#08. Requiem for Remembrance.
誰かが死んだって生きていかなきゃならなくて
誰が死んだって世界は変わりやしない
「赤道を中心に甚大な被害が出ている模様です」
皇国に到着しタラップを降りた瞬間、秘書官が議長に告げる。
私も議長から指示された任務を遂行するためにタラップを降りる。
横で控えているヴィルヘルムに軽く敬礼すると、何とも複雑な表情で返される。
当然といえば当然のこと。ヴィルヘルムの中では私は既に彼のものなのだろう。彼に嵌められた指輪を拒まなかった。その事実を踏まえれば。
「任務遂行ご苦労様でした。議長も大変満足しておられます」
「お褒めに預かり光栄です」
「これからも皇国のために尽くしてください。貴官とこの部隊には期待しています」
「〈マギエル〉――アイリス」
あくまで事務的な言葉の羅列に彼は短く私を呼んだ。不満と不可解が滲んでいる。私は無表情のままでそっと左手を差し出した。
「昨晩、貴官の私物と取り違えてしまったようで……お返し願えますか?」
ギリッとヴィルヘルムが歯噛みする音がステーションに響いた。彼の握りしめられた拳が見て分かるほどに震えている。
さすがに殴られるかな、と覚悟したが、震えたままその手が内ポケットからディートリヒの指輪を取り出し、私の掌にそっと落とした。
彼の指輪を外そうとした私を、彼は睨みつけて制した。
「あなたに託したものだ。――あなたが処分しろ」
あとどれだけヴィルヘルムを傷つけたら、優しくしてあげられるだろう。
ぐちゃぐちゃ絡まりそうになる思考を強制的に遮断して、彼に告げる。
「ヴァルトシュタイン隊はこのまま休息、指示あるまで待機との議長命令です」
「承知した」
「――――ごめんね、ヴィル。落ち着いたらまた連絡するね」
去ろうとした彼の背中に声をかける。
ずるい女。
突き放すくせに離れていくのも嫌なんて。最低な人間。
彼は少しだけ驚いた顔で振り返って、嬉しそうな疎ましそうな笑顔とも怒りともつかない歪んだ顔のまま頷いた。ああ、きみの優しさが私は怖い。
❖
「アイリスさま、アウローラ殿下とのご面会の時間です」
「贋作のほうね。そろそろ何か呼び方区別しないとアウローラに怒られるなぁ……」
ステーションまで迎えに来ていた私の副官――ルドヴィカが呆れたように私を見た。一見、小動物にも見える小柄な少女は、その実、猛禽のように鋭い切れ者だ。
「もはや政治的利用価値のない本物はただの少女。
「まぁそうかもしれないけど。にしても議長も豪華なメンバーをそろえたものね」
宙域エレベーターから皇国の豊かな人工森林を見下ろしながら溜息を吐く。副官は眉を寄せて指折り数えた。彼女は議長を胡散臭いと大の苦手としている。
「〈マギエル〉にアウローラ皇女のスペア、ヴィルヘルム・フォン・ヴァルトシュタインにペドロ・シルヴァ」
「今のところはね」
「サンクティオ作戦の英雄ばかりよく集めたものですね、あの方も」
「ジェイムズ・セシルも来るかも。議長、お気に召したみたいだから」
「裏切り者まで集めてるんですか? 笑い種です」
私は議長と取引してあの男を利用しているつもりで、本当は利用されているだけなのかもしれない。最近、議長の考えが読めなくなってきた。
あの男は何を考え、どう動くのか。見えない。取引さえ守ってくれれば利用されていても構わないのだが、守ってもらえる確証すら今はない。
「アイリスさま、ヴァルトシュタイン隊長いじめないでくださいね、怖いから」
「なんであなたが怖がるのよ」
「腹いせに合同演習で私狙うんですよ。射撃巧いからってスレスレで」
「あー……。やりかねないわね、ヴィルヘルムなら。ていうか合同演習なんてあったの? 私呼ばれてないけど」
「〈マギエル〉なんて現場にいたら皆浮き足立って演習にならないので有給休暇って書いておきました」
「あらそれは優秀だこと」
表面上だけで笑って副官の肩を軽く叩く。少しはにかみながら副官が見上げてくる。彼女もヴィルヘルムと同じで私を痛くする。真摯な感情ほど今の私に痛いものはない。無邪気に微笑む彼女の面差しにテオの面影を見て、
「時間がない。間違いなく、皇国・
