12. 地下世界
リアの追手は来なかった。あいつがこの場所を知らないはずがないのに、あいつも追手も姿を見せなかった。リアがラドに近付く事も、俺に近付く事もなかった。それが不気味であり、日が経つにつれその杞憂が増していくようだった。
俺は外を眺めて考えていた。あいつはきっと何かを仕掛けてくるはずなのに、何もない。何を企んでるのだろうか。何か嫌な予感が、日々を重ねるごとに強くなっていく。
休暇が終わり仕事を再開させる。いつものようにハントの依頼を受け、俺とラドはバンパイアの溜まり場となっていた廃墟ビルに正面から突っ込んだ。報告されていた5匹のバンパイアを始末する事はあまりにも容易だった。ビルのような厄介なバンパイアが出てくる事もなく、チェックやバースがラドに忠告しに来る事もない。呆気のないものだなと考えながらも、そのビル内にバンパイアが残っていないかと確認する。
3階建の小さな雑居ビルは、かつては栄えていた街の一等地に位置していた。月日が流れて街は廃れ、ビルも廃墟となって数年が経っているだろう。各部屋には時代を感じるゴミが散乱していたり、昔使っていただろう古い型のパソコンなんかがそのまま置いてある。俺はその各部屋を見て回っていた。3階、割れた窓から風が吹いていた。各部屋を見終わった俺は、誰もいないなと来た道を戻ろうとしていた。突然何かに体を引っ張られ、俺は体勢を崩し、引っ張れた何かにトンと体を支えられる。支えられる? いや、違う。それは殺意を証明をするようなものだった。誰かの腕の中にすっぽりと体は収まり、同時にナイフを首に突き付けられる。僅かでも動こうものなら、きっと一文字に喉を掻っ切られるほど、ナイフの切先は首筋に軽く食い込んでいた。気配なんてなかった。
そもそも調査書には5匹としか記載がなかった。こいつは6匹目で、きっと調査班が把握していないバンパイアだ。だとするなら、なぜ、俺を殺さず脅しのように首にナイフを突き付けているのだろう。リアの手下なら、こいつが追手なら俺を殺しても良いはずだが。殺さないのであれば何とか交渉したいと口を開こうとした時、少し遅れてラドが階段を上がって来て、ラドと俺の後ろにいる誰かの目が合ったようだ。ラドはそいつを睨むように見ながら階段を上りきり、静かに口を開く。
「何の用だ、ベン」
「…クラウド様、ようやく会えました。これ、あんたのペットですよね。城内でもっぱらの噂です。あんたがペットをつけたって。城を捨てて、俺達を捨てたあんたが呑気にペットなんか飼ってンだ。こいつ、殺したらあんた城に戻るしかないですよね」
ラドの表情は何ひとつ変わらない。動揺しないし、冷静に淡々と口を開く。
「もし、お前がシンを殺すと言うのなら、俺はその前にお前を殺す事ができる。それは分かってるよな?」
「どうっすかね、やってみますか」
「出来ないと思ってるのなら大間違いだぞ」
「こいつのせいでしょう! 何もかも、このペットのせいなんでしょう」
後ろの男は半狂乱で精神的に不安定だ。これは本当に首に突きつけられたナイフをそのまま引く可能性がある。緊張に脈が速くなり、嫌な汗が額に滲む。瞬間、目の前にいたラドは消え、スッと首筋のナイフが微かに皮膚を切り裂き、薄く血を滲ませたと同時にバタンと大きな音を立てて後ろの男が倒れていた。男は色が白く筋肉質だが細身で、凛々しい眉をぎゅっと顰めた。琥珀色の綺麗な瞳が悔しさに涙を馴染ませていた。
「シン、…血、大丈夫か」
ベンの首に手を掛けたラドはそう俺を見ずに声を掛けた。ラドはベンに馬乗りになり、肩に重石のように膝を押し付ける。あまりにも一瞬の出来事で俺は血が出ている事にも気付かなかった。俺はラドの言葉で怪我をした事に気付き、指先で首筋に触れたが痛みは感じなかった。
