#14. The sound of broken futures.
ここから先は立ち入り禁止 そう赤で禁じた扉を 叩く――誰かがいる
「アイリスさま、アウローラ皇女暗殺は失敗に終わったようです」
「……あの部隊全員、自決したの?」
「そのことでひとつご報告が」
EYES ONLYと書かれたデバイス内資料をルドヴィカが緊張の面持ちで差し出す。
「チョンジエンに潜伏中の諜報員からの報告です」
「アウローラ暗殺部隊は――《ラルウァ》と交戦!?」
「ご覧いただきたいのはその次です」
「これは……先の大戦直後の報告書だよね?」
ルドヴィカはただ黙って頷き俯いた。促されるままデバイスに目を走らせる。
内容にその速度は自然と増した。手が小さく震える。
可能性を考えていなかったわけではないが、信じたくはなかった。
「アーサー・セシル・グレンヴィルまたの名をアーサー……アル・スレイマン」
「ジェイムズ・セシルの実弟、そしてスレイマン代表の義弟だそうです」
「《ラルウァ》パイロットは先の大戦時、チョンジエン領海沖でジェイムズ・セシルと交戦。その後、チョンジエンに亡命したアウローラ皇女の手配により《ラルウァ》の上位互換AIプログラムと母艦を手にしたようです」
「殺したんじゃ――ジェイムズ・セシルが討ったんじゃなかったの?」
「生き延びた。恐らくはスレイマン代表またはアウローラ皇女の手引きかと」
空虚なほど淡々と、ルドヴィカは告げた。
生きている。その事実に驚愕よりも恐怖する。
《ラルウァ》が生きてまた戦場に現れる――考えたことがないと言えば嘘になる。
けれど。先の大戦でジェイムズ・セシルが討ったと信じていた。
ディディの、テオの、みんなの仇は果たしたと信じていたのに。
「ジェイムズ・セシルは《ラルウァ》パイロットが弟だって知ってるの?」
「チョンジエンのアーサーの自宅で度々面会している様子とのこと」
「知ってるのね」
「……はい。スレイマン代表やアウローラ皇女もご一緒との情報でした」
「今回の暗殺未遂も《ラルウァ》が止めた――」
「《ラルウァ》との交戦後、暗殺部隊は自決したとのこと」
安堵と憤りがないまぜになって押し寄せる。
アウローラを殺すのは気が進まなかった。助けたいとは思ったが、こんな形でではない。《ラルウァ》を望んだわけではない。
三年間で憎しみは薄らいだと思った。
ヴィルヘルムが、ペドロが、ルドヴィカがいる。そのことで和らいだ。
憎むべき相手がこの世にもういないのなら、いっそ憎しみを捨てて未来を……そう、思い始めていた。忘れられなくとも、痛みは未だ強くとも、憎むだけではきっとダメなのだと。アウローラの、ジェイムズ・セシルの、裏切りをまざまざと受ける今この瞬間までは。
拳を力任せにデスクへ叩きつける。
跳ね上がったカップが床に転げ落ちて砕け散った。
再び湧き上がる憎しみに身を任せるのはどうしてこうも容易いのか。
許すことはあんなにも痛みや悲しみ、戸惑いをもたらすのに、憎むことはなぜこうも容易い。
「アイリスさま」
「――取り乱してごめん。それで? 現在の彼らの動向は?」
「今のところは何とも。情報はあるようなのですが」
「情報がなぜ出てこないかは訊くまでもないね。あの人が抑えてるんでしょ」
将官より上位の権限を与えられている〈マギエル〉でも手に入らない情報。
それは国防委員長か議長権限のブロックがかかっているものでしか有り得ない。
ルドヴィカがあからさまに嫌な顔をした。私が独りで動くのを察したのだろう。
「ロンギヌスはどうされるおつもりですか? いつも隊ごと置いて行って!」
「ルディがいるでしょ。頼りにしてるよ副隊長。さ、さっさと議長にアポ取って」
「こういう時だけ副隊長扱い! 何でも命令聞くと思ったら間違いですからね‼」
忌々しげに叫びながら彼女は手早く議長へアポイントを取り付けていく。
いくらかまだ幼く感じる敬語を議長の秘書官であろう相手に話す様子は嫌いではないと思った。
もう一度デバイスに目を通す。
《ラルウァ》パイロット、アーサー。その命を助けたアウローラ・ディ・スフォルツァ。アウローラの性格上、傷ついた人間を放っておくことなどできなかったのだと、理解はできる。けれど。
「どうして、ディディが死んで、あいつは生きてるのよ」
皇国民の血を引いてるくせに皇国民を殺すような奴が。
そんな裏切り者が、どんな理由があれ生きていることが許せない。
助けたアウローラにも怒りがふつふつと込み上げる。
先の大戦末期、アウローラは当時の最新システムを私物のように《ラルウァ》に授けた。ジェイムズ・セシルも弟と知って殺さなかった。みんなの仇を討たなかった。
「……殺す」
もはや復讐などではない。これは誓い。
愛しているともう伝えられない償い。
私の手で殺さなかったから奴はのうのうと今も生きている。
家族と、友人と、恋人と。
人間は平等であるならば、平等に奴も死ぬべきだ。
ディディが死んだのだから死ぬべきだ。贖うべきだ、その命で。
――ねえ、そうでしょう?
