17. 夜会
ラドがリアに対して宣戦布告をした以上、俺は警戒をしていた。いつ襲ってくるかも分からないと、常にナイフをベルトに挿していた。だが日常は特に変わる事もなく、日々、淡々とハントを熟す毎日。特殊任務として与えられていたバンパイアの捕獲は、理由をつけてしなかったが特段注意が入る事もなかった。ラドは相変わらず人間のハンターのふりをしては銃とナイフを装備し、始末されるバンパイア相手にすら人間のように振る舞うのが常だった。
そうして日々が過ぎていったが、何度目かのハントの帰り、リーダーから招集がかかった。それは例の極秘任務についてだった。詳細が分かったと連絡が入り、ハント内容の全貌が明らかになった。同時に、かなり危険になると俺とラドは考えていた。
場所はダイアド。貴族の街と呼ばれる古都だった。自分達が管轄するイーストサイドの中ではもっとも治安の良い場所であり、バンパイアに対するセキュリティもずば抜けて厳しい街だった。独自でハンターを雇っており、優秀だと俺達の耳にも届いていたし、だからこそ、俺達の組織に依頼が入った事はなかった。
その街にこれ見よがしに開かれる大集会は夜会と呼ばれているらしい。主催はもちろんリア。参加者は熱狂的なバンパイアの信者。調査班が調査した結果、参加人数は50以上と予想。どの隷属が多いのかは不明との事だった。
俺とラド、ネークさんとマスター、ハルさんとリク、そしてリーダーとシャル、4組で相手をするには多いと誰もが考えた事だった。リーダーは上に打診したようだが結果は変わらなかった。そうして上からは禁断の方法を用いる事を示唆される。今では禁止されたバンパイアへなりすまし潜入する方法である。俺達にとってはかなりの賭けだった。ラドは何かを覚悟していた。俺もまた、最悪の事態を覚悟しなければと、互いに何を言うわけでもなかったが何を考えているかは分かっていた。
「……だからって、そんな食い納めするみたいに、…っ、がっつかなくても……俺は、逃げないよ」
別に食い納めしようと思ったわけじゃない。ただ、俺が不安になっただけ。万が一がある。俺は不死身ではないし、無事に戻って来られるか分からない。ラドに守られようが、ハンターとしてスキルを磨こうが、50匹相手で加えてリアは必ずいるだろう。エヴァそれにビルがいる可能性も高い。その中で狙われてしまえば一瞬だ。そう思うと少し焦りが表に出てしまった。
何の焦りだと問われれば、口を噤んでしまうような焦り。ラドは好きだの愛してるだの言うくせに、深く繋がろうとはしない。だからもどかしいのだと、ラドの首筋から顔を上げ、じっとその甘ったれた顔を見下ろした。
凛々しい眉は顰められ、今にも目から涙を溢して泣いてしまいそうな瞳で、苦しそうに半開きになった唇の間から熱い吐息が漏れる。首筋を俺に向けていた為、横目で俺を見ている。冷たい手は軽く唇に押さえてつけられ、何かを我慢するように曲げた人差し指の関節を甘く噛み、その隙間から、ふっ、と熱い息が漏れ出している。それがどうしようもなく誘っているように見えるのだが、と怪訝な顔をしてその瞳を見下ろした。
「今夜は厳しい戦いになるから好きなだけ食え、って言ったのお前だろ」
いつも最初に誘うのはお前なのに。顔にかかる髪を横に流してやると、ラドはふふっと笑う。
「なんだか、いつもこんな会話してるな」
「いつもお前から誘うからだろ」
「何を?」
口角が怪しく上がるのを見て、何かがプツンとキレそうになるのを感じていた。だから俺の眉間の皺はいつもより一層深くなる。
「何を、じゃない。……お前さ、俺を何だと思ってる? 俺はお前に言った事があるし、組み敷いた事もある。それを分かった上で煽るなよ」
はぁ、と溜息を漏らすと、ラドは呼吸が少し落ち着いたらしく顔を俺に向けた。
「そういう誘いは食事とは別、なんじゃなかったの」
「そう思ってたけど、お前に邪魔されたからな。なぁ、お前はどう思ってんの。あの時は甘い顔して、食われる事が何よりの快楽だ、とか吐かしてたろ」
「あれは毒を飲ませる為だったろ?」
「じゃぁ本音は? お前は俺と同じ気持ちだって思ってて良いのかよ」
第一、お前が俺に好きだの愛してるだのくっ付いて回ってたくせに。俺が靡いたら、妙に距離を作りやがって。その不平不満はきっと顔に出ていた。ラドは俺を見上げたまま、少し考え、何かを決めたように口を開いた。
「俺が君を愛してるのは本当。今すぐ好きにしてほしいと、口をついて言いそうになる」
「じゃぁ…」
「けど、できない」
ラドは上体を起こすとそう溜息を吐いた。
「は? そうやって逃げ続けンのかよ」
「……だってまさかヘルの君がここまでオープン誘ってくるとは予期してなかったから…」
瞳は少し気まずそうに逸らされて腹が立つ。
「殴ってやろうか」
「…怖い。けど割とその怖い顔と低い声好き」
ラドはくすっと揶揄うように笑って俺を見つめた。ふざけんな。どうせそう言っても、またラドに揶揄われるように掌で遊ばれるだけだろうからと、口を一文字に閉じて目を細めた。ラドはふふっと笑うと、一度深呼吸をして呟いた。
「正直、俺にとって行為そのもの事態は割とどうでも良いんだ。快楽主義と言われて、誰彼構わず好きにまぐわって、抱くのも抱かれるのも好きだった。でも真剣になってしまうとね、……怖いんだろうな」
よく理解が出来ない。こいつにとって、愛する者との交わるのは怖いという事なのだろうか。なぜ?
