第33話 引き抜かれた舌
雨が降り始めた。
担当区域を終わらせ、合流地点へ向かっている。徴収により、腰の
一足先に、同じく橙色の
赤毛の男へ、大きく手を振っている。
その声は黄色い。
「きゃ~!雨降りそう」
少女は男の近くまで来て、笑みを作る。
「いや~さっきやばかった!くそまみれになるとこだったよ。(気配の消し方に)心得ある奴だったら今頃もう………」
"鼻をかわいらしくつまむ
「……………」
少女は、法の塔からしばらく口を利かない赤毛の男の頬を、いたずらっぽくつつく。
男の目は、まっすぐ何もないところを見つめている。
心の中、鉄の扉が暴力的な衝動を抑え込んでいた。
まっすぐ見つめていた薄緑の目は少女を捉える。
瞳、ほくろ、首飾り、鎚へと動く視線。
少女は小さく首を傾げた。
"少女の首飾り、鎚の扱い方、目の色、とぼけた察しの悪さ、嘘の吹聴、知識の偏り"
"そのまぬけさ、すべて、はりぼての作り物"
"このかわいい
切除を行う刃物構えるように、言葉が選ばれる。
裁く、固い声。
高く、甘い声。
「お前……前の(返納祭は)」
「ねぇ~え~どうしたのさ」
男の声を遮る少女。
「答えろよ……」
男の、途切れる声。
少女の、怯える声。
「ねぇ〜さっきの話」
「前の返納祭どうしてた」
少女の口は、再び男の声を遮ろうと動いていた。しかし、男の声の力強さがそれを押しのける。
少女は目を白黒させた。
少女の、途切れる声。
「え……急に?んー普通に……担当区域終わらせて……普通に……拝領終わったって聞いたら………普通に……夜の準備して……ごちゃごちゃやって……朝来て……終わり!」
少女は無理な笑みを作った。
男は言葉の刃を鋭くする。
「イシュに来た理由は」
少女の、間を繋げるふらついた声。
「………楽だって聞いてたからだけど」
「誰から」
「又聞きの又聞きなんだよね~」
男の目は竜のように冷たい。
「違うな」
少女は笑みを作る。
「え?なんで?」
「立法師やってる髪の長いやつと話した。そいつがその話言ったらしいな、お前に」
少女は笑みを作る。
「あれ?そうなの?そうだったかな~そうかも。もう~さっきから目が怖いよ」
少女は男の頬を再び突つこうと手を伸ばす。
赤毛の男は少女の手を振り払った。
崩れる笑み。
くるめく瞳。
「なに怒ってんのさ~」
少女は赤毛の男の正面に立ち、顔を覗き込んだ。
枯れ葉色の目が映り込む。
その薄緑の目は、酷く冷え込んでいた。
「………え」
少女はとぼけた顔を作った。
男の目を覗けば見えるその腹の底。皮膚を内側から破く衝動が湧き上がる。
心の中の鉄の扉、拳で殴ったような大きな音を立てて、外側へ膨らむ。
とぼけた笑みとそそけた髪。少女は一歩後ろへ下がった。
詰め寄る男の尖った声。
「今嘘吐こうとしただろ」
少女は被せるように遮る。
「そいつが言ってんだよ」
「え、いやしてないよ」
男の額、血管が膨れ上がる。
血を吐く叫び声が響いた。
「楽だって話お前から聞いたってな」
赤毛の男は、まっすぐ殴るように右手を伸ばす。少女の横髪を掴んで乱暴に揺らした。
少女は作った笑みを崩される。
引っ張られる痛み。少女は男を振り払おうとするように、大きな手首を掴み、小さな手で深く爪を立てる。
大きく崩れていく、枯葉色の目。
大きく震えていく、枯れたその声。
「どうしたのよくわかんないよ」
大声で枯れていく、鋭い声。
「お前なんだろ」
「え……えぇ?なんで?なんの話?」
男の薄緑の目は、少女の首飾りにとまった。服の下で隠された、数珠繋ぎの輪がふたつ。男は少女の細い首へ手を伸ばし、首飾りを引き出す。
「なにさ!」
その首飾りは、砂時計のもの。もうひとつは、Ωの形をした、円い金属のもの、教会の出自であることを示す四角い模様があり、その下、イシュで作られたことを意味する平らな大地の剣があった。
男の、叩きつけるようながなり声。
「これは」
少女の、飾りつけるような荒い声。
「これは、って何?何が聞きたいの」
睨み返す少女。
心の中、拳で叩く大きな音とともにつばくむ鉄の扉。
男の目が黒い錆で濁った。
「言え。答えろ」
男の、左の握り拳、その腕は何度も、殴るかのように持ち上がって、衝動押し下げるようにだらりとする。
息が乱れていく少女。目をそらした。
「………形見」
弱々しい声。
「何の」
大きな手首に爪を食い込ませていた小さな手。爪を立てる力が弱まった。
言葉を探す小さな唇が震える。
「えっと…………えっと………」
唇の、乾いた皮が剥がれ落ちた。
