第17話 竜の聖女 2

「アレク処女だったのー?!」


 隣から絶叫された。


「え?、俺の弟可愛いのに。

 どこの誰とは言わないけど目の前の不品行王子他に、あらがえない権力で命令されてぺろぺろされていると信じてたのに!」


 セディ様はそんな横暴な方じゃないよジョシュ?!


 ……処女や童貞が悪いという考えはないけれど、このいたたまれない気持ちはなんだろう?

 あ、ほとんど個人情報の思い出せない僕の前世だけど、なんとなく魔法使いだった気がするー。魔法はあの世界に存在しなかったから、三十歳過ぎたらなれるアレだけど。


 特にセディ様とイアン様からの𠮟責もなく、それどころかジョシュと同じように興味を持っているようなので、咳払いして説明する。


「……体を使えという命令を受けていないから、まだそういうことはしていないの」

「め、命令があればするんだ?」

「任務だったらいやも何もないでしょ」


 モブの下っ端は、仕事を選ぶなんて出来ないんだよ。拒否権もないし。

 このエセ乙女ゲームの世界はシビアだから、使えない暗部なんて”処理”一直線だ。

 ただし、今までのところ体を使えっていう命令はされたことがない。暗部には色事専門のプロフェッショナルがいるしね。

 所属してきた職場もホワイトな場所ばかりだったし。


 それ以外ではまぁ、貞操の危機もあったが全部逃げ切っているぞ。

 世の中にペド(小児性愛者)や同性愛者って案外多いんだなって感じ。

 自力で逃げたり、助けてもらったり。おかげでまだ性病の脅威にはさらされていない。


「セドリック殿下は部下にそういう命令をされる方じゃないし、プライベートでまだ経験していないのは好きになった相手がいないから。以上」


 三人の視線があからさまに僕に向けられた。目が見開かれている。


 え? なにかへんなこと言った?

 普通じゃないの、好きな相手とセックス(この単語恥ずかしい……)するのって。あ、でもこの世界、金のために売春するって別に珍しくもなかったっけ。乙女ゲームのはずなのに。


 セディ様が金色の瞳で僕を見ながら口を開いた。


「……アレクは」


 その時だった。突然、車がスピードを上げた。がくんと体が揺れる。


「どうした」

「――追いつかれました。後続車が対処中です」


 イアン様の問いに、仕切りの向こうにある運転席が答えた。

 どうやら正妃様の嫌がらせが到着したらしい。


「このまま速度を出して離脱を試みます」

「逃げ切れるのか?」

「――交戦になるかと」


 両脇の窓のサイドガラスと、後方のリアガラスには黒いスモークフィルム(何故か存在している。ゲームの世界の文明水準はちぐはぐだ)が貼られているので、内部から外の様子は窺えない。

 なのでシートベルトを外して半分だけ窓を開ける。懐に忍ばせていた手鏡を取り出し、身を隠しながら後方を確認した。


 こちらと同じ黒塗りの車が二台、後続車を挟みこむように並んで走っていた。

 サイレンサーを付けた銃が開いた窓からつきつけられ、一方的に弾を撃ち込まれている。


 よく見るカーチェイスだ。ただ脅すだけの銃撃。

 こちらも防弾ガラスや強化装甲で対処し、やりかえしはする。だけど窓ガラスが砕けて中に乗っている人間が死傷したり、ハンドルさばきを誤って事故が起きたりはする。

 しかし襲われたと警察等に訴えても、いつの間にかなかったこととして揉み消される――。


 猫がネズミをいたぶるように仕掛け続けられる、正妃様の嫌がらせ。


「噂は聞いていたけど、女の嫉妬って怖ぇ。

 苦労してるんだな、王子」


 同情の眼差しをジョシュから向けられ、セディ様が唇をゆがめた。

 イアン様が沈痛な表情を浮かべて呟く。


「――もう嫉妬などではないでしょう。

 八つ当たりをせずにはいられなく、誰も止められない。陛下でさえ……陛下だからこそ」

「反撃はしてもいいんだよね? しようか、反撃!」


 シリアスな空気を読まずにジョシュがぶった切った。赤い瞳がキラキラしている。


「ちょうど良い装置を持ってきてるんだ。

 使い手が聖女である必要があったんだけど、タイミングよくここには聖女が! 実験させてほしい!」

「聖女?」

「違った、処女!」


 僕?!


 ジョシュがシートベルトを外し、身を乗り出した。

 並んで座るセディ様とカール様の真ん中、突き出したひじ掛けをぐるんと奥まで倒し、現れた穴に細い体を突っ込んでいく。


 そう、実はこの車。後部座席のひじ掛けには仕掛けがあるんだ。

 そのままなら普通のひじ掛け、上に持ち上げれば背もたれに組み込まれてフラットに。奥まで倒すと後部のトランク内部と繋がる穴が現れる。

 午前中の移動で、カール様が飲み物を取り出したのを見ていたのだろう。

 ジョシュはそのままトランクの中を漁りだした。


「そうそう!

 進路を東にとってほしい! ここら辺はなだらかな草原が続いているから、道から外れて全速力で走って!」


 足をばたつかせながらジョシュが叫ぶ。


「東に何かあるのですか?」

「最近、はぐれの竜が棲みついた!

 竜のテリトリーに入ってこちらに注目させれば、追っ手は退くはずー!」

「イアン。博士の助言通りに」

「はっ。

 道を外れて東へと一直線に向かえ!」


 イアン様が運転席に指示を出す。ハンドルが切られ、車体が大きくバウンドした。

 家畜の放牧に使われている広い草原の中を、車がスピードを上げて走り始める。半分開けたままだった窓から、前を走っていた仲間の車がUターンするのが見えた。こちらの後をついてくるのだろう。


 セディ様がシートベルトを外し、ジョシュがさっきまで座っていた僕の隣に移動してきた。

 そちら、狭くなりましたからね。王族も気にすることなく騒がしい義兄ですみません。


 草原の中を爆走する車列。

 サイレンサーでくぐもった銃声が追いかけてくるのが聞こえる。カーチェイスはまだまだ続くようだ。


「アレク。

 博士とは仲が良いのか?」


 小声で尋ねてくるセディ様に、苦笑しつつ僕は頷いた。


「孤児院にいた頃から。

 お互い、本当に血の繋がった兄弟のように支えあって生きてきました。アーヴィング家に一緒に引き取られて良かったと思っています」

「そうか。それならばよかった」


 隣で微笑むセディ様。

 優しい方だな。ご自身の半分血の繋がった弟とはうまくいっていないけれど、まったく血の繋がりのない僕とジョシュのことを気にかけてくださる。


 ありがとうございますとお礼を言おうとしたけれど、斜面を駆け上がってジャンプした車の揺れが激しくて。

 まだお互いシートベルトを戻していないせいで、向き合った体勢のまま僕はセディ様の胸へと飛び込んでしまった。


 びっくりした! そういえばまだ嫌がらせ続行中!

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