#19. The children who cry into their pain.
勝利者は正しいのか 本当に正しいのか 世界は正しいのか どうして正しいのか
「まもなく作戦目標地点、パイロットはミーティングルームへ」
本来、高速宇宙艦であるイシュタルは大気中では重力の関係で少し揺れる。断続的な振動でマグの中の珈琲が美しい円形の波紋を描き続けている。
「君は行かないのか? アイリス」
「行くけど今回私の出番はないでしょ」
「それはそうだが」
「グレンヴィル准将の後ろからお供いたしますわよ」
「からかうなよ、アイリス」
「あらいいじゃない、グレンヴィル准将」
ヴィルヘルムと私の婚約が発表されてからというもの、ジェイムズ・セシルと話す機会が増えた。一応とはいえ婚約者の友人を邪険に扱うわけにもいかず、表面的には穏やかな関係を保っている。独立遊軍准将と〈マギエル〉。元クラーク特飛隊。先輩と後輩。私とジェイムズ・セシルには様々な繋がりがあって険悪なムードでいるには士気にも関わる。それくらいは私にも判断できる。
「領土的野心を見せずに攻略となると正直難しいよ」
「でもプランはもう立ててあるんでしょう?」
「本当は君を使いたかったんだけど――今回ばかりはね」
「まあ〈マギエル〉が出たら領土的野心ってなっちゃうよね」
「だからハヤトを使うことにした」
あっさりとジェイムズ・セシルは反抗的なあの子の名前を出して、私に作戦地域の地図を表示した。
モニタの白地図に赤いラインと全パイロットの配置図が表示されている。
「ここ、民間人しか知らない坑道らしい。内部の協力はすでに仰いである」
「
「確実に落とさなきゃ皺寄せがくるのは民間人だ。多少のリスクは負うさ」
「おーい、ジェイムズ・セシル! 協力者のミス・シャリムが到着したぞ」
副艦長の声にジェイムズ・セシルが振り返ってそのまま出ていく。
副艦長が数秒ためらって、私をも手招く。幼子にするようなその姿が一瞬、似ても似つかないディディと重なる。遠くから呼ぶあの仕草。もう重症だ。相当神経やら何やらがまいっている。
一生忘れられないのだと思い知らされて、ゆっくりと二人の後を追う。
痛くない。私の痛みなんて微々たるものだ。
むしろジェイムズ・セシルやアウローラ、《ラルウァ》、エジェかもしれないし――何よりヴィルヘルムが一番痛いはず。だからこんな痛みは痛いと思うのが罪だ。
❖
「ハサブ攻略戦だが――ジェイムズ・セシル」
「敵砲台の奥に市街地があり、その奥に火力発電所がある。アプローチはこのラインのみ」
モニターに映し出された地域図を持って指し示し、一同を振り返る。興味深げに頷く副艦長をちらりと横目で見遣ってジェイムズ・セシルは説明を続ける。
「しかし、敵主力砲台は海岸沿いの断崖全域をカバーしていて隠れる場所はない。超長距離射撃は敵の陽電子リフレクターに阻まれ効果的とは言えないだろう。ミス・シャリム」
呼ばれた年端もいかない少女は、勝気そうな目にさらに気迫をこめて口を開く。
「あんまり知られていない狭い坑道があるんだ。砲台の真下に繋がってる。今は塞がっちゃってるけど、ちょっと爆破してやればすぐ外に出られるはずだ」
「旧型クレイドルでは通れないが、装備換装型の《ランサメント》なら通れる。ミス・シャリム、彼が《ランサメント》のパイロットだ」
そう言ってハヤトを押し出したジェイムズ・セシルを少女がきょとんとした顔で振り仰ぐ。てっきりセシルが乗るものと思っていたらしい。
「えぇぇぇぇ……コイツ? 偉いさんはアンタなんだろ。ならアンタがやればいいじゃん。失敗したらマジで終わりなんだから」
データの受け渡しを拒む少女にジェイムズ・セシルが淡く微笑んでその華奢な肩に手を乗せて宥める。
「彼なら大丈夫ですよ、ミス・シャリム。さあデータを」
