#17. Underground Atmosphere.

 理想でしかない 理想でしかないんだよ 分かり合えるなんて


「どうして《ラルウァ》をちゃんと殺せないの?」

「アイリス……それは……」

 結局ジェイムズ・セシルは答えをくれなかった。

 それはきっと理由などないから。

 アーサー・セシル・グレンヴィルことアーサー・アル・スレイマン。

 皇国五家筆頭のグレンヴィル家から《友好》の証として中立国チョンジエンに差し出された人身御供。ジェイムズ・セシルの弟。

 ジェイムズ・セシルの中での優先順位はとうに傾いてる。

 知っている。分かっている。

 それでも、嘘でもいいから、綺麗事でいいから

「殺してもみんなはきっと喜ばないから」

 なんて言い訳してほしかった。本当に私はバカだ。言い訳しても許せないくせに、言い訳してほしかったなんて。


 ❖


「コンディション・レッド発令。パイロットは直ちにスタンバイしてください」

 警報灯が赤い光とけたたましい音を発してくるくると回った。

 整備士の駆け足が格納庫ハンガーに響く。

 機体の最終チェックが始まる。

 格納庫ハンガーの真上に位置するキャットウォークから見下ろして確認した。

「艦長、連合ユニオンですか?」

「また待ち伏せされたわ。人気者はつらいわね」

 ジェイムズ・セシルとアントワーヌ艦長の会話がどこか遠く聞こえる。

 戦闘に次ぐ戦闘。

 積極的自衛権と言っても戦況は三年前とあまり代わり映えしない。

「あなたは? 私はあなたに対しての指揮権はないわ」

「俺も出ます。確かに指揮下ではありませんが、このふねの搭乗員です」

「では発進後の指揮をお願い」

「承知いたしました」

 神妙にジェイムズ・セシルが頷くのが視界の端に映った。

 突然戻ってきて指揮までするのか。さすがジェイムズ・セシル。

 また誰かルーキーが見殺しにされるのね。信頼させて慕わせて最後には裏切って。

 ――どうせまた、いなくなるくせに。

「〈マギエル〉、あなたは?」

「出ます、後方支援として」

「ありがとう」

「仕事ですから」

 アントワーヌが困ったように笑った。

 何か言いかねた時のアウローラみたいに。

 私の記憶の中では、いつも誰かが困った顔で笑っている。

 どうしてなのか、考えるのは億劫だ。

 《ルサールカ》の横で躊躇せず上着とスラックスを脱ぎ捨てた私にジェイムズ・セシルが目を逸らす。彼は既に戦闘服に着替えていた。

「ここで脱ぐのか?」

「悪い?」

「そういうわけじゃないんだが……」

「自意識過剰。下にもう戦闘服着てるし、素っ裸になるわけじゃないんだから」

「何話しこんでるんですか、スタンバイ命令ですよ!」

 ヘルメットを持ったハヤトが会話を遮った。ジェイムズ・セシルに向けられる疑念の視線と私に向けられた困惑の眼差し。ジェイムズ・セシルが苦笑して私に告げた。

「行くぞ」

 一瞬。

 本当にコンマ何秒かの刹那。クラーク特飛隊にいたころを思い出す。

 あのころもジェイムズ・セシルが行くぞと言ってみんなスタンバイしていた。

 そうすればみんな生きて帰れるような、そんな錯覚がしていた。


 ❖


「右舷ハッチ解放。《ロキ》、ジェイムズ・セシル・グレンヴィル発進どうぞ」

「ジェイムズ・セシル・グレンヴィル、発進する」

「続いて左舷ハッチ解放。《ルサールカ》、〈マギエル〉発進どうぞ」

「アイリス・ヴィクトロヴナ・ミハイロフスキー、発進する」

 停戦条約以来の地球の海。風を感じることはできないがクレイドルのコクピットから見る海はやはり深く蒼い。

 皇国の人工海とは違って、きっと風もしょっぱいのだろう。

 触れてみたいとはもう思えない。

 この海には何百何千と仲間の血が流れたから、もう触れたいとは思えない。

「旧型クレイドルが三十機ってとこかしら」

「数ばかりごちゃごちゃと!」

 強奪された《アルコ》が旧型クレイドルの先陣を切る。

 ジェイムズ・セシルにスクランブルをかけ追い回し始めた。

 態勢を立て直して応戦するため、ジェイムズ・セシルがいったん高度を上げる。

 ハヤトも旧型クレイドルの中では手練れらしい機体に狙われて応戦を始めた。

 旧型クレイドルは数だけでレベルは大したことはないので、恐らくハヤトを狙っている奴が司令官だ。

 それにしても

「イシュタル? 敵の母艦が見えないわね」

「索敵中です。そこから基地などは見えますか?」

「――――探してみましょうか。暇だし」

「〈マギエル〉」

 怪訝な声がかかる。

 まぁ、暇と言うには語弊があるので仕方ない。何しろジェイムズ・セシルとハヤトは敵機と交戦中で、私は旧型を落とし後方支援中だ。

 けれどこれくらいの戦闘は自力で凌いでもらわないと生き残るなんてできない。

「ハヤト、出すぎだ。何やってる!」

「文句だけなら誰だって言えるでしょうが!」

 ハヤトは実戦経験の少なさと敵の手強さに苦戦しているようだった。

 加えてジェイムズ・セシルに対抗意識を燃やしているようで、セシルが苛立つ。

 そしてやはり連想する。あの赤いパーソナルカラーの旧型に感じるデジャヴ。絶対に戦場のどこかで何度もこいつとまみえたことがある。

「アイリス! どこへ行くんだ君まで」

「母艦を探してくる。これくらいで君ら死なないでしょ?」

「アイリス! 勝手な行動をするな。――ハヤト、深追いするな乗せられてるぞ!」

 離脱した私と陣形を乱すハヤトにジェイムズ・セシルの叱責が飛ぶ。

 苦労性は治らないようだ。

 イシュタルから新たに第二世代型が二機排出された。僚艦に所属する第二世代が《エスパーダ》と交戦中らしい。第二世代までは水中戦に対応していないので圧倒的に分が悪い。分かっていて離脱する。

