第23話 湖の日々 2
レイクウッドに建てられた王家の別荘に到着した。二階建ての白を基調とした瀟洒な建築群だ。
セディ様の住むことになる本棟。
台所も食堂も広間も娯楽室も詰め所もあるので、基本こちらメインで皆が活動することになる。温泉が引かれている風呂もある。
使用人棟。
本棟より簡素な、僕らに与えられる私室がある棟だ。二階建てが三棟あって部屋数に余裕があるので個室がもらえた。
使用人専用の簡易食堂とシャワールームもあるが、セディ様が許可を下さったので本館の広くて便利な施設を皆で利用させてもらう予定。エコというやつだね。
客人用の棟もいくつか並んでいる。
多分、一棟はジョシュたちの研究室で使うことになるんだろう。が、いつ来るんだろう?
大きな機械を持っての引っ越しになるはずだが、雪が積もる前に来れたらいいんだけど。
あとは厩舎とか倉庫とかいろいろ。
離れた場所に露天風呂のある温泉施設や休憩施設も点在しているらしい。山すそとか森の中とか湖のほとりとか。
聖地巡礼か。せっけんを入れた桶を抱えて全か所回ろう。
警護してもらっていた国境警備兵が帰り、皆で本棟前の広場に並ぶ。
セディ様とイアン様のお言葉を聞いて、本日は解散だ。自分の部屋で荷物を解いて、ゆっくりしていい許可が下りた。
食事とか身の回りを担当する当番は残るけど。僕も残るけど。
そういや僕、料理当番の回数が今後は少なくなるらしい。
もう毒を仕込まれることはなくなるだろうから。週に一度、麓の町から配送を頼むことになるのでその時立ち合いするだけでよくなった。
まあ、料理を作るのは今後も変わらず手伝うつもり。
でも家庭菜園で野菜を育てるのも興味があるんだよな。使用人棟の裏手を有志で耕すんだ。楽しみー。
今後の愉しみにうっとりと思いを馳せていたら、薬の小瓶が配布されていることに気づいた。
「セディ様が、各自の髪色を黒髪から元に戻すように言われたんだ。
本来の自分に戻ってほしいって。もう髪を黒に染める必要はないだろうから、って」
話を聞いていたヒューが教えてくれる。
正妃様からの暗殺を防ぐためのダミー作戦。
敵が侵入出来ないこのレイクウッドでは、もう影武者を用意する必要がないんだと理解する。
そうか、と手のひらの小瓶を見つめながら僕は思った。
もうセディ様の命を守るため、一つのベッドで一緒に眠る必要はないんだ……寂しいなんて思っていないぞ?
元々、任務だから影武者を演じていた訳だし。
命を懸け、体を張っていたんだ。必要がなくなったのならほっとする。
――それでも夜更け。
彼の方と布団の中に潜り込みながら、いろんな話をするあの時間は好きだったかな……。
「あー、解除薬を飲んで一晩経てば、染色薬の効果はなくなるんだっけ?」
地毛が黒で薬を飲む必要がなかったヒューの問いに頷く。
暗部印の染色薬は飲み薬だ。
一晩で毛が根元まで綺麗に染まり、後は一月に一度、継続薬を飲めば染色が維持できる。
元に戻すときには解除薬を飲んで、一晩経てば元の色に戻っている。
副作用のない、安全安心な薬だ。
「他の先輩方の、元の髪色が楽しみかも」
「だな。
アレクも久しぶりに元に戻すんだろう? 本当の髪色のピンクに」
「えっと、ピンクと言えなくもないけど、どちらかというと薄い赤って感じだったような……」
アーヴィング家に引き取られてすぐ黒に染めたからね。実はあまりはっきり覚えていない。
でももしかして僕、あの頃にはセディ様に仕えるって決まっていたのかな……って、あれ?
僕は首を傾げた。
「ヒューと知りあったのって、僕が学園に入学してからだよね?
