第21話 たまに真面目な話したと思ったら、すぐにこう

「ちょ…すとーっぷ!」

「ええっ?!」

 ぐいっとエレナさんの体を押しのける。ずれかけていた肩紐を直す。

 エレナさんが頬を膨らませる。それはそうだろう。当然だ。でも、私はこのまま続けるわけにはいかなかった。このまま服を脱いでしまうわけにはいかなかった。一瞬ミレイちゃんの顔が、脳裏をよぎってしまったのだ。

 このままなし崩しにエレナさんとエッチして、恋人同士になってしまう。それは絶対に避けなければいけない展開だ。

 ミレイちゃんだけじゃなく、エレナさんにとってもよくない。本当は叶うはずだった真の願いが、叶わなくなってしまう。誰にとっても良くない選択だ。

 でもこんな止め方をしたら、きっとエレナさんは怒るだろう。

 そう思ったのだけど…。

 さっきまで頬を膨らませていた彼女は、憂い顔で、じっと目を伏せていた。一転して、暗い表情になっていた。

 いけない。彼女のプライドを損なう拒否の仕方をしちゃったか。

 拒絶された。そう思わせてしまったのだろうか。傷つけてしまったのだろうか。

「そう、ですよね…。」

 つぶやくように、エレナさんが言う。寂しげに微笑する。

「ごめんあの、違くて…。なんていうか…。」

「わかってます。いいんです。テス様は今も、昔の恋人のことを想っているんですものね。すみません、あたしばっかり浮かれちゃって…。」

「え?あ…。」

 なんの話?と一瞬とまどい、すぐに納得する。

 ああ、そうだった。

 彼女は知っているんだった。私の真の願いを。あの娘に帰ってきてほしいっていう、未練たらしくて浅ましい私の願いを。

 エレナさんが暗い表情になったのは、拒否り方がまずかったせいじゃなかった。

 同情。

 十年たっても引きずっている、私の愚かな恋心に同情したせいらしい。優しい娘だ。

 元カノのことが一番好きだから、他の人とはエッチしたくない。そう思われたようだ。

 でもそれはまるっきり誤解だ。

 いや、まるっきり、ってわけでもないか。一番好きな人は元カノっていうのは、その通りだし。

 まあいい。とにかくこの話題は、本題に導く丁度いいきっかけになる。

「ちがうよ、エレナさん。確かに私は、昔の恋人のことが忘れられない。でもだからって、他の娘とエッチしたくないわけじゃない。てゆうか、したい。あなたとできないのは、他に理由があるんだ。」

「え?」

「だってさ。本命が別にいるのはお互い様っていうか…」

 そこでいったん、言葉を区切る。唾を飲み込む。

 ふと、自分の手が震えていることに気付く。なんだ?

 そうか。

 どうやら私は、緊張しているようだ。それも、ものすごく。どんな強敵と相対したときよりずっと。

 でも、それは当たり前か。

 わりと勢いだけでここまで来てしまったが、よく考えたらここから先は、あまりにもプライベートでデリケートな領域だ。踏み込めば、間違いなく相手に影響を与える。関係性が変化する。