❖
「そう怖い顔をしないでくれないか、アイリス」
「アーサー……《ラルウァ》パイロット及びアウローラ・ディ・スフォルツァの動向に関しての情報開示を求めます」
詰め寄る私に議長は子どもをあやすような仕草で着席を命じた。
座るや否や、甘い牛乳の香りがする紅茶を勧められる。
「牛乳は苛立ちを抑える効果がある」
「プレヴァン議長!」
「この数日、チョンジエンや
「不用意な発言は軍部からお咎めを喰らいますよ」
皮肉を言えば、議長は私の耳の傍に口元を寄せ、囁いた。
「ジェイムズ・セシルとスレイマン代表が恋仲だという噂は?」
「は? ……まあそのような噂は一応聞いたことが」
「そのスレイマン代表がご結婚なさるそうだよ。チョンジエンの藩国ひとつのご子息と」
何が言いたいのかようやく理解する。
つまり、あのお姫様はすでに傀儡だと。
中立国の姫の幸せな結婚に、戦争への布石を紛れさせてしまおうという魂胆。
祝福に浸る人民はちょっとやそっとのことじゃ世論がひっくり返ったりもしない。伝統的な政治手腕。
「政略結婚ですか」
「結婚式に合わせ、
ふふ、と議長が肩を震わせた。とんでもないスキャンダルでもあったのか。
あの
「誘拐されたそうだよ、スレイマン代表が」
「テロ組織ですか?」
「犯人は《ラルウァ》とその母艦オディウムだそうだ」
「どういうことですか?」
「第四の勢力――エジェ派が台頭してくるかもしれん、ということだ」
先の大戦で反戦派が台頭してきたように、今回もまた反戦派が介入してくる可能性がある。
《ラルウァ》が動いた今、あながち空想でもない現実だ。
「議長は黙認されるのですか」
「戦争はしないにこしたことはない。彼らの力もまた有益だ」
「それでジェイムズ・セシルをイシュタルへ?」
「アントワーヌ艦長も独立遊軍准将の権限を与えた。イシュタルには期待している」
「平和のための力ですか……」
元々思想的にスフォルツァ寄りの穏健派である議長と、グレンヴィル寄りの急進派の下で育てられた私とが意見が噛み合うはずもない。
事実をまざまざと思い知らされる。きっとお互いに思いが届いていない。
悲しみをどこにやれば、憎しみをどこに向けるか。そんなことは考えてくれない。議長は柔和な笑顔で突き放す。負の感情は自分で消化し、未来へ繋げと。
「イシュタルとジェイムズ・セシルにはスエズ運河へ向かってもらうことにした」
「紛争地区の平定へ? ジェイムズ・セシルなら喜んでやりそうですね」
「アイリス、君もイシュタルと合流し向かいたまえ」
いやだと瞬発的にでた声は風みたいにひゅうひゅうとして音にならなかった。
議長はやはり子どもと対峙する表情だ。
白く大きな手が私の手をとる。言い聞かせるように、ぎゅっと握られて狼狽する。
一度首を横に振った。いやだと。議長も否定するように横に振った。
それで止まらなくなる。いやだいやだいやだ。
私は《ラルウァ》の居場所を突き止めて殺す。今度こそ自分の手で。アウローラも殺す。そうしたら国防委員長だって文句は言わない。むしろ表彰モノだ。
いやだ、ジェイムズ・セシルと一緒になんて。
私は《ラルウァ》を追うんだ。のうのうと生かしてなんか……
「アイリス。私は君にも未来を担ってもらいたい。つらい思いをした、君にこそ」
「お願いします、議長! 《ラルウァ》だけは私に追わせてください‼」
「イシュタルと合流しジェイムズ・セシルたちと共にいきなさい、アイリス」
「議長!」
「これは議長命令だ、〈マギエル〉」
罰なのか。本気でそう思った。
大切な人のためにさえ戦うことができないのは、この手を血に染めすぎた罰なのだろうか。神様はそこまで私を嫌っているのか。
みんな、私の、わたしの、あたしの邪魔をするのなら味方なんかじゃない。
信じない。
引きつる頬を叱咤して、議長にぎこちなく微笑み頷きかける。
「分かりました、ご命令とあらば――」
あなたももう信じない。
あたしは何があっても《ラルウァ》を討つ。命に代えても。
命令通りにスエズへ向かい、ジェイムズ・セシルに接触しよう。
一緒にいればいつか奴とまみえる日も来るだろう。
――そうしたらもう誰にも邪魔はさせない。未来なんかいらない。
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