第16話

暗闇の中でぼんやりと揺れる影は「夢だよ」と言う。


その声がどうしようもなく優しくて、儚げで、冷ややかな恐怖はすこしも感じられなかった。むしろ穏やかな気持ちのまま身体を起こすと、影はベッドに浅く腰かけてあたしを見ていた。




「化けて出たのかと思った?」


「うん、少し」


「酷ぇな」


「だって急にいるから…。お盆にタイムスリップしたかと思った」


「まだ7月になったばっかなんだけど」


「うん、そうなんだけど、でも目を開けたら夏海がいるんだもん。ビックリしちゃった」


「香澄ってそういうの顔に出ないよな」


「ねぇ、触ったら透ける?」


「俺の身体がってこと?」


「うん」


「しないって。言ったじゃん、夢だって」


「じゃあ触れるんだ?」


「触ってみる?」


「ううん、大丈夫」


「…触れよ、そこまで聞いたなら」




夏海の口元が大袈裟に引き攣る。暗闇の中に薄っすらと浮かぶ輪郭は学生時代の名残を引き連れていた。しかし、あの頃より少しだけシャープになった顎が元々の端正さをより際立たせている。



去年の夏。


二人で行った海を思い出していた。

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