#27. Crossing their temperatures.
右手で触れれば 左手で抱き合えば 傍にいられた あのころ
「お久しぶりですわね、アイリス」
本物のアウローラは私の記憶の中と同じように微笑んだ。
ゆったりと、鈴を転がすように喋る上品な口調も変わりはない。榛色の柔らかな髪が流れるような残像を残して、白い
「――――久しぶり、アウローラ」
❖
エジェたちと連絡を取り、話をする。
ジェイムズ・セシルはそう、私に切り出した。
少しの隙も無く整った白いシーツの上にティッシュの箱と遺品ボックスが並んでいる。私とジェイムズ・セシルはそれぞれ反対の縁に背中向けで座っていた。
時間だけが刻々と過ぎていく。
時折、しゅん、と私が啜る鼻水の音だけがリアルだった。
私は、未だ、生きているのだと。
「今回の介入は間違ってる。――納得できないから、俺は」
「離艦するの?」
「話さなきゃ。またこのまま撃ち合ってしまうから」
背中越しにジェイムズ・セシルの神妙な顔を振り返った。
翡翠色の双眸。淡く光を反射する綺麗なジェイムズ・セシルの瞳。薄いくちびるから吐き出される呼気は、私と同じリズムで無性に叫びだしたくなる。
「向こうに戻るの? それともここへ?」
「――――――ここへ。アイリスのところへ帰ってくるよ」
生きているその不器用なくちびるは、また私と約束を結ぶ。
肩越しにさらりと返されたジェイムズ・セシルのその言葉は、あと何回きちんと果たされるだろうか。
裏切るならこっぴどく、騙すならば完璧に、傷つけるのなら致命傷まで、どうかどうか。《ロキ》を窓から見送りながら、指切り、小さく呟けば声は掠れた。
「ジェイムズ・セシルの次はあなたもなの? 〈マギエル〉」
深く息を吐くアントワーヌを適当にいなして《ルサールカ》を発進させる。
条件は八時間以内の帰艦。
アントワーヌは散々釘を刺して、結局は離艦許可を出した。
海を潜り、諜報部にあらかじめ調査させておいたポイントを目指す。
突如現れた皇国軍機にエジェ陣営は混乱も見せなかった。母艦オディウムに収容され降機すると当然のようにアウローラが立っていて、ぎゅっと深く抱きしめられた。
❖
「あの戦闘に、アイリスもいらしたのでしょう?」
「いたよ。――ジェイムズ・セシルもいたんだよ」
「だからこそ、セシルはアーサーに、あなたはわたくしに会いにいらしたのですね」
「そのこともあるけど……違うことも、ある」
言葉を選ぶあまり何も言えなくなった私をアウローラは黙って待った。
ほんのりと冷たい手が一定の速度で私の背中を撫でる。
焦らなくていい、ちゃんとここにいる。そう言われている気がした。
「白い狼の機体がいたの、知ってる?」
「はい、とても活躍なさっていて。目に焼き付いています」
「私を愛してくれた人が乗ってたんだ」
「そうですか」
「《ラルウァ》は見殺しにした。助けられる距離だったのに」
「そう、ですか」
「それが、あなたたちエジェ派の信じる理念?」
「……アイリス…………」
「戦闘に介入して、混乱させて、あまつさえ見殺しにするのが、それが正義なの⁉」
シン、と静まり返ったドックで私はアウローラを怒鳴りつけていた。
泣きたくないのに、どんどん視界が濁っていく。
アウローラの手入れされた滑らかな白い手が一生懸命に私の頬を拭うけれど、堰を切って溢れ出す言葉も涙も、白い手を濡らすばかりで止まらなかった。
「独りで戦っているエジェさんのためにアーサーは戦っています」
「元はと言えば、
「殺されそうになったわたくしのためにアーサーは戦っています」
「……っ」
息を呑む私にアウローラは微かに笑顔を曇らせた。
大きく深呼吸。私と目線を合わせ、透明な声で囁く。
「アイリスが殺しに来てくれたら、ちゃんと死んであげましたのに」
「アウローラ、ちがう。ちがうの、あれは」
「分かっています。今の皇国には今の『アウローラ』が必要なことは」
「本当に必要なのはアウローラだよ! だけどアウローラが……」
言い訳を。
アウローラを見殺しにした言い訳をしようとして白魚の指に制される。
そんな言葉が欲しいのではないと目で諭される。
「わたくしは戦わねばなりません」
そっといつものようにアウローラが私の手を握って、私は同じ強さで握り返す。
「どうして?」
疑問符にアウローラは私がいつか好きだと言った歌を歌った。
紡がれては艦や《ルサールカ》の装甲に吸われていく歌が哀しい。
アウローラの頬に触れようと伸ばした手は、数ミリ予想より遠く、私の手は空を撫でた。
「アイリスを撃ちたくはないから、わたくしは戦います」
音もなく降りかかるアウローラの涙は火傷しそうなほど熱かった。
最初は聞こえるか聞こえないかの小さな嗚咽。
それは徐々に大きくなって、最後にはわーんわーんと聞き分けのない子どものように。お互いの泣き声が耳元でうるさいほど反響して、服を通り抜けて沁み込む水分の熱さ。
イシュタルに着艦するころには何もかもなかったかのように乾いていたけれど、泣き叫びすぎたのか何回か咳き込んだ。
喉が切れたようだ。口元を押さえた手に淡い赤が付着する。
❖
「ミハイロフスキー隊長! おかえりなさい」
「これは何の騒ぎですか、副艦長」
すでに港を出ていたイシュタルを追いかけシンガポールで着艦した。
「
「…………この中にまだ被験者が?」
「いえ、全員死んでます。自爆しようとして、し損ねたんでしょう」
えげつないですよ。
前置きして彼は内部の様子を語った。
血まみれの性別不明の子どもたちの死骸や摘出された脳、証拠隠滅かことごとく息絶えた研究員たち。
あまりにも生々しい報告にありもしない臭気を感じて咳き込んだ。
再び今度は先ほどより鮮明な赤が押さえた手にこびりついた。
「敵機接近! 《ピュロボルス》です‼」
オペレーターがインカムで叫ぶ。
そして新たな道が交差するのを、私はぼんやりと感じた。
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