「怖い?」
「なぁ、シン」
「何」
「全てが終わってから、決着がついてから、全て精算して身綺麗にしてから、…それまで待ってくれないか」
ラドの目はいつになく真剣な目をした。だから違和感を覚えた。
「待たなければならない理由がある、って事なのか?」
「別に守らなければ死ぬとか、そういう事じゃないんだけど…」
「過去にリアと何があった」
そう聞くと、ラドは少し口を歪める。
「少し長くなる昔話だけど、良いかな?」
「ご老人は昔話が好きだからなぁ。いいよ、聞いてやるよ」
ラドはひどいなと一頻り笑うと、一呼吸置いて口を開いた。
「戦争後、感情のないバンパイア達、人間にとってはただの兵器は危険だから、という理由で即刻処分、破棄された、って事は知ってたか?」
そんな話は聞いた事がなかった。「いや…」知らなかったと首を振る。
「武力行使で戦争に勝った後、使われた俺達は処分される事が大前提だった。処分される事に対して、俺は何も感じていなかった。死ぬ事に対する恐怖も、この世に対する執着も、何もないのだから、ただ自分の順番を待っていた。ほとんどの仲間が処分されたある日、バンパイアの王をどう処分するのかと人間達は考えていた。何をしても死なない兵器ってのは想定外だったらしい。ずっと日光を浴びせていればいつか灰になるだろうと考えたそいつらは、俺を施設の木に括り付け、何日も放置した。血も飲めず、太陽光の下でジリジリと皮膚が焼かれるのを感じていたが、灰にもならないし、皮膚も少し火傷のように赤くなるだけ。夜には治癒して、また陽が昇ると皮膚を焼く。死ぬ事のない体で痛みと苦しみにただもがく毎日だった」
淡々と語られるがそれはラド自身の事だ。信じられなかった。あまりにもその酷さに吐きそうになる。喉の渇き、皮膚が焼かれる感覚、そして死ぬ事がなく永遠と苦しみ続ける。それはただの拷問だと眉を顰めた。
「そんなある日突然、その施設は大火事になった。ひとり、またひとりと監視していた人間は殺され、大火事のどさくさに紛れて残っていたバンパイア達は散り散りに消えていった。そんな中、あいつはいた。にこにこと赤い瞳で俺をじっと見つめて、俺に近付いて言った。誓いを交わせば逃がしてあげる、と。俺には失うものは何もないし、誓いどうのこうのどうだって良かった。ここから逃げ出せればそれで良かった。だから深く考えずに頷いた。ゴッドはこう言った。僕のそばに一生いて、僕を守って、僕を愛して」
「そんな誓いなんて無効だろうが」
「どうだろうな、分からない。でもきっと、俺が悪かった。あいつが求める事全てに応えていた俺が。あいつが俺を食う事も、抱く事も、誰かにそれをさせる事も、…そして俺を殺そうとする事も。何をしたって受け入れた。今、あいつが暴走してるのは俺のせい。俺が全てを放り出したから、あいつは縋るものを失くした」
「……なぜ、お前はリアから離れようと?」
「完全に離れられたわけじゃないけど、今のように距離を保つようになったのは、俺が感情を得たから。喜怒哀楽、何が良くて、何が悪い。何が好きで、何が嫌い。そうなると、ゴッドとの関係の異様さと危うさに気付いてね。だから逃げるようにゴッドの側を離れ、俺は自分の城を作り、自分の世界で過ごした。それでもゴッドとの誓いはまだ続いてる。あいつが俺に望む限り、永遠と。俺の体は汚れてる。……君が俺を求めてくれるなら、少しでも綺麗にしたいんだ」
リアとクラウドの関係は俺が想像していたよりも根深く愛憎が広がって、首を絞め合っている気がした。けれどこれで分かった事がある。リアはクラウドを本気で殺したいわけではないのかもしれない。本当は愛されたいだけなのかもしれない。だとしたらこれは、何もかもが上手くいかない。もうこうなってしまえばきっと互いに破滅するまでやり合ってしまう。それで良いのか、いや、それが良いのか。何が正解なんだ。正解なんて、ないのだろうか。人間からすれば、きっと、リアとクラウドが互いに潰し合ってくれれば世界の為だと笑うのだろう。
「分かった」
俺はラドの上から体を離し、横に倒れた。大の字になって深呼吸した。愛情って何だろうか。
「待ってやるよ」
ラドは何も答えなかった。目を伏せていたラドへと視線を移した。
「全てに決着がついた時、お前には言いたい事がある。覚悟しとけよ」
ヘルにとって愛だの恋だのは最も理解し難いし、愛情なんて考えるだけで頭痛の種になるが、もう認めざるを得ない。俺がラドに対して抱いているのは紛れもなく愛情で好きだと、愛してると、お前と一生を共にしたいと、次から次へと言葉が浮かんでは飲み込んだ。全てが終わったら、真正面から言ってやろうと決めた。お前が本気にさせたんだから、早く責任を取ってくれと、口をついて言いそうになったけど、何ひとつ口から溢れる事はなかった。
ギシッと軋むベッドのスプリングスの音を聞きながら、ラドはどこか苦しそうに、でも愛おしそうに、食むように唇を重ねた。
………
……
…
「それでは各自、持ち場に着くように。西はネークとロク。北はハルとリク。東はシャルと私。正門はシンとクラウド。君達は私からの連絡を待つように」
「はい」
「幸運を祈る」
