#06 I Living and You Love.

 戦うことがすべて 勝つことがすべて あのころ 愛するなんて 知らなかった


「クレイドル整備No.515《ゾーヤ》発進シークエンスを開始します。整備兵は退避してください」

 久しぶりに身を包む白い戦闘服の感触を、目を閉じて確認した。

 ゆっくりと感覚が戻ってくる。

 出撃前の高揚感や緊張感が血管を巡るように思い起こされる。実戦は三年ぶりだ。

 目的は撃墜ではないのに、手にはもうトリガーを引く覚悟が握られている己に辟易する。コクピットの下から念を押された。

「〈マギエル〉、議長からの命は破砕作業の支援です。ゆめゆめお忘れなく」

「ええ、分かってる」

「システムオールグリーン。針路クリア。《ゾーヤ》発進どうぞ!」

「アイリス・ヴィクトロヴナ・ミハイロフスキー、《ゾーヤ》発進する!!」

 戦闘ではないので速さはそこまで求めていないが、使い慣れていない機体はあの頃より重たく感じた。

 ヴァルトシュタイン隊が交戦している相手は皇国軍の機体だという。

 また奪取されたのか――それとも離反か。機体を無断で使える上に集団を組織できるということはそれなりの地位にあるということ。

 せめて強奪であってほしいと祈る。

 もはや何をも撃つことに躊躇はないが、やはり同胞を撃つのは虚しさが残る。

「なぜアイリスがここに?」

「この状況でまだ理由が必要?」

 ジェイムズ・セシルに追いつくと問われた。

 質問に質問で返すと、再びまもなく返される。彼自身、最初からある程度の答えは用意した上での確認だったらしい。心なしかその声は嬉しそうだ。

「ああ、この状況をただ見ているなんてできない。そうだろ?」

「……私よりセブンスヘブンを気にして。落ちれば始まってしまう」

「始まる?」

「世界大戦がね」

 言いながら、行く手を阻む皇国軍機を撃ち砕く。

 バランスを崩して落ちていくのを視界の端で見る。

 クレイドル第三世代機をテロリストは使用しているらしい。強奪された三機の姿もある。成り行き上、ハヤトたちが三機と、ジェイムズ・セシルと私がテロリストと交戦し、ヴァルトシュタイン隊が破砕作業に当たることになった。

