#07. Melancholy Tranquilizer.

 人間は繰り返す 痛みを 悲しみを やがて優しく強くなる

 それでもやっぱり繰り返す



 機密内線に議長から連絡が入った。

 それは実に簡潔で、連合ユニオンのいくつかの地名とセブンスヘブンの破片が落ちたこと、本国に帰れば忙しくなること――そんなような内容が事務的に連なっていた。

 そして〈マギエル〉が本格的に投入される可能性の示唆。

 訓練は怠るなとのお達しが、他の文よりも労しげな言葉で記されている。

 簡潔に了承の意だけを返信し、蛍光グリーンに淡く光るパネルの電源を落とした。上着を乱雑にベッドへ放り投げ、アンダーシャツを床に脱ぎ捨てる。

 時刻は深夜二時を回っている。ブーツを跳ね除け、そのままシャワーブースへと入り、コックを捻った。

 振り注ぐ冷水。黒いだけの長い髪に水は浸透し、脳を守る皮膚を容赦なく突き刺す。身体がどうしようもなく震える。なのにその芯を支配する痺れが抜けず震えとあいまって疼きに変わる。ガチガチ鳴る歯と裏腹な火照りに発狂しそうになりながらシャワーブースを出る。

 今の時間ならば起きているのは艦橋の索敵クルーぐらいだろう。

 そう思い部屋を後にした。

 射撃訓練で気を散らして強めのアルコールでも呷って寝れば、明日には元通り。

 信じ込んで上着も着ずに、ブラジャーとスラックス、濡れた髪と素足で無重力を駆けた。


 ❖


 当然のごとく射撃場には誰もいなかった。

 耳当てを装着し、射撃位置につく。スタートを押すと瞬間的に人型を模した浮かんでは消え浮かんでは消え、私はその心臓を撃ち抜いていく。

 ふねの駆動音しか聞こえない静寂の中に、パン、パン、と微かな音と腕に鈍い衝撃が伝わる。それだけが確かな感覚だった。

 真夜中は何もかもが曖昧で、肌を伝う冷水の雫さえ曖昧だった。

「暗いトコで何やってんだよ、まったく」

 ドアにもたれ、不遜な声を出す。差し込む僅かな光が救いにも見える。逆光で顔は見えないけど、誰かなんてすぐにわかる。何も答えなかった。

 もう一度スタートから射撃を続ける。

 今度も心臓を的確に撃ち抜いていく。

 隣からも同じ破裂音が聞こえ始める。

 僅か遅れて重ねるようにその音も正確に心臓を撃ち抜いていく。

「なにしてるのヴィル」

「訓練だろ、見て分かれよ」

「こんな時間に?」

「その言葉そっくりお返ししよう。――俺にルーキーに混ざって訓練しろって?」

「ああ、そっか。ヴィルももう隊長さんだもんね」

 妙に明るい私の声を不審に思ったのか、ヴィルヘルムは射撃場の電気を一番明るくした。急に大量の光が降り注いで、思わず目を細める。でも手元は狂わさずにすんだ。

 光に晒された私の格好にぎょっとしたヴィルヘルムが怒鳴り声付きですっ飛んでくる。

「なんって格好してやがるんだ、貴様!」

「大声出すとみんな起きちゃうよ」

「知るか! お前のせいだろ‼」

「うん、ごめん。……ごめんね、ヴィル」

「……着てくれ。目のやり場に困る」

 素直に謝ると、毒気を抜かれたようにヴィルヘルムが白の上着を私の肩にかけた。

 濡れるからと断ろうとすると、衝動的に深く彼の懐に抱きこまれた。

 じわりと彼のアンダーシャツにも水が滲んで、色が濃くなる。

 細いように見えて半袖から出た傷だらけの腕はしっかりと大人の男の人だった。

「どうして溜め込む。どうして……こういう吐き出し方をする」

 まるで彼の方が血を吐きそうな声でヴィルヘルムが言う。

 痛そうで辛そうで、思わずその背に手を回す。宥めるように上下に撫でると、苛立たしげに「そうじゃない、俺じゃない」と彼はさらにきつく抱いた。

「エゴか? 罵倒でもいいからほしいと思うのは俺のエゴか?」

「ううん違う。でも――きみに言うべき言葉が見つからない」

「じゃあ今思ってること全部言ってくれ。……全部聞きたい」

 逡巡して息を吐く。

 ヴィルヘルムの体温で、冷え切った私の身体にも体温が戻ってくる。

「うまく言えないよ、きっと」

「それでもいいから早く」

 急かされて少しずつ吐き出す。そうだ、吐き出して、寝てしまえ。

 そうしたら明日はまたどこまでも残酷に他人のようにヴィルヘルムに接するんだ。私の心を揺らされないように。

「どんどん弱くなっていくのがこわい」

「ああ」

「忘れたくない、裏切りたくないのに」

「……それでもいい」

「ヴィルヘルムが好き、たぶん、もしかしたら」

「……そうか」

「だけどそうじゃないの。それじゃダメなんだよ」

「なにが」

「戦いたくない、もう戦争は嫌、もう誰も死なせたくない」

「ああ」

「だから、でも、戦わなきゃ――あたしは〈マギエル〉だから」

「戦わなくていい、俺が守るから今度こそ」

「あたしの手、血みどろだよ? 連合ユニオンを滅ぼすためなら何でもするし、してきたし」

「そこまでして何になる。もういい、もういいんだよ」

「知らないよ。戦うことしか知らなかったんだから。でも死ぬのは怖くないんだ、あっちで待っててくれるから」

「死なせてやるかよ」

「存在意義なの。それを彼がくれたの。だから、あたしは――」

「アイリス」

 ほらまた。

 その声音で弱くなっていく。ずるずると油のように溶けていく。ぎゅっと息が詰まるほど強くヴィルヘルムは私を抱きしめた。

 泣けるほどたまらなくヴィルヘルムが好きで、ヴィルヘルムに好かれていて。

 それでも。

 傷は癒えない。

 ディートリヒを喪ったことが私をディートリヒに留めている。心はすでに動いているのに記憶と痛みが三年前で封じ込められたまま、開けられない。

「アイリス」

 赦すように、ヴィルヘルムは私の名前を呼んだ。

 私も彼も濡れたところから少し肌の色が透けている。似たような肌の色。共有した瞳の色、対になっている髪の色。

「きょうだいだったら、よかったのに」

「そんなの絶対ごめんだ」

「きょうだいだったら、ずっと傍にいられるのに」

「きょうだいだったらセックスできないだろ」

 冗談めかしてでもなく、ただ淡々とヴィルヘルムは言った。

 彼の腕の中で弾かれたように彼を見る。本気かなんて聞かなくても分かる。もう何もかも分からなくしてほしかった。色んな思いが逆巻いて出口がなかった。

「……っ……助けて、ヴィル、もう、あたし   」

 私の言葉を飲み込むようにキスされる。

 ヴィルヘルムは私の指から指輪を抜き取って自分のポケットにしまった。

 そして新しい指輪を嵌める。

 ブリリアントカットされたダイアモンドが輝くエンゲージリング。

 なるほどこれは契約のキスだ。

「死んでも俺が守ってやるから――死んだ後も奴には渡すかよ」

 思ったよりも広くしっかりした胸に顔を押し付けて泣くまいと堪える。

 痛い、苦しい、軋んでる。

 好きだから嬉しくて、忘れられないから寂しくて、哀しくて。

 やっぱりどうしても。

 朝にはまた素っ気なく残酷に突き放してしまいそうな私がいる。

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