第24話 湖の日々 3

 レイクウッドに到着してからこちら、平穏な日々が続いている。


 髪色を戻したことにより、同僚の皆の雰囲気が明るくなった。

 これまでは黒一色だったからね。黒髪、黒スーツ。学生組は制服の深緑だったけど。

 それが白シャツにグレーのズボンになった。上着やベストは、夏なので着用義務はなし。


 とうとう我が職場にもクールビズの波が押し寄せたか。関係者以外はいないからそこまで身なりを気にしなくてもよくて、シャツの袖はまくっているけど。

 だが皆、ネクタイは変わらずしている。しないと落ち着かないので。

 緩めるのも可になったから、結び目は各自次第だ。

 僕はきっちり派。崩すと似合わないので……胸のチラ見せが似合う、大人の色気が欲しい。




 暗殺の危険がなくなったセディ様も、のんびりと過ごしていらっしゃる。

 いずれ就任されるだろう大公職のお仕事を学び始めたセディ様だが、まだ慣らし段階。

 午前で済ませ、午後は遠乗りに出たり湖まで散歩に行かれたりしている。


 遠乗りは各自に合わせた馬の用意があるので予め同行する順番が決まっているが、散歩は毎回メンバーに選ばれている。

 というか、徒歩での散歩は僕とセディ様の二人きりなことが多い。


 襲撃がないからねぇ。

 若輩一人でもセディ様の護衛は出来ると判断されたのだろう。


 王都を出てからこちら、セディ様との絡みが多い気がする。

 学園では一介の護衛兼従者兼クラスメイトで、壁際から見守ることしか出来なかったんだけれど。

 退学してから段々と、お側にいることが多くなった気がする。




 僕とセディ様は今日も散歩だ。

 焼いた板を地面に埋め込んで急きょ作った新しい道は湖に通じていて、まばゆく水面を輝かせる湖畔をゆっくりと歩く。

 少し前を歩いていたセディ様が振り返って僕を見た。

 険のない、穏やかに光る金の瞳が美しい。


 足を止めて見つめられて、僕も歩みを止める。


「――アレク。

 あと十日ほどしたら、役人と神官がこの地を訪れるのは聞いているか?

 俺の王籍離脱と正式な婚約解消の手続きをするためだ」

「はい、聞いています」


 なんでしたら暗部一同、その日を心待ちにしています。


 まだまだ王族として複雑な手続きを取らなくてはいけないセディ様。

 建前として、体調を崩したので退学→僻地で療養→だが良くならず王籍離脱・婚約解消の流れを順序だって消化していかなくてはならない。

 なので僻地レイクウッドで療養中の今はまだ婚約者のいる王子。

 書類を持ってやってきた役人と神官の前で手続きを済ませ、婚約解消。王子も辞めて臣下の大公となる。


 セドリック・レイクウッド。

 レイクマウンテンの麓までという、小さな小さな直轄領を与えられる一代限りの大公だ。


 セディ様が少しためらった様子を見せた。

 だがすぐに決意を秘めた眼差しで僕を見る。


「……今の俺はまだ王子。婚約者もいる身だ。

 だから何も告げることはできない。だが思いを自由に告げられるようになれば、その時は」

(人の子たち久しぶり! 探したよ!)

「――――」


 いつの間にか、音も気配もなく、緑色の大きな竜が湖のほとりに舞い降りていた。

 知っている竜だ。

 つい最近、危ないところを助けられたポケットなモンスター。

 よいしょとくわえていたバスケット籠を下ろし、首と羽根を伸ばしてクォロロロと満足そうに鳴く竜。


 どこか遠い場所で、こっそり見守っていた暗部先輩が慌てている気配が伝わってきた。

 大丈夫、とセディ様を庇うように立ち、ハンドサインを送る。

 この竜に敵意はないです! 下手に刺激する方が怖いので、そのまま見守っていて下さいーっ。


 セディ様はじっとしている。守られ慣れた方だから、それが最善と判断したのだろう。

 なんだか話が途中でぶった切られましたが、気にしないでください。


(湖の山に人の子がやってきたって仲間から聞いてさ。お願いがあって探していたんだ)

「ひ、久しぶり。

 仲間から聞いたんだ? で、お願いってなんだろう?」

(仲間はこの山に棲んでいる竜だよ。たまに空を飛んでいるだろう?

