#13. Gloomy reason for existence.
ひとつずつ 亡くしていって 最期に 生きた証拠すら 亡くすのなら
白亜の大理石を黒いドレッシーなヒールが踏みしだく。
甲高い残響に警備兵が一斉に敬礼する。
飴色の樫の扉が左右に開かれて緋色の絨毯が敷かれたエントランスに通される。
あの墓地で別れて数時間。
私はフォーマルドレスを纏って隠れ家的な最高級レストランにいる。
人工湖に面した全面ガラス張りのメインホールには、軍部と議会の最高幹部の顔が並んでいた。ボーイがやってきて、淡いピンクのシャンパングラスを供してくれる。
「遅かったな、〈マギエル〉」
「ドレスは慣れなくて。手間取りました」
「皇国のファーストレディは制服がお好みかな」
軽口があちこちから飛び交い、垣根をくぐるようにして道が開けられていく。
ブラームスを奏でる弦楽隊の正面に位置したラウンジバーで今日の主賓たちが歓談していた。心持ち大股に歩み寄るとドレスの裾が翻り、ベルベットの感触が素肌に気持ち悪い。
「国防委員長閣下、今夜はお招きいただきありがとうございました」
「何を言うか、〈マギエル〉。今宵の主役はお前みたいなものだろう」
「まったくもって。君がいるからこそ軍の士気も上がるというもの」
軍部の参謀たちが口々に〈マギエル〉賛美に花を咲かせたが、議長は曖昧に
「休暇中にすまないな、アイリス」
「いえ、一介の兵士である私が招かれることこそ光栄です」
「聞き及んではいると思うが、地球侵攻のオペレーションがすでに始まっている」
「ぺヌンブラ――宵闇に紛れて息の根を止める」
「今の我らをもってすれば
「地球に
「核を振り回す危険な獣どもはいらない」
ずいぶんとアルコールが入っているのか酒気臭い要人たちがあちらこちらで息巻いている。議長はあくまで対話優先だと軽く窘めながら、私を人の疎らなバルコニーに連れ出した。
ガラス越しに「皇国の永久の発展を!」と乾杯のコールがかかるのが聞こえた。揃った覇気がビリビリとガラスを震わす。
「君はどう解釈した、アイリス?」
「え?」
「ぺヌンブラ――釈然としない表情だっただろう?」
「宵闇、世界の黄昏。気を引き締めておかなければ皇国も滅びかねない」
ふと議長が笑む。私の解釈は彼の意図と一致していたようだ。ホールの中で渦巻く熱気を冷ややかに見遣って、議長は手中のシャンパンを空にした。
皇国はこのあと戦争を加速させていくだろう。軍部が加速すれば議会も加速せざるを得ない。穏健派と自負する議長だ。腹の中に何か抱えていたとしても、この動きは注視すべきなのだろう。
議員たちを見る目は冴えた月のようだった。図らずも鳥肌が立つ。
「夜はいつか明ける。世界に朝が来る。そうは思わないか、アイリス」
「しかし皇国と
「それでも相互理解の朝が来ると信じたい」
ロマンチストですね、と冗談で言ってみる。
自覚していると男は笑って首元を緩める。
コントロールされた気候がほんのりと肌寒い夜風を吹かせている。
「ジェイムズ・セシルから面会の申込があった」
「今日会いました、合同墓地で」
「彼はなんと?」
「お上手な演技ですこと。あなたが仕組まれたのでしょう?」
「用意周到なタチでね」
「迷っていると。復隊の意思は見受けられました」
ホールを窺えば戦争に伴う税制改正の話にまで及んでいた。
戦争の長期化とそれに伴うクレイドル開発費の資金不足まで見越した議論だ。
困ったものだなと議長が嘆息する。また大人の勝手な都合だけで未来が先行している、と忌々しげに言い捨てた。
❖
「何だと!?」
「事実確認を急げ‼」
「議長!」
にわかにホール内がざわつく。各要人の秘書と思しき人たちが忙しなく外部と連絡を取っている。冷ややかな表情をかき消して議長は足早に戻る。面倒なことになりそうだと思いながら私もその後に続いた。
「地球に駐留中の戦艦イシュタルがチョンジエン領海近海で
「あいつら……中立だなんだと偽善を並べたところで我が身可愛さということか!」
「小娘ではやはり話にならなかったということですな」
一気に酔いを醒まされて議員たちが散会していく。
とはいえこれから本部で緊急会議になるだろう。十数台のリニアカーが続々とレストランを後にする。