古都に聳え立つ歴史的な古城は、あまりにも血の匂いが充満していた。音楽隊が軽快な音楽を演奏し、その楽し気な音楽は外にまで漏れていた。幸いな事に、バンパイアの血液を体に入れても誰ひとり拒絶反応を示す事はなく、一時的に俺達はバンパイア達にとって判断がつかないようだった。
俺とラドは正門からふたり並んで城内へ進入した。タキシードに身を包み、仮面舞踏会のような派手な仮面を着けて顔を隠す。派手な色、装飾もゴタゴタに煌びやか。誰が誰だとは分からない。周りを見渡せば、女も男も派手に着飾り、どいつもこいつも楽しそうに下品な会話をしていた。誰に怪しまれるわけでもなく、広場に進んで様子を伺う。
作戦は餌場と呼ばれる東西北にある部屋に集まるバンパイアをそれぞれ振り分けられたペアで始末していく、という内容だった。餌場の部屋は広く暗く、常に血の匂いが充満している場所だった。バンパイアを殺したところで怪しまれない場所である。その餌場には貴族の人間が何人もいるらしい。その人達の救出も今回の目的のひとつだった。だが現実は残酷で、その貴族達も嫌ならそこを逃げ出せば良いものの、すでにリアに洗脳されている者ばかりらしい。
俺達の担当はそのメインフロアだった。各部屋に何匹のバンパイアがどこに向かったかを報告する役割、怪しまれていないか、退散の判断、そして最終始末の担当。しばらくは順調だった。どの餌場も淡々とバンパイアを飲み込んで行く。だがふとラドがメンフロア、広場の一画で足を止めた。
「…チェックの気配がする」
ラドはマイクをオフにすると、そう俺に呟いた。周りの騒がしい話し声や音楽が俺達の声を掻き消していく。
「それもかなり弱ってる。……餌、か、見せ物か。どこかにいるはずだ」
しかし明らかに弱ってるバンパイアはざっと周りを見渡しても見当たらなかった。だとするなら、どこかに監禁されているのだろうか。辺りを見渡すが、あまりにも部屋が多い。3階まであるのだから、いちいち探してはいられない。
「片っ端から探す時間はないぞ」
「探さなくてもそのうち出てくる。……弱みを握られたな、あのバカ」
ラドはそう舌打ちをする。弱み、つまりバースの事だろうと俺は眉間に皺を寄せた。
「それってかなり厄介なんじゃないのか」
「あぁ。かなりな。…ゴッドは新入りが多いときに、“大物”を見せ物にする。どんなやつだって従わざるを得ないと、力を誇示して見せつける為にな」
「大物って、つまりそれはお前も含まれるのか。お前も、見せ物にされた事…」
「ふふ。そうね」
ラドはそれが何でもない事のように肩をすくめた。
「まぁ別に俺は良いんだ。ただ問題なのは、チェックを見せ物にするって事は、俺へのメッセージだろう。俺がここに来ることを知ってる、その可能性の方が高い」
「それ、まずいよな……」
「退散を打診した方が良いかもしれない」
「けど、何て言う? ゴッドに自分がいる事がバレました、って言えるわけないだろ」
「何か理由を…」
その時、トンと誰かと肩がぶつかった。ぶつかっておいて謝りもしないのかよと苛立ちながら、そちらを見ると、ヨロヨロと大きな男が歩いていく。男からは血の匂いが漂っていた。酒の臭いはしなかったが、酒でも飲みすぎたのか。それとも上物の血でも飲み過ぎたのだろうか。血の飲み過ぎて酔っ払うかは知らないが。だがラドは話し途中のまま、眉間に皺を寄せ、その男の後ろ姿をじっと見ていた。男はそのまま奥の部屋へと消えて行った。男もまた仮面をつけていた為、顔までは見えなかったが知っている男だったろうか。
「ラド…?」
ラドは少し考えた様子だった。だがそのまま誘い込まれるように男を追ってその部屋へと入る。
「おい、」
どうしたと声を掛けると、ラドは人差し指を口の前に、静かにと合図する。部屋は倉庫のようで薄暗かった。ダンボールや空のワイン樽が山積みされている。ラドはゆっくりと奥に進む。進むにつれて血の匂いは濃くなり、ふー、ふー、と荒い息遣いが聞こえた。手負いの獣のようだなと俺はナイフに手を掛ける。
ラドは奥に並ぶワイン樽に近付き、「おい、」と声を掛けて、言い切る前に身構えた。樽の裏から先程の大男が襲いかかってきたからだ。ラドはそれを簡単にいなして、その男の腕を後ろに回す。男は痛みに短い悲鳴を上げると、タップして降参だと喚いている。ラドはその腕を離して仮面を外した。
「俺だ」
「分かってるよ…、いや、今、分かったんだけどよ」
大男も仮面を取る。それは紛れもなくバースだった。
「相当、怪我してるな。ゴッド?」
バースはその場に座り込むと、頭をガシガシと乱暴に掻いた。
「俺は良い。…チェックが」
「分かってる。どこにいるか分かるか」
いや、とバースは首を横に振った。
「俺のせいなんだ……。俺があいつに捕まっちまったから、チェックが助けようとして…」
「どうしてチェックの弱みがお前だとゴッドにバレた」
「分からない、けど多分…俺達の関係を知ってるやつがゴッドに漏らした可能性がある。直属のやつらも、ゴッドに洗脳されてるのかもしれない」
「……そうか」
ラドはそう言うと仮面を着け直し、バースを見下ろす。
「お前はここにいろ。この城はハンターが囲んでるし、そのうちゴッドが出てくる。その時にはきっとチェックも出てくるはずだ。お前はここで怪我を治す事に専念しろ。逃げられなくなる」
