21. コウモリの行方

世界は大きく変わるだろう。ダニーが笑って俺に報告をした。



「クラウドが事前に渡してた血液サンプルから、人工血液が作れたんだ! ついに成功だよ!」



これでもう依存関係もなかった事になる。俺は淡々と日々を過ごしていた。感情はどこかに置いてきたままだった。そんなある日、手紙が届いた。グラムスからだった。指定された森に来るよう記載があった。俺はその森へと向かった。



「来てくれてありがとう」



外は肌寒い。俺はただそこにやって来て、満月を眺めている。リアの城は俺を苦しめていた城はもう、崩れ去って原型を留めていなかった。俺はその時改めて、この世界が変わっていくのだと肌で感じた。そしてこの変化はもう、誰にも止めることはできないのだと。



「要件は」



俺は目の前に立っているグラムスを見ず、満月をただぼうっと見ていた。



「そうだね」



グラムスは俺の横に来ると、一緒に満月を見ている。この男はあれから何を思い、何を考えて生きてきたのだろう。ラドの事をどう、思っているのだろう。



「…君を騙して悪かったね」



「ラドはそこまでして死にたかった、という事なんですよね。死ぬ必要があったのか、俺には分かりません。俺はあいつの事、何も」



グラムスは満月を見上げている俺を見下ろし、少しの沈黙を作った。肌寒い風がひゅぅと木々を揺らしている。しばらくの沈黙の後、グラムスは深呼吸をして城の跡地へと歩いて行った。



「ついておいで」



俺はその後をただついて行く。何があるのかは分からない。城は崩れ、中に入る事は出来そうにもないが、グラムスはその城の周りを歩いている。



「ここはもともと貴族のある偉い人が住んでいたんだ」



「そう、ですか」



「ゴッドがその城の主人を誑かして殺した。それがもうかなり昔の出来事。ここに住み着いた彼は文字通り神様になったようだったよ。あのクラウドでさえどうにも出来なかった。クラウドはクラウドなりに思うところはあってね、彼とは決着というものをつけずに生きていた」



俺はただグラムスの話を聞いている。俺が知りたいのは過去の話ではないのだけど。俺は早くラドが何を隠し、そして何かをグラムスに伝えたのか、それを知りたいだけだ。俺は早く、こんなつまらない世界から去りたかった。



「クラウドはね、命ぜられるがままに動いていた」



「夜の悪魔、バンパイアの王ですか。だからあいつは死ななければならないと? リアを殺し、自らも死ななければならないと」



また歩き出したグラムスの後を追いながら、そう言葉を吐いた。確かに世界にとってラドとリアは大きすぎた力だ。自分達で生み出しておきながら、持て余し、どうにも出来なくなり、ふたりを争わせ殺させる。


平和な世界よ、こんにちは。めでたし、めでたし。いずれ俺らヘルも要らないと言われるに違いない。グラムスは俺の表情を見て、「そうだね」と呟き、また前を歩く。



「この国が作り出した戦争のための兵器は、そりゃぁもう、効果絶大だった。どの国も従うようになったさ。そしてバンパイアが増えると非難を浴び、君らヘルを生み出し、人間は人間同士で結束力を高め、バンパイアを始末することで団結した」



「俺は歴史を知りたいんじゃない。あなたが呼び出した理由を知りたいだけです」



「まぁ、聞いてよ」



俺達はひたすらに森の奥へ奥へと進んでいった。城を背中に、暗い森を突き進む。



「この国に逆らう他国に対して、脅しとして、クラウドが何をしたと思う? 殺戮だよ。無差別に人を殺した。最初は軍事基地。そして貴族の町。庶民の町。人を食い殺したんだ。一夜にしてひとつの街が壊滅する。夜の悪魔は誰もがみんな恐れた。罪のない子供も、女も、みーんな殺したんだ」



