#18. Clown dances fraud as a saint.
世界で一番嘘のうまい人たちが 世界を支配している その矛盾
紅海を抜け、アデン湾にさしかかる。
あれからは戦闘もなくイシュタルは穏やかな航海を続けている。
「アイリスさん!」
明るい声とともに
クレイドルパイロットの彼女はずいぶん私に懐いていて、行く先々でこうして声がかかることは日常茶飯事になりつつあった。
「アンナ、おはよう。ハヤトとシスネも」
「おはようございます。朝食はもう?」
「いえ、今から摂ろうと思っていたところ」
「じゃあご一緒してもいいですか? 私たちも今からなんです」
さりげなく絡められる細い腕に。黙って後ろからついてくる穏やかな物腰に。まだ眠たげなあどけない表情に。
躊躇なく交わされる言葉にクラーク特飛隊時代を思い出してギリギリと心は軋む。それを表には出さずにアンナに導かれるまま食堂へと向かう。
穏やかな朝ほど気持ちが沈むのは何が歪んでいるからだろうか。
「あれ? みんな早いじゃない。どしたの?」
「どうしたもなにも、アンナ知らないの?」
「アウローラ皇女のライブ中継やるんだぜ! いいよなぁ、本国勤務の奴ら」
テンポよく交わされる会話通り、食堂のモニターにはアウローラ・ディ・スフォルツァもといエミリアの映像が大写しになっている。
本国の皇国兵のために催された慰安コンサートの録画中継のようだ。
「なんか、昔より曲調アップテンポになったよね。あたしこっちのが好き」
「――興味ない」
「んもう、シスネったらいつもそう。アイリスさんは?」
「どっちもどっちかなぁ」
曖昧に濁してミネラルウォーターで流し込む。
『アウローラ皇女殿下のライブ映像でした。続いてのニュースです』
「なんだよー。もう終わりなの?」
「わがまま言うなって。ニュースの時間にも限りがあんだから」
「お前だって見たいくせにさー」
盛り上がりを見せるライブ映像が断ち切られ食堂のあちこちから落胆の声が上がる。アウローラ・ディ・スフォルツァのカリスマ性は絶大。こんなところでも実感させられて苦笑いを噛みしめた。
「今日午前、皇国軍広報部はミハイロフスキー国防委員長のご息女、〈マギエル〉ことアイリス・ヴィクトロヴナ・ミハイロフスキーさんと」
突如流れた自分の名前にふと視線を上げる。
広報部?
普段関わりのない部署に眉間を寄せる。
何か見落としていた連絡はあっただろうか。戦況発表は特にないはずだが……
「アデイラ・ヴァルトシュタイン外交事務総長のご子息、ヴィルヘルム・フォン・ヴァルトシュタインさんとの婚約内定を明らかにしました」
「暗いニュースが多い中、久しぶりの明るいニュースに市民もお祝いムードですね」
「そうですね。皇国軍の人事ではなくご自身たちの選択ということで、戦火に咲いた恋、いやぁ応援したくなりますね」
真っ白に塗りつぶされる脳内。
あからさまにざわつく食堂、無遠慮に注がれる視線。
ああ、なるほど。エジェ・アル・スレイマンと同じ手を使われたのか。
脳内だけクリアに冴えていく。これからも徐々に拡大していくだろう戦火への不満を、このニュースで打ち消そうという政治的判断。
なにがご自身の選択だ。嘘つきめ。国防委員長も議長もとんだ狸だ。この前会ったときは何も言わなかったくせに。
「婚約されたんですか、アイリスさん⁉」
「しかも相手が、ヴァルトシュタイン隊長!! サンクティオ作戦の英雄だぜ!」
「やっぱ、なんか世界が違うって感じだなぁ」
ここで否定したら嘘になる。
私のやってきたこと、これからも貫くこと、全部嘘になる。
「――つい最近、イシュタルに配属になる前に決めたの」
「おめでとうございます‼ わぁっ、ほんとにお似合い!」
