クチナシ

天音

クチナシ

 

 『人を埋めたいの、付き合ってくれる?』

 

 夜も更けた頃、突然電話がかかってきた。

 相手は腐れ縁の女だ。

 「は?こんな夜中に何考えてんの?」

 私の不機嫌な声に、電話口の女は小さく笑った。

 『でも、来てくれるんでしょう?』

 傲慢なその言葉に腹が立つ。

 しかし、それを否定するには過去に色々ありすぎた。

 それでもなんとか文句を絞り出そうとする前で、電話は切れた。

 後に送られてきたメッセージには現在地のみ。

 結構離れた山奥だ。そんな場所に今から行けと言うのだ、あの女は。

 「このッ……くそ女」



 ***



 思えば、昔から狂った女だった。

 顔だけは上等で、まともそうに見えた。

 しかしその本性は一般常識では測れない。

 普通の人間では思いついてもやらないことを片っ端からやる、そんな女だった。

 そして賢しいことに、自分とバレないようにするのが上手かった。

 いつも彼女の罪を着せられる人間は決まって、バカで無知で、孤独な人間だ。

 普段から疑われるようなことをしているので自業自得とも言えるが、それにしたってこんな女の毒牙にかかるなんて運のない奴らであった。

 しかしそんな人間の、オオカミ少年よろしく誰も自分の言葉を信じてくれない時の絶望顔はたまらないものがあった。

 一度、女の行動に意味を見出そうとしたことがある。きっとこの顔を楽しむためにあの女はこんなことをしでかしているのだと。

 しかし女の方はやることに価値を見出しているので、その後の流れなど特に興味ないと言いたげに澄ました顔をしていた。

 フリではない、本当に興味がないのだ。恨みや妬みがあるわけでもない相手をそっと地獄に落とすのである。

 果てには罪を被せた相手に手を差し伸べるのだ。

 落とすまでを楽しみ、落ちた後はご苦労様と言わんばかりに救うのである。

 純粋に可哀想だから、手を差し伸べるのだ。可哀想なのはお前のせいだろと言ってやりたいところだが、周りが女神だの優しいだの祀りあげるのでそんなことは口に出せない雰囲気になるのである。

