第26話 古の儀式 2

 実はセディ様付きの暗部は情報を得ていた。

 悪役令嬢と第二王子、なんか一線超えたらしいってね。去年の冬辺りかな。


 セディ様が婚約者に無関心だったから、こちらサイドは好きにすればというスタンスだった。


 僕も悪役令嬢については、日本人の転生者ならこの世界の貴族女性の貞操観念は合わないだろうなと気にかかってはいた。

 なんとなくの思い込みだけど、現代日本人なら好きあっている相手との婚前交渉は別に禁忌ではないだろう。

 だから盛り上がったら流されるかもとか、ぼんやり思っていた訳だけど……。(ちなみに僕の人生は、そんな風に盛り上がったことはこれまで一切ない。多分前世もない)


 心が通じ合っているのなら、そして責任を取れるなら婚前交渉は別に悪じゃない。前世の現代日本の価値観では。

 だけどまさかこの近代ナーロッパなアニメの世界で、貞操を何よりも重んじている貴族女性が婚約者以外の男と寝るなんて。


 ……身を任せてしまうほどに、そこまで第二王子を愛していたんだろうか、彼女は。

 それとも”悪役令嬢”という己の立ち位置に不安があったりして、拠り所が欲しくて誘われるままに身を任せてしまったのか。


 どちらにせよ彼女は、筋を通して第二王子と結ばれるべきだったと思う。

 

「だけど兄上も、男も女も節操なく相手にしていたじゃありませんか!

 僕と彼女の真実の愛を、そんな兄上に糾弾する資格は――え?」


 いつの間にかセディ様が神官から判定紙を受け取っていた。

 指先を傷つけ、判定スペースに血判を押す。

 赤い指紋の周囲に変化は現れなかった。




 セ デ ィ 様 、 童 貞 (そ し て 処 女) と 判 明 。




「「「「え……?」」」」


 おい四人。悪役令嬢と第二王子。ついでに役人と神官も。

 なぜびっくりしているんだ?


 遊び人と評判が悪かった第一王子だけど、それすべて正妃様に掛けられた冤罪だぞ?

 別にセディ様は悪い遊びなんてされていなかった。毎晩清く正しく一人寝をされて、たまーに暗殺を警戒して僕ら影武者が添い寝をしていたくらいだ。その際、いかがわしいことなんてしてもいないしされてもいない。


 いや実は僕も今、びっくりしてるんだが!

 遊ばれていないのは知っていたが、経験だけはされていると思っていた。


 だってセディ様だよ?

 この社会的立場のある方が未経験だなんて思わないじゃないか。

 身を守るためにも相手を知る”お勉強”を、貴族男性なら誰もが通る道らしいプロフェッショナルによる童貞卒業を、まさか経験していないなんて!


 あ……でも…………。


 セディ様は愛していなくても婚約者がいるのだからと、身を慎んでいらっしゃったのだろうか。

 その婚約者は異母弟相手に不貞をしていたのに……!