「いや、けど…」
「チェックは俺に任せろ。今の前じゃ足手纏いになるだけだ」
「……っ」
ラドはわざとそう突き放すと俺の隣に立ち、「行こう」と部屋を出た。部屋出ると、メインフロアはざわざわと騒がしさを増していた。何事かと見ると、ステージ上にはビルがいた。
「おい、」
ビルがそう声を掛けると、後ろにいた男が奥の部屋からズルズルと血みどろな青年を引き摺って来た。
「ようやく見せ物だ!」
「今日は大物が見せ物になるって噂だろ」
「誰が見せ物になるんだろうな。食えるかな」
「ファーストの直属って噂あるぞ」
「俺はセカンドの誰かって聞いた」
男達によって引き摺られた青年はその場に倒れ込むと、虫のような息で身動きひとつ取れていない。血で顔が見えないが、チェックではなさそうだった。
「お、おい、ナディースじゃないか」
そう後ろでボソッと声を漏らしたのは、部屋に置いて来たはずのバースだった。まだ治癒しきってないだろうに。
「バース、治癒に専念しろって言ったろ」
「けど、あれ、ナディースだ……。なんで、あいつが」
「お前の直属だったよな? なんで標的にされた」
「……あいつら、ナディースを」
そうバースは奥歯を噛み締めてズカズカとステージに上がろうとするものだから、ラドは焦ったようにその腕を引いた。
「よく考えろ。今、お前が出ていけばチェックを助け出せない」
「けど、あいつを助けねぇと…」
「無理だ」
「無理じゃねぇよ。離せ、あいつまで…あいつまで、」
ラドはそれでもバースの腕を離さず、ステージ上では何匹かのバンパイア達がずらりとナディースを囲んでいた。
「俺はこいつに恨みがあった」
「俺はただこいつを食いたいだけ」
「血みどろで良いなぁ。興奮するなぁ」
「バースを裏切れば良かったろ?」
ケタケタケタと奴らは笑うとナディースに牙を剥く。ナディースの悲鳴が城内に響き渡り、バースは怒りを抑えきれずにラドの手を振り払った瞬間だった。誰かが、囲んでいたバンパイアの1匹を蹴り飛ばした。一瞬の出来事だが、また次、次、とナディースを食らっていたバンパイアが蹴散らされる。ステージの端にいるビルは舌打ちしながら、頭を掻いていた。
「話、違うんじゃないのか」
バンパイアを蹴散らした男の姿に場内はざわついた。どうする、逃げた方が良い、ゴッド様がいるはずだ、俺達は守られる、ざわざわざわと騒がしくなり、ビルは「うるせぇな」と呟いて男を見た。
「チェックさーん、そいつも見せ物なんだけど。そいつも食われないと、困ると思うんだよね」
「今日の見せ物は俺だけだって、そういう話だったよな? だから俺は…」
城内のざわつきはピークだった。そりゃそうだ。チェックが見せ物だと判明したのだ。どいつもこいつも興奮気味だった。
「何の話かな。おい、ナディース、言ってやれよー。自分が食われないと困るんですーって」
ナディースはボロボロの雑巾のように血だらけの顔でチェックを見上げると、掠れた声で訴える。
「……俺が、…俺が食われないと、…ジル、が、ジルが…」
ぶつぎれになる言葉、絞り出してようやく吐き出したであろう言葉だった。ラドはバースに「ジルってペットか」と問うと、バースは悔しそうに拳を握るだけだった。
「ビル、ナディースもジルも解放しろ」
チェックが低い声で訴えた。
「無理ですよ、無理無理。だってこーんなにたくさんの新しい仲間をお迎えしたんですもん。見せ物がなきゃ、ねぇ?」
「だったら、俺ひとりで良いだろ」
あぁクソっ、そうラドが吐いたのが微かに聞こえた。
「俺の顔を知らないやつはここにはいないんじゃないの。だったら俺がお前らに食われてやるよ。好きにして良い。けどその代わり、このふたりは解放しろ。それと、バースにも指一本触れるな」
ビルはふっと鼻で笑う。
「あんたが食われるのは当たり前だろ。あんたが逆らえばバースが痛い目を見る、それだけだ」
バースはその言葉に反応して一歩踏み出そうとするが、ラドに待てと制止させられる。
「なら、」
チェックはそう呆れたように首を捻ると、ベルトからナイフを取り出して慣れた手つきで構えた。
「良い見せ物をしてやろうか。俺がここで暴れれば、ここにいる大半のゴッド信者は死ぬ事になる。もちろん、お前もな。ファーストの直属だろうが、俺には勝てないよ」
「……っ」
さすがのビルも目に動揺が見えた。舌打ちをすると、「どうします?」と奥に視線を移す。
「どうしようかなー?」
その時、リアがワハハと軽快に笑いながら颯爽と登場し、城内はリアを尊敬し賞賛する声で埋め尽くされた。狂ってるとバースが呟き、その視線の先にはチェックがいた。駆け付けたいのだろうが、ラドが指摘するよう治癒を優先しなければ元も子もない。
「じゃぁ、こうしよう!」
リアが後ろにいた赤毛の男に、連れて来てと頼むと、男は奥の部屋からひとりの人間の青年を引き摺りだした。青年は目隠しをされていたが傷ひとつついていない。小柄で金髪の青年。首からはシルバーリングが通されたペンダントをしていた。待て、あの赤毛の男、あの古城にいたやつだろうか…。体格は似ているが、目元は仮面で覆われて判断が出来なかったが雰囲気はあの赤毛だった。