 うるさくしない限りは、私たちは人に対して何もしないから安心して。うるさくしたら怒るけどね)


 絶対にうるさくしない。


 僕の心の中を読み取れる竜が、楽しそうに念話で笑っている。


(……実はさ、私の坊やが人の子の話をしたら興味を持って。

 しばらく身近に置いて、人の世界を経験させてやってくれない?)

「――は?」


 ぴょこんと、バスケットの中から小さな竜が顔を出した。

 真っ白な仔竜だった。両手で抱くサイズのぬいぐるみみたいに可愛らしい竜は、銀色の瞳で僕を見上げ、楽しそうにキュルッと鳴き声を上げた。


(やっぱり人の子が気に入ったみたいだね。

 それじゃあ、坊やが飽きるまでよろしく頼んだよ。

 その間、私は奥さんと旅行するの。ふふふ)


 楽しんでくるねーと、浮き上がった緑の竜がまた一瞬でいなくなった。

 風一つない鏡のような水面の湖のほとりに、取り残されるバスケットの中の仔竜と僕。


 時が止まったかのような静かなカルデラの中に、突然いくつもの竜の鳴き声がこだました。


(よろしくねー、人の子たちー)

(子どもにお世話させることになってごめん。竜は自由な生き物だからさー)

(緑のはずっと旅立ちたくて、お世話係をさがしていたからね。土産は期待しているといいよ)

(まだその仔に名前はないから、仮称でつけて。仮称なら魂は縛られないから)

(あ。まだ念話の使えない仔だけど、人の子の言葉は理解できているから安心して)

(なにかあれば私たちを頼ってもいいからね。竜の仔をよろしくねー)


 盆地の周囲を囲む外縁部から、何匹もの竜が姿を現して空を飛んでいる。

 荘厳な光景だった。念話の内容さえ聞こえてこなければ!


 え?、緑の竜は奥さん竜と一緒に旅をしたかったんだ?

 で、坊やのお世話をお願いと、僕に託していった訳だ? お礼は後でちゃんと渡してくれるらしいと。


 ――自由だな!


 断れないお願いだった。だって立ち合いの竜があんなにいるんだもの。

 それに僕たちは既に一度、緑の竜に助けられている。


 助けを求めたら気軽に駆けつけてくれた。

 そんな竜が坊やをお願いねと託してきた。軽い感じだったけど、それでもこちらを信じてくれていた。

 その信頼にはちゃんと応えたいなと思う。


「……この仔竜、レイクウッドで育ててもいいですか?、セディ様」

「ああ。一緒に育てよう」


 微笑みながら頷いてくれるセディ様。


 竜の仔がパタパタと羽根を動かしながら浮き上がり、セディ様の前に移動した。

 キュウキュウと楽しそうに鳴いて、セディ様の肩に止まる。


「……それを伝えるのは禁じる」

「キュワッ!」

「いいんだ。

 アレクの元へ行きなさい」


 どうやらセディ様と仔竜は念話で話していたらしい。すでに仲良しだ。

 言われた仔竜が僕の肩に移動して止まる。長い尻尾を首に巻き付け、安定した姿勢で肩の上に落ち着く。


 クゥルルという鳴き声と共に、仔竜の満足感が伝わってきた。言葉ではなくイメージだけの念話だけと、ちゃんと相手の感情が読み取れる。


「……アーヴィング博士はこの場にいないことを残念がるだろうな」

「そうですね。早く来たらいいのに」




 人懐こい仔竜はすぐにレイクウッドのアイドルになった。

 仮称の名前は選挙で決定。レイクウッドなので「レイク」と安直に。それでも本人(本竜)は気に入ったらしい。

 呼ばれれば小さい羽根をパタパタ動かして、おやつをくれる相手の元に移動している。


 一番レイクに好かれているのはセディ様だ。次点が僕。

 ……どうやら竜の聖女という肩書は、竜に好かれるというものではなかったらしい。


 相手が子どもなら、助けを求められたら助けるよ。大人は自力で何とかしろ☆、というような判断基準らしい、竜は。

 レイクがイメージで教えてくれた。


 なるほど。子どもヤってない大人ヤってるの判断基準でそうなるのか……。

 ジョシュは本当に早くこっちに来ればいいのに。学会的に新発見ラッシュじゃないかなと思うんだが。




 そんなことを考えていた夏の日。

 レイクウッドにその客は訪れたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る