「わかんない」
大きな音を立てる鉄の扉。
薄緑の目は、その衝動に錆びつく。
同じく錆びついたがなり声。
その膨らむ衝動の塊を体の内へ縄で引っ張るように、声はゆっくりと絞り出される。
「お前、18って言ったな。知らねぇんだろ?歳聞くのは」
歯を食いしばる。その様は、獣が牙を剥いているようで、衝動を引っ張る縄が噛み切られた。
「失礼なんだよ!」
大きな音を立てる鉄の扉、その
細くさらさらとした琥珀の髪が、力まかせに引っ張られる。
少女の金切り声。
「知らない!」
「すぐ教わるから知らねぇわけねぇんだよ!」
少女の小さな頭が、中身がないかのように軽々と激しく揺さぶられる。
「説明できるよな、これ」
少女の、教会の首飾りを掴む。
眼頭にぶつかる勢いで、首飾りを突きつけた。
「ちが、えっと」
「自分の名前言ってみろ」
乾いた唇の皮がささくれ立つ。
「…………ナーシェ」
少女の髪を掴む大きな手と腕に、みみずのような血管が浮かび上がった。
布の人形を揺さぶっているかのように、少女は激しく痛めつけられる。
「
抜けた細い髪が数本、指に絡みつく。
ぎゅっと、大きな手首に小さな爪が突き立てられた。
「もっかい名前言ってみろ」
「………………」
少女は白目を赤くし、息を詰まらせている。
「おい聞こえてんだろもっかい言ってみろ」
髪を掴む手に一層力が入る。
「…………………」
少女の、爪を食い込ませる指の力が弱まった。
「おい」
「……………」
少女は掴んでいた大きな手首を放し、胸元でさまよわせた。
血を吐くがなり声がふたたび響く。
「おい!」
震える、唇。
青ざめた、唇。
めくれた、唇。
そしてそれは錯覚。
「あたしは………ナーシェ」
音が消えた。
ばらばらになった鉄屑。
錆びた、血の香り。
鉄の扉、
「タフィリアだろ!」
少女は舌を噛んだ。
硬い地面へと男は頭から叩きつける。
裂けた音がした。
枯葉色の目が、濁る。
「全部嘘だろ。なぁ」
「あ……えっと……あの……だから」
「なぁ!」
赤毛がかぶさった薄緑の目。細い
「背中見せろ」
朦朧とした目の少女は、倒れた姿勢のまま男から距離を取る。
「嫌」
男は首を前へ突き出した。
「……は?」
少女は自分抱くように腕を組む。
「わかんない」
吐き出される、その熱帯びたため息。
「背中に………」
「わかんない」
冷たい空気を大きく吸った。
出てきた息は喉を黒く焦がしたように熱く、そのまま声になる。
「
痛みすら覚える声量に、少女は耳を塞ぐ。
「全部言え隠してる事」
「あたしわかんないよ。あたし何言われてるかわかんない」
男の、根のように血走った目。
その目に映る。
"我が身のことだけを考える醜い姿"
男は少女の首を掴み、地面にすり潰す勢いで押しつける。
「吐け。なにもかも吐け。でなきゃ殺す」
大きな手を叩く小さな手。
腰から短剣が取り出された。
少女は男の大きな手に刃を突き立てる。
しかし、男はみじろぎもしない。
空いた左手で引っ張っても、右手で刺しても、動かず、刺さらず、それは巨大な岩のよう。
喉を、岩が押し潰している。
降り始めた雨。
男の目尻から雨の
「吐け」
縦にも横にも首を動かさない少女。平たく潰れているか細い喉。
「吐けよ」
おぼめく少女の目。
右手から短剣が音を立てて落ち、男に掴みかかる小さな手も力なくだらりと落ちる。
雨脚が激しくなった。
体の
薄緑の目から、熱の濁りが去り、澄んでいく。
大きな手は、その指の隙間からはみ出る風船のように、命を握り潰していた。
男の、血走った目が震え、血の根が縮こまる。
喉を潰す手が緩められた。
焦げ付く臭いのする枯れた声。
「全部言え」
窒息手前に大きく息を吸うような、少女のその息遣いと音。
「かっ、はあ、はあ、はあ、話すから………はあ、はあ、もう、はあ、はあ、やめて………」
まっすぐ立った男は、少女を冷たく見下ろした。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
「お前誰?」
「はあ、はあ、はあ、はあ」
拳を振り上げるようながなり声が少女へ降り注ぐ。
「おい」
頭を小さな手で覆い、体を震わせる少女。
「やめてごめんなさい」
少女は乱れる息をおさえるが、声がどもる。
「はあ、はあ。あ、ああ、あ、あたしは………タフィリア」
腐った肉を嗅いだように、男は顔を歪めた。
「なんでこんなことした」
「徴税官は、納税免責があるから。そしたら、強くなれる」
男の胸中を埋め尽くすもの。それは恥。