「ジル!」
ナディースの叫び声に青年は震える声で彼を探した。
「ナディース、どこ…」
けれどナディースがジルの元へは駆け付ける事はできない。それほどの体力はもう無かった。
「ドラマチックだね。僕はこういうが見たかった! まぁ、でも予定変更と行こかな。ねぇ、チェック、こうしよう。僕は確かに君に暴れられては困るし、君が素直に見せ物になってくれるなら大歓迎! だからそこにいるサードの直属とそのペットは解放してあげる。その代わり、チェック、君は僕に食われてよ」
リアはそうすればチェックは断れないと、何もかも分かっていたようだった。ビルがふっと鼻で笑う。城内は騒がしくなり、チェックの苦虫を噛み潰した表情にバースは苦しそうに吐き出した。
「クラウド、もう限界だ。腕を離してくれ」
「ナディースとジルの安全を確保するまではダメだ。それとお前は絶対に動くな」
「クラウド、…頼む」
「行けばお前達はふたり揃って死ぬよ」
ステージ上ではチェックがナイフをベルトに仕舞うと、深呼吸してゴッドを見下ろす。
「なら、今すぐにナディースとジルは解放しろ。そうすりゃぁ良いよ、食われてやる」
「言ったね?」
「良いからさっさと、解放しろ」
リアはチェックに近付くとそっと頬にキスを落として男に命じた。
「ふたり、解放してあげて」
そう命じられた赤毛の男はジルの目隠しを外し、ナディースを担ぐと、つかつかと城の出口まで進み、ドアを開けてナディースを放り投げるように外に出した。ジルが追ってナディースを抱き締めていたのがドアが閉じる瞬間、少しだけ見えた。ラドは肩を撫で下ろし、安堵した瞬間だった。
「おい…っ」
隙をついてバースがステージへと走って行ってしまった。ラドはくそ、と呟くとナイフに手を掛けていた。ラドが武器に頼るのを俺は初めて見た。
「ゴッド、もう良いだろ!」
バースはチェックの隣に並ぶと悲鳴に近い声を上げた。
「あー……バレちゃった」
リアはくすっと笑い、チェックは状況が読み込めず眉間に皺を寄せる。
「どういう事、だ……」
「いやね、バースってやっぱ剛力の筋肉バカじゃない? だから、僕がいない間に部下が抵抗されちゃってさ、逃しちゃったんだよ。でも良かった、こうして戻って来てくれたわけだ」
リアは肩をすくめて笑っている。
「元々は俺だったろ。俺が見せ物になるって話だったろ。頼む、ゴッド。チェックはもう良いだろ、…頼むから」
ラドは静かに呼吸を整えた。あまりにも不安定な空気だった。ひりつき、誰がいつ、その刃を向けてもおかしくはない。
「それがゴッドの狙いだって、分からねぇかな」
ぽつりと呟かれたラドの言葉は俺にしか届いていない。リアは楽しそうに拍手をすると、ステージを見上げているバンパイア達に向かって大袈裟に両手を挙げた。
「さぁー、ショータイムだよ! 今日は特別なお客様! サードのバースに、セカンドのチェック、ふたりが今日の見せ物だ!」
城内の異常な騒がしさと、ラドの苛立ちに震える拳。俺はただ何がどうなってしまうのかと、万が一に備えてナイフはすぐに抜けるように手を掛けていた。ラドもまだナイフから手は離していない。
「さぁさぁ、もっと近くで!」
リアは楽しそうにステージ近くにバンパイア達を集めると、銃を2丁抜き、床に置くと足でそれをふたりのほうにそれぞれ滑らせる。
「殺し合い、始めてくれる?」
常軌を逸した提案に、城内のボルテージは上がる。ステージ上ではチェックとバースが視線を合わせた。少し睨み合うように、そしてチェック諦めたようにその銃をバースの方にコンと軽く蹴る。
「バース、良いよ、俺を撃て」
「……いや、……違う…、違う、こんな事、」
「良いから、撃て! 共倒れになる!」
「撃てるわけねぇだろ!」
リアは無邪気に笑顔を見せていた。さ、さぁ! と圧を掛け、殺せと囁く。しかしチェックもバースも殺し合いは始めない。言い合い、少しの沈黙の後、チェックは痺れを切らしたように銃を取った。そしてそれを自分の頭に突き付ける。
「嘘だろ……」
つい声が漏れた。声は周りの騒音で掻き消され、ラドはじっとふたりを見ている。バースはチェックを見ると、途端に笑い出した。ゴッドは訝しげにふたりを見ると、「何笑ってんの」と苛立ちを顕にする。
「あー…なるほど、と思って」
バースはそう言うとバースもまた銃を頭に突き付けた。
「殺し合いはしない。するくらいなら死んだ方がマシ」
チェックはくすっと笑うと「そういうこと」とリアに笑いかけた。
「悪いが、お前が期待してる展開にはならないよ」
ゴッドはその言葉を聞いて「あー、つまんな」と大袈裟に項垂れて見せると、赤毛の男に指示を出した。男はコウモリへと姿を消すと、城の外へ出て数秒。断末魔のような叫び声が外から聞こえた。まさか、と俺は息を飲む。男は無表情に城内へ戻るとリアに何かを渡した。リアは心底楽しそうに笑うと、それをバースに手渡す。見た瞬間、バースが崩れ落ちた。
「なんで…どうして、」
「だって、君達が殺し合いしないからだろー? 全く、つまらないな」
