白い闇07 ―ヴィルヘルム・フォン・ヴァルトシュタイン―

 はじまりは どこにでもあって どこにもない 運命


 卵の殻の中の薄い膜。

 半透明かつ乳白色の、冷めたココアの表面を覆う油膜にも似ているかもしれない。白い膜のような、そんなアイリスと俺とを繋ぐ真白い呪縛。


 ❖


「出てこい、《ラルウァ》……ッ! お前は俺が墜としてやる……ッ‼」

 早く撃たねば。早く討たねば。そればかりが脳内を渦巻く。

 新型の正式名称が《新型クレイドル 整備No.201ラルウァ》と分かったときには我知らず乾いた笑いが漏れた。

 《ラルウァ》――悪魔を意味する新型に似合いのその名が寝ても覚めても渦を巻き続ける。強迫観念に似た殺意で俺に《ラルウァ》を討てと迫る。

 幻覚が、アイリスの姿かたちで俺の制服に縋って泣くのだった。

「ディディは? ヴィル、ディディはどこ?」

 玉響たまゆらの声で俺を責め立てる。アドレナリン全開で、ハイになってドロドロの思考で、考えられるのは《ラルウァ》を討つことしかない。

「アイリス……」

 疼くのは、数多の戦いで損傷した身体の傷より胸を抉るアイリスの眼差し。

 必死で立っている覚束ない足。

 きちんと弔わせてやりたい。誰憚はばかることなく泣かせてやりたい。無理した笑顔なんてもういらない。

 《ラルウァ》を討たねば。アイリスが〈マギエル〉に侵蝕される前に、彼女が黒に呑まれる前に。

 誰かを護るなら自分を守ってはいられない。

 攻めることでしか《ラルウァ》の屍は手に入らない。一度、《ラルウァ》とまみえて中破した俺のクレイドルは大幅な改修を行い、新たなシステムを導入した。

 エンジニアに俺がつけた注文はただ一つ。限界まで防御力を削り、そのデータ容量を攻撃力に充てること。俺の《新型クレイドル 整備No.202エーデル》は攻撃位置の計算速度・素粒子分解速度と威力を高めた結果、防御に充てるリソースはほぼ無いに等しい。だがそれでよかった。


 連合ユニオンの第八艦隊と刺し違え、母艦が轟沈していく。

 帰るべきふねを喪ってなお、俺たちは戦い続けるしかない。

 もう退けるラインはとうに過ぎた。これ以外に弔いの術を俺たちは持たない。

 そうするしかアイリスを止めてやれる術がない。

 《エーデル》は何とか《ラルウァ》を捉えようと目まぐるしく素粒子分解計算を続ける。放熱でコックピットがけそうに暑い。

「ヴィルヘルム、ペドロ‼ 限界温度‼‼ 退け!」

「うるさいッ」

 アイリスの声がアラートを告げる。

 システムは確かに限界温度が近いことを示していた。

 限界温度の警告音とロックオンの甲高い電子音が重なる。

 ようやく《ラルウァ》を捕捉した――!!

「お願い、ヴィル退いて、退け!」

「ここでッ……退けるかよッ‼」

 アイリスの声が気を散らす。

 ここで退けるわけがない。

 お前の亡霊が俺に縋ったんだろう。お前が討てと泣いたんだろう――暑さで朦朧とする頭で叩きつけるように通信回線を遮断した。

 ここで仕留めなければ次がいつあるとも限らない。俺がここで仕留める。じわじわと閉じ切っていない傷が疼く痛みすら興奮剤でしかない。

「っし、もらったぁぁぁ‼‼‼」

 全速全開で《ラルウァ》との距離を縮め、狙いを定めて攻撃システムを展開した。

 瞬間。

 絶好のチャンスで、連合ユニオンの旧型【クレイドル】が間に割り込む。速度を限界まで高めた俺の《エーデル》と、元々驚異的速度の《ラルウァ》にとっては止まっているに近い遅さで、のろのろと俺と奴との間を邪魔する。それを盾として《ラルウァ》が《エーデル》との距離を取る。もはや捕捉できない位置まで。


 意識が空白に押しやられる。


 逃がしてたまるかよ‼ ここで逃がしたらこいつはまた皇国民を殺す。こいつはまたアイリスを泣かす。ディートリヒを、アデルを、マシューを、母艦を葬ったように。俺がここで討たなかったら、次は誰が撃たれる?

