第20話  恥



担当区域は番付けられたものを基準に割り振られる。難易度が高い場所は、番付の上、強い者へ割り振られるということ。


流浪の民の長は数人。それぞれ異なる番付帳簿を持っている。


赤毛の男、イシュの帳簿では2番目。


かの長には、弱く振る舞っていることは見破られている。


貧民街はじっこへ来ることは起こり得ない。


「…………」


高い塀は間近。きれいだった石畳は擦り切れ、まるで老人の歯並びのような隙間でぐらぐらとしている。


周囲の建物も、ひびが目立った。


赤毛の男は、この地域の教会へまっすぐ進む。


太い長方体の、石造りの建物が見えてきた。


「はぁ……」


その開けられた背の高い扉は、蝶番の調子が悪いように見えた。


硬貨を取り出さず、扉をくぐる。


「徴税感をしている、ロスアリグ」


今まで訪れたイシュの太陽教会の中で、最も安っぽい。


広さも、半分とまでいかずとも、4分の3、天井と広間が小さい。


太陽を崇めるその礼拝堂に、所狭しと人がごったがえしていた。


イシュの都、これまで見てきた中で、特に、服装がみすぼらしい。


狭い場所で、糸巻をしている人や、縄を編んでいる人。


他の者は何もしないが、彼らは仕事をしている。


体つきも貧弱であり、力の気配も最も弱い。


「いらっしゃいましたよ!」


男の耳へ、意味のあるものとしては伝わらなかったが、今までと打って変わって、あたたかい声だ。


誰もが、笑みを浮かべて、枯れ葉色の目を、赤毛の男へ向けている。


男は、柔らかい目でそれに応えた。


礼拝堂の壁は石造りだったが、中は木材であるところも目立つ。その部分には、子どもが書いたと思われる、誰かを模した、顔だけの落書きが多くみられた。


石で削ったものや、拾い物と思われる石灰の白い痕。


「こちらへ!ぜひごあんないさせてください」


手足が伸び始めた、成長期の女の子と男の子が男へ、力強く大手を振る。


その体つきは、やせ細っていた。手首とふくらはぎが同じ程度。


礼拝堂の奥へと進み、左側の扉をくぐる。


通り抜けるのは廊下。そこにも、子どもの背丈の高さに、落書きや似顔絵がたくさん描かれている。


男の口元には、優しい笑みが浮かびはじめた。


一枚扉をまたくぐる。


応接間、ではない、個人のものということがうかがえる部屋。


その部屋には、ふたつの首飾りをした人がいる。ひとつ、一字架の首飾り、もうひとつΩの形に似た、円い金属のもの、その金属板には四角い模様があり、その下で棒状の装飾、イシュで作られたことを意味するひまわりの剣があった。


白と青を基調とした法衣を纏う聖職者が寝台に、上半身を起こして編み物をしていた。


「ああ、ようこそおいでくださいました。わたしのことはサージとでもお呼びくださるなら嬉しいです」


教会公用語。


"流ちょうに話すことはできないが、聞くことだけならできる"


髪が弱り始めた初老であろうかという齢のその者、目から後頭部にかけて、濁った色の、大きい、牙とも、爪にも見えるものが突き刺さっていた。


「驚かせてしまいましたね。これは夜の怪我です。いやはや、しぶとく生きながらえております」


枯れ葉色の右目を笑みで細める聖職者。


「叩いてみますか。触ってみるだけでも」


赤毛の男は、どっちつかずの笑みを浮かべる。


「冗談ですよ。いつもありがとうございます。あなた様方がいなければ、私たちは自分で身を守るしかありませんが………徴税を行ってくれるおかげで、夜も過ごすことができる」


夜。神の堕とし子はびこるおぞましい時間。


世界には昼と夜があり、それぞれあたたかく明るい昼には太陽が。冷たく暗い夜には月がある。


太陽と月はただ明るいだけであり、あたたかさを与えるわけではない。力を降り注ぐもの。


「これはちょっとした感謝の気持ちです。受け取ってくださいませんか」


聖職者は頭に刺さったものを抜き取ろうと両手で掴んだ。


赤毛の男はぎょっとする。


「おいおい」


聖職者はだははと笑い声をあげた。


「冗談ですよ。もう誰にも通じませんが、いやはや、面白い」


この部屋も同様に、落書きが多く、聖職者はそれに囲まれている。


「ところで。お耳を貸してほしいことがござい、まし、て。ここまで、ど〜う、でしたっ、か」


男は落書きから目を離し、はっと聖職者を見る。


その言葉は、赤毛の男にゆかりのあるものだった。


自慢気ににやりとした聖職者。


「十年前あのあたりに赴任してたんですよ。上手でしょう?」


赤毛の男は口を開く。


「ああ……上手いな……」


すぐに顔をしかめる男。


「で、どうだったか。ああそうだなあんまよくねぇな」


「とまぁ、国が割れてしまいそうです。共和制の風が強くなってきていますよ。どのようなものかご存じで?」


首を振る動きで赤毛が揺れる。


「いまいちわからん」


「お天道様のお母様とうさまが、陛下へ平定の御力をお与えくださっていらっしゃいます。それが今の王権神授。代理であるからこそ、治める義務がある」


赤毛は頷く。


「ここで声が上がります。我々にだって、大地を治める権利があると。これが共和派の主張です」


疑問を頭に浮かべる男。


「義務と権利は異なるものですが……さて、私たちは力なきゆえに蔑まれた存在、誰にでもできて、誰もがやらない仕事をすることで日々を食いつないでいる。災害が起きたときに恩恵を一番受けられるのは私たち。だからこそ腕っぷしがものを言う世の乱れ起きれば、真っ先に見捨てられるのが私たち。そして喫緊の問題は税。特にその重さが対立の原因になっています。要は王が治世を敷くか、民たちが治世を敷くか、というお話です。私は、イシュが共和国になることに対して強い不安を覚えております」


