリス。あなたは――」

 言いかけてシスネは口を噤んだ。

 なに? と先を促しても大したことはないと首を振る。

 詰問したくもあるが病人相手に責め立てるのも大人げないので今回はさっと退くことにした。

 長めの金髪を撫でる。するすると指を抜ける細い髪質は求めたものではなかった。

強化人間オプティマールだって。《ピュロボルス》のパイロット」

「あなたは最初から気づいていたのではないのですか?」

「あのねぇ。〈マギエル〉だからって何でも知ってると思ったら大間違いだよ」

 シスネは沈黙で返した。どうやら信じてもらえなかったようだ。

 モニタに再び向き直り、シスネは話を切り上げてしまった。

 仕方なく立ち上がると背後から淡々と声が落ちてきた。

「《ピュロボルス》パイロットを殺すんですか?」

「どうだろう」

飛龍フェイロンを直接殺した相手でも?」

「あのね、シスネ。世界には死ぬよりつらいことっていっぱいあるよ」

 だから私は殺さない。振り向いたところでドアは閉まった。隙間からかそけく見えたシスネの表情は部屋の暗さと同じ昏黒の色だった。


 ❖


 自室のモバイルが勝手に鳴りだす。億劫でたまらないのに指は勝手に動いていた。回線をオン。通信許可し、回線1番に繋ぐ。職業病の一種に違いない。

「アイリスか?」

 砂嵐まじりの映像はまぎれもなく婚約者のもの。

 逢いたい、けど逢いたくない人のもの。

 罪悪感が身体の芯をくようにじりじりと迫ってくる。

 かろうじて名前を呼んだ。

「ヴィル」

「怪我とかしてないか? イシュタルは大規模戦闘続きだからな」

「うん、大丈夫。怪我も病気もしてないよ」

「あんまり無茶するなよ。俺の心臓が持たん」

「大丈夫だって。ヴィルも無理しないでね」

 優しい言葉がかけられるたび、プツン、プツンと糸が切れていく。

 逢いたい、逢いたくない、逢えない、逢いたい、逢いたい、逢いたい……

「好き、大好き、好き、好き」

 壊れたラジオよろしく繰り返せば緊張の糸は跡形もなく切れる。

 ヴィルヘルムは何かを察したのか黙って聞いていてくれた。

 薄く口元に浮かぶ困ったような微笑みが好きだよ。

「アイリス」

 名前を呼ばれるだけで、どうしようもないほど、呼吸が詰まるほど好きで、大切なのに。見つめられたらどうしたらいいか分からないほど想っているのも確かなのに。

 《愛してる、アイリス》

 もう誰の声かも分からない幻聴が私を責める。

 復讐を、戦いを放棄してはならないと。

 考えろ、この指は何のためにある。

 敵を葬るため、先に逝ったみんなを弔うための指だと。

 《ピュロボルス》が憎い。エジェ派が憎い。《ラルウァ》が憎い。みんな憎い。死なせるよりも酷い仕返しを考えろ。私の頭脳は、私の命はそのためにある。

「愛してる、アイリス。無事に帰ってこい」

「――あいしてるよ、ヴィル」


 死ぬよりもつらいこと。生きていくこと。

 この世界は地獄より野蛮。

 ひとを愛しても愛しても負の感情だけは誰も拭えない。

 傷つけあうのを止められない。

 ひとも魔女も兵器も、それだけがこの世界で唯一の平等だから。

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