「私たちも前線ですか?」
「恐らくは。《ロキ》がどこに配属されるかで変わってもくるけど」
「アイリスさまが乗るんですよね、《ロキ》」
部下の言葉を笑って流す。議長はきっと
そうしてまた、あの子は仲間を見殺しにしていくのだろう。
与えられた最新鋭機を血に染めて。
❖
エレベーターは最上階で停止し、音もなく開く。
開ききる前に少女が飛び込んできた。
目にもきらびやかな金色の髪と、戦場を知らぬたおやかな白い体躯が私の胸に抱きつく。
「お会いしたかったわ、アイリス。お久しぶりね」
「――――エミリア嬢」
「いかがです? 随分上達したと思いません?」
かつて友人だった皇女と同じ顔、同じ声でエミリアは私を連れてソファに腰かける。表情も仕草も何もかも拾われてきたときとは異なり【皇女アウローラ・ディ・スフォルツァ】になっていた。僅かな違和感もよほど親しくなければ気づかないほどで、空恐ろしい。
「ええ、一瞬アウローラかと思い驚きました」
「あら! よかったわ、アウローラ様みたいにって一生懸命頑張ったもの」
「きっと議長の心強い味方になりますね、エミリアさんは」
「〈マギエル〉もね。あとはそう、最近お気に入りのジェイムズ・セシル!」
自分の両の指を絡ませて少女らしくはしゃいでみせるレプリカに、軽く頷く。
来るかどうか分からない
どちらが滑稽だろう。ぼんやりと思いながら少女の饗応を受けた。
❖
「ローマ・上海・オビ砂漠・ケベック・フィラデルフィア・大西洋北部全域――これが被災地域です」
「随分と広い範囲ですのね。たくさん人が亡くなったのでしょうか」
「ええ。とても多くの方が被災を。そこであなた《アウローラ》の出番です」
「わたくしの?」
嬉しそうに僅かに頬を紅潮させてエミリアが聞き返してくる。
その仕草に眩暈がした。
人が死んだから彼女の出番なのに。戦争が始まるのに。また人が死ぬのに。
けれど彼女の表情は褒められた子犬のようで、自分が必要とされている喜びだけを反映していた。歪んでいる。彼女だけでなくすべてが歪んでいる。
だからこそ、歪みを正そうと抗い、誰もが争おうのだろう。
「皇国軍の一兵卒がセブンスヘブンを墜としたという噂話が流布しています」
「あれは事実なのですか?」
「残念ながら。
「一般の皆様が動揺なさらないようにお話するのが、わたくしのお仕事ですわね」
「エミリアさんは聡いので話が早くて助かります」
「仕事中はアウローラ、とお呼びくださいな。〈マギエル〉」
数枚の原稿とBGMとして流す曲の歌詞を手渡す。すぐさま口ずさみだす彼女の歌は心地よかった。
優しいメロディーの横で、ニュースでは議長が演説を
『この未曽有の出来事を皇国も沈痛な思いで受け止めています。受けた傷は深く、悲しみは果てないものと思いますが、立ち直るために我々は手を差し伸べることを惜しみません』
綺麗事だけど、ある意味真実だ。
どんな深い傷や果てない悲しみからも人は立ち直る。
愛した人が死んだ夜も人は食事をし眠り、朝を迎え、生きていく。
そうして生きている人間同士で悲しみを薄めながらも、悲しみの報復を叫び武器を手に取る。やがて真っ赤に染まった手で、愛を囁き、死を嘆き、憎しみを連鎖させていかなければ、等しく――できれば自分より少し深く他の誰かが傷を負っていなければ、人間は生きていけないのだ。
まもなく戦争は始まる。
だから私は誰も愛せないし、愛そうと思わない。
喪うのはいやだ。もう、あんな想いは。
いつも同じ夢を繰り返し見ている。
真っ白な闇にあなたが独りで立っている。
あたしもそこに行きたい。もうこれ以上独りにしたくない。
『私の望みと引き換えに、私も君の望みを叶えよう』
議長と交わした約束だけを頼りに私はここにいる。
すべての
エミリアが歌うメロディーは、私にとってのレクイエム。
たとえただの兵器と扱われようとも、私は議長の望みを叶え続ける。
いつかの、私の望みの為に。
人間は忘れることで生きていくなら。私は死んでもいいから忘れたくない。
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