友人だと勘違いし、見知らぬ者に誤って手を振るようなこと。
「いつから」
少女は、男を視界から消すように顔を背け、横向きの姿勢をとる。
「……2年前、前の返納祭」
男の声は錆びついた粉が混ざったように、重たい。
「どうやって」
「死んでたから……弔い方わかんなくて……知ってる方法で……太陽に召し上げた」
「その服は」
少女の体に合わせて仕立てられたその服。もとは大きなものであることがわかる。
「その時に………借りた」
「借りた?借りたのか?」
薄緑の目には、見えずとも少女のひび割れた舌が映っていた。
「違うだろ盗んだんだろ言い直せお前!」
男は、はっとしたように握り拳を作っていた左手を解く。その手の平から血が滲んでいた。
少女は頭を抱えてうずくまる。
「ごめんなさいごめんなさいやめておねがい」
まっすぐ立った男は左手で顔を覆い、空をあおぐ。
暗く曇った空からの
音を立て始めた。
目に入る
「なんで奴隷に」
「徴税官なったばかりで」
息に錆びた血が混じるかのような怒声。
「なってねぇだろ!」
「ごめんなさい!あ、えと、その、あえ、えと」
舌が回らない少女。
息を詰まらせる。
「周りの………あ………真似しながら………えあ……あ……その………動いてたから…………えと………へましちゃって、それで捕まって」
赤毛の男は首を横に振る。
「返納祭終わったらなんもかんも手放せ」
「嫌!」
男の腕に力がこもる。少女はすぐに
「手放したら居場所なくなる生きていけなくなるあたし徴収されたら前みたいにがりがりになってみんなと同じ時間の半分も働けない飢え死にする」
男は突き飛ばすような声を出した。
「どこにも居場所はねぇよお前に!」
少女の目から、光が失われる。
陽の光は差さず、その目には太陽遮る雲が映る。
「だったら苦しくねぇよう殺してやるよ今」
男は少女の前髪を掴んで頭を揺さぶる。
少女の枯れた声が、男の耳に突き刺さった。
「
光を
男は唾を吐くような声を出す。
「自分勝手もいい加減にしろよ」
薄緑の目は、枯葉色の目を覗き込む。
その時心の中、少女の言葉が浮かび上がった。
"すごくきれい。好きだなぁそのおめめ"
鼻の付け根が、嫌悪に
少女の目頭に雨水がたまる。
「あたしは……イシュとカンブラルの血が混ざってる」
カンブラル。
その言葉と同時、少女は
「どこにも居場所がない、教会にだって。あたしは弱かった」
弱かった。流浪の民の言葉でいじめを意味するもの。
「よくわかってるな。ここにだって居場所はねぇ。自分で言ってただろ。弱ぇ奴がいられる場所はない」
男は、塀越え前の、少女に対する周囲の目線を思い出していた。
「お前は、流浪の民でもなんでもない。何者でもねぇ……これがどういうことか、自分が何したかわかってんのか」
少女はおそるおそる頷く。
「………わかってるよ」
男は押さえ込んだ叫び声を出す。
「じゃあ説明してみろよ!」
少女の口が、開きかけて、閉じる。
「………………」
少女は鼻をすするだけで、黙っている。
男は弱々しく首を横に張った。
「はぁ……」
男は手の平の痛みに、頭の熱が引く。再び拳を作っていることに気づいた。爪の食い込んだ痕がより深くなっている。
「お前は、おれたちの……」
言葉を詰まらせる。
「おれたちの……誇りを傷つけて、納税免責を自分の都合で手に入れた。許されると思うなよ。お前のしたことは、見過ごせば見過ごすほど社会を壊す」
男は衝動で震える拳を、力ずくに開いた。
「自分で全部返せ」
髪を掴まれていた少女は放り投げられた。
石畳に肩を強く打つ。
隠れるように、腕で頭を抱える少女。
自ら返すというその気配はない。
自らが握り拳を作る前に、男は、徴税官の証である硬貨と鎚へ、少女へと手を伸ばす。
少女はそれに抵抗するように、身を固くした。
男の、脱色したような声。
「……もういいだろ」
腰帯ごと引き剥がして、硬貨と鎚を取り上げる。
「ごめんなさい…………ごめんなさい………ごめんなさい」
少女は歯をくいしばり、嗚咽をこらえる。
男は、少女の抜けた髪絡みつく手を、茫然と見つめた。
「くそ」
風すら拾えないほど、小さな声が漏れる。
「くそが……」
焦点の定まらない目を前へ向けて、歩く。
土砂降りの雨。黒雨。
すり減った石畳の窪み、そこに少女が沈む。
雨の匂い。
赤毛から雨水がしたたり、頬を伝う。
水たまりを叩く足音が離れていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます