白い闇08 ―ペドロ・シルヴァ―

 はじまりは どこにでもあって どこにもない 運命


 終わりの朝。

 アイリスを最後に見送ったのはおれだった。朝焼けに染まる白い制服。彼女の纏う白一色の上着に皇国軍の徽章と黒い槍の縫い取り。黒い髪によく映えた。

「アイリス、行くの? どこの隊?」

「えぇ? 見送りはペドロだけ? みんな薄情だなぁ」

「今度グレンヴィル隊が発足するって。クラーク隊でもさァ、グレンヴィルでもいいから残らないの?」

「残らないよ」清々しいまでの即答だった。「討たなきゃならない敵がいる」

「それが《ラルウァ》なら、クラークでもグレンヴィルでもいいじゃん」

 アイリスは太陽を仰いで薄く笑った。おれは見なかった。

 白服が目に痛いほど眩しい。「あんたヴィルのことどうすんの?」とはさすがに訊けなかった。アイリスが想うのはいつだって、一人だけ。

 そんなことはジェイムズ・セシルもテオもおれも、当然ヴィルだって知っている。数か月前、ヴィルが海上に緊急着陸した一件で嫌というほど突きつけられた。


 ❖


「セシル、セシル、お願いヴィルを止めて。あんな戦い方じゃ犬死するよ……!」

 全身の傷が開いたことと、高温のコクピットでの熱中症、軽度の火傷で入院を余儀なくされたヴィルヘルムを見舞った帰り、憤った声でアイリスがジェイムズ・セシルに言う。

「《エーデル》だってあんな酷い改修かけて! 防御力ゼロのクレイドルなんて聞いたことない‼ バカじゃないの!」

「どうして」

「え?」

「どうして止めなきゃならない。あれがヴィルの望みなんだよ。《エーデル》の改修も。あいつの戦う理由なんだ」

「どうしてって……」

「アイリスや俺がヴィルの戦う理由を奪う権利があるか?」

「でも、だって、ディディみたいに」

 言いかけて自分でハッとしたように息を呑んで、それから絶句した彼女は泣き崩れた。責めることなんてできなかった。泣くな、なんて。

 あれから初めて泣いたアイリスに言えるはずもなかった。

 おれたちは背中をさすることもできずに、ただ泣き止むのを待った。


 ❖


「アイリス、あんた死ぬつもり?」

「――私さぁ、新しく特飛隊もらった。ロンギヌスっていうんだ」

 だから隊の徽章が槍なんだ格好いいでしょう。なんて、どうでもいい話題でお茶を濁そうとする。

「アイリス」

「強くなったら引き抜いてあげるよ。グレンヴィル隊っていってもジェイムズ・セシルとテオとヴィルでしょ。絶対苦労するよ、きみ」

 にっこり笑って輸送機に乗り込む。

 ああ死ぬつもりなんだなァ、と漠然と予感した。

 いらないんだろ。ディディのいない世界とか、おれたちのことなんてどうでもいいんだろ。どこまでも誰のことも必要とできなかったんだね、あんた。かわいそうに。

「生き残るんだよ、ペドロ」

 プロペラの轟音に紛れて歌うように降ってきた言葉が、チョンジエンに潜入することになりテオが死んだときも、その後の作戦でもずっと耳から離れなかった。

 それはまるで呪いのようでそれから二年以上おれは生き残り、停戦間近なんて報道が出始めてようやく「アイリスも」と返せなかったことに気がついた。

 中立国と言われていたチョンジエン。

 でも実際には大規模なクレイドル開発とその新型クレイドルに適合する人体実験が行われていた。おれたちグレンヴィル隊は潜入を命じられ、結果としては失敗した。

 テオが死に、ヴィルは中破しながら何とか帰投、おれとジェイムズ・セシルは捕虜となった。そこで《ラルウァ》のパイロットにも会った。

 彼らが目指すのは皇国と連合ユニオンの垣根をなくし自由に国交をかわすという夢物語みたいな理想だった。憎しみ、嘲り、侮蔑した連合ユニオンが――当然っちゃ当然だけど――同じ人間だとそこで知った。

 あれだけ憎んでいた奴らが、そんなにきたないものではなく思えて。

 あんたが心の底から殺すことを渇望している《ラルウァ》のパイロットも悪人ではない、気が、した。

 そしておれとジェイムズ・セシルは皇国を裏切り、終戦を掲げるチョンジエンについた。


 ❖


「アイリスは行ったか?」

 振り返ると壁にもたれかかったヴィルヘルムがいた。

 起き抜けなのかまだ私服のシャツ姿だった。

「は? ヴィル、ちょ、何してんの輸送機もう飛ぶぜ!?」

「行ってどうにかなるもんでもない。引き留めたとて、お互い苦痛だ」

 ぎゅっと眉が寄せられて輸送機を見ようとはしない。目の前の壁と自分の間の中空を睨んでいる。そういえば最近こいつが怒鳴るのをあまり聞かなくなった。カッとなりやすくて、すぐ怒鳴る奴だったのに。