「…知っています」



ラドが過去、どれだけ冷酷な事をしてきたか分かってる。あいつは許されないんだろうってことくらい。けど、全てラドが悪いのか。違うだろ。



「ふふ、そんな辛そうな顔しないでくれ。確かに君にとっては酷なことを言っているけど、事実なんだ」



「だから分かってるって、言って…」



「善悪なんて所詮、後付けなんだよ」



グラムスはそう言うと、俺に優しく笑いかけた。



「クラウドだけが悪い? この国が悪い? この国を戦争に焚きつけた他国が悪い? バンパイアが悪い? 人間が? ヘルが? 善悪なんて変わるし、正義なんて存在しない。この国にとって戦争に負けるということは、この国を終わらせるという事だった。そうなると民を守る事は出来なかった。だからバンパイアを、強力な武器を生み出した。クラウドはただ指示に従っただけ」



「それなら…」



「それでも、大量に人を殺めたのには違いない。いくら戦争であったとしても、それがこの世界が決めた方針だ。あいつが償うチャンスがあるとしたら、あいつはリアを始末して、自分も死ぬ事、それがあいつが過去にやってきた罪を清算する唯一の方法だった」



ふざけんなと叫びたかった。罪を償ったって、本人はこの世にいないんじゃ意味ないじゃないか。あいつはそこまでして過去を悔いてたのかよ。あいつだけが悪いんじゃ、ねぇだろ…。



「君は戦争を知らない。クラウドはきっと、二度と、この世の中に戦争を起こさせたくないのだろうな。とはいえそれは相当難しい事ではあるけれど。けどね、世界がまたあいつを必要とする時が来るのなら、あいつはきっと現れるかもしれない。……今度は救世主、として。あいつが本来望んだ姿で」



「ど、どういう事ですか…、俺はあいつにまた会えるんですか」



鼓動が煩い。手が期待に震える。



「さて、着いた。ここに用があったんだ」



どういう事かと問い質したかったのに、グラムスがそう言って一歩、かなり古い廃教会の中へと入って行った。その教会はもう人が来なくなってから、うんと年月が経っているようだった。こんなところに教会があったなんて、全く知らなかった。誰が、何のために、こんなところに…。けれどステンドグラスも割れておらず、今でもまだ月の明かりによって輝いている。ただ至る所に蔦が絡まり、植物が根を生やし、十字架は根元から折れていた。



「こっちだ、足元に気をつけて」



グラムスの後をついて行くと、祭壇の裏側に連れて行かれ、そして指先を軽く噛み、血を流すと、その血を数滴床に落とした。するとギシギシという軋む音と共に、その一部の床から地下へ続く階段が現れた。まるでリアの部屋にあった仕掛けのようだ。グラムスに案内されるまま俺はその階段を降りる。降りて行くと、そこは真っ白な部屋だった。天井も壁も床もシミひとつない白い箱。俺は暗闇から急に明るい所へ連れて来られ、目を細めていると、グラムスは奥にある小さな箱の前で立ち止まった。


その箱は厳重に守られているようである。真っ白な部屋にある、異様な雰囲気の箱。ガラスケースに仕舞われ、誰も手出し出来ないようになっているらしい。グラムスはまた自分の血を数滴、真っ白な床に垂らすと、台座に彫られた模様が赤く染まり、そしてまた白へと戻る。それと同時にガラスケースが開いた。



「そして、これを入れる」



グラムスは懐からあるものを取り出した。それは俺がリアの元から奪ったあの石だった。ラドに頼まれ、渡したあの海のような石。鍵、だ。それを古い箱のくぼみにはめ込むと、箱の重そうな蓋がゆっくりと開いた。



「これ…」



「そう、中身はこれ」



大事に仕舞われていたものは、真っ黒な表紙の古い本であった。それは「BLACK…」



「正解」



この世を予言して書かれたと言われている本。ラドが書いたこの世界の話である。一体どうしてこんな所に。



「はい、どーぞ」



「…え?」



グラムスは俺にその本を手渡した。ずっしりと重く黒革は年季が入ってボロボロだった。ベルトを外し、中身をパラパラとめくると、そこには字がぎっしりと詰まっていた。目が痛くなるほど、ぎっしりと。



「最後のページ、無くなっているだろう」



「はい」



確かに最後のページは破られていた。最期の結末は誰も知る由がなかったのだ。



「バンパイアの王が、この世界のために自分の子を殺し、そして自分も死にいたる。愛する者に銃を握らせ、命を奪える武器で心臓を貫かせた…。その後、破れているだろ。エピローグが書かれていたんだよ。バンパイアの王が死んだその後のことについて」



