#12. Songs sung by gentle witches.

 魔女が夕焼けの魔法で少女に戻る

 少年たちは武器を掲げて 魔法を永遠にしようとした


 数週間ぶりの休暇だった。

 こんな情勢下だからと辞退すれば、許可は命令になった。

「今、君に倒れられるわけにもいかないのだよ〈マギエル〉」

「倒れるほど疲弊しているつもりもありませんが」

「いいから。束の間の休暇を享受しなさい」

 そう言って議長は渋る私を執務室から追い出してまで話を打ち切った。

 休暇が嫌なわけではない。読みたい本も溜まってるし、したいことも山ほどある。けれど、この不安定な情勢下で一人のうのうと休む居住まいの悪さを察してほしい。

 ジーンズに足をくぐらせながら薄く瞑目して考える。

 休暇は三日。予想外に多い。

 タートルのニットにコートを羽織って、エレベーターに乗る。同時にデバイスで花を注文した。

 久しぶりに、逢いに行ってみるのも悪くはないかもしれない。


 ❖


 隣でエレベーターの床を親の仇のように蹴っている上司を見て、ペドロは(皇国に戻ったの早まったかなァ……)逃亡を考えた。

 前線から議会に呼び出され、戻ってみたらジェイムズ・セシルの護衛と監視を申し付けられたのだ。

 まあ、気持ちは分からなくもないし、おれもちょっと気まずい。多少精神的に成長したといってもヴィルヘルムはヴィルヘルム。癇癪は治らないらしい。

「ちょっと落ち着きな? ジェイムズ・セシルが指名したわけじゃなかろうに」

「うるっさい! そんなことは分かっている‼ だがなぜ俺たちが観光坊やのお付きに呼び戻されねばならない。暇じゃないんだぞ‼」

「旧知の仲だからねェ。アイリスから連絡ないからってカッカするなよ」

 からかい交じりに言ってやれば、凄絶な視線に射抜かれた。

 一瞬、生命の危機を感じてペドロは「悪い……」とだけ掠れた声で絞り出す。

 地雷を炸裂……いや核を作動させたようだ。

 エレベーターの温度が数度下がってひんやりしたように感じる。

「あいつの考えていることはよくわからん」

「アイリス?」

「ディディが好きだとか言いながら、ジェイムズ・セシルも構い倒してやがる」

「んー? まァ、ディディは特別だし、昔からセシルはお気に入りだったろ」

「なら俺は?」

「んんん?」

「だから……ッ! 俺は何だと言っている!」

 勘弁してよ、とペドロは天を仰いだ。

 そんなの何て答えても地雷炸裂のやつじゃん。ていうか上司の恋バナ聞くために皇都に戻ったんだっけ? 至極真面目かつ真剣な蒼い双眸が早く答えろとペドロを急かしている。勘弁してくれともう一度呟く。

「正直に言っていいぞ」

「…………本気で?」

「ああ、第三者の意見を聞いておきたい」

「――――アイリスは、お前のこと恋愛的な意味で好きだと思うけど」

「けど」

「今は望み薄いんじゃないかなァ~。余裕ないだろ、〈マギエル〉だし。無理無理無理」

「三回も無理って言いやがったな」

 エレベーターが目的階につく。

 押し黙ったヴィルヘルムに不吉な予感を感じつつも、正直に言えと言ったのはこいつだしと、ペドロは続ける。開き直ってしまえば怖くもない。

「ディディのことだって決着ついてないって本人が言ったんだろ?」

「だ、だが、俺の指輪だって受け取ったんだぞ」

 ほぼ押し付けたくせに。とは賢明なので言わなかった。

「だからァ。好きなのは好きだろうけどさ。ジェイムズ・セシルのこともあるし、あの人の中では《ラルウァ》のこともすっきりしてないし、開戦しちゃったし、何より〈マギエル〉だし。わー! 私後輩と結婚しまーす!! ハッピー!とはならないでしょ。あの人の性格的に。むしろジェイムズ・セシルと政略結婚しろって言われたら明日には籍入れてるね」

「…………ッ! だから嫌なんだ! どいつもこいつもセシルセシルセシル!!!」

「仕方ないよなァ。伝説のエースパイロットで、前議長の息子で、グレンヴィル家の一粒種。しかも噂によればスレイマン代表の愛人」

「ベラベラとやかましいな、お前は‼ セシル……首洗って待ってろよ……」

「自分が聞いたくせに。頼むから警護対象、ご自慢の射撃の的にしないでよ」

 やれやれとルームインターホンを押す。

 矛先がジェイムズ・セシルに向いた以上、ペドロの身は安全だ。

 悪いとは思うが誰だって自分が一番可愛いんだもん、とペドロは自分の中のぶりっ子を召喚して言い訳にした。

 しばらくして扉が小さく開かれると悪質な営業マンよろしく、隙間にヴィルヘルムが爪先を素早く突っ込んで扉を全開にする。

 ジェイムズ・セシルが意表をつかれた顔で出てくる。

「ヴィル! ……ペドロも!」

「貴様ァ、クソ忙しいのに呼びつけやがっていい了見してやがるな、ああ!?」

 おや? とペドロは思った。ヴィルヘルムがどこか嬉しそうなのは目の錯覚だろうか。ジェイムズ・セシルを嫌い嫌いと言いつつ、その実力を一番認めているのもヴィルヘルム。そうは思っても先ほどとの温度差で風邪を引きそうだ。