「大丈夫。そ、そいつは?」
戸惑いながら聞くとラドの手に力が入り、ベンは呼吸をしようとラドのその手首に爪を立てる。先程まで握っていたナイフは少し離れた所に飛んでいた。俺はそれを手に取りながら男を見下ろす。
「誰でもないよ。誰でも」
ベンの顔がみるみるうちに苦しそうに歪められていくのを俺は見下ろしながら、そっとラドの手首を掴む。離してやれよ。何かを言おうとしてたろう。ラドは俺の目を見て、男の目を見て、そして明らかに不満な顔をしながらその力を緩める。ゲホ、ケホ、と咳をしながらギッと睨むように男はラドを見た。
「あんた、殺されンだよ、こいつに! それでも良いのかよ! なんで俺達を捨てて、こんなペットなんか! 城に戻って来て下さいよ……クラウド様、お願いします…」
「ベン、あのねぇ、俺はこいつに殺されても良いと思った。俺が好きで選んだ道だから、もう、邪魔はされたくない。だからお前がこいつに殺意を向けるのはお門違いだ」
「けど、こいつさえいなければあんたは戻って来てくれる…」
「戻らないよ。戻らない。俺が城を出たのはもう何年も前の事だろ」
「けど…」
「埒が明かないな。もうすぐ陽が昇る。帰りな、俺が本当にお前を殺す前に」
ラドはそう言うとベンの上から降り、俺の横に来て傷の具合を見る余裕まで見せている。ベンはよろよろと上体を起こし、悔しそうに涙を浮かべていた。俺なりに少し理解した事は、ラドを殺せるのはラドが愛した者だけ、それが俺だとベンは考えているらしい。だからこそベンは俺を殺したい。ラドを殺せるであろう要因は排除すべきだと、ラドを慕っている隷属ならそう考えて当然なのかもしれない。例え俺が、大丈夫、殺さないよ、なんて言ったところで俺はハンターで、しかも情のないヘルだ。火に油を注ぐだけだろう。
「戻って来て下さい……、お願いします…」
「あのね、だから俺は…」
呆れた様子のラドに、ベンはぽつりと漏らす。
「ニールが、殺されそうになったんです。…なんとか一命は取り留めたんですけど、それでも目が、見えなくなって…今も、寝たきりで……。血を与えても、全然治癒が出来てなくて……、このままじゃ死ぬんじゃないか、ってエリックさんが言ってて…」
その言葉を聞いてラドの表情は一変した。低い声で唸るように訊ねる。
「誰が、ニールを」
俺は憤りを感じた。リアが牙を向ける先は、直接俺達じゃなくたって良い。ラドが手に入れば、それで良い。
「……ゴッドが城に…」
ラドは苦虫を噛み潰し、その表情は心底憤り、苛立ち、それを必死に押し殺す。
「いつ」
「4日……くらい前でした。本当は俺だって、あんたに頼りたくないんすよ。でも、ニールを救えるのあんたしかいないし…。それであんたを探してたら、あんたは殺されるかもしれねぇのにペットなんかつけて、あんたが殺されたら、ニールは……」
「ベン、」
ラドはベンの前に座り込むと、その顔を覗いた。
「もう城に戻るんだ」
「け、けど!」
「陽が昇る。死にたくなければ、さっさと戻れ。ここにいたってお前に出来る事は何もない」
ベンはそれでもニールという仲間を助けたいと、助けを求めようと口を開く。ラドはもう一度「戻れ」と低い声で圧を掛けた。ベンは苦哀の表情を残してその場を去った。ラドは今、何を考えているのだろうか。
「さて、ハントは終わったし帰ろうか」
「行くんだろ」
「……んー」
「リアがそのニールってのに手を出したのは、俺達が原因だ。だからお前は行きたい。けど俺に心配も掛けたくないし、あまり自分の過去を晒したくない。だから俺が寝てる時を狙って行きたいんだろ」
「…どうだろうなぁ。行かなくても、あいつは死にはしないと思うよ。放っておけば、」