中立のチョンジエンが
ハイウェイを法定外速度で疾走させる。
「職権乱用だが仕方あるまい」
「一大事ですからね。速度違反程度は許されるでしょう」
「アイリス」
「――――珍しいですね、
国防委員長と軍部直属のイヌ。この壮年の男とはその関係のみだと思っていた。
家族を亡くし、軍に入隊する際に戸籍上は養女とされた。
名前を呼ばれたことは片手で足りる。すぅっと背筋を冷たいものが這う。
嫌なことばかりだった。この男が私の名を呼ぶときは。
「アウローラ皇女とは親しかったはずだな」
「昔の話です。先の大戦後、本物の皇女が亡命されてから話してもいません」
「ならばよい。本物の皇女にはご
うまく動かない首を回して男を見る。
今なんと? 問うた。
なぜか一瞬で息が切れている。
男は心底馬鹿にした顔で噛んで含めるように言った。
エミリアを本物にすると。
「今、本物の皇女に出てこられてみろ。分からんお前ではあるまい?」
「――議会の信用を地に落とし、戦況にも影響を及ぼし、最悪、戦端を開いたのは皇国側と仕立て上げられる」
「そこまで分かっていて、生かしておけとは言うまい。なあ、アイリス」
「しかし皇女を殺すなんて! 明るみに出れば信用どころの騒ぎではないですよ‼」
「だからこそ暗殺するのだ。任務遂行できなかった場合には部隊ごと自決する」
「なんてことを……なんて、惨い命令を……」
運転手は黙々とハイウェイを走る。彼が口外することはない。すれば死が待っている。ぎこちない静寂に国防委員長が鼻で
「守るためだ、アイリス。お前もそのために白く幼い手を赤く染めてきただろう」
「あなたが……あなたがそうした! 〈マギエル〉などと銘打ち、私を……ッ!」
「
「殺して、屍の上に守り抜けたものなんてなかった」
「それでもお前はもう戻れない、アイリス。いや――〈マギエル〉」
男の太く武骨な指が左手の薬指に触れ、無遠慮に指輪を撫でまわす。すさまじい嫌悪感だった。丸くちびた爪がトパーズを叩く。
「捨ててしまえ。ジルバーナーゲルはもう戻らん。まだヴァルトシュタインの
「やめて、やめてください……」
「アイリス。お前は皇国のものだ。エミリアが光を、お前が闇を担う」
「お願い、もう黙って!」
「戦場を舞う必中最強の悲劇のヒロイン。お前の存在が皇国軍を強くする」
頭痛がする。視界がひどく赤く歪んで見える。
息ができない。水の中のように耳が痛い。全身から血の気が引く。寒いのに背中がベッタリして気持ちが悪い……たすけて たすけて
手が赤い 指輪が指を喰いちぎりそう、やめて――責めないで!!!
「幸せになりたいなどとゆめゆめ勘違いはするな。お前の存在意義を考えろ」
「私は――なんなんですか? 人形? 兵器?」
「魔女だ」
❖
翌日、ジェイムズ・セシルは復隊し特殊遊軍部隊への配属となった。
通常の指揮系統から外すための議長の計らいだ。
新鋭機の《ロキ》を与えられ、イシュタルと合流すべくジェイムズ・セシルはすでに地球へ発ったという。
恐らくほぼ時を同じくしてアウローラには暗殺部隊が差し向けられているはずだ。
――死ぬのかな、あの子も。
生き残ったら、止めなかった私を憎むかな。あの優しい声で私を
ジェイムズ・セシルは軽蔑するかな。ヴィルヘルムは、ペドロは、ルドヴィカは、死んでいった人たちは……自らの醜さに今さら辟易する。
だから私は闇にしかなりえないのだ。
『何のために戦うのですか? アイリス』
『敵って誰だよ。俺たちは誰を敵とするんだ? アイリス』
出撃準備を部下に指示しながら思い出す。
何のために誰と戦うかなんて、訊きたいのはこっちの方だ。
指輪をダスターに捨てる。黒いステンレスの底で、こつんと虚しい音がした。
『アイリスが死んでも、俺がアイリスの分も生きるから』
『じゃあ、私もディディの分まで生きてあげるね』
死んでしまいたくとも実行できない自分が哀しかった。
『傷ついて――何を得るのですか? アイリス』
それはね、アウローラ。私が欲しかったものはたったひとつ。
私が、ここに生きていてもいい、たったそれだけの存在理由。
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