 輸送機が飛び立つ瞬間もヴィルヘルムはそちらを見ることなく、アイリスがしたように太陽を仰いだ。

 白い顔が照らされて僅かに黄色く染まる。目を細め手をかざす。寸分も曲がることなく背筋が伸びて、まるで敬礼のようだった。見ていられなくて地面の蟻を追う。ポートに迷い込んだ一匹だけの、蟻。

「ペドロ」

 シャツの上から自分の腕をさする。

 全身傷まみれのくせに、どこか誇らしげに言う。

「俺は傷は消さない。奴を討つまで、一つたりとも」

「そっ、…………そんなん求めてねぇよ、アイリスは! なんでお前らそんな痛々しいんだよ‼ なんでそんなに「償いがしたい」

 食い気味にヴィルヘルムが重ねた。

 ぽつりぽつりと太陽を仰いだまま独白が始まる。

 なんでお前が? あまりに要領を得ない独白。耳を塞いでしまいたかった。なんでそこまで背負うんだと。

「あの一瞬、死ねばいい、ときっとどこかで思ってしまった。同僚なのに、だ。俺だけは裏切るなと言われていたのに。……そう言った本人がロストして、俺はロストってことは死んだんだなって即座に解釈した。疑えなかった。生きていると思ってやれなかった。生きてるなんて一欠片だって思いもしなかった。きっとどこかで好都合だとさえ思っただろう。償いをしたいなんて俺の自己満足でしかない。俺のためでしかない。どこまでも自分のためで、傍にいたって平行線で、あいつは俺がどんなに悔いても戻ってはこない。でもアイリスはあいつを探すんだ。傍にいたって――お互い苦痛だ。きっとたぶんな」

 どうしたらそんな顔でアイリスもヴィルヘルムも笑えるんだよ。

 苦痛、と言ったヴィルヘルムは確かにアイリスと同じ晴々とした顔で笑っていた。


 ❖



「どうして、どうして父さんが死んだのに皇国のいぬが生きてんだ!」

 捕虜になってすぐ、殺されかけたことを思い出すたび、あれが普通だと思った。

 笑えねぇんだよ、普通。

 泣くし、喚くし、怒るし、憎いし、でも笑ったりしねぇんだよ。

 あんたもうおかしいんだよ、アイリス。騙されてるんだよ、あんた。

 ディートリヒに洗脳されきっちゃってんだよ。

「アイリス」

 ほら、絶対騙されてるんだよ。

 だっておかしいじゃん。なんでおれまで鮮明に思い出せんの。ちょっと記憶を手繰るだけであんたを呼ぶ声が容易く思い出せるなんておかしいよ。あいつは、ディディは。アイリスが思ってたような優しいいい人じゃなかったよ。きっと今だってあんたに早く死んで自分の傍に来てほしいなんて思ってるよ。

『アイリス、ほら早くしろって』

『今行くから待って、ディディ』

 なァ、ヴィルヘルム。おれ、アイリスとディートリヒを目で追ってるお前まで見えるよ。おかしいよ、なぁってば。なんでおれ、こんなにお前らのことばっか考えてるわけ? ずっと離れないんだよ。どうして笑えるのかずっと考えてる。殺して殺されて平和になんかならない、停戦なんか仮初かりそめきたないばっかのこの世界で。やっとたったひとり見つけた大切な人まで喪って、大事なものがどこにもなくて、それでどうして笑えるのかわっかんねえよ!

 アイリス、教えてよ。ヴィル、答えろよ。

《生き残るんだよ、ペドロ》

《傍にいたって苦痛だ》

 おれも太陽を仰ぐ。戦争がとりあえず終わりかけそうなこの世界で。

 おれも、あの日のように太陽を仰ぐ。手をかざしてほんのり透ける淡い赤色に、自分が生き残ったことを痛感する。

 これが、答え、ですか?

 ヴィルヘルムもアイリスも生き残ったと風の噂で聞いた。

 安堵する反面、死ねなかったんだ、と呟いたおれがいた。

 戦争が終わる。終わるんだよ、生き残ったんだよ。

 なのに、うれしくないんだ。おれもアイリスもヴィルヘルムも、新しい道を選ぶ権利があるのに選んじゃいけない気がして、おれは皇国行きの航空チケットを買った。

 生き残ったんじゃなく、死ねなかった。

《撃たなきゃならない敵がいる》

《償いがしたい》

 あの笑顔は、死に場所を求めた自嘲だと。

「なんでなんだよ…………ッ‼」


 残存兵が、ここにもひとり。

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