「ラド、俺はお前の全てを知りたいよ。全てを」
「………君はすぐ俺を困らせるな」
「俺はお前の事を知らない。だから、ニールってやつを助けろ、隷属を助けろ、なんて簡単には口にできない。お前は色々考えて、自分の城を後にしたんだろ? だからお前の考えを尊重したい。けど後悔はしてほしくないんだ。そのニールってやつに何かあったら、お前、きっと後悔するんじゃないのか」
ラドはそこまで言われると深い溜息をついて頭を掻く。何かを考えて、眉を顰めた。
「それでも、君を置いて行けるわけがない。ゴッドが君を狙ってるのは分かってるし、君をひとりでアジトに残してしまえば、その時俺がいなかったら、俺はきっと、何よりもその事を後悔する」
「俺はお前について行くよ。お前が何と言っても、ついて行く」
「いや、それは危険すぎる。分かってるのか、君を狙うのはリアだけじゃない。俺が君を選んだから、ベンのように君さえ殺せば俺が戻ると思ってるやつもいるだろう。そんなバンパイアばかりのところに、いや…俺の隷属ばかりのところに君を連れて行けるわけが…」
ラドは困ったように眉を下げるが、俺の答えは決まっていた。俺はただ、お前にこれ以上何かを抱えてはほしくないし、後悔してほしくない。
「なら勝手を言わせてほしい。自分の命が危険に晒されるとしても、お前を知る為なら良い気がしてしまう。……お前が側にいてほしいと思うなら、そうしたいと。お前の世界を教えてくれないか」
「君ね……」
ラドは口を歪めて困り果てるように眉を顰めた。
「分かってる。俺はハンターだから、お前が渋い顔をするのも」
「いや、そこじゃない。俺は単純にあいつらが君に何かするんじゃないかと…」
「お前が俺の側にいて守ってくれりゃぁ良いだろ?」
ふふっと揶揄うように笑ってやると、ラドは眉を下げて、堪忍したように笑みを溢す。ヘルらしく感情がなく自分の損得だけで動いて判断ができるなら、きっと俺はこいつについて行くだなんて言わなかったろうし、ニールというバンパイアなんて見殺しで良いとすら思ったろう。
けど俺はラドの気持ちを理解してしまった。助けたいという、バンパイアの王としての使命のような気持ちを。助ける事が唯一できるこいつなら、助けたいと思ってしまうのだろうな、と。ベンのように俺を始末したいラドの隷属はまだまだいるだろう。もしかしたらそれが大半かもしれない。けれどそれでも良い。俺はラドには後悔してほしくなかった。おかしな事だ。ハンターなのに。それ以前に、ヘル、なのに。
太陽が昇り、小鳥が囀り、人々が起き出す。俺はラドに連れられてある山の麓に来ていた。人が入る事を山の神が拒否をしてるのだろうと思うほど木々が生い茂り、足場は悪く、崖が多く、猛獣が住み着く。政府の調査隊ですらきっと、この場所は踏み入れていないだろう場所だった。滝が流れ、その滝の裏に地下へと繋がる空洞があった。人は決して入れない場所だ。どこかで狼が遠吠えしているのが聞こえる。
「さ、ここだ」
ラドに抱えられ、降り立った地はまるで異世界。通りすがる街のやつらはどいつもこいつもバンパイアで、牙を持つ者達だが、地上で人間を食い荒らすようなバンパイアとは別物らしい。人間と同じように日々を過ごしていて、馬も牛もいて、道端では野良猫がニャーと鳴き、カラスが街のゴミを漁っている。時代がまるで戻ったように建物は全て木造で、カバードポーチに馬を繋いで、あるバンパイアは、上部が半円になっているスイングドアから店内に入っていく。そこは酒場のようだった。
「い、異世界だ……」
「分かってると思うけど、俺から一歩も離れるなよ」
「分かってる」