バースの手から落ちたそれは、真っ赤に染まったペンダントだった。ジルと呼ばれたあの青年が首から下げていたリングペンダントが、血に濡れ、手から溢れた。放心状態のバースの横で、チェックが怒りに肩を震わせていた。チェックの動きはあまりにも速かった。ナイフを抜き、リアに切りかかる。だが、リアはそれを瞬時に判断し、一歩だけ後ろに下がると、ビルが割って入り込み、打点の高い位置に蹴りを入れる。ナイフを落とさせようとしたのだろう。だが、チェックはそれを見切ると身を翻してナイフを逆手に持ち、体勢を立て直した。
「お前が相手なら、殺すよ」
ビルにそう脅しを掛けると、ビルはふっと鼻で笑う。
「やれるもんならやってみろよ」
再度、チェックがビルに切りかかり、ビルは隙をついて、床に落ちていた銃を拾う。何発か撃ち込むが、動く相手には難しいだろう。リアはその横で欠伸して、バース見下ろした。唇を尖らせら一歩、バースに近付く。チェックは視線をバースに戻すと、「おい!」と手を伸ばすが、「よそ見する暇ないんじゃねぇの」とビルに鋭く蹴りを入れられた。急角度から入った蹴りはチェックの脇腹を掠め、チェックは少し体勢を崩す。バースはリアを見上げた。リアはバースを見下ろすと、首を傾けた。
「ナディースはもう君の元には戻らないよね。君のせいでジルが死んだから。それに森の中、太陽が昇ってしまえばどちらにせよ灰になる。それも、これも、君のせい。ぜーんぶ、ぜーんぶ、君のね」
「ゴッド!」
半狂乱のような声だった。チェックはビルに思いっきり蹴りを入れ、ビルはかわしきれずにその衝撃で奥に飛ばされる。壁に体を打ちつけ、ようやくそこで体が止まる。額から血がゆるりと流れ、騒がしたかった城内がしんと静まり返った。ビルは気を失ったのだろう、起き上がらなかった。
「バースから離れろ」
チェックはギロリとリアを睨み付けると、リアは片眉を上げて揶揄うように鼻で笑った。
「おー、怖い怖い。ビルを一撃でやっちゃうの、やっぱトップらしくてすごいね!」
「良いから、離れろ」
「でもまぁ、僕には勝てないだろう? それは分かってるよね」
「さぁな、試そうか」
「えーいいよ、試さなくても。どうせ僕が勝ってしまうもん。無駄な体力は使いたくない。それに僕はただショーをしたいだけ。ね? たくさんの僕の仲間が見せ物を期待してくれてるのに、見せ物がないなんて困ってしまう」
「……何が言いたい」
怪訝な顔をするチェックにリアは笑いかけた後、体をこちらに向けた。
「僕が何を考えてるか分かるよね、ラディー」
ラドの肩がぴくりと動く。城内はラディーが誰を指すのか分からないようだった。俺は無意識にナイフをベルトから外していた。あからさまに構える訳にはいかない、と考えていた時だった。ステージにいたリアが消え、気付いた時には「やぁ!」、楽しそうな声と共に脳を揺さぶられる。何が起きたのか一瞬理解が出来なかった。だが気付けば床に倒れていて、頬に鈍い痛みを感じ、仮面がどこかへ弾き飛ばされた。
「……っ」
ナイフを握って、俺を殴り飛ばした男を見上げた瞬間、リアの頬にすれすれの蹴りが飛んでくる。リアは俺から距離を取らざるを得ず、顔を顰めてラドを見た。
「さすがだね」
ステージにいたチェックがぎょっとしたようにラドを見ている。バースもそこで我に返ったように、眉間に皺を寄せ、ペンダントを握り締めるとトンとステージから降りた。
「もう、やめにしないか、ゴッド」
「どうして?」
バースは眉を顰めた。
「もし続けるというのなら、俺はここにいるバンパイア達を殺す」
「へぇ、できるの? 何の罪もない同類を?」
「あぁ」
リアはバースの真剣な目を見ると、笑いが止まらないと肩を揺らして大声で笑う。
「あーあ、みんな、今度この埋め合わせはするね。だから逃げた方が良いかも。ここにはチェックとバース、それにクラウドも全員集合してるから、本当に殺されちゃうかもよー。ただ、こいつらに恨みのある奴は残ってるといいよ。後で、僕がいいものを見せてあげる」
その言葉でバンパイア達は混乱し、喚き散らし、ほとんどのやつが一目散に入口へと逃げて行く。だが3割ほどのバンパイア達はその場に残り、各々武器を手にするとリアを助けようと殺気立てていた。ラドは仮面を外し、リアを睨みつける。リアは片眉を上げると、ラドに近付いてわざとらしく笑った。
「あれから体調はどう?」
「ゴッド、俺はお前を殺すよ」
「殺せるの?」
「出来ないと?」
「お前には出来ないよ。だって、相手はこの僕だから」
「お前にあるのは俺に対する個人的な恨みだろ。俺は後悔してるよ。お前をあの時すぐに殺せなかった事を」
「クラウド………絶対、お前を苦しめてやるよ。とことん苦しめて地獄に突き落としてやるよ」
その時、ステージ上でゆらりとビルが起き上がるのが見えた。一瞬隙が生まれ、その瞬間にリアはラドの喉元を狙ってナイフを振り翳した。ラドはそれをかわし、自分もナイフを手に取る。ステージ上ではビルがよろりと起き上がると、チェックと睨み合う。その横で、さきほどの赤毛がバースの後からナイフで切りつけた。バースは一瞬判断を誤り、かわしたが腕に軽く怪我をする。俺は俺で呼吸を整え、ナイフを手にした。ハンターとしての仕事しなきゃなと、ラドを睨みつける数匹のバンパイアの方に近付き、俺なんて視界にも入っていないのだろう、油断してたそいつの首を後ろから掻っ切った。瞬間、他のやつに鮮血が勢い良く飛び散る。それをきっかけに次々と俺を殺そうと飛びかかってくるのを、始末するだけだった。俺は俺の仕事を。そうすりゃぁ、少しは役に立つ。
