voice.  #02. calling.

 ――いとしい人よ、この声が聴こえますか?


「ディディの声が一番好き」

 そう言ってアイリスは屈託なく笑った。

 どんなに長い時間が経っても、あの笑顔は忘れないだろう。きらきらした、オレにしか見せない顔でアイリスは笑ったんだ。

 アイリスは俺にだけいろんなものをくれる。

 分かってないんだろうね。そのことでどんなに満たされているか。君が好きなのはオレだけでいいよ。今のままでいてくれよ。オレが煙草を吸い始めたら嫌そうな顔で奪って。オレの声が聴こえないからとキスも拒んでくれよ。

 しなやかな黒髪を梳いて願った。君が愛すのも愛されるのもオレだけでいい。

「声ねぇ……? ふうん? ああそう、それだけ?」

 確かに最初は面食らった。どこが好きか尋ねて、その答えが顔でも性格でも財力でもなく、声だなんて女の子から初めて言われたから。

 一筋縄ではいかない。彼女の少し風変わりなところも愛おしかった。感嘆まじりの視線を送るとまともにぶつかって、一瞬たじろいだアイリスをもう少しだけ見ていたくて追い打ちをかける。

「じゃあデータに声だけ録っとく?」

「拗ねないでよ」

「拗ねてない、妬いてんの」

「ええ? 自分の声に? バカじゃないの」

 ふわふわと微笑ってオレの髪を撫でつけるその指が好きだ。ぎゅっとオレが灰皿に押し付けた吸殻をアイリスの白くて細い指が挟んでくちびるを寄せる。薄めのくちびるが小さく開いてシケモクにキス。ちょっとディープに。伏し目がちの仕草に、子どもの覗き見みたいにドキドキする。赤い舌が見え隠れ。

「――イケナイことしてるみたい」

 キス以上のことをした後で急にあどけなくなるアイリスにオレは肩を揺らして笑った。

「おこちゃまだなぁ、アイリスは。ほら身体に悪いからやめときなさい」

「……全部好きだよ。好きなんだけどね」

「うん?」

「でも全部は知らないからさ」寂しそうに言う。胸を掻きむしりたくなる顔をたまにする。

「何が言いたいの」

「私が知ってるディディの中では、声が一番好きだよ」

 全部好きなんだけど。俯瞰するとオレたちはそれぞれお互いではないのでお互いの全てを知っているわけではないのだ――と言いたいらしい。

 それでも「全部好き」と言ってほしいのはオレの我儘だ。

 でも、何も知らないとしても、君がオレに何もかもを隠していたとしても、オレはアイリスを好きだと言える。だからアイリスもオレの全部を好きと言えよ――と本心が駄々をこねるのを必死に口の端にはのせないよう飲み込んだ。

 アイリスが悪戯っぽく首を傾けて訊く。

「じゃあ、ディディは私の何が好き?」

「指」

「ディディだって私と似たようなものじゃない!」

 ころころとはしゃいで笑うアイリスの指を絡めとるように手を繋ぐ。「初めて手を繋いだとき、ドキドキしたね。手汗すごかった」懐かしそうに目を細めるその姿が好きすぎて涙が出そうになる。

「やっぱいいわ、しっくりくる――キスしよっか」

「キス好きじゃない」

 至極満足したオレが顔を近づけると、アイリスは少し身体を引いた。訝しがるふりをして苦笑する。

「嫌いだったっけ?」分かってて訊く。

「声、聴けなくなるでしょ」

「そんな好き? オレの声」

「うん、世界で一番好き。安心する」

 頷いたアイリスをきつく腕の中で抱きしめた。

 誰より、何より、君を愛してるんだよ。

「――やっぱりデータ化でもしとくべきかね」

「いいの? いつでも聴けたらすてきだね」

「なんて入れてほしい?」

「何でもいいの⁉」

「いいけど、変なこと言わせんなよ」

 嬉しげにアイリスが声を弾ませる。オレは顔がにやけないよう、努めて険しい顔で注文をつけた。でも結局はアイリスのためなら何でも言うよ。何回だって言うよ。

「じゃあ、私の指への執着を語って」

 愛してるだの好きだの月並みな言葉より難題だ。オレが一等好きなアイリスの一部。どうやって言えば伝わるだろう。何回言えばこの気持ちと同じ重みを持つだろう。デバイスを前に、何度も寝返りを打ちながら毎晩考える。

 まぶたの裏に思い浮かべる。白い指、細い指、しなやかでいつもひんやりしていて、握りしめると緊張するのか少し汗ばむ柔らかい肌。ひとを護ることも傷つけることも、等しく知っている賢明な指。

「ああ、そうか。なるほどね」

 思い浮かんだ言葉を、アイリス、君は聴いてくれただろうか?

《オレとしては左手の薬指が彫刻でも勝てないくらい理想的だと思うんですが》

 クレイドル搭乗直前にデバイスに吹き込んで、万が一のときのための白い箱に制服とデバイスとを収める。きっと君は驚くだろう。手渡したときの冷たく柔らかい指の感触を脳裏に描いて小さく微笑う。人殺しなんて早く終わらせて君に会いたいな。

《その左手の薬指をオレに捧げてみませんか》

 君がオレの声を愛してくれていると言うならば、愛してくれたこの声だけで伝えたかった。帰投したオレにきっと君は怒鳴るんだろう。「なんで動画もつけないの? そもそもこれプロポーズなの? なんなの?」オレは意地悪して「声だけの男なもんで」って言ってやるんだ。

ごめんな。ずっと前からそうやって訊こうって決めてたんだ。

 オレは《その左手の薬指をオレに捧げてみませんか》拗ねた君が涙目で頷いてくれたら、その左手の薬指にリングをはめるから。オレの手には君にはめてもらうって決めてたから。

 もうずっと前から、それが願いだったんだ。一生かけて誰よりも何よりも、君を大切に愛しつづけるから。今もこれからも、ずっとずっと、傍にいてくれますか?

「あいしてるよ」

 けたたましい警告音アラート、激しい閃光、虚空の果てに呑まれていく激痛と恐怖。光の白濁に全身かれながら繰り返し呟いた。

 ねえ、オレの声聴こえる? ――アイリス、

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