俺はラドにぴたりとくっついて奥へと進んでいく。進むにつれて、すれ違うやつらの視線が気になった。クラウドだ、というより、多分バンパイアではない何かが侵入してきたと警戒する目だ。ラドは少し歩くとある酒屋へ入った。空になったワイン樽が入口にいくつか重なっていた。
「え、あれ!? クラウド様じゃないですか!」
恰幅の良い店主は目を丸くして驚いている。俺はキョロキョロと店内を見ているが、どうやら地上で売ってるものと変わらない品揃えだった。
「久しぶり。いつものワイン、あるかな」
「えぇ、えぇ、もちろん! エリックさんにですか?」
「そ。エリックに。久々に戻って来たからさ、絶対怒られると思うんだ。だから少しでもその溜飲を下げてもらわないと」
エリック、その名前はベンも言ってたなとふと思った。どうやらその男、ラドですら少し怖いと思っているらしい。店主はしばらくラドと会話した後、俺の方をちらりと見た。
「…新しいペットですか?」
「ペット、というか何というか」
ラドは俺に気を遣ったのだろうが、もうそれが通称なら呼び方なんてどうでもいい。
「そう、です」
俺はラドの後に若干隠れながらそう答える。まるで三下のチンピラのようだが、この世界では仕方ない。敵だらけの中、堂々とは出来そうにもない。
「ヘル、ですね」
店主はワインボトルを古い新聞紙に包みながらそうラドに問う。ラドは頷いた。
「そう。さすがご名答」
「そうですか。……まだまだ長生きして下さいよ、クラウド様」
店主はワインボトルをラドに渡す。「もう十分すぎるほど生きたよ」とラドは返す。それはラドの本音なのだろうと思った。そんな事を言うなと言いたかったが、ほの言葉を飲み込んだ。ラドは通貨のような見たことのない金貨を出すと、店主は「あなたからは貰えない」と金貨を受け取らずにいると、ラドはエリックに怒られるとまた金貨をテーブルに置く。店主はそれじゃぁ、と可笑しそうにに笑いながら受け取る。
「良い死場所が見つかると良いですな」
店主は寂しそうに、けれど少し嬉しそうに、優しく笑う。その複雑な表情の理由を俺は知らない。でも、ラドには十分伝わったらしい。ありがとうと伝えて店を出ようとしたその時だった。バタバタと1匹のコウモリがラドの目の前で姿を変えた。
「来るなら来ると、事前に伝える方法は山のようにあるかと思いますが」
口調の強い、銀縁眼鏡の鋭い目をした青年だった。ダークブラウンの髪は軽く後ろに撫で付けていて、背は俺とそれほど変わらないが、ラドが小さく見えてしまう。
「は、早いねぇ、エリック…」
このバンパイアがエリック、さん。ラドが怖がるものだから俺ももちろん怖くなってしまう。
「はじめまして、エリックです。あなたがシン、ですね」
だが律儀に俺に挨拶をしてくれる。俺の片眉が上がったまま戻らない。そこまで怖くないのかもしれない。
「これ、お前に」
ラドがすぐにワインを差し出すあたり、なんとしてでもエリックさんの機嫌を取りたいらしい。エリックさんはありがとうございます、と素直に受け取ると眼鏡をくっと人差し指で上げた。
「ですが、言わせて頂きます。ヘルを連れて呑気に街から入って来るなんてあまりに危険すぎます。万が一、誰かが彼に危害を加えていたらどうするつもりだったんです。彼を守る為に仲間を殺すのはあなたにとっても宜しくない」
そりゃそうだ。ごもっとも。ぐうの音も出ない、というのはラドを見ていれば分かる。
「であれば私にだけでも連絡を頂ければ護衛しました」
「でもお前はいつも忙しいだろう」
「えぇ、誰かさんが城を投げ出したんでね。その業務が全て私に来ていますので忙しいですよ」
「悪いとは思ってるよ……本当に」
