#2 天使との邂逅

 目が覚めたというか、あらゆる音が聞こえなくなってから、目が開くようになった。

 先程の苦しみから打って変わって、不思議と体が軽い心地だ。

 このときの俺は、痛みがおさまったものだから倉庫の医務室に運び込まれたものと思っていた。


 だが、起き上がって見回してみると、倉庫ではないどこかの室内のようだった。

 誰かの気配を感じた。


 薄暗い部屋の奥に、痩せぎすの男が白い荘厳な装飾であしらわれた椅子に気だるげに座っているのが見える。

「まずは……だらしなく座り、あなたに話しかける非礼をお許しください」

 男は力なく喋る。

 肘掛けに身体を預けるようにして座り、やつれ窪んだ目と半開きの口が俺に向けられる。

 本来であれば煌びやかであろう白金プラチナ色の髪はくすみ、癖毛が無造作に跳ねていた。

「あ、あなたは?」

「私は……そうですね、あなたがたの言う『天使』と呼ばれる存在と言いましょうか。名前はこの際、さしたる問題ではありません」

「て、天使?」

「そうです……この地球を管理する、代行者とされています」

 その天使だという男は、みすぼらしい風体にも関わらず、確かに佇まいが絵になるような雰囲気があった。

 そんな突飛な話があるかと思ったが、彼の言葉に合点のいくことは多い。

 俺の体は、普通に眠っていたとしたら、起き上がるまでに時間がかかるスロースターターだ。それがすんなり軽やかな気持ちで起き上がれたこと自体が異常だ。

 今いるこの部屋だってそうだ。俺はカビやホコリに対して強いアレルギー反応を起こすから常にマスクが欠かせないのに、少しカビ臭いこの部屋に不思議と不快感はなかった。


 そして何より、頭がとても冴えている気分だ。

 モヤモヤと考えていたことがスッパリとクリアになっている気分だ。


「どうして俺はここに……やはり死んでしまったから……?」

 俺が天使様に尋ねると、顔のシワが一層深くなり、神妙な面持ちで頷いた。

「その件については、本当に申し訳ないと思っています。貴方は本来であれば三十歳で亡くなることはなかったのです」

 ふぅ、とため息を吐き、天使様は続ける。

「あまりにも、そう、私の想定よりも貴方の体が衰弱しきっていた」


 こんな肥満な人間を捕まえて何を言っているんだと、俺は少し吹き出し気味に問いかけた。

「そんな、衰弱してただなんて。だって……死ぬ前まで成長してたデブまっしぐらの男ですよ? 不摂生で死ぬならまだしも、衰弱死って一体……」


 天使様は腕を震わせ、傾いていた体勢をなんとか真っ直ぐに整えてたと思ったら、深々と俺に頭を下げた。

「本当に、申し訳ありません……実は貴方の体は、三十一歳を迎えて初めて、あらゆる分野で急成長を引き起こすようになっていたのです」

「いや、そんな人間って急には成長しないですよね?」

 俺は少し怪訝に聞き返すと、天使様は焦ったように早口になる。

「人間誰しも何かしらの才能を与えられるものです」

「そういうものですか?」

「それに気づかず一生を終える人は少なからずいますが……あなたは調整ミスで三十一歳の誕生日を迎えるまで、あらゆる能力が一般人の百倍頑張らないと習熟しない状態になっていたのです」


 俺は少し眩暈をするような気持ちになった。

 元々どれだけ努力をしても報われなかった理由が分かって、でもそれを解決する手立てを見つける前に死んでしまい、分かったときには全てが終わっていた。


 天使様が言うには、生前の俺の体力は七歳児と同程度で、増え続ける体重を七歳児レベルで支えて生きていくのは不可能。体力がとうとう限界を迎えて、死に至ったらしい。


「本来、あらゆる生物は神が寸分の狂いもない調整で生み出すものですが……天使の私が調整をしたことで、あなたを唯々苦しめてしまうことになりました」


「……その神様は一体、どうしたというのですか」

 俺は少し苛立ちと嫌な予感を抱えて天使様に尋ねた。

「申し上げにくいのですが……神は死にました。ニーチェが気づくよりも昔に」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る