#29. It's an insignificant reason.
ご機嫌いかが? 逢えてうれしいわ! さぁ――覚悟はよろしい?
シンガポールを出て上海。
息を吐く間もなくチョンジエンが待ち構えていた。
コンディション・レッドを医務室で聞く。苦しげに呻いて寝返りを繰り返す《ピュロボルス》のパイロットを見下ろす。ハヤトが沈痛な面持ちで彼女を見つめている。
生命維持装置のシュゥ、という音が小さく漏れる。
「行かなくていいの? パイロットは召集だよ」
「アイリスだって。行かなくていいんですか、こんなところにいて」
「無闇に出撃するとお咎め喰らっちゃうからなぁ」
「割と実戦では使えないんですね、〈マギエル〉って」
ぽつりとハヤトが呟いた。
おどけるでもつっかかるでもない声色の静けさに本音を垣間見て、そうだねと返す。最強と謳われても《ラルウァ》には勝てない。弱くて強い。
今の私は名ばかりの脅威を誇るのみで、まるで核の不発弾のようだ。
「行きます。――ルチェのこと頼みます」
「いくらなんでも殺したりはしないよ」
今はまだ。
何度も振り返りながらハヤトが断ち切るように出ていく。医療器具の音だけ響く。荒い息の下、《ピュロボルス》のパイロットが薄く目を開いて、私を見た。
「だれ、ハヤト、どこ」
「私はアイリス。ハヤトはすぐ戻ってくるよ」
「アイリス……ルチェ、ころす?」
「殺さない」
否定すると安心したのか、童女のような彼女はそのまままた意識を失った。
死なせてなんかやらない。死なせてやるものか。
金髪。色も手触りも、記憶に近くて苛立ち紛れに強く握った。
ベッドに足を乗せるようにして膝を抱え、諜報用のデバイスのスイッチを入れた。イヤホンからほどなく聞こえてくる艦橋の様子。さらに艦を揺さぶる衝撃。
「圧縮弾だ!」
「ダメージコントロール班、回避しつつ迎撃‼」
「九時の方向にチョンジエン艦三隻」
「さらに二時の方向にチョンジエン所属クレイドル第五世代が九機!」
「ハヤトとジェイムズ・セシルに応戦させて!!!」
隔離された医務室の静けさとは裏腹に、艦橋では喧騒が渦巻いている。乱れはあるものの一定の間隔で吐かれるルチェの呼気と私の吸気。目を閉じて脳裏に地図を描く。チョンジエンはどう攻めてくるか、チェスのようにオートマティックに浮かび上がってくるビジョン。
「上海を基点に挟撃かな。どこにも退けないね、アントワーヌ?」
突破するしか生き残る道はなく、そのためには撃つしかない。
ジェイムズ・セシルはチョンジエンを撃てるのか。
ハヤトはルチェの仲間を撃てるのか。
《ラルウァ》とエジェは出てくるか否か――。
「出てこい……。出てこい、《ラルウァ》。私のために」
出てこないはずがない。ここはチョンジエン領のど真ん中。
この海域にはチョンジエンの人間が何百何千と武器を持って群れている。
理想主義で夢想家のお姫様は絶対に彼らを「守り」にやってくる。
さあ、はやく。
抱えた膝に顔を埋めて笑いをかみ殺す。
イシュタルを断続的に襲う揺れが酷くなっていく。照明が消えて非常電源に切り替わる。鼓膜にはパニックに近い艦橋の様子が雪崩れ込んでくる。
「右舷後方にクレイドル群。数不明!」
「取りつかせるな! 薙ぎ払え!!!」
「チョンジエン艦群、さらに接近中です‼」
「全弾照準、敵艦隊! シスネとアンナにも牽制させて‼」
「《ロキ》と《ランサメント》は!?」
「《アルコ》《エスパーダ》と交戦中です‼」
波形を描く心電図をぼんやり眺めながらお気に入りのプレイリストを聴くように悲鳴を聴いている。
この位置に敵クレイドル群、イシュタルに沿うように護衛艦隊、後ろで物見遊山の司令艦ってところかな。
嫌になるほど鮮明に浮かぶ戦場に出られないもどかしさ。
条件はあとひとつなのに。
ピー!!! ピー!!! ピー!!!
呆気ない音に艦橋がロックオンされたことを悟る。
狂おしいほどの喧騒が刹那に已んで
「沈むかな? この艦」
眠るルチェに問いかけた。けれど覚悟した衝撃はなく、惚けた声が待ち望んだ最後のピースが嵌るのを知らせる。
「《ラルウァ》が……俺たちを……?」
《エジェ・アル・スレイマンの名の
条件は満たされた。
イヤホンを引き千切る速さで抜き取って
消火活動で慌ただしくかき乱れた人込みを押しのけて逆走し《ルサールカ》へ。
「ま、〈マギエル〉!?」
「ハッチ緊急開放‼ 素粒子になりたくなきゃどいてなさい!」
「いや、しかし」
「アイリス・ヴィクトロヴナ・ミハイロフスキー、《ルサールカ》発進する!」
発進してすぐ、出てきたハッチが爆発炎上した。
主砲も跡形もなく破壊されている。
アンナ機中破、収容の叫びに重なって、アントワーヌの苛立ちが私へと向いた。
「〈マギエル〉ッ! 出撃できるのなら援護を……ッ‼」
「――――残念だけれど、ミッション外よ」
「〈マギエル〉ッ!?」
周囲でハヤトに分解されたチョンジエン艦が次々と消えていく。
イシュタルはハヤトが何とかするだろう。
海上に楔打たれる火柱を掻い潜って、目指すは《ラルウァ》のみ。
それもまた契約。
《ラルウァ》は《ロキ》と交戦中なので、まずは叫ぶことしか知らないお姫様、あの傀儡を標的に。
《ラルウァ》を模したこの上なく憎いシルエット。パイロットは戦場慣れしていない力なき指導者。その首を獲ればこの場は終わる。
自分が死ぬとは思ってもいない、あの愚かな少女を――。
「《ロキ》、チョンジエン軍空母接近‼」
「ミサイル来ます‼」
興味ない。
《ロキ》が墜ちようと、イシュタルが沈もうと、チョンジエンが全滅しようと。
嘆くのは後で全部間に合う。
討つのは今しかない。
見捨てる。仲間であろうと全部。
全部棄ててでも討たなきゃならない相手だから。
❖
「あなたさえ、スレイマンさえ、チョンジエンさえいなければ――!」
ブランドゥングさえ、【クレイドル】さえあそこになければ、ディディは。
チョンジエンが
「あなたも償って! その身をもって――」
いとも容易く照準の十字に綺麗に収まる鋼鉄のゆりかご。
素粒子分解領域を展開する。
「エジェ様、どうかお下がりくだ……」
割り込んできた旧型クレイドルが代わりに融けていく。無駄な真似を。
肩を竦め、狙い直す。
全周波にあわせたままのエジェのクレイドルから、声が途切れがちに届く。
「お前……アイリス……なんで!」
「こんにちは、スレイマン代表。ご機嫌いかがです?」
「アイリス、これ以上撃つな‼ いけないこれ以上は――そなた何故」
「たいした理由はありません。ただの……そう、これはただの復讐です」
絶句した彼女の背後で、最後のチョンジエン艦が虚空に融けた。
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