白い闇02 ―ディートリヒ・ジルバーナーゲル―

 はじまりは どこにでもあって どこにもない 運命


「迎えに来たって……どうして?」

 どこか夢うつつな調子でアイリスはオレに訊いた。理由など幾つもあって、何もない。答えあぐねて適当にうそぶいた。いや、あながち芯を喰っているかもしれないが。

「どうしてって、そりゃ命令だからな」

「また――戦わないといけないの? いつまでも?」

 悲痛、というより純粋な疑問が彼女から漏れる。「兵器わたしがいなければ止まるかもしれないのに?」水のようにそれは部屋に沁みた。アイリスの目が初めてはっきりとオレを捉える。漆黒に見えた双眸は実は氷の色だ。冴え冴えとした蒼が曇りなくオレに答えを求めていた。

「本当には必要なの?」

「そうなんだろ、上にとっちゃ」

「クラークのところに連れていかれるの?」

「――三日前、セブンスヘブン《軌道上衛星都市》が攻撃された」

「…………」

連合ユニオンは何でもやる。猶予がない」

 言いながらアイリスがうずくまる真鍮のベッド脇の本棚を見やる。戦術戦略に関するありとあらゆる何百――千を超えているかもしれない――もの古書やデバイスなどが無造作に押し込まれ、あるいは床に積まれていた。

「これ全部読んだのか」

「それしかすることなかったから」

「全部覚えてるのか」

「覚えなきゃ戦えなかったから」

「あの、さ」

 ふと胸の内に芽生えた憐憫のままに、断りもなく隣に腰かけた。

 ギシ、とベッドが軋んで彼女が驚く。不思議そうに見つめられて、居心地の悪さをごまかすようにそっと腕の鎖に触れてみた。

「お前こんなことされてまで、どうして皇国軍にいんの?」

「…………考えたこともなかった。たぶん……拾われたから?」

「ふうん。じゃあ、軍辞めたら何がしたい?」

 アイリスが押し黙った。

 虚ろな目で右手をさする。みみず腫れになっていた。刃物ではなく噛み千切ったような跡。自殺願望も事実らしく、しかも継続中らしい。

 頬に影を落とすほど長い睫毛が微かに震えた。泣くのだろうか。

「き、きみは……なにがしたい?」上擦った声で問い返される。

「オレ? そうだなぁ、歌で生きていきてぇかなぁ」

「歌? アウローラ皇女みたいに?」

「そうそう、ああいう癒しの祈りの歌を……って。んなわけないだろ」

 いつもの調子でつっこんで我に返る。

 何の話をしに来たんだ一体。自己嫌悪に陥る。

 泣くのかと思うほど小さく震えていたアイリスは、やっぱりあまり起伏のない表情に戻っていて、おもしろいひと、と呟いた。

 どんな反応をすべきか分からず、いつも弟や後輩にするように頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜるように撫でてやった。

 礼節なんて今さら知ったこっちゃない。

 アイリスは不意をつかれたように顔をあげて、それから少しだけ目を細めた。抵抗はしなかった。

 撃墜数ダントツTOPの〈マギエル〉のイメージとは程遠く、複雑な気分だった。怯えた子猫をじゃらしているみたいだ。

「なあアイリス、一緒に行こう」

「い、っしょ」

「こんなところに独りでいるよかマシだよ。安心しろ、クラーク隊は曲者ぞろいだけど根はいい奴ばっかりだ。ちょっと頭に血が上りやすいけど仲間想いの奴、女に目がないけどやるときゃやる奴、実技はバツグンだけどほんのちょーっと思いつめやすいお前みたいな奴、医者を目指してたのに天才すぎてクレイドル乗りになってたり――毎日飽きないよ」

 なんでそんな事を言ったのか。

 それはきっと、この管理された穏やかな世界がアイリスを追いつめていると感じたから。でも理由付けなんて後から幾らでもできた。

 だから理由なんてどうでもいいと自分に言い聞かせて。

「とりあえず、一緒にここを出よう」

 彼女は嗚咽を漏らさないようにきつくくちびるを噛んで赤い血を流した。

 その赤を服に零れないよう掬って、信じてもいない運命と必然を、オレは生まれて初めて知った。

「守りたいって、思う気持ちはあるの」

「なら守れるよ。その力は十分にあるんだから」

「――――きみのことも守れるかな」

「えっ」

「触れてもいい?」

 私の手、血みどろだけど。そう訊いたアイリスの目はさっきと比べ物にならないくらいはっきりしていた。

 躊躇われるほどオレだって綺麗な手をしているわけじゃない。

 同じような赤い手だ。


 ❖


「アイリス・ヴィクトロヴナ・ミハイロフスキー特務少佐です」

 数日後、アイリスはふっきれた爽やかな笑顔でオレの前に現れた。右手の傷はきれいに消えていた。黒い髪をまとめ、白い【肩章付き】をなびかせて白い軍靴も高らかに。

「ディートリヒ・ジルバーナーゲル中尉です」

「少佐にしてもらえなかったの?」

「これからだとさ」

 名乗りあって、肩を並べて隊長室へ。そして戦場へ。

 終わったらその夢の先へ。

 どこまででも行こう。同じように赤く染まりながら。


 今はまだ、この感情に名前なんかなくとも。

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