第20話 どうなることやら

 ヴァハドーラは、完全個室&完全防音の、リラックス空間が売りのレストランだった。

 特に、ソファーが素晴らしかった。

 フカフカででっかくて、ベッドみたいだった。

 ていうかもう、ベッドだった。きっと、食べた後すぐ横になれるようにという心配りなんだろう。私みたいなだらしない客のために。ありがたい。

 とにかく、最高のリラックス空間だった。

 そして、それに一点集中しているお店だった。

 つまり、料理はだーいぶお粗末だった。

 ぺらっぺらの薄いお肉、しなっしなの水気のない野菜、がびっがびの紙食ってるみたいな食感のパン、消毒液みたいな味のお酒と、いいところなんてひとつもない献立だった。

 ひとことで言えば、最悪だった。

「ご、ごめんね、まさかこんなことになろうとは…。」

 口をハンカチでぬぐいながら謝る。まずくても残せないのは、私の貧乏性ゆえか。

「いーえー。全然かまいませんよ、ふふふっ。」

 エレナさんは終始ごきげんだ。

 くそまずい料理の数々も、にこにこしながら平らげていた。味音痴なのだろうか。それとも、本当はゲンナリしているのに、こちらに気を使って完璧な演技をしているのだろうか。

「だってこの店って、うふふっ、メインデッシュはこれからじゃないですかー。」

「あ、そうなん?てか、エレナさんここに来たことあるんだ?」

「ありますよー、昔の彼女と。あたしだって、そんなうぶな女じゃないですよ。」

「うぶ関係なくない?…って、ちょ、なに?」

 エレナさんが突然、肩にしなだれかかってきた。なんだなんだ。急になんだ。ひょっとして、エロいことが始まるのか。おっぱじまってしまうのか。そういう流れなのか。

 確かにエレナさんは、ミレイちゃんの次に私のことが好き(たぶん)。なので、私と二人っきりになったらムラムラしちゃうのも無理からぬ話。ごくごく自然な欲求だ。でもなー、急にそんなこと言われても、心の準備がナー。照れ照れ。

「『なに』って、いやだテス様ったら、白々しいんだからー。ここって、そういうことするための場所じゃないですかー。」

「は?」

「いいですって、そんな知らないふりはー。カップルが、軽くご飯食べた後でエッチなことをする憩いの場、『恋人たちの家』。このあたりで、知らない人はいませんよ?」

「へっ?!」

 なんだそりゃ。なんだその設定。「いけてるカップルに大人気」って話を元カノから聞いただけで、詳しく調べもしなかったけど、そんな店なの?言われてみれば店内の内装とか、なるほどって感じだけど…。

 てゆうか、マジでエロいことする流れじゃん!

 誘われてんじゃん、私!半分冗談で言った(思った)のに、これマジなやつじゃん!

 だめだって、私はあくまで、あなた達の近親相姦の助力ができればと思って…。

「い、い、いや、初耳なんですけど?!そそそそんなつもりはなかったというか、純粋に食事をしにきただけっていうか…!」

「またまたー。いいですって、もう。そういう建前はー。」

 甘い香りが、すり寄せられたエレナさんの肉体から漂ってくる。香水と、汗の匂いだ。

 私のむきだしの膝に、小さい可憐な手が置かれる。

「待って待って、マジで待って!いったん落ち着こう!」

 あわてて、エレナさんの体を押しのける。いかん。これ以上はいかんよ。こっちの欲望にも火がついてしまうよ。

「いやほんと、知らなかったの!マジでマジで!だって、最初ミレイちゃんと三人で来るつもりだったんだよ?!ね?!」

「あ、それもそっか。じゃあ本当に、お食事だけしに来たんですねー。あらー。もー、テス様ったら。」

「わかってくれた?よかったよかっ、…た?」

「もう本当に、テス様ったら…。」

 うるんだ瞳が、こちらをみつめている。汗ばんだ掌が、私の手の上に重ねられる。依然として、やる気満々な感じだ。

 細長い指が、私の指にからむ。触れあった肌から、熱い体温が伝わってくる。

「いや、あのね、だから私、知らなかったんだってば…。ここがそういうお店だなんて…。」

「はーい。そのことはさっきうかがいました。テス様は何もご存じなかったんですよね?今あたし達がいるここが、恋人達が愛し合うための場所だってことも。あたしが、ずっとテス様とセックスしたいって思ってたことも。」