「アイリス! ……ハヤトも‼」

「うるさい、俺はやれる……ッ!」

 赤い旧型を庇って飛び出してきた《アルコ》と交戦中のハヤトの叫びを最後に、いったん通信を切る。

 ハヤトたちが戦っている空域から少し内陸に鉄塔が見えたからだ。

 まばらに見える人影を光学ズームにする。――軍服を着ていないので、恐らく地元の民間人。女子どもも混じっている。連合ユニオンに支配された罪なき人々。

 しかし基地のようだった。

 破壊すれば皇国にもここに囚われた民間人にも利となる。攻撃パネルを展開する。

「ここに建設中ってことは対アレクサンドリアか……破壊しとくか」

「〈マギエル〉! 《エスパーダ》《ピュロボルス》接近中‼ 応援願います!」

 降下体勢に入ったところで通信が強制解放・固定され、ノイズまじりの声がした。僚艦からの悲鳴に近い緊急通信。SOSが繰り返しテキストで流される。赤と黄色の文字で繰り返されるエマージェンシー。混乱を極めた救援要請。

「こちら〈マギエル〉。《エスパーダ》《ピュロボルス》との距離は?」

「現在距離二〇〇、回避不可能! 〈マギエル〉応援を……」

「さすがにそれは間に合わないなぁ」

 言い放った瞬間、重なる悲鳴と轟音。

 イシュタルのすぐ傍で大きな水柱が上がったのを合図として《エスパーダ》《ピュロボルス》、赤い旧型が去った。おそらく《アルコ》も。

 そのほかの旧型は知らぬ間に全滅していて、さすがは伝説のエースと期待のルーキーといったところか。

 しかし攻撃音はまだ続いていた。

 おもむろに私を追ってハヤトが上陸してきた方を見る。

 破壊していた。

 もう戦闘力も何もない、ただのオベリスクと化した建物群を、連合ユニオン軍兵士を蹂躙していた。

 驚きはない。私がやろうとしたことをハヤトがちょっと手酷くしただけのこと。

 やっぱりハヤトは。神様が私に与えてくれた子なんだ。ハヤトだったらきっと――

「やめろ、ハヤト! 彼らにもう戦闘力はない!!!」

 ジェイムズ・セシルが止めた後、しばらくして有刺鉄線のフェンスを薙ぎ倒してハヤトは止まった。

 民間人が利用されていたことが許せなかったらしい。彼らを解放して止まった。

 罪なき民間人を助ける。

 その正義の上に大量の戦闘力なき連合ユニオン軍兵士を殺戮して。

 彼はようやく私たちとともにイシュタルへと帰途についた。


 ❖


 乾いた音が格納庫ハンガーに反響する。

 誰もがその方向へと振り返ると、ジェイムズ・セシルがハヤトを殴りつけていた。私は《ルサールカ》の風防だけ開けて、コクピットから傍観を決め込む。

「殴りたいなら別にいくらでも。でも、俺は間違ってません!」

 ハヤトが噛みついて、ジェイムズ・セシルが二発目を振り下ろした。

 きみだって散々命令違反して《ラルウァ》を取り逃がしたくせに何を偉そうに。

 心中毒づく。「グレンヴィル独立遊軍准将」は私の心中など知らず、とても綺麗な正論を吐いた。

「戦争はヒーローごっこじゃない」

 そうだよ。

 私たちはヒーローじゃない。

 だから撃つんでしょう? 

 憎んで、撃たれたら撃ち返すんでしょう。力があるからなおさら。

「アイリス。君もあまり勝手な真似をするな」

「ご忠告どうも、グレンヴィル准将」

 距離のあるところでお互い会話しているので、格納庫ハンガー中が聞いているのだろう。

 息を呑むように静まりかえった格納庫ハンガーから、何も言わず先にジェイムズ・セシルが出て行った。

 それを見届けてから私も《ルサールカ》から降りる。

 ハヤトが気まずそうに私を見た。

「大丈夫、間違ってないよ。ちょっと派手にやりすぎただけ」

「アイリスさん」

「民間人を救うことも、私たちの任務だし」

「……はい!」

「それぞれ正義が違えば意見も違う。悲しいけどね」

「アイリスさん」

「ハヤトは優秀なパイロットだよ――とても」

 思惑含みで意識して柔らかく。

 誰から見ても好まれるような笑みを浮かべてハヤトの汗を軽く拭ってやった。

 ふっと緊張の糸が切れて安心しきったハヤトがぎこちなく笑顔を浮かべて、私の手に身を委ねた。


 ❖


 誰も間違ってなくて、誰もが間違ってる。

 この世にヒーローなんていないから、間違ってる私たちは戦う。

 ヒーローなんてどこにもいない。どんなに願っても誰も助けてはくれない。

 だから私たちは間違ったままで、また間違えながら。

 ヒーローになれないジレンマと戦っていく。

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