「全く、……あなたに謝ってもらいたいわけではないですし、第一あなたが城を去ったのも私達の為。分ってます。それに今回だって、ベンがあなたの所に行ってしまったからでしょう。あなたを見つけ出してしまうなんて想定外でした。まぁ、ここでは何です、城に戻りましょう」
エリックさんはワインを店主に見せると、付き合いの長そうな店主はひらひらと手を振った。俺はそうして城へと招かれた。
どこを見てもバンパイア、当たり前だが俺がふらふら歩こうものならきっと取って食われる。覚悟はしていたが、城内は俺が来た事でかなりぴりついた。だがエリックさんが他の連中を抑圧するように「クラウド様をここに来させたのはあのヘルのお陰だ」と睨みを利かせるものだから、誰も何も言えないし出来ないだろう事はすぐに感じ取った。たぶん、きっと、ラドよりこのエリックさんが怖がられているのだ。
「ニールの部屋、覚えていますよね」
「あぁ、もちろん。彼は部屋で寝ているのか?」
「えぇ。目が見えなくなり、話す事はできますが動けず、吸血する力もありません」
「ゴッドがやった、そうなんだな」
「……あなたには知られたくなかったのですが」
「ニールをそんな目に遭わせる事ができるのはあいつしかいないだろ」
城内は全体的にモダンな城の雰囲気で、幾何学的な模様が目立った。階段を上がり2階、扉は金と黒を基調としていた。ラドがその扉をコンコンとノックする。しかし返答はなかった。再度、ノックする。
「おかしいですね、ベンがいるはずですが…」
エリックさんはそう言いながら扉をゆっくりと開けると、ベッドに突っ伏してベンは眠っていた。そりゃそうだ、疲れていたのだろう。かなり深く眠っているようだった。そんなベンが突っ伏しているベッドには目に包帯を巻かれた金髪の青年が眠っていた。屈強なイメージだった。彼をここまで痛め付けられるのはリアだけだと言ってたくらいだから。なのに、頬はこけ、骨が浮き出て、明らかに血が足りていない事が目に見えて分かった。
「……あれ、クラウド様、ですか」
そう横になっているニールという青年が、ラドの気配なのか匂いなのか、何かに気付いて口を開いた。
「それからエリックも。あぁ、あと…彼ですか。ヘルですね」
「シン、と言う。今、一緒にいる」
ラドはそう紹介するとニールの手に触れた。彼は口角を優しく上げた。
「へぇ、そうですか。…で、早とちりなベンがあなたの所に行ってしまったと。結構叱ったので、反省してると良いのですが。泣き疲れて眠っているみたいで、すみません」
「いや、……ゴッドがお前を標的にしたのは俺のせいだ。ベンが言いに来なければ俺はお前がこんな目に遭ってる事に気付かなかった…」
「気付かせたくなかった、と言うのが俺の本音。そしてエリックも。直属の隷属は皆んなそう思ってます。ただ、ベンはまだ若い。……理解できない事は多いですし、知らない事も多い」
「俺は城を捨てた。けど、それは…」
「分かってます。分かってます。あなたは何も言う必要はありません。王だからと、最も力を持つ存在だからと、何もかもを抱えなくて良い。クラウド様、俺達は今でもあなたの騎士でいるつもりなんですよ」
「……ニール…」
「で、俺は騎士長。さてクラウド様、ここに来たんです。治してくれるのでしょう? 俺の目も、体も」
「あぁ」
そうか、そうだよなと俺は当たり前の事を思い出していた。彼らは戦争の最前線にいた。街を食い、降伏させたバケモノと呼ばれた存在。だが戦争が終わり、人間が彼らを殺そうとした時、意思を持って人間に刃向かった。自分達が生き残る為に。騎士として、王を守る為に。王は、同じ種族全てを守る為に。
ラドはニールの側に膝をつき、エリックさんはそれを見てベンを叩き起こした。ベンはラドの姿を見ると、ゆるりと開かれた寝惚け眼が徐々に見開かれ、その瞳には涙が浮かぶ。