 みんな嘘くさい表情にコロリと騙されるのだ。

 慈悲深い女は池に洗剤を混ぜて鯉を殺さないし、子供が遊ぶ場所に錆びた釘を仕込んだりしない。

 本気で可哀想だと思うのなら、水の外に出されて死んだ金魚や毒餌を食わされたウサギや文鳥、溺死させられた子猫なんて存在しないのに。

 女の家は裕福で、両親も動物好きなところからペットをたくさん飼っていた。自分が手にかけた動物と同じ種類のペットを飼っているのだから本当にイカれている。

 一度だけ聞いたことがある。「罪悪感はないのか?」と。

 女は言っている意味がわからないと本気で困惑していた。

 「だって、あの子はチュチュちゃんじゃないわ。クリームでも、クロでもない。うちで飼ってるのは熱帯魚で金魚じゃないでしょ?」

 本当にイカれている。常識で考えてはいけない。

 だが厄介なことに、紛れ込むのが上手いから、周囲はこの異常に気づかないのである。

 気づいているのは私だけ、見ているのも私だけだ。

 あの女の手にかかったら可哀想だといつも忠告してあげているのに、周囲の奴らは逆に私を変人扱いするのだ。

 どこまでも憎たらしい女。

 だけど、観察するだけなら退屈しのぎにはなる。

 あの女のした結果が周囲からはどう見えるのか知るのは、私にも価値が合った。

 それにあの女の弱みの一つでも握れば、今までコケにされていた分のお返しぐらいはできるかもしれない。

 そんなわけで私は真夜中の高速道路を走らせているのだ。

 決して友情とか、親切心ではないのである。

 禁煙用に舐めている飴を下で転がす。

 甘ったるい人工甘味料の味がするそれは、苦味に慣れた私からすると酷く不味かった。

 だが、禁煙用なのだから不味い方がちょうど良いように思えて、私はそれを舐め続けている。

 単調に続く道はどこまでも繋がっているように見えて、あの女の元に一生辿り着けないような気さえ起こした。

 「……ちっ、いっぺん死ね」



 ***



 長い亜麻色の髪が月明かりの下で揺れる。

 私が懐中電灯で照らすと、山の中には不釣り合いなワンピースを着た女が立っていた。

 そして手元には大きなシャベル。

 今まで穴を掘っていたのか、ワンピースは泥まみれだった。

 「遅いよ」

 「ふざけんな」

 振り向いて私に一言。すぐさま私は言い返した。

 車の免許がなかったら、そもそもここに辿り着くことすらできない。普通は自分がここに来るまでにどれだけ大変だったか分かるし、他人がそれをする際にかかる労力も想像つくだろう。