首をかしげる男。


まりょく税を取り払い、寄付性にすると。公約を共和議会が掲げています。それに準じて、“障壁”の強さを補正すると」


男の顔色が曇り始める。


「ん?じゃどっからまりょく持ってくるつもりだよ?」


「新しく、そして巨大な採掘場を議会が発見したと言っていますが………そうだとしても、場所もわからず、実際にあったとしても“障壁炉”に鉱石を運ぶ運送路などの整備進んでいる様子が全くなく……」


“障壁”


それは、夜に現れる堕とし子の侵入を塞ぐための術陣。街壁がいへき、家の壁を単位として発動する。


力ある個体は街壁がいへきの外へと弾かれ、力なき個体は家の外へ、極めて力なき個体は家の中へ現れる。


男の背中、その傷、凍える痛みで眉間に深い皺が刻まれた。


「じゃあ……お前らはどうするんだよ」


貧民街はじっことは、弱者の寄集まり。


強さとは、まりょくの貯蔵量、放出量、体内循環量によって決まる。


「そこですよ。彼らは“自己責任”、と言っていました。常日頃、私たちは自己責任という名のいじめを受けていますが……最後の繋がり、最低限身を守るための寄りどころであった徴税の再分配まで失えば………はっきり言って、死、あるのみ」


貯蔵量が大きければ、長く戦うことができ、放出量が大きければ、巨大な術陣を短時間で発動させることができ、体内循環量が大きければ素手で大地を割れる。


貧民街はじっこに住む弱者は、何かが致命的に欠けており、あるいは全てが欠けている。


そして多数派ぼんじんの足りないものとは、貯蔵量である。貧しい者はそれが著しく低いため、徴収量も少ない。


「殺す気か……?」


最も徴税の恩恵を受けているのは、彼ら弱き物。


最も徴税に苦しめられているのは、王と強き者。


「共和政権のありさまは私が勝手に考えたこと、さすがにそこまで酷いとは思いませんが……そうならないためになにかしらの手立てはあるかと……それにしても連携が取れていないように見える」


"考え事にふけり、壁の落書きを目線でなぞる"


その目の動きが、びたり、凍りついたように止まった。


「サージ。落書きはここにいた子どもたちか?」


「これはこれは。いた、だなんて怖いことを言う。今もいますよ」


聖職者はかっ、と目を開く。


「あ~!そういうことですかええ大きくなった子たちは神官見習いとして最寄りの大聖堂へいきますよ」


「こいつも?」


赤毛の男が指し示すもの。


子どもらしいぐちゃぐちゃとした絵。しかし特徴は捉えられていた。


"その似顔絵、両目尻に大小ふたつの、かわいいほくろが斜めに並んでいる"


"奇妙にも、ほかの子は拙いなりに上手く描こうという痕跡がある。しかしそのほくろの似顔絵だけは、醜く、歪んだように描かれていた"


「あ~タフィリアですか。もしかしてご存じで?」


はっとしたように、聖職者は僅かに顔をうつむかせた。


「まさか……帰らぬ人に?」


「…………いや。違う。いつからいない」


「2年前……ですかね?そうです2年前、ちょうど2年前です」


赤毛の男は、全身の血が凍り付く錯覚を覚えた。


「顔色が優れないご様子。お水はいかがですか」


揺れる薄緑の目、まぶたが強く閉じられる。


「いい。いらない」


ぐらぐらとした足取り。


衝動的、時に弱々しいその足音。


それは時間をかけて、だんだんと力強くなっていく。


"契約、流浪の民としての経験、己の歩んできた道"


それらを振り返り、前を向く。


「ちょっと〜ど〜こへ?」


「先を急ぐ」


冗談をいうような柔らかい雰囲気を取り去り、聖職者はうやうやしく頭を下げた。


「夜更かしに備えろ。たぶん戸締りしててもだめだ」


「今なん?!なんとおっしゃいました?!」


「夜に備えろってことだ。今回はいい意味じゃない」


赤毛の男は教会の外へ向かう。


「お気をつけて!」


廊下の後ろから聖職者の声。


せわしなく動く目。脳裏に浮かぶのはあのほくろ顔。


「たびびとさん!おきをつけて!」


貧しい子どもたちの声援。それをさらに、深く、大きくしたような大人たちの静かで熱いまなざしを背中に、赤毛の流浪の民は去る。


義手の男との、飲み場でよく交わす会話が思い起こされる。


『流浪の民はみな兄弟』


「おれたちゃ人類みな兄弟。だろ?親父」


熱さで苦しむように、胸骨のあたりがぎゅぅっと握りしめられる。


その後ろ姿は、力使う覚悟を背負おうと、大きくなっているように見えた。


「たびびとさん!」


そこに、賢い顔をしたひとりの子どもが後ろから声を掛けた。


ここへ入ってきた時、男へ声を掛けようと、そわそわと付いてきていた。


「なにさがしてたの」


言葉はわからない。だが、男の目の動きを指で真似し、訴えかけてきている。


少女と別れてから、まだ時間は経っていない。


「ちょっといいかぼうず。ほくろのある顔探してる」


男は絵を指しながら、ほくろ示すように目尻を、てんてんと指でつついた。




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