 緊張するのは当然だ。他人に深く干渉したり、されたり。友達を傷つけたり、喧嘩したり。ここ十年はなかったことだ。

 やめようか。一瞬思う。すぐにその考えを打ち消す。今更あとには引けない。

「エレナさんが本当に抱きたい人って、私じゃないよね。いつも隣にいる、あの娘だよね。」

 言った。

 言いながら、私はすでに後悔していた。やっぱりやめておけばよかった。そう思った。

 部屋の空気が、束の間凍り付いたように感じた。

 寂しげな笑みが消えた。エレナさんの口元から。

 みるみるうちに、今まで一度も見たことのない顔になった。驚き、とまどい、そして怯えが入り混じった表情。

 つらそうな表情。

 沈黙。

 沈黙。

 沈黙。

 長い沈黙があった。

 耳が遠くなるほどの静寂のあとで、やっと彼女は口を開いた。

「はい。」

 かすれた声で、エレナさんが言った。

 聞き取れないくらいの小さな声だった。

 やっぱり、聞かれたら正直に答えてくれる。素直な娘だ。嘘がつけないたちなんだろう。そして、私のことを尊敬しているんだろう。こんな私なんかを。

 あとは、「今すぐ家に帰って告白しなよ」とけしかけるだけだ。それで話は終わりだ。

 でもなぜか、できなかった。

 気が重かった。妙にけだるかった。

 エレナさんが背中を向けた。

 私は、見るともなしにそれを見ている。

「告白しなよ」という言葉の代わりに、「もう帰ろうか」という言葉が喉元まで出かかる。でもそれじゃあ、本当に何しにきたのかわからなくなる。

 って、え?

「エレナさん?何やってるの?」

 慌てて声をかける。背を向けた彼女は、全く予想外の行動を始めていた。

「何って…。御覧の通り、服を脱いでいるんですけど。着たまんまだと、できないじゃないですか。さっきの続き。」

 エレナさんが、服を脱ぎながら淡々と答える。なんだか、今しがたの会話がなかったかのようなふるまいだ。状況が飲み込めず、私はただとまどう。

「な、なんで?だって、キミ、だって…。」

「テス様は、一番好きな娘以外ともエッチできるんですよね?さっき、そうおっしゃいましたよね?」

 上着をはだけさせたまま、スカートを下ろす。エレナさんの赤い下着と、白い太ももがあらわになる。ひどくみだらな感じがして、反射的に目をそらしてしまう。

「え、そ、それは、言ったけど…。」

「あたしも一緒。あたしも、一番じゃない娘とエッチできるの。だからなーんにも問題ないの。だからさっきの続きをしましょ?ね?」

 問題ない…。そう、かな。そうかも。確かに二人ともそうなら、何も問題ない気もする。だけど、論点がずらされているような…。話の大事な部分が、置き去りにされているような…。

 うまく考えがまとまらない。目の前の光景のせいだ。

 好意を持っている美しい女性が、間近でゆっくりと裸になっていく。その情景をまのあたりにして、まともに思考できる人なんていない。

 はだけた衣服が、全て脱ぎ捨てられた。下着姿のエレナさん。いったんそらした目線が吸い寄せられる。

 しなやかな肢体。毎日お手入れをしているのだろう、艶めくような素肌だ。誰も足を踏み入れていない新雪を思わせるような。

 思わず手で触れたくなる。でも、だめだ。そうだ、まだ話は終わっちゃいない。

「だけどエレナさん、ミレ…」

 言いかけた私の口を、彼女の唇がふさいだ。

 黙らせるだけの軽いキス。

「その話は、もうおしまい。」

「……。」

 少し迷ったあとで、私は小さくうなずいた。

 そっか。そうだね。

 今はそれでいいや。

 面倒なことは、全部あとまわしでいいや。

「…だね。じゃあ、今度こそ始めようか。」

 私は、考えるのをやめた。

 私の自制心も、そろそろ限界だ。いや、とっくに限界は越えていた。

 私は元カノが一番好き。エレナさんはミレイちゃんが一番好き。でも今は二人とも、お互いと抱き合いたいと思ってる。

 だったら、いいじゃん。

 エッチしちゃえばいいじゃん、私。なんの問題もないよ。

 エレナさんと視線を交わす。この店に来て、初めて私の方から微笑みかける。

「それじゃあ、テス様の服も脱がせちゃいますね?」

「いいよ、自分で脱ぐから…。ん、あれ…?」

 背中のボタンをはずそうとする。

 手が後ろに回りきらず、上手にボタンがとれない。

 もたもたしていると、結局エレナさんが後ろに回ってはずしてくれた。恥ずかしい。幼児とお母さんみたいだ。久しぶりに肌をさらす照れと、性的な興奮も加わって、顔が熱くなっていく。

