小説「セックスしないと出られない部屋」

藤想

セックスしないと出られない部屋

 いつの間にか気を失っていたようで、身体の何処にも痛みは感じなかったので、私は自分がいつかの瞬間に眠ってしまったのだと思い、目をひと擦りして目を覚ますことにした。その時すぐになにか、知らない場所に居る気がしてドキッとして、ゆっくりと上半身を少しだけ起こすと、ベッドの隣に誰かが寝ている。


 誰だ。


 まず何処だ。


 微弱な混乱の後、思い出せる限り最新の記憶を手繰り寄せるが、最後に思い出せるのは昨日会社で飲み会があったこと、それはとてもつまらなかったこと。饒舌な男の、どこかバラエティ番組のノリを感じさせるツッコみのうすら寒かったこと。

 その記憶でさえ、今の私にとっては現実味があってありがたく、昨日と今日の間にはなにか言い知れぬ深い、断絶がある。


 恐る恐る上体をもう少しだけ起こして、隣に寝ている女性?の顔を覗こうとした時、自分がまだ昨日と同様にスーツ姿で横たわり、裸ではないことに気付いた。男だらけの飲み会だ、ワンナイトラブの線は薄い気がしたが、やはり違うのだろうか。

 女性も同様に着衣だった。

 女性は顔つきと服装から察するに、大きく見て二十代前半、大学生かもしれない。私服。そしてとても整った、キリっとした猫のような顔つきをしていた。化粧もしている。


 誘拐と考えるには早計な気がした。それよりは、やはり女性を酔った勢いでホテルに連れ込んでしまったと考えた方が自然な気がした。しかし部屋を見渡しても、どうもホテルではないし、ホテルでなければこんな場所は見たことも無かった。

 ベッドと、丸テーブル一個、窓も無く、扉は鉄製で、ベッドの横には無造作にコンドームとティッシュ箱が置かれている。こんなルームサービスで営業できる筈が無いのだ、真っ当なホテルが。


 私は思い切ってベッドから起き上がり(しかし眠っている女性を起こさないように)、ドアの前に設置された丸テーブルの上にメモ用紙を発見し、文章に目を通した。


 「【セックスしないと出られない部屋】


 ここは男女がセックスをしないと出られない部屋です。セックスを行うと自動的にドアのロックは解除されます。」


 振り返って部屋の天井の隅を見渡すと、確かに小型カメラが付いている。手の込んだいたずらだ。つまりやはり誘拐だったというわけか。知らない第三者が我々をモルモットのようにこの部屋に閉じ込めて、安全な所から我々の行動を監視して娯楽として面白がっているのだ。ポップコーンでも摘まんでいるにちがいない。腹が立ったが、相手の容姿を上手く想像できないので怒りは集中を欠いてぼやけてしまう。


 「え……誰……?」


 女性が目を覚ました。部屋の様子を伺うのに気を取られていた私は、不味いことに女性に対してなにをどう説明するか一切考えていなかった。咄嗟に手に持っている紙を指して、「とにかく、これを見てください」女性に素早く紙を差し出した。


 「セックスしないと出られない部屋???」


 女性は面倒くさそうな顔をして紙を脇に置くと、ベッドの上でスマホを探し出した。


 「よく分かんないんですけど、私のスマホ知りませんか?」女性が尋ねてきた。


 そういえば私もスマホは持っていない。ポケットも空だ。「いや、取られてしまったらしい」今はとにかく自分も被害者であることをアピールするべきだと判断した。


 「あー………」


 私が同じく被害者であることと、とても面倒な状況に巻き込まれたことを理解したのか、女性は宙を見て固まっていた。

 昨日が金曜日だから、もっと変なことが無い限り今は土曜日であるはずだ。ということは仕事や、この女性なら学業やアルバイトの心配をしなくてもいいはずだ。でも一応、聞いておこう。