 破砕爆弾ブレイカーが南北に一基ずつ撃ち込まれ、セブンスヘブンが真っ二つに分断される。

「まだだ……もっと細かく、砕かないと」

 破片の大きさにジェイムズ・セシルが言う。

「ジェイムズ・セシル?」

「なぜ貴様がここにいる‼」

 ジェイムズ・セシルの近くを飛行するクレイドルから懐かしいやりとりが聞こえる。ヴィルヘルムとペドロ。隊長と側近自ら出てくるなんて愚直なまでの現場主義だ。

「もっと破砕爆弾ブレイカーを撃ち込まないと」

「分かっている! 指図するな‼」

「相変わらずだな、ヴィルヘルム」

「貴様に言われたくない!」

「まったく変わらないねぇ、お前ら二人とも」

 変わらないやり取りを交わしながら、敵の攻撃を避け、見事な連係プレーで撃ち落としていく。

 どこか微笑ましくもあり、失ったものの多さを見せつけられているようでもあり、眩暈がする。

 後方からの攻撃を適当にいなしながら三人の後ろを、距離を保ちつつ追う。

「アイリス、君はハヤトたちを援護は――できないんだったね」

「生憎と。破砕専門だって散々釘刺されたからさすがに背反できないな」

 ハヤトたちを気にしてジェイムズ・セシルが懊悩したような溜息を漏らした。

「お互い自由にならないな、色々なことが」

「仕方ないことよ、選んだ道だもの」

 心にもないことを口先だけで返す。選んだ道が正しいとは私だって思っていない。

 本当は目的のための手段を取ったに過ぎないと心中言い訳をしている。

 私も、きっとジェイムズ・セシルも。

 ピピッと計器が鳴って、第五世代クレイドルからペドロの声が入る。

 訝しげに一言。

「アイリスって、あんた、あのアイリス?」

「どれかは知らないけど〈マギエル〉のアイリスだよ。ペドロ、よそ見して平気?」

「そこまで落ちぶれてねーわ」

「さて、どうだかな。――議長の護衛はいいのか」

「早耳だね、ヴィル。議会から聞いたの?」

 私の問いに彼は答えられなかった。

 他に問題が生じたからだ。ハヤトたちを苛んでいた三機に帰還信号が出され、ようやく効率的な任務が行われるはずだった。テロリストの妨害は入るも、強くも弱くもない奴らだ。何機かで墜とせばいい。だが――。

「高度が危ない」

 ジェイムズ・セシルの呟きがすべてを表していた。

 セブンスヘブンは既に地球に近づきすぎている。

 このままでは地球の重力に巻き込まれ、破砕はおろか、私たちの命が危ない。そういう高度ギリギリまで迫っていた。

 ピピッとまた通信音が鳴ってテキストオンリーで艦から命令が下る。

 帰還命令だった。

 しかもイシュタルはこのまま降下し主砲で破砕を続けるという内容の。

 私には議長やヴィルヘルムたちと本国に帰国せよとの一文が添えられていた。

「――――戻るぞ、ペドロ、アイリス」

「はいはいな。ジェイムズ・セシル、お前はどうすんの?」

「俺はイシュタルに戻る。エジェがまだ乗ってるからな」

 あくまであのお姫様が優先らしい。

「気をつけてね、セシル」

「リリィ、君も」

 短く言葉を交わして離脱する。

 次に会うときは敵同士になっているかもしれないと、どこかで感じながら降下していくイシュタルに敬礼を送る。

 ジェイムズ・セシルは私たちを振り返らず、作業にあたっていた。

 次に会うときには 私はきみを きみは私を

 殺さなきゃならなくなるような運命と彼は戦っている。


 ❖


 帰投したヴァルトシュタイン隊の母艦の格納庫ハンガーで、既に移られていた議長が私たちを出迎える。

 まさかこんな場所まで出向くとは思わなかったのだろうヴィルヘルムとペドロが居住まいを正す。

 議長の行動には慣れているので帯同していた私の側近――ルドヴィカに微笑みかけた。進水式以降バタバタしていて随分久しぶりに感じる。

 議長は相変わらずマイペースな話運びをするが、几帳面なヴィルヘルムたちが何とかアテンドするだろう。

「そう硬くならないでくれ、世話になるのは私の方なのだから」

ふねを不在にして大変失礼いたしました。すぐに参りますので艦長室で……」

「ヴァルトシュタイン隊長もお疲れだろうと思ってね、格納庫ハンガーまで出向いてみたんだ」

「お心遣い痛み入ります」

「報告は本国で。議会からの入電も今はうるさい。君たちはゆっくり休みたまえ」

 昔からは想像できないほど慇懃かつ恭しくヴィルヘルムはその命を受けた。横顔が随分と大人びた。議長はほくそ笑んで、ヴィルヘルムに耳打ちする。

「アイリスをよろしく頼む、ヴァルトシュタイン隊長。クラーク特飛隊時代から親しいと聞く。積もる話もあるだろう」

「承知いたしました」

「アイリス、ヴァルトシュタイン隊長にしばらく帯同するように。追って連絡する」

「…………承知いたしました」

 承服しかねるが頷くしかない。狸め。ありがたくも何ともないということを知っていて、こういう嫌がらせをする人なのだ。

 無理やり出撃したことを咎めるならもっと直截に言えばいい。

 睨みつけても微笑んだままかわされる。


 ❖


 ヴィルヘルムに連れてこられた士官室で向き合って座る。

 黙ったまま、もう長いこと経つ。ヴィルが淹れた珈琲も生ぬるく、天井の蛍光灯で透けたカップの底には砂糖が溜まっている。

 ペドロとルドヴィカは議長のアテンドだなんだと言い訳してついて行ってしまった。わざわざ私にヴィルをあてがうなんてどいつもこいつもやり口が汚い、と憤る。普通、皇国議会の議長に正規の護衛以外がアテンドに就くとしたらその艦の責任者――すなわちヴィルが行くべきじゃないのか。

