白い闇06 ―ジェイムズ・セシル・グレンヴィル―

 はじまりは どこにでもあって どこにもない 運命


 強かに殴られてスチール製のロッカーに思い切り頭からぶつかる。グラングランと脳震盪で視界がたわんだ。

「お前が殺した‼ お前がディディを、アデルを、マシューを殺したんだ‼ なぜ新型を奪えなかった、ジェイムズ・セシル‼‼‼」

 つんざくようなヴィルヘルムの怒号。アイスブルーのひとみに薄っすらと涙が膜をはっている。

 彼の批難はもっともだ。新型と目があったあのとき、俺は一瞬、攻撃システムのパネルから手を離した。――モニターの向こうに映るパイロットがチョンジエンに養子に出されたはずの弟だったから。まだ誰にも言えてない。言えない。人違いかもしれない。でも撃てなかった。

「何とか言えよ、おい‼」

「はい、ヴィルヘルムそこまで。ストップ。それ以上は規律違反で独房ぶち込むよ」

 アイリスの白い手がぺしりとヴィルヘルムの銀髪をはたく。白皙の頬を染め、蒼いガラス玉のような眼を壮絶に歪ませてヴィルヘルムはアイリスを睨んだ。

「貴様ァ……止めるな‼」

「上官に貴様呼ばわりしない。止めるよ、そりゃ。私闘は規律違反だよ。それに今そんな話してる暇ある?」

「みすみす逃がしておいて何の咎めもなしか! 羨ましいご身分だな、グレンヴィル議長のご子息ともなると。皇国議会の未来はさぞかし明るかろうよ‼‼」

「ヴィル、いい加減にして」

 腹に響くようなヴィルヘルムの怒声と対称的に、水を打つがごとく静かなアイリスの声がたしなめる。

 主戦力のクレイドルパイロットを数多喪ったブランドゥング以降、アイリスは冷徹なまでに誰より冷静だった。

 ディートリヒが死んだ夜こそ数時間取り乱した程度で、そのすぐあとには皇国軍本部へ戦力補充の要請や現時点での戦況報告、ディートリヒの略式葬儀と遺品整理を手早く済ませ、三日後には戦線復帰した。冷静な横顔が、皆を気遣い激励する微笑みが、折れそうでも。アイリスはクレイドルを決して降りようとはしなかった。

「もう少し現況にあった行動をしてよ、きみたち【肩章付き】でしょうが」

「……ホント冷静ぶっちゃってさァ。アイリス、あんたちょっと病気だよ。休んだらァ?」

「ペドロ! それはあんまりな言い方じゃないですか⁉」

「あー、テオちょっと黙ってて。ディディ死んだのにどう考えてもおかしいでしょ、この人。ちょっと気持ち悪い」

「ペドロ心配ありがとう。でも大丈夫だから。それと上官に対してきみたちは口の利き方にほんと気をつけて」

 ハラハラしちゃうから、なんて少し困ったように眉を下げたアイリスに、へっと卑屈に笑ってペドロがロッカーを蹴り上げる。カッとなりやすいヴィルヘルムを焚きつけることこそあれど、自ら逆上することなどなく柳のような彼にしては珍しいなと思った。俺は誰の顔も見られず、ただ俯いて立ち尽くしていた。

「へいへい、そりゃァ余計なコトして大変失礼いたしましたァ」

「ペドロ!」

「キャンキャンうるせぇなァ、お前は犬か」

 テオが棘のある声を張り上げるのも滅多にない光景で半ば驚嘆に近い心持ちで、ぼんやりする頭を振った。

 殴られてぶつけたあちこちが痛い。

 俺が新型を逃がしたことで誰もがイラついているのは分かっている。だが、あいつを、弟かもしれないあいつを撃つことはできなかった。

 あいつはそもそもは皇国民で、俺たちの仲間であるはずで、ブランドゥング工廠なんかにいるはずが――。

 話せば分かる。あいつは俺たちと一緒に戦えるはずの人間だ。

「ジェイムズ・セシル」

「あ……はい」突然水を向けられて呆けた声が出た。

「終わったことは仕方ない。変えられない。――次はないよ」

「……はい」

「撃たなきゃ、次に死ぬのはきみだよ」

 何でもないことのように刺された釘は硬く冷たく、ナイフより激しく胸を裂いた。思わず背筋が震える。そして気づく。アイリスの双眸に深い暗渠が巣食っていることに。気づいて……俺は見なかったことにした。

「十分後にミーティングルーム集合。遅刻厳禁で」

 毅然としたアイリスの後ろ姿を見送り、気まずい空気の中に男四人が残され目も合わさず黙り込んでいた。中途半端に戦闘服を脱いだペドロが上半身裸のまま最初に腰掛け、続いて少し離れたところで背を向けてテオが座る。俺は馬鹿みたいに待機室の真ん中に立ち尽くしたままで、ヴィルヘルムはロッカーに寄りかかって俺を睨みつけていた。幾分怒りの温度は下がったようだった。

