第一章? 謎の依頼

 コーヒーの香りが充満する喫茶店で、いつものカウンター席でいつもの時間でブラックコーヒーをたしなんでいた。白いちょび髭がトレードマークのマスターの背後にはたくさんのコーヒー豆が棚に並んでいる。 


 つまり、簡潔にまとめると探偵小川修太はいつもの喫茶店でマスターと話していた。


「最近、物価高で生活がカツカツですよねぇーー」


「そうですね。本当にうちの店もカツカツでして。また、来月に値上げするかも……」


「マスターの店なら値上げしても俺は行きますから」


 コーヒーの芳ばしい香りが鼻を心地よくする。そうだ、こんな他愛も無い会話も心地よかった。そんな時、隣のカウンター席に一人座ってきた。


「カフェラテを一杯」


「承知しました」


 マスターは素早くカフェラテの準備を始める。コーヒーとミルクを上手いこと調和させる。


「どうぞ、冷めないうちに」


「ありがとうございます」


 隣から男性とも女性とも言い切れない中性的な声が聞こえる。マスターがこちらに向き直った。


「さて、何の話しだったかな……、ああ、経営が大変だって話しでしたね。小川さんは最近どのようなお仕事を?」


「そうですね、通常運転ですかね。いつもの浮気調査です。探偵はこんなものですよ」


 マスターと同時にため息をついた。不景気にあまり楽しくない仕事、この世界にうんざりしそうだ。心なしかマスターも疲れて見える。


「あなたは、探偵さんなんですか?」


 再び隣から中性的な声が聞こえた。初めて俺はその人を直視した。分厚い茶褐色のコートに黒い革手袋を身に付けている。足元は黒いデニムに黒いブーツ、俺よりもよっぽど探偵ぽい格好をしている。そして、顔を見ると更に男性か女性か分からなくなった。肌が白く、整った目鼻立ちモデル顔負けのビジュアルだ。


「えっ……、あっはい。探偵の小川修太と申します」


 一応名刺を取り出し渡した。


「ありがとうございます。僕は葉月夕白です」


 名前まで中性的だ。いや、男性女性と白黒はっきりつけようとする俺が無粋なのかもしれない。


「依頼ですか?『無理難題でもどんと来い』がうちのモットーですから気軽にご相談下さ

い」


 葉月さんはカフェラテを一口飲んだ。ティーカップを持つ手の小指をピンと立てている。


「僕の罪を暴いてください」


「えっ……?」


 『無理難題でもどんと来い』と言った矢先、理解に困る依頼内容だった。葉月さんは続けて言った。


「そのままの意味です。事故や心中現場として片づけられた事案があります。そこで、僕が何らかの形で関わっているはずなんです。それらの事案を紐解いて欲しいのです」


「なるほど……」


 思っていた以上に探偵ぽい仕事内容だ。しかし、俺のような小物探偵にこんな依頼を解決出来る能力があるのだろうか。


「あーーあ、浮気調査とかよりよっぽど楽しそうな仕事なのになーー。他の探偵事務所に頼もうかなーー」


 棒読みのセリフが耳に刺さる。確かに、浮気調査よりもやりがいのある依頼内容だ。横目で葉月さんの表情を確認しようとした。葉月さんもまた横目でこちらを見ていた。


「分かりましたよ……。その依頼お引き受けします。始めに言っておきますが、何の実績のない探偵に頼んだことを覚えておいてください」


「それを言えば、かの有名なシャーロック・ホームズもまた、最初は無名だったはずですよ」


 ごもっともだ。実力が無いからしない、では成長出来ない。ためになる指摘を頂いた。


「それじゃあ今晩は遅いですし、また明日この場所で。開店時間の朝八時頃に。何か連絡があればその名刺の電話番号からどうぞ」


「ありがとうございます。今後はよろしくお願いします」


 葉月さんは丁寧に頭を下げた。コーヒーの香りの隙間から微かにかんきつ系の香水の香りが鼻に入った。



 次の日の朝、私と葉月さんはいつもの喫茶店でモーニングを食べていた。もちろんカウンター席で。


「俺の知り合いが来るのでしばらく待っていてください」


 このセリフを皮切りに、二人黙々と朝の食事を楽しんでいた。葉月さんは相変わらず、カフェラテを飲むとき小指をピンと立たせている。


 喫茶店の扉が開いた。カラカラという入店音が店に響いた。そして、肩を押さえられた。


「よう、小川。人を呼びだしておいて、のんきにモーニング食いやがって」


「悪ぃ悪ぃ。いつも人にタダ働きさせてんだからこれくらいのこと、許してくれ」


「悪徳探偵のくせに」


 スーツを着た大柄の男は隣のカウンター席に座った。


「あの、この人が小川さんの知り合いですか?」


「そうです。いわゆる一匹狼系の刑事さん。俺が事件絡みの事案の依頼を引き受けたときに一緒に着いてきてくれる井上啓治さん。つまり、刑事の啓治さんだ」


「変な紹介するな」


 冗談交じりの会話が終わった。啓治の機嫌がいまいちだがそのまま本題に入った。


「とりま、過去資料取り出してよ」


「ほらよ」


 啓治がクリアファイルを鞄から取り出してこちらに放り投げた。それをキャッチして葉月さんに渡した。


「流石、流石ですね」


「そりゃそうだ。葉月夕白と事故、又は心中事件として片付けられた事案とか具体的な検索掛ければ、その資料で間違えないはずだ。資料と言っても当時のメディアが流した情報だけだけどな」


 葉月さんの方を見るとその情報とやらをじっくりと見ている。一通り読み終わると、葉月さんはこちらに向き直った。


「これらの事案で間違いありません」


「よし、それじゃあ改めて詳しく聞かせてくれ」


 葉月さんは目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。その瞳が開かれたとき話しが始まった。


「まずこちらの、十三年前の夫婦心中事件の説明をします。十三年前だから当時僕は七歳でした。事件当日は最悪でした。アパートの場所は覚えていませんが、今でもあの凄惨な現場が脳裏に焼き付いています。事件当日は母も父も喧嘩をしていました。激しい口論をしていました。そして、ある瞬間部屋に大量の血が飛び散りました。母が父の首を刺したんです。しかし、父は首を刺され大量に出血しているのに、母に反撃をしていました。母の髪を左手で掴んで何度も何度もみぞおちを殴っていました。そのうち父は倒れて動かなくなりました。そして、母は血反吐を吐きながら僕に向かって言いました。お前も道連れにしてやると。母は僕に包丁を振り上げていました。僕は目をつぶりました」

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