その時、ガシャンっと派手に土煙をあげて誰がが吹き飛んだ。壁際に置いてあった椅子に体を勢いよく打ち付けて、ずるりと床へと落ちていく。砂埃が舞う。血がゆっくりの男の体から地面に流れていく。俺も雑魚の喉を掻っ切り、血のついたナイフをハンカチで吐きながら、ゆっくりと飛ばされた男を見る。男は、ゴッドだった。まさかこうも簡単に決着がつくとは。
「保って5分。この間に城内にいる手下共を始末するぞ」
「分かった」
ラドを見合い、そして別方向へと地面を蹴りナイフを振り下ろす。相手はまだまだたくさんいる。ステージ上でビルと赤毛を止めている間に、さっさと始末しなげれば。土煙を上げ派手な戦闘となった。体の何箇所かに傷を負ったが、放っておいても平気なものだ。俺は最後のひとりの喉を掻っ切り、ナイフの血を拭き取ろうとした時だった。冷たい手が頸寄せられ、そのまま勢いよく地面に叩きつけられた。硬い床に額が打ち付けられ、血が滲む。俺の背後を取ったとは、リアだった。もう時間切れかと、舌打ちを鳴らす。
「シン、俺はずっと君を探してやだよ。君が俺から逃げるからずっと探してた。なのにハンター? ふざけてんの。君はか弱くて抵抗もできないヘルだったよね? 可哀想なヘルだったろう?」
「は、なせ、……リア、離してくれ…」
「ラディーなんかと何故一緒にいるの。僕は悲しいよ。僕の犬同士で仲良くなるなんて」
「もう良いだろ、離してくれろ。俺は、俺は、……本当にクラウドの事が…」
「可哀想に。誑かされてるって気付かないなんて」
「俺、あいつを愛して…」
「あ? 君は愛が何かなんて分からないだろ」
遠くでラドは雑魚相手に戦っていると思っていたが、ビルの矛先がラドに向いていた。俺の方に寄ろとすると、ビルはしつこくその足を止める。チェックは怪我を負ったバースを庇いながら赤毛と殴り合いをしている。ダメだ、ここは俺一人で切り抜けなければ。そう身を捩ると、リアは俺の頸から背中に触れ、ぽつりと呟いた。
「君の甘い声、久しぶりに聞きたいなぁ。いい声で泣いてくれる?」
そう問われ、何かを考える前に背中にとてつもない激痛が走った。声を荒げないよう我慢するがあまりにも痛みが強い。肩甲骨の辺りからナイフが刺されて、そのままさっくりと肉を切り裂く。血がドバドバと溢れて床を濡らす。
「あー凄い血だねー」
痛みに短く息を吐く。リアは満足そうにもう一度、今度は俺の脇腹にナイフを突き刺した。抵抗ができず、ただその刃の挿入を許し、酷い痛みにうっと嘔吐しそうになる。瞬間、リアが消え、ラドが俺に手を伸ばして俺を抱き寄せた。
「シン! お、おい!」
「大丈夫、生きてはいる。ただ、すげ…痛いし、苦しい。多分、肺、刺されたかもしれない……」
「分かった、治癒するから、もう喋るな」
「帰ったらたくさん休もう。たくさん」
ラドは困ったように笑うと、俺の額にキスをして傷口を探し当てる。手を添え、そのまま唇を寄せる。傷口を舐め、赤い唇のまま俺の頬を掴み、舌を合わせる。重なる舌に俺は牙を刺し、勢い良く溢れる血は口いっぱいに広がり、次から次へと体に染み渡るようだった。
「少し休んでおけ」
そうラドは俺の頭をポンの撫でて辺りを見渡し、リアないない事に気付いた。逃げられたかと思っていると、ずるずると奥から目隠しをされ、手を後ろで縛られるハンター達の姿があった。俺の頭は真っ白になる。
「ゴッド!」
「なぁーに、ラディー。こいつらお前の新しい仲間? あーいや、シンにのっての大事な居場所って言った方が良いか」
「彼らを離せ」
「いやだよ。だってハンターじゃん。バンパイアを殺してる。僕達の仲間がたーくさん、殺されてる。見過ごせるわけがないよね?」
ざわざわと目隠しをされているハンター達が騒がしくなった。
「その声、クラウドだよね? これ一体どうなってんの」
ネークさんが不安そうに声を掛けた。
「シンは、シンはどうしたの!」
リクの声に俺は大丈夫だと声を掛けながら、ゆっくりと軋む体を無理矢理に起こした。リアはまだ若干胸が痛むようで少しトントンとさすった後、ステージ上からラドを見下ろす。
「ラディーやっぱり君の世界はもうお終いだよ」
リアはマスターの後ろに立つとその髪を鷲掴んだ。
「良い体してるよねー。顔も良い。声も良い。僕は結構好みだよ? ラディー、こうしよう。ここにいるのは全員ハンター、だから僕は彼らを殺す事を躊躇わない。でも君は違う。だって彼らは大切なシンの居場所だから奪うわけにはいなかい。よね? だからね、こうしよう。今からひとりずつ、首を掻っ切っていく。人間なら死んでしまうね。けどラディー、君なら死の淵から助けられる。そこで、だ。もし、全員の首を掻っ切っても君は動かず見殺しにできたのなら、僕はもう二度と君たちの前には現れない。城にも行かない。けど、もし君が助けに動き出してしまったら、君は僕と来て。そして僕と交わした誓いを果たして」
