第39話 雛乃の願い(前編)





「………………」


「………………」



 夕方、俺と雛乃は無言でテーブルに向かい合いながら座っていた。


 今、俺は昨日の俺に押し付けられた大仕事をこなそうとしている。


 それは、桜井雛乃の機嫌直しだ。

 

 桜井雛乃、今こいつはニコニコと笑ってはいるが、めちゃくちゃ怒ってる。背後に修羅が見える。


 これほど、機嫌が悪い雛乃は初めてだ。麗華の家に泊まった事がそんなにまずかったのだろうか?



 俺はスッとラッピングされた箱を差し出す。



 無言の雛乃。重々しく頷き、箱を開ける。



「ほう、これは……キルフェールの期間限定タルトですか」


「……以前チラッと食べたいって言っていただろ?」


「……ふむ、そういう小さなことを覚えてくれているのは良きですよ。で、次は?」



 く、これでは満足出来なかったか……いつもならこれで機嫌が直るのだが……


 しかし、問題はない。これくらいは予想の範囲内。

 


 スッと。次に、俺はチケットを差し出した。



「これは……エステのチケットですか」


「ああ、いつも俺の為に色々としてくれている雛乃の疲れを解消できれば……と」



 ふふんと心得たりと頷く雛乃。



「うむ。良くわかってるじゃないですか。従者というのはとても重労働で大変なんです……で、次は?」



 マジかよ……これでもダメだったのか。こうなったら千秋直伝の最終兵器を出すしかないのか。



「……これは、水族館ペアチケットですか?」



 最後の貢ぎものは水族館のチケットだ。



「よかったら、一緒に行かないか?」



 千秋曰く、これで機嫌が直るらしいが、本当に大丈夫か? こいつ、水族館なんて絶対興味ないぞ。


 こんなのだったら回転寿司に連れて行く方が喜びそうだが……



「…………これってデートのお誘いですか?」



 そうなのか? と言いかけた言葉を飲み込んだ。



「そうだ……デートの誘いだ」



 雛乃の言葉にこくりと頷く。

 なぜかはわからないが、ここは絶対に否定してはいけない気がした。



「ふぅ〜ん? ま、ここで断っちゃったらご主人の立場もないでしょうし? しょうがないなぁ……一緒に行ってあげますよ。水族館」



 急に上機嫌となった雛乃はペアチケットをひらひら〜とさせる。



「嫌なら、別に断ってくれてもいいんだぞ」


「は? 別に嫌なんて一言も言ってないじゃないですか。ブチ殺しますよ」


「あ、すいません……」



 怖い。



「全く、ほんとそういうところですよ……さ、晩御飯の準備をするのでお風呂を沸かしておいて下さい」


 

 そう言いながら、雛乃は立ち上がり、キッチンへと向かった。


 あれ? もしかして、許された……のか? 


 ち、千秋さんすげぇ……!! さすが元ヒモ男。女心を完全に理解している。


 正直、なんで水族館なんかで機嫌が直ったのかわからんが、良しとしておこう。


 その後、夕食を終えて俺は食器を洗っていた。隣では雛乃が洗った食器を拭いている。



「ご主人、今日は先にお風呂どうぞ」


「え、珍しいな。いつもは一番風呂に入りたがるのに」


「……今日は色々と準備が必要なので」



 どこか神妙な横顔に、疑問を持ちながら最後の食器を渡す。



「ふーん? それじゃ、お風呂先に頂くぞ?」


「はい、どうぞ」



 いつもと違う雛乃に違和感を抱きつつお風呂に入った。



 風呂から上がり、寝るだけの状態で布団に寝転びながらスマホを触っているとコンコンと扉を叩く音がした。



「ご主人……? まだ起きてますよね? 入っていいですか?」


「ああ……」



 スマホを見ながら、ながら返事をしていると急に部屋が暗くなった。

 月明かりのおかげで真っ暗というわけにはいかないが、それでも急だったので驚いてスマホを落とす。



「おい、雛乃。なんでいきなり灯りを消すんだ……よ」


「………………」



 扉の前に居たのはいつもの寝巻きジャージの雛乃ではなかった。


 白いワンピースのような寝巻きを着ている。ネグリジェというやつなのだろうか、胸元が強調されているデザインで、思わず胸に目が行く。頬が赤くなっているのは風呂上がりのせいだろうか?


 普段とは違う雛乃の姿に、思わず体が固まる。



「隣、いいですか?」


「え、ああ」



 俺の承諾を得ると俺の布団に忍び込む。そして、なぜか体をくっつけてきた。



「……どうした? あ、あれか? また、添い寝オプションか? 悪いけど今日は」


「違いますよ」



 そう言いながら、雛乃は俺の胸元に顔を埋めてくる。その瞬間、伝わってくる柔らかい感触と甘い香り。


 状況が把握出来ずに固まっている俺に対して雛乃が口を開く。



「ご主人、前に言ってましたよね……いざって時は何がなんでも助けてやるから俺に遠慮なんかすんなよって」



 その言葉は俺がかつて彼女に言った言葉だ。

 


「……実は私、心臓に先天性心疾患を抱えているんです」



 その言葉を聞いて思わず、雛乃の表情を見る。


 冗談……には見えなかった。


 その表情からくる感情を俺はよく知っている。


 生きることを、未来を諦めようとしている。そんな無気力な感情。


 どういうことだ? ゲームの雛乃にはそんな設定はなかったはずだ。雛乃との幼馴染設定といい。こいつに関しては知らない設定ばかりが出てくる。


 ……いや、ただ単に主人公である佐々木悠真の視点では描かれなかっただけという可能性がある。


 そういえば、ネットか何かの噂で『アマ✳︎キス』には裏設定がいくつか存在する。みたいなことが書かれていた気が……



「今日、月に1度の定期検診で、延命処置を受けても残り半年くらいの余命だって言われちゃいました。これじゃ、進学は無理そうですね」



 困ったように笑う雛乃。


 ドナーも見つかってないのだろう。だからこそ、俺に助けを求めている。



「私、まだ死にたくないです……助けてください」



 瞳の奥には期待と不安が宿り、揺らいだ。 


 そして、大人びた笑顔でこちらを見つめ、俺が言葉を放つ前にしゃべり始める。



「あーあ、ご主人が噂通りのクソ男だったらなぁ〜その心臓、私にくださいよって言えるんですけど」



 わざとだろう。どことなく、軽い口調で話す。



「分かってるんです。むちゃくちゃなことを言っていることくらい。ご主人にはどうにも出来ないことくらい」



 雛乃は起き上がり、寝ている俺の足を押さえつけるように腰を落とした。



「だからご主人には、代わりに『あること』をお願いしたくて」



 しなだれかかるように体を近づけてくる雛乃は恥じらいながら、体をぴったりと密着させる。


 豊かな胸が今、俺の目の前にある。


 思わず、顔を逸らそうとしたら、雛乃は逃さないと言わんばかりに背中から俺の首に手を回して、顔を寄せた。



「全部あげます。私の初めて、全部。だから……」



 吐息を感じる距離感で、雛乃は言った。



「強くん。私と……しよ?」



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