 「急いで部屋を出なくてはいけない理由、例えば今日仕事があるなど、そういうことはありますか?」

 「無いー、ッスけどー……でもまあ家に帰りたいスね、彼氏待ってるんで……」


 自分でもあまり信じられないことだが、この状況において女性に彼氏が居ることに若干動揺してしまった。つまり私は無意識にも実際にセックスをするという選択肢を検討していたということだ。自己嫌悪で気分が悪くなり、えずく。


 「大丈夫すか?」女性が心配の声をかけてくれる。

 「大丈夫です、……それで……どうしましょうか」

 「これやったヤツが、見てるってことスよね?」女性も監視カメラを見つけて言う。

 「なんかー、これ見てるヤツがもう馬鹿馬鹿しくなって私らを解放したくなるようなふざけたことをすればいいんじゃないスか?」

 「良い考え。じゃあ何をしようか……」


 女性が口に手を当てて熟考モードに入ったので、私もベッドに腰掛けて考えてみることにした。

 良い案は浮かばず、時間だけが過ぎる。この部屋には時計も無いので、今が土曜日の何時なのか、少しの不安が募っていく。


 更に状況は思いもせず急激に悪化した。まず、食べ物が無いこと。ついでに飲みものもない。そしてこの部屋にはトイレも無い。口に出すか迷ったが、女性もそのことに気付いたらしい。

 無限にあると思っていた時間も、実はあと数時間以内に一つのリミットが来る。


 人間性が試されている。

 最も良いのは、知恵を絞って無事に部屋から抜け出すこと。力任せでもいい。多少強引な手を使っても外に出られるなら。だが、その最善のルートに進まなくても、そのすぐ下に次点で最良と言える、セックスをして解放してもらうという甘い誘惑がちらつく。


 プライドを守るためならば、排泄を我慢せずベッドの脇で行い、空腹に耐え、この部屋の管理者と我慢比べをするほうがいいはずだ。


 見ず知らずの可愛らしい女性と部屋に閉じ込められ、性行為を強いられているという状況に興奮しないのは難しく、桃色の妄想が浮かびそうになる度に歯を食いしばり堪える。勃起を我慢するためにランドセルを背負ったロナウジーニョを何度も想像する。しかしこちらも、我慢の限界が近い。


 だが、彼氏のいる女性とセックスなど……。


 「あの」


 私が女性を振り返ると、女性はなにかもじもじと、身体を動かして俯いている。

 まさか、と私は思った。


 「一回セックスして解放してもらえるんなら、私まあ別に、いいっすよ」


 私は、彼女の言葉はなにかの幻聴じゃないかと思った。我慢の限界になった私が作り出したただの妄想なんじゃないかと。女性がそんなことを言っているのが信じられなかった。しかし、顔を赤らめた彼女はそう言いながらゆっくりと、私の手を握ってきた。

 そして私の耳に触り、咄嗟に 「いや、ダメだよ。彼氏いるんでしょ」と叫んでしまった。


 「緊急事態だから仕方ないじゃないすか。誘拐されて監禁されてんですよ!?」女性は私を強く、しかし説得するように言った。


 「あーもー、めんどくさ。彼氏いるとか言わなきゃよかった。はー」我に返ったのか、女性がベッドに仰向けで倒れ込んだ。


 「トイレ」

 「は?」

 「トイレの場所を、決めよう。抵抗しようよ。限界まで」私は、恐る恐る提案した。今の私たちには必要な提案だと思った。


「じゃあ、そっちの部屋の隅っすね。ティッシュは大事に使いましょうね。これしか無いっすから」ティッシュの箱を振る女性。ファカファカと音がする。

「……分かった」




 それから、一回眠った。その間、何も飲まず食わず。排泄は部屋の隅で。


 結局、私たちは一晩しか耐えられなかった。

 精神的に追い詰められた彼女が私に馬乗りになった時、私も限界を悟り、身体を預けた。


 それは生涯忘れられない、嵐のようなセックスが過ぎ去った。


 セックスが終わって二人が仰向けになって息を切らしていると、部屋のドアが開いた。お互い服を着て、顔を見合わせずに外に出た。彼女と会うことは、もう二度とないだろう。



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小説「セックスしないと出られない部屋」 藤想 @fujisou

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