「――ウェナム公爵令嬢」


 落ち着いた声音で、セディ様は婚約者(まだ解消途中なので)に語り掛けた。


「俺はこの結果を世間に公表するつもりはない。

 だが、決して俺の有責だとも思われたくない。だから古の儀式での婚約解消を望んでいる」


 ウェナム公爵令嬢は俺との婚約を解消し、カニンガム国の政情を安定させるためにそのままデイビットと再婚約し、いずれ婚姻する。

 新たな婚約時には古の儀式にこだわらず、今風の純潔を確認しない婚約をすればいい。だが俺の名誉を守るため、この婚約解消は古の儀式にのっとって行ってもらう。


「改めて宣言する。

 俺はこの儀式の結果がどうであれ、世間に公表するつもりはない」

「……秘密にしていただけるのですね?」

「好きあった相手同士が、婚姻を待たずに婚約期間に結ばれてしまうのはよくある話だと聞く。

 二人の関係の始まりはそちらで適当にごまかせばいい」

「――――」


 悪役令嬢が動いた。

 神官から純潔判定紙を受け取り、血判を押す。

 紙の四角く区切られたスペースが金色に染まった。金髪の男と寝た証だ。


「……セドリック様は、初めてお会いした時から私に関心がおありではありませんでしたよね。

 愛されない婚約だと最初から理解していました。

 だから私はデイヴ様に惹かれ、お慕いするようになったのです……」


 いやそれ、浮気の告白。


「トリシー……」


 第二王子が神官から予備の判定紙をひったくるように奪い取った。

 自分の血判を押し、銀色に染まったその紙をセディ様に見せつける。


 ……浮気の証拠……。


「僕たちは真実の愛で結ばれているんです、兄上!

 トリシーは必ず僕が幸せにします!」


 どうぞ、この判定紙はお渡しします。

 そう言って第二王子は、自分と彼女の不貞の証をセディ様の前へと差し出した。


「――だけど、本当に兄上が約束を守ってくださるかは分からない。

 だから兄上、この結果を決して世間に公表しないと、魔法契約を行ってもらえませんか?」

「魔法契約?」


 クッとセディ様がおわらいになった。

 きっと思っている、『よりにもよって』って。


 もう第一王子の命を狙わないと正妃様が誓ったはずの魔法契約。それが破られた事実をこの息子はまだ知らないのだろうか。


 魔法契約は貴族間で、信義に基づいて行われる契約だ。

 破れば神からの加護を失う。だが言い換えればそれだけで、神の加護なんて不確かなものを信じていなければほぼ実害はない。

 そして”魔法契約を破った者”としての汚名を貴族社会で背負う程度の代償。

 破った者に権力があれば、汚名など誰も口にしない――。


「……よかろう。当事者以外に広めるつもりはないと魔法契約を立てる。

 契約は守るさ。どこぞの御方とは違うからな」

「殿下」

「――もう殿下ではなくなった、イアン」


 先ほど王族籍離脱の書類にサインをしたセディ様は、悪役令嬢と第二王子の純潔判定紙を受け取り、自分の分も重ねてイアン様に手渡した。


「後は任せる」

「――御意」


 深々と緑髪の頭を下げたイアン様が、判定紙を持って応接室を出ていった。


 神官が出した魔法契約の誓紙に、契約内容を記したセディ様がサインをする。

 婚約解消の書類にも双方がサインし、ロマンシア学園の生徒会室でセディ様が倒れられ(たという理由でドロップアウトし)てから四か月。

 正式にセディ様と悪役令嬢の婚約は解消された。


「――では、帰るといい、二人とも」


 金色の瞳を細め、美しくセディ様が微笑む。

 部下の僕たちは見慣れた、そして悪役令嬢と第二王子はまったく見慣れていないだろう笑顔だ。


「このレイクウッドでこれからの二人の幸せを祈っていよう」


 何か言いたげに悪役令嬢が顔を上げる。

 だが結局、何も言わなかった。


 第二王子に促され、ソファーから彼女が立ち上がる。

 その時、ノックの音が響いた。

 正確には応接室の扉ではなく、外に面した窓から。


 側に控えていた同僚が、合図にいつもそうしているからと、当然のように窓を開けた。


「キュー!」


 部屋の中に飛び込んできたのは小さな白い竜。

 食後の散歩に出かけたレイクが、満足して戻ってきたらしい。


 僕の胸に飛び込んでくるレイク。

 甘えている。来客がいるのに気付いていると思うのに、無視して体をすりつけ、喉をグルグル言わせている。


「ど、どうして?!」


 応接室に悪役令嬢の絶叫が響いた。


「どうしてスノーホワイトがいるの?!

 スノーホワイトは、ゲームのセドリック王子ルートのトゥルーエンドにだけ出てくるはずなのに!!」

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