「き、来てくれたんですね!」
嬉しさ余ってラドに抱き着こうとして、ベンはエリックさんに首根っこを掴まれた。
「ニールを助けるのが最優先。さ、部屋を出ますよ」
エリックさんに引きずられるベンの後ろについて俺は、隣の部屋へと移った。隣はベンの部屋だった。俺はよく知らないバンパイア2匹、いや、ふたりと部屋を共にして気まずくなって部屋を出たくなる。だが部屋の外はもっと危険かもしれないと、大人しくベンの部屋でベンに睨まれている。ベンは相変わらず俺に殺意を抱いている。エリックさんはそれに気付いて、ベンに諭すように声を掛けた。
「いつまで睨んでるつもりですか」
「なんで皆んな、こいつの味方なんですか。こいつ、クラウド様を殺せるんですよ」
殺さない。と口は挟まなかった。エリックさんがすぐに答えたからだ。
「そうですね。でもクラウド様が彼を選んだ。それを私達がとやかく言うのは違います。ましてや彼に牙を剥けるのは違います」
「け、けど、」
納得しないとベンが怒り立つと、エリックさんは深い溜息を吐いて俺を見て、再びベンを見た。
「ベン、あなたがクラウド様を探し出して声を掛けた時点で、あなたに罰を与えるべきところなんです。それをニールが必死に止め、きっとあなたに罰が下った事を知ったらクラウド様は自分を責めるだろうから罰は課さない、というだけです。この件に関してとやかく言う権利はありません」
「そんな、エリックさん! だってヘルですよ? ヘルでハンターなんてクラウド様を殺すに決まってる!」
確かに。殺すだろうと決め打つには十分な理由だ。エリックさんは少し悩んだ後に口を開いた。
「分かりました。良い機会です、ひとつ話しましょう。シンにも聞いて頂きたい話です」
何を、そう眉間に皺を寄せる俺を見て、エリックさんはテーブルに寄り掛かりながら口を開く。
「クラウド様のペットについて」
俺はもちろん、その事はベンも知らないらしい。ベンはその言葉だけで驚いたように目を見開いた。
「シン、クラウド様が過去にペットをつけていた事は知ってますか?」
「いえ…」
「彼がペットをつけていた期間は他のバンパイアに比べると遥かに短いかと思います。つけていなかった理由があります。いえ、つけられなかった、と言った方が合っていますね。私の口から言ってしまうのはどこかルール違反な気もしますが、あなたは知っておくべきだと思いました」
「……はい」
何を言われるのかと身構える俺に、エリックさんは一度深呼吸をする。
「ゴッドは昔からクラウド様にひどく執着しています。それはバンパイアにはなりきれなかった生き物として、バンパイアの王として生きるクラウド様に対しての嫉妬かもしれませんが、私達には分かりません。ただゴッドはクラウド様にペットを当てがあうように容姿の良い人間を何度も押し付け、側に置きたがりました。そのペットは金で雇われただけなのか、脅されたのか、それともゴッドと同じようにクラウド様を苦しめたいだけなのか。ペットはクラウド様に愛されるよう振る舞いますが、本心は愛など微塵もありません。しかし日々を共にしてクラウド様はペットに情を移してしまう。そうなるとどうなるか、分かりますか」
ゴッドがクラウドにペットを? あいつはラドにペットがつく事を嫌がっていたのではないのか。ラドの命を脅かす存在は排除しようとしていたのでは…。いや、違う。エリックさんが言うように、ゴッドはラドを苦しめたいだけ。
「情を移したペットを奪う、とかでしょうか」
「えぇ。ゴッドは非情な男で、クラウド様がペットを愛してしまったその瞬間、当てがったペットを無惨にも目の前で殺しました」