「アンタがやればいい。アンタだって自分のが上手くやれるって思ってるくせに」
デバイスを差し出したジェイムズ・セシルに食って掛かるハヤトに、その場に諦めにも似た空気が広がる。ああまたか、また口論になるのか。またハヤト・ナユタか。無言の溜息がどんよりと足元に溜まっていった。
私の横に立つジェイムズ・セシルの空気がピンと張りつめたかと思うと
「甘ったれるな、あれだけデカい口を叩いておきながら尻込みか?」
「そんなんじゃ……ッ!」
「お前にならできると思ったからこの作戦を取ったんだ」
ひったくるようにしてハヤトがデータを受け取ったのと、作戦行動開始の放送が流れたのはほぼ同時だった。
「艦橋遮蔽。対地対空ミサイル、クレイドル戦闘準備。クレイドル全機発進後、全門ミサイル装填」
「アントワーヌ艦長。このあとミス・シャリムはいかがいたしますか?」
ゆっくりと降下し遮蔽される艦橋でアントワーヌに問いかけると彼女は眉間を寄せて溜息を吐いた。肘掛けを数回叩いて自分の元へ私を呼ぶ。
独立遊軍准将より〈マギエル〉の方が上官なんだけど……と思いつつ、その辺はあやふやになっているのでまあいいかと近寄る。
「突破した後、テロが散発することは必至でしょう」
「そうですね。以前もそうだったと、ミス・シャリムは仰ったので」
「〈マギエル〉」
「はい」
「今まさに血の臭いがする場所に、あんな幼い子どもを連れ帰すのは得策かしら?」
「――そんな中ででも生きるしかない人間もいます。私もそうでした」
「ああ、いえ、そういう」
ともすれば私への当てつけになると気づいて、ハッとしたようにアントワーヌが口を噤んだ。右手で持って制して、私は前方の巨大モニタに目を向ける。
数ばかり多い敵の旧型隊に苦戦しているようだった。副艦長がミサイルで突破を試みたが、それも陽電子リフレクターで弾かれる。
逆に敵砲台の照準にされて急旋回を強いられ、大きく船体が揺らぐ。
それでも会話は続いた。
「他意がないのは承知のこと。ですがミス・シャリムはあの街で生きる者です」
「ええそうね……それは、分かってはいるのだけど」
「戦争とは大人だけのものではないでしょう。覚悟なさい、アントワーヌ」
画面の左端から《ランサメント》と追加装備が坑道を突破してくるのが映る。
旧型を撃ち、砲台を破壊し、また旧型を刺す。
覚醒したように、花開くように軍人として頭角を現していくハヤトとて成人年齢に達しているとはいえまだ子どもだ。
そんな子どもに頼らなければ、子どもの手を傷つけなければクレイドル戦は、戦争はできないのだ。
❖
目の前で轟音を立てて敵砲台が陥落する。ジェイムズ・セシルがリフレクターを装備したクレイドルに止めを刺した。
黒煙と土煙を風に流して作戦は終了する。
艦橋の遮蔽解除をアントワーヌが静かに告げる。
「お疲れ様、ジェイムズ・セシル。ハヤト。あとはラス・アル・ハッド基地駐留部隊に任せて帰投して」
「はい」
「副艦長、艦の損耗報告を急いで」
「ただいま」
アントワーヌは重たい息を漏らした。艦橋を濡らすような重い息。帰投したジェイムズ・セシルの顔も曇りがちで、晴れやかで誇らしげなのはハヤトだけだった。
「
囁くようにジェイムズ・セシルが言う。
握られた手が微かに震えていた。やり場のない怒りのままぐっと肩を掴まれてアイリス、と縋るように名前を呼ばれる。手はまだ震えていて、きつくきつく。
「仕方ないわよ、それが戦争でしょ」
どうしようもなく痛いのは傷口より汚れた手。
どうしようもなく愚かなのは平和より「願い」を望む心。
どうしようもなく愛しいのは
――死んだ恋人より目の前で泣くきみたちであるべきなのに。
どうしようもなく間違っているのは、こんなにも冷たい私のこの思考回路。
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