「どうなったんですか…?」



「自分の目で確かめなさい。これが、破れた最後のページさ」



目の前に差し出された古くて黄ばんだ紙切れ。それはこの本から破いたようだった。この世界の全てが詰まっている。この世界の結末が詰まっている。俺は今、それを目の前にしているのだ。どう記されているのか。どう結末を迎えたのか。俺は震える手で、その紙を、グラムスから受け取った。


そこにはたくさんの情報がぎっしりと詰まっていて、俺は理解するのに少しの時間が要した。


しんと静まり返る部屋。ただ白い部屋に、グラムスは俺が読んでいるのを優しく見守っている。外はまだまだ暗く、漆黒の闇の中のようであり、それはまるで俺の心の中のようでもあった。誰も助けてはくれない。助ける事なんてできない。俺は自ら唯一の存在を消し去ったのだから、その報いを受けなければならない。暗闇のどん底から解放されるには、俺は自ら命を絶つしかない。絶望しかない、このつまらない世の中で生きてなどいたくない。もしくは、死んだ男が蘇るというのなら、俺はまだまだこの世界にしがみついているだろう。


男が俺にもう一度微笑みかけてくれるなら。


俺はその日まで、生きていける気がするのだ。あの大きな手で俺の頬を包み、甘い声で俺の名前を呼び、触れ合うだけの優しい口付けをしてくれるのであれば、俺はなんだってする。なんだって。なんだってする。死のうなんて思わないさ。それがいつになったって構わない。


いつまででも待ってる。


お前が蘇るというのなら、いつになったって構わない。ずっと待つよ。



「…分かったね?」



その古い紙切れを読み終えた俺は、鼻先がツンと痛み、目を擦った。膝から崩れ落ちそうな感情をぐっと堪え、泣くのではなく、笑おうと口角を上げた。



「…ここ、この場所なんですね。ラドがそうだと決めたのなら俺は従うだけです。俺はラドを待ちます。いつになったとしても、待ちます」



「相当、長い年月がかかると思うよ。この世界がクラウドを許さない限り、あいつは戻ってなど来れないのだから」



「けど、世界はきっとラドを戻しますよ」



「ふふ、クラウドが戻って来る時は、大きな力がまたこの世界を飲み込もうとしている時なんだろうね」



「そうですね。本当の神様、かもしれませんね。俺らはきっと、神様に楯突いているんでしょう。それでも俺にはあいつが必要なんです。クラウド・ディラーが、何よりも、必要なんです」



グラムスは優しく微笑むと、紙切れを本に閉じて箱へと仕舞う。箱はまたガラスケースに収納され、静かに、次に開かれる日を待っているようだった。グラムスは石を取り出すと、それを俺の目の前に差し出した。



「君が持っていなさい」



「…え? けど」



「必要になる時まで、君が持っていなさい。きっとあいつもそう望むと思うから。次に開けるときは、この本など不要になった世界である事を願うよ」



「…そう遠くない未来だと思いますよ」



俺はその石を受け取り、ふたりで来た道を辿った。外はまだ暗い。鼻先が肌寒い風で赤くなっていくようだった。世界はこれからうんと変わってしまう。今、俺達が知っているこの世界から180度変わってしまうかもしれない。ラドが望んだように、本当にバンパイアと人間とヘルは共存し、壁がなくなるのかもしれない。バンパイアだから、人間だから、ヘルだから。そんな理由で差別されない日が、近い将来くるのかもしれない。


ラドが願っていたのはそんな世界なんだろう。結局、なにもかもを背負い込んで、自分の命を投げだした男は、変わった世界を見た時、なんと言うのだろうか。


再びこの世界に戻って来たとしたら、ラドはまず何をするのだろうか。俺に会いに来てくれるだろうか。その時俺はまだ生きているのだろうか。世界はあと、どれほど待てば、ラドを許してくれるのだろう。どれほど待てば、ラドは俺に、微笑みかけてくれるのだろう。


俺は大きな満月を見ながら、静かに誓いを立てた。


ラドが戻って来るのであれば、俺はなんだってする、と。


ひゅぅっと冷たい風が吹き、俺は寒さに身を縮めながら、その教会を後にした。


さようなら、クラウド。

いずれ必ず会おう。

その時、お前には言いたい事があるんだ。


だから、その日まで、さようなら。


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