#20. Night of captivity/voice again.
迷い込むどこか黒い森 夜になって夢に溺れていく 深く 深く
「アウローラ皇女のライブ?」
この人だかりは何だと尋ねれば、どこか浮かれた声で返された。
ラス・アル・ハッド基地へアウローラ・ディ・スフォルツァが慰問に訪れているのだと誰もが駆け出す。
先日のハサブ攻略の影響で、このラス・アル・ハッド基地も
ペルシャ湾に面した白く整然とした街並み。どこか懐かしい砂の街。髪に絡む潮風に多少のうっとうしさを感じていると副艦長は心配そうに顔を曇らせた。
「やはり騒がしい場はお苦手ですか?」
「は?」
「いえ、妹からあまり騒がしい場所を好まれる方ではないと」
言われて、自分の副官を思い出す。
そういえばこの人の血縁だったか。顔立ちはあまり似ていない。
――似ているとしたら少しミーハーなところぐらい。
「華やかな場は分不相応に感じてしまい、恐縮します」
「分不相応、ですか?」
「はい。おかしいですか?」
「ええ、少し。自分からしたらミハイロフスキー隊長も充分華やかですから」
ほんわりと笑われて悪い気はしなかった。いいひとの代名詞のような人間だ。軍人にしておくには多少惜しい。柔らかなひとはそれだけで戦場にいるのは酷だから。
エミリアへの声援が飛び交う基地の片隅に、議長の姿を認める。
何やってるんだ、あの人。
暇であるはずもない。しかもここは少し前まで
そして旧型とはいえアウローラの御印がついたクレイドルと、いつかの戦場でみた白い狼のパーソナルマークが入ったクレイドル。
「――副艦長、少し
「どうかしましたか? お知り合いでも?」
「はい、とても大切な知人が」
曖昧にごまかした言葉に彼は笑顔で手を振った。小さく返すと彼はさらに笑顔を深めた。そして――向き直った暇ではないはずのあの人もまた、眩しいものを見るかのように僅かに微笑んだ。
❖
「久しぶりだね、〈マギエル〉」
「ええ、ここでお会いできるとは思ってもみませんでした」
「そう嫌味を言うな。驚いてくれただろう?」
どこか嬉々として最高権限を持つ男は私に尋ねた。
怒るのも馬鹿らしくなって頷く。そのまま議長の左を歩むと、彼を挟んで右に見覚えのある青年が控える。この人もまた独立遊軍准将のバッジ。
誰だったかと記憶を探る。ニュース以外のどこかで……。
「ホテルにイシュタルのメンバーを何名か呼ぼうと思ってね」
「ルーキーが喜びます。が、私は遠慮させていただきます」
「全く君ときたら相変わらずだな。ならば、この後輩の指導に当たってもらおうか」
双眸を企みに瞬かせ、議長が右隣の青年に目配せする。
立ち止まった彼はとても美しい敬礼で
「
「――――――――議長」
「今日は我々と同じホテルに泊まるといい。アントワーヌには言っておこう」
「議長。ですが私は」
「
「…………」
「優秀な後進を育てるのも君の役割だよ、〈マギエル〉」
優秀な後輩の育成なんて建前でしかない。
またこの人の思惑に嵌められる。本当に狸だ。何度も思い知らされる。
思い出した。
見たことがあって当然だ。ディディと同じ声の人を忘れられるはずもない。
「議長、しかし」
「これは命令だ。いいね、〈マギエル〉」
議長の背後で飛龍と名乗ったその人が薄く笑った。どこか酷薄そうな笑み。
いとしい、声。何度も何度も求めた、夢にまで見たこの世で一番好きな声。
いとしい。瞬発的にそう思う自分が怖い。
「あの機体は第五世代ですか?」
議長にそのままホテルへと連行され、豪奢な一室に放り込まれた。
レースカーテンの隙間から白い狼の機体が見える。正確にはローンチしたばかりの第六世代の亜種だよと説明される。飛龍の機体だという。
「通信機能なども部屋に一通りそろっている。好きにくつろぎなさい」
「通信?」
「婚約者殿に連絡のひとつくらい入れても咎はないよ」
議長に言われて初めて気づく。
ヴィルヘルム。
世間的には生涯を共にする約束をした人。通信のひとつも入れなければ怪しまれる。実情を知っていて、暗にそう
「ごゆっくりどうぞ」
ディディじゃない。
分かっていてどうしてこんなにも、飛龍の声に、一言一言に心の奥まで乱される。
❖
「どうした?」
ヴィルヘルムの声が今日は優しい。
モニタに映る表情も穏やかで、つられるようにしてはにかむ。
嫌いじゃない。好きなんだ。私はこの人が好き。
「すこしね、声が聴きたくなって」
「俺もお前の声が聴きたかった」
間を置かず言われて、二人で暫し見つめ合い、また穏やかに笑った。
穏やかな会話、恋人同士らしい静かに満たされた会話。
「よかったのか?」
「え?」
「婚約のこと。アイリスはよかったのかと訊いている」
いいのかと訊かれると正直望んだわけではないけれど。
「ヴィルヘルムはいや?」
「そういう切り返しは卑怯だ」
「……ジェイムズ・セシルに訊かれたの」
ヴィルヘルムは僅かに眉をひそめる。
相変わらずジェイムズ・セシルが苦手なのか、この話の流れでジェイムズ・セシルが出てくることが不可解なのか。黙って先を促された。
「アイリスはヴィルヘルムを愛してるのか、って直球で」
「あいつ! また余計なことを……」
「あいしてるよ、って答えた」
ヴィルヘルムは一瞬固まって、次の瞬間耳まで紅く染まった。
自分でも気づいたらしく腕で顔を覆う。
「卑怯だぞ」
「ディディよりあいしてるってちゃんと言ったよ」
「お、お前なぁ……ッ!」
「ヴィル、好きだよ」
私はヴィルヘルムが好き。
嘘じゃない。嘘にはしない。優しいこの人をあいしている。
いとしいと、傍にいたいと思う。心からヴィルヘルムが好き。
満たされて通信を切る。ふと背後に視線を感じて振り返る。
――飛龍が。
「早かったです?」
「立ち聞きは感心しない。指導1ね」
失礼しましたと慇懃無礼に言いながら近づいてくる。
どこか猛禽類を思わせる瞳が怖い。
「有り得ないものを見る目で俺を見るね、いつも」
「なに、あなた、何を――」
知ってるの? という言葉は腰を強く引き寄せられ流れるように奪われたくちびるの狭間で溶けた。
「別に身代わりでも構わないよ? 最初は」
「ちょ、やめっ……」
「ほら目を閉じて。声だけ聴いて。身代わりでいいから抵抗しないで――最後まで」
ふっと催眠術みたいに身体の力がくたくたと煮崩れる。
声に支配される。
いまもまだ、その声に流される。――夜が来る。
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