 だけど、そうだ。何も考えられなくなる前に、あれだけは言っておかなくちゃ。あれだけは約束させておかなくちゃ。

「でもさ、エレナさん。いっこだけ約束して。」

「なんです?」

「こういうことするのはさ…。あなたに本命の恋人ができるまで、だからね。」

「ふふっ。」

 ぞくり、と身震いする。私のうなじに顔をおしつけたまま、エレナさんが笑ったのだ。

「なんです、それ?ひょっとして、罪悪感とか持っちゃってます?」

「罪悪感というか…。」

「だいじょうぶですよ。」

 ワンピースが、腰の下まで脱がされる。

 柔らかくて温かいもの…エレナさんの乳房が、背中に押し付けられる。

 彼女の細い指先が、私のあごの下を撫ぜた。

「ねえ、テス様。二番目同士で愛し合うのも、きっと気持ちいいわよ…。」



 歌。

 エレナさんの歌声が聞こえる。

「金色の長い髪を、そよ風が揺らし…。」

 きれいな声だな、とうつ伏せに寝ながら思う。

 歌いながら、私の髪を撫でる。

 私は疲れてぐったりしている。精魂尽き果てていた。彼女は私と違って、経験豊富なようだった。まさか巨大化アイテム「ディグダム」を、あんなエロい使い方するとは…。

 そもそも私は、受け身であれこれされるのは、実は初めてだった。

 元カノとの間では、こっちがあれこれする側だったのだ。いろいろと初めて尽くしで、もうクタクタだった。

 ぼんやりと、エレナさんの歌に耳を傾ける。

 いいメロディだ。なんだか懐かしさを感じる。

 滅多に外出しないので、街の流行歌にはめっきり疎くなっている。でも、この曲は知っている気がした。

「なんか、聞いたことある気がする。昔の歌?」

「うん、十年前くらいの…あ、お茶飲みます?部屋に、備え付けで用意されてるんですよー。」

「おー、じゃ、お願い。」

「はーい。」

 朗らかに答え、エレナさんが立ち上がる。裸のまま、歌いながら奥の棚の方に行く。なるほど確かに、ティーポットみたいなのがいくつか用意されている。

「金色の長い髪を、そよ風が揺らし…。」

「おんなじとこばっか。そこしか覚えてないの?」

「好きなところだけ歌うのが好きなの。温かい方でいい?」

「あ、うん。」

 カップにお茶を注ぎ、味見をするように口をつける。そのカップだけ持って戻ってくる。私の分だけのために淹れてくれたのか。ありがたい。

「はーい。ちょっとぬるいですよ?」

「あんがとー。ぬるいの好き。」

「そう?」

 なみなみと注がれたカップに口をつけ、すする。あんまり味がしない。こんなんお茶じゃなく、ちょっといい匂いのするお湯だ。まあ、あのクソまずい食事を鑑みれば、十分上等である。

 半分くらい飲んだところで、飽きる。するとエレナさんの手が延びて、そっとカップを取った。私の残したお茶を、けだるげに飲み始める。

 脚を折り曲げてペタンと座りながら、自分の飲み残しをすする全裸の美女。

 その光景に、私は性懲りもなくムラムラしてきてしまった。十二分に堪能したはずなのに、やる気が再び湧いてきてしまった。

 カップから水滴がこぼれて、エレナさんの太ももに垂れた。

 私は前かがみになり、その濡れた太ももに口をつけた。

 エレナさんが嬉しそうに目を細めて、カップを横のテーブルに置いた。

「あらあら。テス様ったら、はしたないですよー?伝説のシルフ・ウィザードともあろうお方が、まるでワンちゃんみたい。」

 くすくす笑いながら、私の前髪を指ですくう。

「わんわん。ご主人様、ぺろぺろしたいわん。」

「やだー、かわいーっ。でも大丈夫―?テス様、上手にぺろぺろできますかー?」

「任しときー、さっきのお返ししてあげるわん。」

 などと、人間として底辺レベルの発言をしていると…。

 かあああああああん

と、どこからか間抜けな鐘の音が響いた。なんだなんだ。私の人間失格を告げる音か。

 いやまあ、普通に考えれば、お店からのなんらかのお知らせなんだろうけど。タイミングよすぎでしょ。

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