「……邪魔しやがって、旧型のボンクラが!」

 この旧型さえいなければ。邪魔さえ入らなければ仕留められた。

 あの時だって、あの場にいたのがジェイムズ・セシルじゃなければ、俺がAチームだったら奪取していた。

 そうしたら、きっとアイリスは喜んだだろうに。ジェイムズ・セシルのせいだ、《ラルウァ》のせいだ、いや、まずこの旧型のせいだ。

 躊躇なくシステムを軽くタイピングし、旧型を分解した。

 速度も防御力でも劣る旧型はいとも容易く霧散し、その手応えのなさもまた俺を苛立たせた。エーデルは限界温度を超え、強制シャットダウンする。浮力と速度を失ったクレイドルは未だかつて経験したことのない重力で圧し潰され、コクピットに押し付けられ、息を詰めながら緊急時用電源で、追ってくる旧型を牽制する。

 必死に救助しようとするアイリスの漆黒の機体クレイドルもついでに追い払う。

 立て続けに撃たれる牽制弾にアイリスは後退し、意を決したように友軍艦隊へ帰投した。同時に海面へと叩きつけられる。

 ――生還されたし。

 《エーデル》が平板な音声で読み上げる。

 その簡潔なテキストを彼女の言葉に訳すと

「死んだら許さない」

 死ぬわけにはいかない。

 戻るふねはなく、敵を討てず、傷を疼かせ、死んだ方がマシだと叫びたいようなこの状態でも、死ぬなと言われたら死ねない。

 君のために、なんて格好いいことも言えない。

 俺は俺のために死ねない。《ラルウァ》を討つまで。


 ❖


「なあ、ヴィル。誰にも言うなよ? オレはさ、ジェイムズ・セシルよりもお前を信用してんだ。ぶっちゃけ」

「なんだよ、藪から棒に。金なら貸さないぞ」

「まあ最後まで聞けって。アイリスに関わることだから、なるべく真剣に」

 たまたま重なった待機時間。たまたま居合わせた待機室で、ディートリヒは唐突に話し始めた。シミュレーション明けでお互い髪が汗に濡れたまま、息も乱れたままで、ジェイムズ・セシルが近くにいないのを確認すると

「セシルは、やっぱり最後までアイリスの味方ではいられないだろ?」

「味方になれないって……仮にも【肩章付き】だぞ?」

「じゃなくて。グレンヴィル家ってことはだ、政治の中枢も中枢、ド真ん中の皇国五家筆頭なわけよ。だから……」

 俺が嫌煙家なのを気遣ってか無意識か。ディートリヒは煙草に火を点けずに手の中で玩んでいた。給水ドリンクを一気に飲み干して俺は生返事を返した。

 ジェイムズ・セシルがアイリスを政治利用する?

「いつか、アイリスを〈マギエル〉として扱う日がきっと来る」

「ジェイムズ・セシルが? ありえないだろ。リリィとか呼んでるぐらいだぞ」

「あれ腹立つよなー。まあそれはいいとして、その日が来てもヴィルはアイリスの傍にいろよ? 他の誰が裏切っても、お前は裏切るな」

 士官学校にいた日々、毎日のように言われた。

 撃てなければ辞めてしまえと。撃てなければ撃たれる。

 ディートリヒはジェイムズ・セシルが撃てなくなる日が見えていたのかもしれない。だとしたらアイリスをいつか〈マギエル〉として見る日も来るのかもしれない。

 その時、きっと俺はジェイムズ・セシルを撃つだろう。

「裏切るなよ、ヴィルヘルム」

 耳に残る澄んだテノール。きっとディートリヒは知っていた。

 俺がアイリスを好きなことも、ディートリヒさえいなければと考えた夜を、アイリスを抱きしめる夢を見た夜を、知っていたんだ全部。


「ディートリヒ、ロスト‼」


 あの一瞬。0.001秒。

 心の中で俺が、                お前を殺すだろうことも。

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