自分が愛した人を目の前で殺され、それは繰り返される。リアはラドを苦しめる為なら何でもする。罪のない人間を殺す事も厭わない。ラドが苦しめば苦しむほど、無邪気に楽しそうに笑っているのだろう。反吐が出る。そうやってリアは永遠とラドを苦しめたいのだ。
「クラウド様がペットに情を移さないようになると、ゴッドの目は我々に向くようになりました。クラウド様はただ必死に我々を守り続け、自分だけを犠牲に生きていた、がある日、突然、城から姿を消しました。きっと、ゴッドから提案があったからだと思っています。何もかも面白くないと、もっとクラウド様を苦しめたいゴッドがクラウド様に囁いた。城を出るなら隷属には手は出さない。その代わりお前は僕の犬になれ。……そう囁かれてしまえば、あの方は城を離れてゴッドのされるがまま」
「そんな……」
ベンはそう眉間に皺を寄せる。俺は何を答えるべきなのかが分からなかった。どんな文献にも載っていなかったクラウドの一面。人を食い、強大な力を持った不老不死の悪魔、殺すべきバンパイアの王だと叩き込まれてきたが、あいつは死ぬ事もできず、ただ自由に生きたいと思っただけかもしれない。もしそうだとすれば、ラドはあまりにも茨の道を進んでいる。誰の手も借りられず、孤高がゆえに孤独とはまさにこの事なのだろう。誰もあいつを助ける事は出来ず、長い時間、ラドはリアと関係を持ち続けていた。
「だから、あの方がこうしてあなたを選んだ事に対して、どうしようもない感情と覚悟があったのだと思います。そして私達はクラウド様に少しでも幸せを、愛を感じて欲しい…。感情が消え、バンパイアを食らう事しか考えていないとされるヘルのあなたにこれを伝えるのは、側から見れば可笑しな事かもしれません。ですが、私は思いました。クラウド様の隣にいるあなたは、何らかの感情を抱いてクラウド様の側にいる。そしてそれは怨情のようなマイナスなものではない、何かこう、温情を持っていて、その正体が何かは分かりませんが、クラウド様に危害を加えたいわけではないのだと感じました。だから話すべきだと思ったのです。あなたになら、話しても良いと」
温情の正体はきっと抱いてはいけない厄介な感情だった。そんなわけがないと否定し続けた厄介なもの。俺はただラドの側にいると悪夢を見ずに済む、それだけだと思っていたのに、あいつを知れば知るほど、側にいればいるほど、自分の感情を突き付けられた。否定できなくなって、あの日、俺はあいつを組み敷いた時、何を考えていたか。それが答えだった。もう俺に、ラドを殺す事なんて出来やしない……。
「俺は……」
ゆっくりと口を開く。
「感情のないヘルで、愛情なんて持った事もないですし、持ちたいとも思いませんでした。でも今は、…あいつがいないと不安になる。あいつの側が一番落ち着いて、リアが、いえ、ゴッドがラドの弱味を握ってあいつを苦しめる度に憤りを感じる。…これはあってはならない関係だと心底思います」
俺はそう言い切ってエリックさんを見上げた。
「俺は本来、あいつを殺せる存在になった事を喜ぶべきなんです」
「……ハンターを生業としてあるあなたなら、そうでしょう」
「えぇ。でも、今の俺にはそれが出来ない。…あいつがそれを望んでも、それはもうできない。それは依存関係を結んだから殺せないんじゃない、………自分にとって大切な存在を殺す事が出来ないという事です。正直、まんまとしてやられた気分です。依存関係になれば自分を容易には殺せず、あいつを知れば知るほど要らない感情を与えられていく。ハンターとして失格、でも今の俺はラドの側にいたい」
そこまで言って俺は動揺しているベンを見た。
「俺はあいつをもう殺せない。……だから、安心してほしい」
