第19話 竜の聖女 4

 この世界には”竜”と呼ばれる巨大な幻想生物がいる。

 前世でイメージするのがまずジェラシックな映画。ハンターとなって一狩りする方でもいい。


 リアルで猛々しい感じが竜のイメージだと思うんだが、この世界の竜は違う。

 原作が乙女ゲームですから。竜もビジュアルだけは可愛いんだ。

 たとえるならボールで捕まえるポケットなモンスター。あれくらいビジュアルは可愛らしい。


 ――ビジュアルは。

 気性はまったく違うけれど。




 ごうと大気が揺れた。強大な気配が一瞬で近づいて、通り過ぎていく。

 強風に煽られ、車が一瞬制御不能になった。すぐに運転席が立て直していたけれど。

 銃撃が止み、代わりに容赦のない破壊音と悲鳴が聞こえてくる。

 窓の外、いびつにゆがんだ車体が宙を飛んでいくのが見えた。丘の向こうに消え、爆発音と共に黒煙が立ち昇る。


「……っ、

 次の指示はある?、ジョシュ!」

「く、車はゆっくり止めて! 竜を刺激しないように!」


 ジョシュの声が聞こえたのだろう。

 イアン様の指示を待つことなく、車が動きを止める。ついでにエンジンも切られた。


「えっと、それから……アレクは武器を持たずに外に出てほしい。

 そしてもし竜が近づいてきたら、助けてくれた感謝の心を伝えてほしいんだけど……各地の伝承ではそれが正しい、命の危険はない……はず…………」


 うわぁ、どう突っ込んでいいかわからない。


 解明していないんだね、その辺り。検証できなかったのなら仕方ないか。


 元は乙女ゲームの世界だから、ふわふわでかわいらしい設定だと信じていいんだよね?

 この世界、僕の認識じゃめちゃくちゃリアルでハードなんだが。

 でも竜研究の第一人者であるはずのジョシュが言うんだ。きっとそれが正しいんだろう。


 それに……このままじゃこちらの車にも危害を加えられる恐れがある。

 スケープゴートを作らないと。


「ごめん。俺も一緒に出たいけど、聖女の資格を持たないから」


 姿を出さない方がいい、と沈痛な表情で男の娘が語るのを、白髪の頭をぽんと叩いて了承する。


「いけるか、アレク」

「行きます。このまま皆さんは身を潜めていてください」


 イアン様の問いに答え、『竜笛』をジョシュに返すと車のドアを開けた。


「アレク」


 僕の腕にセディ様が触れた。


「――頼む」

「はいっ」


 本当はこういう時、表情を出すことなく返答しなくちゃいけないんだけど。

 あえて笑顔で僕はセディ様に頷く。

 今後の展開が心配だろうからね。少しでも安心させなくちゃ。




 車の外に出ると、後方には地獄が広がっていた。

 追っ手の車は五台のはずだった。もう無事な車は存在していない。

 縦横無尽に破壊され、草地のあちこちで炎を上げて燃えている。

 一緒に走っていた仲間の車は、身を挺して庇い続けてくれていたので既に脱落している。おかげで巻き込まれてはいないみたいだ。


 ぱっと見たところ、相手側は全滅か。

 こちらは命を狙われたので、別に何とも思わない。

 殺す方も殺される覚悟くらい持っているのは普通。暗部の世界では。


 敵を殲滅し、頭を天に上げて勝利の咆哮を上げていた竜が、ぐるんをこちらを見た。


 大きさは前世の路線バスくらいか。全長は約十メートル。体高は三メートルに届かないくらい。

 見た目は東洋の龍ではなく、西洋の竜。おそらくまだ若い個体。

 色は緑で、ポケットなモンスターをスリムにし、羽根をもっと大きくした感じだ。


 立っている僕に気づき、短くて太い後ろ足を動かして近づいてくる。

 やってくるぬいぐるみのようなビジュアルの竜に、思わず苦笑してしまう。


 僕の魂が元々この世界の人間じゃないからなのか、竜の聖女と呼ばれるという存在だからか。

 恐怖はまったくない。むしろすごく可愛く感じているんだが。


(かわいい?)


 キュルッと鳴きながら、竜が首を傾げた。

 体格は大きいけれど愛らしいポケットなモンスターが、小首を傾げるポーズなんて取ったらもう、


「ものすごく可愛い!」

(ありがと!)


 クルルルと上機嫌になった竜が鳴く。

 ところでこれは念話? 鳴き声に混じって心の声が響いて聞こえる。


(そう、念話。

 人の子は声に出して普通に喋ればいいよ。どっちも聞き取れるからね)

「便利だね」

(そう、便利。

 ふふふ、そういってくれる人の子は久しぶり。最近は話しかけてくれる人の子がめっきり減ったから)


 うれしそうにびたんびたんと尾を振っているが、地面を叩くのは抑えてくれるかなぁ。

 振動でね、立っているのも大変というか……。


(あ、ごめん)


 心の声が聞こえたらしい竜が尾を振るのを止めた。


「――改めて、助けてくれてありがとう」

(どういたしまして。車の中の子も、無事でよかった。

 びっくりしたからもう赤い煙はやめてね。音と人の子の祈りがあれば十分)

「色のついた煙はなくても呼べるんだね。わかった」


 竜は頷くと首を伸ばし、僕の頬をべろりと舐め上げた。

 怖くはなかったが、突然の接触にはびっくりする。舌が温かい!


(ふふふ、おまじないだよ。幼い人の子が楽しい旅を続けられるように。

 坊やが待っているからもう帰るね。それじゃ)


 ばさりと羽根を広げ、巨体が浮き上がった。竜特有の魔法らしく、周囲の風の動きはない。

 こちらを驚かせないようにという配慮だと、何故かわかってしまう。


 羽根が動いたかと思うと、一瞬で東の彼方に姿が見えなくなった。

 あっという間の出来事だった。




 そこからはお祭り騒ぎで。


 興奮したジョシュが泣きながら飛び出してきたのを受け止めて。

 運転席と助手席から疲れ切った暗部の先輩たちが転げ落ちて。

 イアン様が腰をさすりながら出てきたと思えば伸びをして。(僕が重かったのならすみません)


 周囲の安全を確保するまでは車外に出ないという鉄則を守っているセディ様が、それでも開けた窓越しに金の瞳をキラキラさせてこちらを見ていたから、彼の方も男の子なんだなぁと思うと楽しくなった。

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