 ぐるぐると不平が渦を巻く。

 俯いて数えている床のドットの数ももう二百を超えた。

「少しは嬉しそうにするとかしたらどうなんだ?」

 呆れたように沈黙を破ったのは、ヴィルが先だった。

 薄く溜息をついて、顎を掴まれる。

 視線を合わせるのが嫌でわざとらしく逸らすと額までくっつけて視線を捕らえられる。ヴィルの吐息がくちびるに触れた。

「ちょっと……なに、やめて」

「お前がなんなんだよ」

「何の話」

「まだその指輪してるのか」

 さらりと本題を切り出されて、動揺を隠せず黙る。ヴィルは何事にも臆さない。

 私の顎を掴んでいる手とは反対の手で、左手を掴まれ視線の高さに掲げられる。

 振り払おうと右手で反抗するが、彼の手は離れず逆にもっと強く握りこまれる。

「いつまで待たせる」

「……外せる日なんて来ないよ」

「来る」

「来ない! だって私、あたしは――」

 忘れない。忘れたくない。

 ディディを、私を初めて愛してくれた人を忘れるなんて。

 愛されたことなんかなかった私に愛することを教えてくれたあの人を。

「あたしは……愛してるもの……今でも一番愛してる」

 絞り出すように言う私を、ヴィルは冷静な、私と同じ色の瞳で見ている。

 そのあくまで静かな表情とは裏腹に私を掴んでいる手が信じられないほど熱い。

「外す日なんて、忘れる日なんて、来ない」

「俺は言ったはずだ。あの時、それでもいいと」

「――――」

「なのにお前がそれでは嫌だと言うから待ったんだ」

「だってそれは」

「その指に俺の指輪を嵌めるのを待ったんだ。分かってるのか?」

 サンクティオ作戦の直前、確かに彼も私も言った。

 必要なのは未来だと。だからこの指輪を私の指に嵌めるのだと、彼は言った。

 忘れさせてみせる、だから忘れなくてもいいと彼は言い、私は否定した。

 それではヴィルヘルムにあまりに不誠実だと。

 そんなことはできない、と私は言った。

 ならば待つと言った彼に、思わず頷いて指輪を受け取ってしまったのは私だ。

 なのに、それができないでいる。

「傍にもいられない、もう守れもしない奴に、そこまでこだわる必要がどこにある」

「ヴィル」

「俺ならここにいられる。なのに奴である必要性がどこにあるんだよ?」

「じゃあ私である必要性がきみにはあるの?」

 我ながら底意地が悪いと思う。

 あるはずのない答えを尋ねる。ヴィルも一瞬目を見開いた。

 でも彼はすぐ静かな表情に戻って、あるはずのない答えを導いた。

「そんなのお前も俺も生き残ってて、俺がお前の傍にいたいからだろ」

 盗聴でもしていたかのようなタイミングでヴィルヘルムに呼び出し《オンコール》がかかる。小さく舌打ちして彼が離れる。

 先ほどまでの冷静さが嘘のように、強い目で私を射抜いた。

「次はもう待たない」

「ヴィル、あたしは……っ!」

「次は必ず俺のものにする」

 取り残された部屋で、震える左手を胸に抱く。ほんのりとヴィルの爪の跡が残っている。何もかもが痺れている。手も、顎も、射抜かれた全身が、痺れている。


 ❖


 物心ついたときには〈マギエル〉として、皇国に飼われていた。

 誰かにも、自分にも、愛されたことも愛したこともなかった。

 まるで戦略と戦術しか知らない〈兵器〉だった。

 それを変えてくれたディートリヒを私は裏切らない。

 ディートリヒを奪った何もかもを許さない。

 そのために戦う。そのためだけに生きていく。そのためなら何だってできる。

 なのに――何かが動いている。私の何かが動いている。私があたしに戻っていく。

 身体がまだ芯から痺れている。冷めた珈琲は裏切りの甘い味がした。

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