 しかし、そんな共感力すらこの女にはないのだ。

 久しぶりに見た顔は相変わらず恐ろしいほど整っていて、どんな姿でもドラマのワンシーンのように様になった。それが余計に私を苛立たせる。

 「……?髪切った?」

 「それどころじゃねぇだろ」

 口の端がわずかに捲れる。薄く笑ったのだ。

 そんな姿を見て思わずこちらが乱暴な言葉遣いになるのも仕方がないだろう。

 そしてそんな姿を誰かに目撃されてこちらが誤解されるのがお決まりのパターンだ。

 コイツと真面目に接するだけで、損するのはこっちなのである。

 ガサガサと音を立てて私は女に近づいた。

 香水でもしているのだろうか。エキゾチックで甘やかな香りが私の鼻腔をくすぐった。

 「あんたさ、唐突なのやめなっていつも言ってんじゃん。顔だけはいいんだからさ」

 大人しく頷いているだけで、男はいくらでも喜んで貢ぐだろう。

 楽に生きることができるのに、いつも平気な顔で自らぶち壊していく女に私は腹が立っていた。

 「冬陽にしかやらないよ?」

 首を傾げた拍子に絹糸のような髪がサラサラと溢れる。

 月明かりの下では、光が形になって溢れていくようにすら見えた。

 「マジで死ねよ」

 夜の中でも星屑のように煌めく瞳、本当に嫌になる。

 私は女の顔を見ないように視線を下に向けながら、吐き捨てた。

 そしてそこでようやく気づいた。

 暗いから近くに来るまで気づかなかったが、女の足元近くに大きな穴があった。

 ーー人を埋めるための穴だ。

 「それ」

 「頑張ったよ」

 頑張ったよ、ではない。

 一人でこんなに深い穴を掘れるなら、こんな夜中に私を呼びつけるな。

 内心怒り狂っている私を尻目に、女は「やっと気づいたのか」と嬉しそうに笑っていた。

 「覗いてみる?」

 いたずらっ子のように聞いてきた。

 それに返事をしないで、私は道中気になっていたことを聞いた。

 「誰を埋めたの」

 「さあ、自分で確かめてみたら」

 煽るような言葉にさらにイラついた。

 懐中電灯で付近を照らしても、死体と思えるような何かは見つからない。と言うことは、コイツはすでに誰かを埋めた、あるいは落とした後なのだ。

 「彼氏?」

 鼻を鳴らして煽り返すように私は言った。それに少し驚いたように女は目を見開く。

 「彼氏なんていないよ」

 「あーはいはい下僕、ATM、アッシーくんね」

 投げやりに言いながら、落ちないように気をつけながら穴を照らす。

 そこにはーーそこには、何も無かった。

 人どころから動物の死体すらない。ただ虚のようにぽっかり空間があるだけ。

 「はぁ!?何これ」

 またいつものたちの悪い冗談かと苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。

 コイツは本気でやらかす時もあれば、マジでその場のノリと思いつきで口に出すだけの時もある。本当に迷惑な女だ。

 そんなことを考えながら女の方へ振り返ろうとすると、背中を押された。

 トンっと思ったより小気味良い音がして、冗談のように私は空中に投げ出される。

 何が起きたか分からないまま、手足を動かした。

 しかし当然のように思うようにならない。

 でも頭から落ちたらやばいという一心で首を竦めて両手で頭を庇う。

 落ちていくうちに仰向けになっていたようで、やけに眩しい月が目に焼きついた。

 一瞬のようにも、永遠にも思えた後、地面に叩きつけられた。

 思わず痛みに埋めいた。

 右足が酷く痛む。熱を持ったそこは暗闇でははっきり見えないけれど、折れたかもしれない。

 痛みに顔をしかめながら、暗闇の中手探りで必死に懐中電灯を探す。

 私が落ちるより先に金属音がしていたので、一緒に落ちたはずだ。

 何があるか分からない暗闇を歩き回る勇気はなくて、指先の感覚だけで周囲を確認した。

 その間も足の痛みはどんどん膨れ上がった。

 そっと触れてみて息を呑む。ドクドクと熱を放つそこは腫れ上がっていた。

 動かそうとするとズキリと一際痛む。

 助けを求めて上を見上げた。何か黒いものが私を覗いていた。

 なんだろうと目を凝らして見てみると、急に眩しい光が視界を奪う。

 「あれ?まだ生きてる」

 呑気な声が空から降ってきた。

 そこで少し冷静になった私は怒りをぶつけた。

 「このッ……この!あんた、何考えて!ふざけッ」

 しかし怒りのあまり思うように言葉が出ない。

 「言ったでしょ?人を埋めるの手伝ってほしいって」

 上から覗き込まれているので、表情が見えない。

 でもきっと笑っているのだろうと声の調子で分かった。

 「なんのために」

 思わず聞いてしまう。そんなことは無駄だと今までの経験で分かっているはずなのに。

 「だって、いつも羨ましそうに見てたでしょ?」

 「は?」

 「冬陽、いつも私のすること、羨ましそうに見てたわ」

 一瞬言葉の意味を理解できずに、聞き返してしまう。

 それに応えるようにもう一度、今度はゆっくりと噛み砕くように言って、女は私に笑いかける。

 「何を」

 「だから当事者にしてあげようかなって」

 名案だと言いたげに女は言った。

 アホだろと私は思った。

 「ふざけてないで助けてよ。足が痛いの、折れたかもしれない」

 こいつがふざけているのはいつものことだが、自分が直接被害に遭うことは滅多になかったかもしれない。

 もちろん間接的にはいつも被害を受けている。それも大学で離れてからはほとんど無くなったが。

 「はい」

 私の言葉に女はすぐロープを垂らす。

 まるで蜘蛛の糸のように、私の目の前までそれは落ちてきた。

 どうやら穴を掘った際に自分が上に戻れるように最初から準備していたようだ。

 しかし、こんな足で登れと言うのか。私は上を睨んだ。

 「どうしたの?早く登ってきたら?」

 女はどこ吹く風といった感じで、手助けなどしてくれるはずもない。

 助けを待っていたら、飽きてロープを切り落とすぐらいのことはしでかす女だ。 自分で登るしかない。

 私は舌打ちしながらロープに手をかける。土壁に足をかければ、電撃のように痛みが走った。

 唇を噛み締めて、その痛みに耐える。強く噛みすぎて、血の味がした。

 登れば、登りさえすれば後はこんな女とは縁を切ればいい。

 元々遠からずそのつもりだったのだ。それが多少早まったところで、私の人生にはなんの影響もない。

 痛みで熱に浮かされたように意識が遠くなる。

 それを誤魔化すように、つらつらといろんなことを私は考えた。

 帰りの車はあいつに運転させよう。免許は持っていたはずだ。ドライブしたことがある。

 人を利用するのが上手いあの女が免許を取るなんて意外だけれど、本人にそれを問いただしてみれば、にこやかに『人を轢き殺せる道具の免許がこんなに簡単に取れるのよ?素敵ね』と笑って見せた。