「っ、ありが、とう」
嘘になんかしない。
私のやってきたこと、これからやることを絶対に嘘になんかさせない。そのためのたわいない嘘ならいくらでも厭わない。
ぎこちなく礼を述べると、イシュタルはラス・アル・ハッド基地に無事入港完了したとの放送が流れた。
❖
基地司令官との挨拶と、ハサブ攻略戦の打合せを簡潔に済ませる。
沿岸に陽電子砲とクレイドル数十機を配備した
そのため現地協力員を招き、イシュタルとラス・アル・ハッド基地駐留部隊の合同でハサブ攻略戦を行うようにとの指示。
「まったく、どこの狸が考えた作戦かしらね」
アントワーヌが諦めたように溜息をついて薄く微笑った。
どこの、なんて一人しかいない。争いたくはないと言いながらもあの人はしっかり軍本部は固めようとしているのだ。
私とヴィルヘルムの件にしても、どこかで議長が糸を操っているとしか思えない。
《ルサールカ》の整備を一通り終えて、甲板に出ようとするとジェイムズ・セシルとハヤトが話しているのが見えた。
ジェイムズ・セシルがハヤトを叩いてから、ハヤトはあからさまにジェイムズ・セシルを避け話そうともしなかった。
それが険悪ではあるけれど何かしらの会話をしている。――悪趣味は承知でそっと聞き耳を立てた。
「だから君は思ったのか? 力を手に入れさえすれば守れると」
「なんで……そんなこと」
「自分の非力さに泣いたことがある者なら誰でもそう思う」
「…………」
「だが、力を手に入れたときから、今度は自分が誰かを泣かせる側になる。――そのことを忘れなければ、君は確かに優秀なパイロットだよ」
そう言い残してジェイムズ・セシルが出入り口に向かってくるものだから、無意識の内に体を翻していた。逃げるつもりなんて毛頭ないのに。
「逃げるのか、アイリス?」
「――逃げないわよ」
「なら、話をしよう。訊きたいことは山ほどあるんだ」
「生憎と今から訓練規定でね、そんな暇は……」
「聞き耳を立てる暇はあるのにか?」
丸め込まれて、ついでに腕も掴まれてジェイムズ・セシルの士官室に連れ込まれる。生活感がないほど整頓された部屋の椅子に座るよう命令されて、はたと気づく。
「上官に命令していいの? それとも准将扱いだから?」
「大人しく座ってください、ミハイロフスキー閣下」
「相変わらず可愛くない」
「リリィのことは丁寧に扱っているつもりだが」
いつかのあたしがからかって呼ばせた呼称で、ジェイムズ・セシルが私を呼んだ。
ジェイムズ・セシルは私の頭に手を置いて、ココアの入ったマグを差し出した。
クラーク特飛隊にいたころ、たった一度だけココアが好きだと話したことがある。
覚えていたのか。
ジェイムズ・セシルは不器用で人付き合いが下手で、けれどすごく優しい。
「――ヴィルヘルムとの婚約は本当?」
「ほんとうだよ」
「アイリス」
はぁ、とジェイムズ・セシルの溜息がやけにうるさく響く。
どうしてそんなに哀しそうな顔をするのか分からない。
「君はヴィルヘルムを愛せるのか? ディディより?」
「あいしてるよ、誰よりも」
せめてもの心を。
これから誰より傷つけるだろう、かの人に。
「ならいいんだ。君がそう言うのなら。……おめでとう、リリィ」
ジェイムズ・セシルがそう微笑ってくれるから泣きたくなる。
すべてを曝して、嘘だと言って、楽になってしまいたくなるけど、何もない左手の薬指を撫でる感触が戒める。
大人たちの嘘にまみれて自ら嘘を重ね。
生きている人たちをどうしようもなく苦しめてまでも。
やっぱり私は亡骸を愛しつづけることしかできないから。
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