 もうちょっと大人になってくれたらおれも楽なんだけどなァ……。

 副官はぽりぽりと頭をかいた。


 ❖


「で? どこ行きたいの?」

「これで買い物とか抜かしたらぶん殴るぞ」

「テオたちの墓に……皇都に戻るのは久しぶりだからな」

 ヴィルヘルムが歩を止める。小さく本当に小さく、微笑って、尊大に胸を張った。

「仕方がない。そういうことならば付き合ってやろう」

「……それはどうも」

 何だかんだとクラーク特飛隊から続いている奇妙な縁をペドロは嫌いではない。

 だからヴィルヘルムに言われるままに大きな花束をいくつか注文した。

 もちろんヴィルヘルム払いで。


 ❖


 広大な土地に延々と墓石が連なる戦死者共同墓地に車をつけた時にはもう日が傾いていた。

 何度も来た芝生の道は迷うことなく、彼らの眠る場所まで導いてくれる。

 花を置き、敬礼する。

 彼らは今も虚空のどこかを彷徨っているのだろうか。それともここに眠っているのだろうか。等間隔に置かれた墓石の下に埋まっているものは何もない。

 ジェイムズ・セシルが墓碑銘を指でなぞった。

「久しぶりだな、元気にしてるか?」

 淡く紡がれた言葉にヴィルヘルムが俯いた。テオ、とペドロが名前を呼んでジェイムズ・セシルが立ち上がる。また来る、の言葉が三人重なった。

 最後にディートリヒの墓へと向かうと、黒いシルエットの先客がいた。

「アイリス?」

 歩きながらジェイムズ・セシルが呟く。

 先客には聞こえなかったようで返事はなかった。

 逆光でよくは見えないが、彼女だろう。

 彼女は歌っていた。ディートリヒの墓標に寄り添って。


 ゆれる くずれる 贖罪しょくざいの白 求める手には まだ届かずに

 とける ほどける 糾罪きゅうざいの赤 掴んだ手さえ まだ守れずに


 甘く響く歌は風に絡めとられてどこまでも広がっていきそうに聴こえた。

 歩み寄って声をかけるのが躊躇ためらわれるほど幻想的に、アイリスは軽く目を伏せて歌っている。

 その均衡を崩したのは他ならぬアイリス自身だった。

 微妙に気まずい表情で三人を呼ぶ。

「来てたの気づかなかった」

「先にテオたちのところに行ってたから。……行った?」

「ううん。ここでついつい長居しちゃってるから」

 常よりもずっといとけない表情でアイリスは答えた。

 軍を離れるときだけは年相応の顔をする。憎悪も、血の臭いも、戦いの高揚も知らない、ごく普通の少女の顔をちらつかせる。

 ヴィルヘルムにはそれが堪らなかった。

 努めてジェイムズ・セシルとアイリスの会話から目を逸らす。

「報告に来たんだ。また戦争が始まるよって。――積極的自衛権が採択されたから」

「皇国軍も動くのか」

「仕方なかろう。核まで撃たれて、それで何もしないというわけにはいかないさ」

 セブンスヘブンに続き、二度目の核を間近で、アイリスもヴィルヘルムやペドロも見ている。確実に謀られていた皇国民の殲滅に理解を示せという方が無理なのだ。

 ジェイムズ・セシルも自分の育った場所を踏みにじられてどこかに怒りは湧くのだろう。皇国軍の決断を否定はしなかった。

「戻ってこい、セシル。その力、ただ無駄にするつもりか」

 ヴィルヘルムの言葉にジェイムズ・セシルは何も返さない。

 思案する双眸はディートリヒの墓碑銘を見つめている。

 風が吹いた。それに運ばれて遠くから泣き声が聞こえる。ここでは死を悼む声が今も生々しく途切れない。

 アイリスは声がする方に歌う。

 鎮魂歌だが穏やかでどこか甘い懐かしさを感じる曲だ。

「貴様は……戻ってくるべきだ……」

 ヴィルヘルムが呟く。戸惑ってジェイムズ・セシルはペドロを振り返った。ペドロも深く頷いた。ジェイムズ・セシルは大きく息を吸って、吐いて、何回かそれを繰り返して泣き声のする方角を見る。

「考えてみるよ……」

 自分のセリフが曖昧過ぎてジェイムズ・セシルは情けなくなり、歌うアイリスの横顔を盗み見る。

 アイリスも泣いていた。

 するすると無色の涙を流して、それでも澱みなく慰みの歌を紡いでいる。

 一回り小さな頭をヴィルヘルムが己の肩に乗せてやると、抵抗せず歌は止んだ。その代わり控えめな嗚咽が、後から後からヴィルヘルムの肩を濡らした。

「戻ってくるべきかもしれないと思ってはいるんだ、いつも」

 ジェイムズ・セシル自身、何かに突き動かされるように言葉を選んで言った。

 人工の陽光がディートリヒの墓碑銘を照らして、彼の背中を押すように瞬いた。


 ジェイムズ・セシル、ヴィルヘルム、ペドロまでもが戦中最強の魔女と謳われたアイリスの脆さを、怖いと思った。

 少年たちはただひたすらに彼女を傷つけたくはなかった。

 それが守りたいという綺麗なだけの感情じゃなかったとしても。

 彼女のように静かに涙する人たちのために、戦おうと、誓った。

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