「せっ…、ま、まあ、そうね?知らなかった、知らなかった…。」

「ふふっ。」

 赤い唇が、微笑の形を作る。その艶めかしさに、思わず目が奪われた。

 それからエレナさんは、顔を私の耳元に寄せた。

「でも、もう知ってる。」

 湿った熱い吐息が、耳をくすぐる。

 ぞくりと、背中に快感に似たものが走り抜けた。

 鏡を見なくても、自分の顔が赤くなっているのがわかる。不意打ちプラス十年ぶりの色恋沙汰と言うことも相成って、十代の子みたいな反応をしてしまう。

 まずい、このままでは流されてしまう。まずいまずいまずい。いや別にまずくないのか?そうだ、成人同士が合意の上でエッチすることの、何がまずいというのか!あーいや、まずいよ、ミレイちゃんに期待させるようなこと言っちゃったし、いやでも。しかしその。けれどもだって。

「テス様はー、あたしとこういうことするの、おいやですか?」

「やややや、やじゃないけど、むしろ『やったー』て感じだけど、あのその。」

「ですよね?だってほら…。」

 エレナさんの手が、服越しに私の胸に触れる。

「ここ、こーんなにドキドキしてるもん。期待してるんでしょ…?」

 てゆうか、このタイミングでため語かよ。どきっとするじゃんかよー。って、だめだ。流されたらいかんのよ。

「いや、わ、私はいいけど、エレナさんは?」

「あたし?」

「だ、だって、よく言うじゃん。憧れと恋心は別ー、的な。ね?あなた今、自分の感情を恋と勘違いしてるんじゃないかなーって。そういう感じで、こういうことしちゃうの、どうかなーって。」

「まーっ、あたしの心情に配慮してくださってるんですか?さすがテス様、お優しいのですね!おっしゃる通りですわ。確かにあたしの感情は、恋じゃないのかもしれませんねー?」

 エレナさんが、かわいらしく小首を傾げた。いつも通りの、明るくチャーミングなほほ笑み。しかし…。

「でもね、テス様。」

 それはたちまち、媚態を含んだ微笑へと変わった。

 熱で浮かされたような眼差しで、私の目をのぞき込む。

「恋かどうかを決めるのは、キスのあとでいいんじゃない…?」

 私は思わず、その瞳に見惚れた。

 ゆっくりと、顔に吐息が近づく。

 唇が迫ってくる…。

「んっ、んん…。」

 柔らかで、温かい感触。キスで口をふさがれた。

 少しあいた歯の隙間から、ぬるぬるしたものが這入りこんでくる。

 エレナさんの舌。

 私の口腔を舐めまわす。舌と舌、唾液と唾液がからみつく。脳が痺れるような濃厚なキス。

「…テス様ってば、もうエッチな顔になってる。キスがお好きなんですね?」

 ふっと口を離し、エレナさんが言った。

 涎の糸が、私と彼女の唇の端につながっていた。それが、とろ…と垂れて、カーペットを汚す。

「ねえテス様。次は、どこにキスして欲しい…?」

 頭の芯がカーッと熱くなって、私はなんにも答えられない。頭だけじゃない。体中が火照っている。呼吸だけが荒くなっていく。

「だんまりですか?困ったなー。じゃあ、あたしが勝手に、いーっぱい調べちゃいますね。テス様のキスして欲しい場所、どこかしら…?」

 細い指先が、つ……と、私の鎖骨をなぞった。

 鳥肌が立つような、悪寒によく似た快感。…私の好きな感触。

 甘い声が、自然と私の口から洩れていた。

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