「ジェイムズ・セシル」

「……」

「貴様、何のために戦ってんだ?」

「何のためって」

 唐突に投げかけられた問いに俺は言葉を探す。戦う理由なんてすぐには言語化できない。

 セブンスヘブン生まれ故郷連合ユニオンに攻撃され母が死んで、悔しくて、哀しくて、はっきりと考える時間も理由もなかった。

 今この瞬間、どうしても戦う理由なんて俺にはないのかもしれない。

「答えられんか」

「ヴィルにはあるっていうのか?」

「俺は刺し違えてでも新型を撃つ」

「刺し、違えてって」

「アイリスの手を汚さずディディの仇は俺が討つ」

 常に不遜なヴィルヘルムから想像もできないほど、ぼそりと吐かれた決意に俺は目を瞠る。長年の友人であるペドロとしても意外だったようで、食えない笑みを口元に刷いた。

「ジェイムズ・セシル。貴様には貴様の事情もあるんだろう」

「…………」

「俺には全く理解できないしする気もないが。貴様を止める権利もない」

「ヴィル」

「頼む、ジェイムズ・セシル」

 ヴィルヘルムはきつくくちびるを噛んで、それから息を整え、小刻みに震える指を額の前でそろえた。

 あまりにも美しい高級士官と対峙したときのための完璧な最敬礼を、プライドの高い彼が俺に寄こすとは予測もつかなかった。

「頼むよ、ジェイムズ・セシル。邪魔だけはしないでくれ」

 震える声での懇願。

 きっと他の人間が彼と同じことをやったら女々しいと感じただろう。【肩章付き】ともあろうものが、そんな格好悪い真似を、と。

 けれどヴィルヘルムがやると気高ささえ感じた。神聖な儀礼のような。卒業試験では辛うじて俺が一位だったけど、本当はずっと彼の方が人間として優れている。

「これは俺の事情だ。貴様に理解は求めない」

「……君がうらやましいよ、ヴィル。俺の理由はもういから」

「俺の理由もいに等しい」

「理由なんて。本当はエゴでしかないと思います」 

 声変わりもまだ完全に終わっていない声がヴィルヘルムを断じた。

 ヴィルヘルムは一瞬嫌そうな顔をしたものの掴みかかることはせず

「そんなことは分かっている」

 吐き捨てた。

 テオは「責めてるんじゃないですよ」続けた。

「ヴィルを責めてるんじゃないんです。でもエゴでいいって、それでいいと思うんです。僕だって誰かを助けたくて従軍医師になりたかったはずなのに、クレイドル乗りとして奪う側になっちゃったし……」

「でもエゴでしかないなら、マイナスなんじゃないの?」

「そうですよ? でもそれくらい強引じゃないとアイリスは僕ら頼ってくれないですもん」

「テオ……」

「だからヴィルも頑張ってくださいね! ディディに勝つのは至難の業ですよ!」

「うっ、るさい! そもそも俺は勝ちたいわけじゃないんだよ!」

「勝ってくれなきゃ‼ 好きなんでしょ? ――アイリスには生きてほしいんです」

 顔を真っ赤にして喚いたヴィルヘルムにテオは微笑んだまま言った。

 微笑みには少し陰りがあった。

 さすがに身体が冷えたのか上着を羽織りながらペドロも耳を傾ける。

 俺たちにとってアイリスは特別だから。上官より近く同僚より遠く、恋より浅く友情より堅く、姉より母で、妻より妹のような、特別な存在。

「ちゃんと未来を見てほしいんです、アイリスには」

「テオ」

「今のままじゃきっとアイリス死んじゃうから……」

「行くぞ、ミーティングに遅れる」

 わざと冷たく言い捨てたヴィルヘルムが先に待機室を出て、俺たちも黙ってそのあとに続いた。テオの焦燥感はみんなが感じていた。


 ❖


 ミーティングルームにはクラーク隊長とアイリス以下、隊員が整然と居並んでいた。俺たちが到着すると同時にアイリスから作戦の説明が始まる。

 当面の標的は新型となった。

「本国からの通達です。パイロット数名が殉職しましたが我が隊には隊長はもちろん〈マギエル〉及び【肩章付き】が四名所属しており戦力不足は認められず。よってパイロットは補充せず現状隊員にて任務続行すること。以上」

 連合ユニオン本隊へ合流すると思われる新型を追う。

 俺たちも基地を離れ、クレイドルとともに空母で追うことになった。

 準警戒の深夜、艦に当たるさざ波の音だけが真っ黒な海に響く待機時間はやけに長く感じられた。

 持て余す時間の中、ヴィルヘルムの声が何度もリフレインする。

(邪魔だけはしないでくれ)

「ジェイムズ・セシル」

「……ッ、アイリスか」

「甲板は冷えるでしょ。また何か考え事?」

 湯気の立つ紙コップを二つ持参してアイリスが背後に立っていた。

 ディートリヒが好んだ珈琲の香りがした。

 白い肌は不健康に青く見え、目の下の隈が睡眠時間の少なさを物語っている。

 ずっと分かってた。

 本当は平気なはずがないんだって、今にも壊れそうなんだって。

「リリィ」

「……今それはずるいよ、セシル、さすがに泣きそう」

「アイリス、ごめん。ごめん、俺、アイリス」

「理由があったんだよね? いいよ、きみだけでも還ってきてくれてありがとう」

「つぎ、次は撃つ。撃つよ、俺、あいつ……ッ、ごめん、ごめんアイリス」

 俺よりずっと泣きたいのはアイリスだったはずなのに俺は彼女の優しい腕に縋って泣いた。彼女は優しいから。いつだって優しかったから。

 俺はズルズルと甘えてしまった。

 弟を撃てるはずなんかないのに、俺は、俺とアイリスに嘘をついて心が楽な方を選んだ。


 ペルソナを被るみたいに、アイリスも俺もヴィルヘルムも、

 自分に嘘をついた あの夜。

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