白い闇

白い闇01 ―ディートリヒ・ジルバーナーゲル―

 はじまりは どこにでもあって どこにもない 運命


「ディートリヒ、君に重大任務を与える」

 クラーク大佐にそう呼び出され、オレは張り切って指定の場所へ向かった。同期の誰でもないオレに。【肩章付き】でもなくオレに。期待されている事実が嬉しかった。しかも国防事務次官直々の特務だという。【肩章付き】への昇進も夢じゃない――はずだった。

「君がクラークの寄こした【優秀なクレイドル乗り】とやらか」

「クラーク特飛隊所属ディートリヒ・ジルバーナーゲル少尉であります」

「……肩章もない【無地】の下士官に務まるかはなはだ疑問だが、お手並み拝見といこう」

 国防事務次官はオレの制服を一瞥して、独り言ちた。薄い蔑視を孕んだ溜息がちくちくと刺さる。オレは士官学校11位だ。ペーパーテストであと二問取れてりゃ【肩章付き】だったんだ、と言ったところで言い訳しかならないので黙って辞令を待った。内ポケットに入れたデバイスが小さく震えた。「EYES ONLYだ、分かってるな」事務次官が言う。

「デバイスにデータを送信した。クラークのもとに移送しクレイドルに乗せろ」

「移送? 異動命令を通達すればよろしいのでは」

「自殺しそこねてから使い物にならん。こっちに引きずり戻してこい」

「――――失礼ながら、まだ軍属なんですか?」

「一応はな。は殺すわけにも手放すわけにもいかんのだ」

 はあ、と二回目の湿った溜息をついて、国防事務次官は頭痛の絶えないらしいこめかみを何度も揉んだ。

 死にたがりで引きこもりののそいつを戦場の花形クレイドルへ引っ張り出すのが今回のミッションということらしい。

 失敗したら降格もあり得る。なんて面倒くさい。ていうか、なぜオレ。【肩章付き】じゃなければどんな無茶なミッションを押し付けてもいいとクラーク大佐は思っているのか。心中が愚痴で満ち満ちていく。

「手荒な真似はするなよ。一応は私の娘だ。血は繋がっていないがね」

「ご息女、ですか」

「血は繋がっていないと言っている。身寄りを亡くしたのを引き取ったまで。大事に扱え」

「大切にされていらっしゃるんですね」

 半分嫌味だ。自分の娘なら自分でどうにかしやがれ。

 いかにオートメーション化されたとて、そもそも軍属は体力的にも精神的にも女性には厳しい。新型兵器クレイドルのパイロットともなれば戦場に引っ張り出される回数は、従来の航空隊の数倍を凌ぐ。そして殺さねばならない敵の数も比例する。――心の柔らかい子どもほど摩耗していくのは当然だ。ああ最高にめんどくせぇ。親のエゴで無理やり軍属にされた少女。登場人物、オレも含めてみんなだるい。とは表情に出したらクビが飛びかねないので慇懃に平身低頭で辞令を受けた。

「大事に、扱えよ」

 念を押すようにゆっくりと事務次官が言う。

は、大切な、皇国の兵器だからな」

 にやりと口の端をあげて国防事務次官はわらった。目はまったく笑っていなくて、卑劣で寒気がする真っ黒な目をしていた。血が繋がっていないとはいえ娘を兵器と言い切って笑う姿に寒気がした。なんて憂鬱な任務だ。【肩章付き】の奴ら、きっと逃げたに違いない。どうせ貧乏くじの【無地】だよ。どうせ逃げられないなら、何が何でも問題の奴を引きずり出してこき使ってやる。

「君にも土産がいるな。上手くいけば、少佐なんてどうだ?」

「やり遂げてみせましょう」

「期待しているよ――ジルバーナーゲル少佐」


 ❖


 渡されたデータを見る。パスワードで保護されたフォルダの中に、そのデータはあった。冒頭に十五分後にデータは自動的に消去されると記された厳重さに眉をひそめる。まるで何かに怯えているような厳戒態勢だ。

 アイリス・ヴィクトロヴナ・ミハイロフスキー。ミハイロフスキー国防事務次官の養女というのは本当らしい。オレよりも二歳下の十五歳、女、【肩章付き】、

「少佐ァ!?」

 思わず素っ頓狂な声が出て周りを見回す。この歳で少佐は身贔屓しすぎだろ。そう思いつつも人がいないことを確認して読み進める。

「なんだ……これ……」

 そいつの戦績に目を瞠る。なんだこの戦績は。数年前の大きな皇国と連合ユニオンとの最前線、スヴァローグ攻防戦にて当時まだ実験段階だったクレイドルで出撃。うちのクラーク大佐ですら三十機以上の撃墜数で表彰されているのに、こいつは二百八十機撃墜で何の勲章ももらっていない。得体の知れなさに胃の腑が冷える。

 だが、最後に記された通り名は嫌というほど聞き覚えがあった。

 

 〈マギエル〉


 魔術師を意味するその通り名は士官学校時代に教官が何度も口にした通り名だ。伝説のエース。〈マギエル〉が戦場に出るだけで戦況が変わる、勝利が確約されると。

「作り話だと思ってたぜ……」

 そんな人間離れした奴いるもんか、と同期の奴らとバカにした記憶がある。実在したとは。しかも当時やっと十歳やそこらになった少女が。目から鱗がこぼれおちる。


 興味本位と昇進目当てで、軍本部の地下室へと赴いた。引きこもりというからジメジメしたコンクリート打ちっぱなしの空間をイメージしていたら、エレベーターが着いた先は明るいガラスで造られたドームのような温室だった。

 色とりどりの花の奥、ベッドの上に彼女はいた。

 夜みたいな少女だった。漆黒を髪に宿して。脈々と降りしきる雪色の肌。年端も行かぬ彼女の四肢と首は鎖でつながれている。まるで籠の鳥だ。膝を抱え、顔をうずめている。

 はねは、ない。

「だれ」

 短く、透明な声が誰何すいかした。視線は向けられず膝と顔の間の宙を見ている。小さく身じろぐとジャリ、と重たい金属が従属して鳴った。

「あなた、だれ?」

 焦れたようにゆるゆると首をもたげて彼女がオレを見た。蒼く澄んだ雷鳴のようにはげしい力のある目。

 再度問われてようやく声が出た。見惚れていた、なんて言うまい。所属と氏名と用件とを一気にまくしたてる。礼儀なんて知ったこっちゃない。

「クラーク特飛隊所属ディートリヒ・ジルバーナーゲル少尉。――君を迎えに来た」

 それが運命になるとも知らずに、渇いた喉で、そう告げた。

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