 そんな女の運転は不安を覚えるけど、一度だけ乗せてもらった時は意外にも丁寧なものだった。

 慰謝料も払ってもらう。医療費も。それどころか、今日あったこと全てを公表してやるのだ。

 そうすればコイツの仮面に騙されたアホな男どもをみんな正気に戻せる。

 やっとコイツの破滅するさまが見られるのだ。

 思わず喉の奥で笑う。

 ふと上を見上げれば、地上まではまだまだ遠い。果てしなく思えて、目の前のロープにだけ集中することにする。

 涼しい顔をしているのも今のうちだ、私が辿り着けば、あの女は終わりだ。

 「はぁ、はぁ」

 熱い、辛い、苦しい。

 壁の凸凹したところに足をかけて少し休憩をする。

 山の中は涼しいのに大量の汗が私の顔を伝う。

 今の私には休憩すら苦痛だった。

 「くそッ」

 ロープは硬くて頑丈だが、素手で握れば皮が擦りむけて血が滲んだ。

 汗を拭うこともできず、目に水滴がかかって視界が霞む。

 少し息を整えることができたので、またなんとか登り出す。

 鈍痛で涙と鼻水が出てくる。今の私はすごい顔をしているだろう。そしてそんな顔をあいつは上から悠々と眺めているのだ。

 「ふぅーふぅー……あと、少し」

 涼やかな風が頬を撫でる。新鮮な空気が肺を満たした。

 少し余裕ができた私は肘で汗を拭った。

 そして顔を上げる。

 「あっ……」

 目が合った。吸い込まれそうなほど美しい瞳。

 その相貌は相変わらず眩しくて、思わず手を伸ばしてしまう。

 ぶちッと嫌な音がした。

 「えっ?」

 口から音が漏れる。

 少しずつロープが切れていく音がした。

 「なんで」

 呆然と音のした先を見つめる。千切れ掛けのロープがそこにあった。

 そんなはずない。頑丈なロープなのに。

 ナイフで崩したような跡が見えた。

 「待って」

 必死に手を伸ばす。あと少し、もう少しなのに。

 あいつが笑顔で手を差し伸べる。月の女神がいるのなら、こんな顔をしているだろう。

 だけどそれが届く前にロープはぶちりと音を立てて切れた。

 少しの浮遊感、容赦なく重力が私を叩きつける。

 「…………あ」

 ごつんと嫌な音がした。そこで私の意識が暗転する。



 ***



 「……死んだ?」

 私は返ってくるはずもない問いかけをする。

 冬陽のひしゃげた体はピクピクと音を立ててるようにわずかに動いていた。

 「まぁ、溢れてる」

 凹んだ頭からは脳みその一部が見える。

 あれではまだ息があったとしても助からないだろう。

 賢い脳みそもああなってしまえばなんの役にも立たないだろうなぁ、と少し考える。

 まあ、本当に賢いのならこんな夜中にわざわざ山奥に来ないから、無くしても大して人類には惜しくないだろう、多分。

 「本当はね、生き埋めにしようとも思ったのよ?でも苦しいでしょ?そういうの冬陽は嫌いだと思って」

 幼馴染は昔から効率よく生きたがっていた。苦しいのも辛いのもすぐ終わるように。

 だから一瞬で終わるように突き落とした。

 しかし冬陽は悪運が強いらしい。打ちどころが良くて見事に助かった。

 だからもう一度落とそうと、わざわざロープを垂らしたのだ。

 自分で上まで冬陽を連れていくのは大変だから、冬陽の方から登ってきてもらった。

 「流石に2回目も生き残ったら、埋めるのはやめようかと思ったのだけど……そうはならなかったわね」

 冬陽に笑いかける。

 賭けは私の勝ちのようだ。一方的な賭けだけれど。

 私は埋葬するように冬陽の上にゆっくり土をかけていく。

 掘るのも大変な穴だが、埋めるのもまた一苦労だ。

 しかし、それもまた一興。

 この苦労でさえ、私に生を実感させる。

 丁寧に丁寧に欠けている何かを埋めるように私は作業した。

 「この上には、クチナシを植えるつもり」

 誰に聞かせるでもなく呟く。

 クチナシの花って白くて可愛くて私は好きだ。

 綺麗で清楚で、自分は少しも汚れていないと主張しているようで。

 「冬陽にそっくり」

 でも泥に塗れたほうがもっと綺麗だ。

  


 「ふふ、それに死人にクチナシって洒落てるでしょう」 

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クチナシ 天音 @kimigayou2

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