ラドは苛立ちに奥歯を噛み締める。ゴッドはマスターの喉元にナイフを突きつけ、ラドを揶揄うような瞳で見上げた。マスターの震えは大きくなり、ごくりの生唾を飲み込んだ。リアはじっとラドを見下ろし、ラドはナイフを手にして睨み合いを続けた。だがその瞬間、勢いよく誰かが銃を発砲した。それは見事に油断していたリアに当たり、リアは後ろに身を引く。舌打ちをして、腕を確認する。
「俺達がいるのを忘れるなよ」
バースは銃を構え、その足元にはあの赤毛が血を流していた。チェックとビルは睨み合いのままだった。バースはハンターとの距離計り、リアに突進するように体当たりを食らわせた。リアは面倒そうにバースの攻撃をかわすが、バースに手間取りハンター達には手が回らない。今だ、と俺は動いた。同時にラドも同じ事を考えていた。だがハンターの人数が多い。一度に全員を助けられない事は俺もラドも分かっていた。しかし動かずにはいられなかった。
その時、何かが物にぶつかり派手な音が響き渡る。ステージから吹き飛ばされるように落ちたバースは、ゲホッと血を吐き出すと、それでも立ち上がろうとした。頭から一筋の血が流れている。ただでさえ怪我をしてるのに、無茶だ。
リアはバースを見下ろし、バースと入れ替わるようにステージに上がったラドを見てにやりと笑う。ラドとリアの間にはハンター達が並べられ、リアの前にはマスターが跪かされている。リアはラドから視線を外さない。どちらが先に動くのかと睨み合い、牽制し合う。ひりついた空気の中、リアが片眉を上げた。
「ハンターなんて守る価値あるの? お前の仲間もゴマンと殺されたんじゃないの? お前だって人間共に良いように利用されて殺されそうになってたのに、どうして人間側につくの? 僕には理解できない」
「あぁ、お前には一生理解出来ないだろうよ」
ラドはじりっと靴を滑らせてハンター達に近寄ったその瞬間、リアは銃を抜いて、瞬時に引き金を引いた。3発の乾いた破裂音。リクがその音に肩を一瞬だけ窄めている。
「あーあ、もうめんどくさい」
リアはマスターを狙っていた。だがその前にラドが体を割り込ませていた。空気が変わる。ラドが苦痛に呻きながらマスターを確認する。マスターには状況が分かってないようだったが、背中にかかる重さとその温度に誰かが自分を庇った事だけは分かったようだった。
「おい、君……」
マスターが口を開こうとした時、リアはラドを見下ろして鼻で笑った。
「自己犠牲なんてどうせ自己満の偽善なんだよなぁ」
パンッともう一発の銃声が響いた。ラドの目は大きく見開かれ、マスターの体はどさったと前のめりに倒れる。ぐぐぐ、とくぐもった呻き声がリアを満足させた。
「ラディー、無駄に痛い思いしなくても良いのに。僕はただハンターを殺したいだけなんだから」
「ゴッド……」
「おい、何が…何が起きたんだよ。ロク、ロクは? ロクは!」
ネークさんの声は震えていた。ラドは俺を見ると、ぽつりと呟く。「悪い」、確かにそう言った気がした。ぺっと血を吐き出すと、リアを見上げる。
「分かった。お前との誓い、果たしてやるよ」
「ふふ、最初から素直にそう言ってよ」
ラドはあまり深く呼吸出来ないらしく、痛みに耐えながら浅く呼吸を繰り返すと、「ごめんな」そう呟いてマスターの首筋に触れた。マスターの意識はもうなかった。ラドは牙を剥き出すとその首筋に噛み付き、血を流し込む。
「ね、ねぇ、君、クラウドだよね? 何が、どうなってるの…」
ネークさんの震える声にラドは唇を悔しそうに噛んだ後、立ち上がる。
「騙していて悪かった。もう分かってますよね。俺はあなた方が血眼になって追っていたバンパイアの王、夜の悪魔。俺はここで消えます。マスターは生きてはいます。ただ、もう人間としては生きられない」
「え…」
ネークさんは言葉を失い、リアは欠伸をひとつすると、少し離れたところにいた俺を指差した。
「ラディー、まだ仕事は終わってないよ」
「………何だよ」
「もうシンはいらない。殺して」
嫌な汗が背筋を落ちていく。
「俺が殺すと思うのか」
「誓いを交わしたのは誰。元の関係に戻るのは誰? お前ができないなら、僕がやっても良いけど」
「…分かったよ」
ラドはステージから降りると、俺の目をじっと見つめた。近くにいたバースが俺を見て、ラドを見て、焦ったように立ち上がった。
「おい、クラウド!」
「ごめん、これしか方法がない」
それはあまりにも小さな声で囁くように言われた。リアにはきっと聞こえてはいないであろう声だった。ぐっと握り拳を使っていた俺の両頬をラドは血で濡れた冷たい両手で包んだ。ラドが俺を殺すわけがない。リアを止める為に今しなければならない事を、こいつはするだけ。そう頭では理解していても怖かった。ラドはリアの信用を得る為に、本当に俺を殺すんじゃ……
「ずっと、ずっと愛してる。だが、しばらくのお別れだ、シン。待っててくれ」
牙が首筋に深く、深く、突き刺さる。痛みはなかった。瞬間、体を支えていられなくなり、そのままラドの腕の中に倒れ、意識をふわりと手放した。
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