何故、染める前の髪色を知ってるの?」
「――――まだ秘密」
第三騎士団長の息子、本来なら暗部の役割を負わないはずの高位貴族の養子は、楽し気に立てた指を唇にあててみせた。
そして夜が明けた。
「こ、これは……」
使用人棟でもありがたいことに、トイレと洗面所は個室ごとに備え付けられている。
洗面所の鏡の前に立ち、僕は困惑しながら自分の前髪を一房つまんだ。
ピンクだ。
ベビーピンクと呼べばいいんだろうか? 少し白っぽい、甘くて可愛らしいピンク色。
僕、子供の頃もこんな色だったっけ。もしかして成長して、色味が変わったんだろうか? 幼い頃の健康状態はそこまで良くなかったから、うっすく退色してたのかも。
しかし、赤毛が成長したら金髪に変化するって話を聞いたりしてたが、これはストロベリーブロンドとかそういうものじゃないな。見事なピンク。
黒髪からピンクへの変化は違和感がすごい。
でもすく慣れるだろうし、きっと先輩たちの変わりようの方が面白いはず。
昨日のうちに配布されていた、帽子をかぶって部屋の外に出る。
髪の毛はすべて帽子の中にしまった。
地毛が黒髪じゃなかった者は髪を隠して集合して、一斉に披露しようという話になっているので。
ノリがいいよね。完全な娯楽だ。
でもまあ、皆が楽しいならいいんじゃないかな。僕も皆の本当の髪色を楽しみにしているし。
前もって指示されていた本棟の食堂に集まると、集まっていた同僚はほとんどが帽子をかぶっていた。
そう、地毛が黒髪って案外少ないんだよ。金髪とか茶髪が世間では多い方じゃないかな。
黒髪のヒューは帽子を被らず、隣の席と話をしている。
「おはよう、ヒュー」
「おはようー、アレク。
やっぱりおまえの地毛ってピンクだな。眉の色で分かる」
「それはまだ指摘しないお約束。
一斉に見せる楽しみがなくなるだろ……あ、セディ様がいらっしゃった」
座っていた者も立ち上がり、一斉にセディ様を出迎える。
食堂に姿を現したセディ様の背後、イアン様も帽子を被っていた。黒髪じゃなかったんだ……。
セディ様の朝の挨拶があり、朝食前に髪色披露があった。
えいやっと勢いをつけて帽子を脱いで、わりと珍しいピンク色の髪を披露する。
周囲の同僚たちはだいたい金か茶色。そんな中、帽子を脱いだイアン様は珍しい緑色の髪だった。
前世ではゲームやアニメでしかありえなかった、でもこの世界では数は少ないが存在する髪色。
……もしかしてイアン様も、ゲームの攻略対象だったりしたのかな。
白髪のジョシュと同じく、緑色の髪のキャラはアニメで見かけなかったけれど。原作ゲームに出てたのなら、未経験な僕にはまったく分からないからな……。
イアン様の髪色は緑だけど、白髪がかなりあった。
若白髪な体質なのか、苦労をされていたせいなのか。ご本人も周囲の指摘に苦笑されている。
「……その白い髪は、俺の為に増えた色だ」
「ならこれは私の胸を飾る勲章と同じです……」
優しく笑いあいながら話しているセディ様とイアン様の台詞の断片が聞こえてきた――。
はい、惚れた!!
なにその、主従の理想的なやり取り。
惚れるだろ、そんな風に仰ってもらったりしたら! 惚れてまうやろそう返されたら!
いいなぁ、セディ様とイアン様のお二人って。
……でもそんなお二人だが、イアン様はもうすぐいなくなる。
セディ様にお仕えするのは変わらないけれど、落ち着いたら山の麓の町にお住まいになるんだ。
実はご家族持ちなんだよね、イアン様。
奥様と二人のお子さんがいらっしゃって、麓の町に呼び寄せている。
麓で大公であるセディ様の代官として働き、月に数日だけ、打ち合わせのために山を登って通ってこられるようになるのだとか。
さみしいけれど、セディ様ご本人が納得されたのなら受け入れないと。
しんみりしている僕のところに、ヒューがやってきた。
「よお、ピンクちゃん。可愛い色じゃないか」
なんだ、そのふざけた呼び名は。
「ううん。
ピンクってああいう色だと思う。僕の髪はやっぱりくすんだ赤じゃないかな」
「え……?」
僕が指で示した先を見たヒューが言葉をなくす。
そこには見事なショッキングピンク色の髪の先輩がいた。
身長一メートル九十センチ。巌のような強面の暗部先輩。
だけど髪の色はファンシーなショッキングピンク。
「あー……うん。たしかにあれは真のピンク……」
「だよね」
少しは珍しいはずの僕の髪色も、イアン様の髪色の印象も彼方に飛ばしてみせるインパクトカラー。それがショッキングピンク。
僕ごときがピンク髪なんて名乗ってはいけない。
そう深く理解した朝だった。
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