これは本当に深刻な事態だが、それでも俺はきっと天秤に掛けてもラドを取ってしまう。ハンターという隠れ蓑を捨ててでも、ラドの側にいる事を。
ベンはぐっと唇噛むと俯いてしまった。エリックさんはしばらくベンを見た後、腕を組み、「言う事があるのでは」とまるで親のように諭した。ベンはエリックさんを見た後、俺へと向き直ってぽつりと呟くように吐いた。
「悪かったよ……。殺そうとして、悪かった」
俺の事を本気で殺そうと思っていたのか曖昧だったがな、とは言わず、「気にしないで」そう頷いた。
「さて、誤解も解けたようです。あとはニールの回復を祈りましょう」
「ですね」
それからほどなくしてラドが部屋に訪れた。
「これでもう大丈夫」
あまりにも余裕ある表情だった。ベンは涙を流してニールの部屋に走って向かい、「今、寝てるから声は掛けるなよ」とラドに制される。隣にいたエリックさんが、そんなラドを見た後、シン、と俺を呼び止め小声で伝える。
「今、クラウド様は立っているのがやっとの状態かと。血を与えてあげてくれませんか。クラウド様の部屋はそのまま残してあります。最上階に」
そう上を指差した。余裕綽々に見せているのはどうやらただのポーズらしい。ラドらしいなと、俺の口角は上がった。
「分かりました」
エリックさんはすぐにラドを呼び止め、ニールとベンをふたりきりにしてあげましょうと告げると、
「城に戻って来たわけです。業務はうんとあります。しばらくは部屋で仕事を片してからお帰り下さい」
そうラドに部屋で休んで行かれては、と言わないあたり、かなりラドの扱いに長けていて、付き合いがかなり長いのだろうなと遠目でも感じた。ラドは苦笑いを浮かべながらも、「分かったよ」と頷いて俺を見る。
「だそうだから、数時間付き合ってくれないか」
「もちろん」
ラドの部屋は多分、俺のアジトの部屋の倍はあった。もちろんバスルームもついていて、バスルームは白の大理石で出来ており、大きな窓が付いている。地下だと言うのに、そこから見える風景は森林である。鬱蒼と生い茂る森の中にある城で、眺めはかなり良い。地下なのだが地下だという事を忘れてしまうほどだった。
ベッドルームも広く、キングサイズのベッドは皺ひとつない白いシーツに、白と金を基調とした刺繍入りの布団、金色のベッドスローが掛かっており、天蓋カーテンは開けて留められ、高級ホテル以上な部屋に俺は顎を撫でている。
ラドは部屋に入ると、途端に溜息を吐いてベッドに倒れ込んだ。ごろんの仰向けになるとそれっきり、動かなくなる。あの人達の前では何事もないように振る舞っていたが、どうやら本当に倒れる寸前とだったのだろう。俺はそっとベッドの端に座って、倒れたラドを見下ろす。
「血、飲んだら?」
「ん、……ちょっと体力使いすぎたかな…」
ラドは話すのも辛そうに眉を顰めるものだから、俺は自分の手首に噛みつき、血を口に含んだ。自分の血は驚く程不味い。というか気持ちが悪い。これを美味しそうに飲むラドの気持ちは理解できないが、口に血を含めると、そのままラドの頬に手を寄せる。
「あ、え…シン、」
唇を合わせて開かれた口にそのまま血を流し込む。ラドの喉がこくんと上下した。
「突然、意外な事をされると心臓が痛い…」
「自ら血が飲めないお前に、自分の血を分けてやっただけだろ」
「いや、そうなんだろうけど。やけに優しいな、と」
「俺は普段から優しいと思うけど」
「えー? そうかな」
ラドは目を細めて俺を見上げる。お前に抱く感情は同情もあるのだろうか。いや、そうじゃない。
「なぁ、ラド」
俺はその目をじっと見下ろした。今、俺が思ってる事を伝えてやろうと思った。
「うん」
「俺はそう簡単には死なない。俺はお前を騙しはしない。お前の側にいるし、リアなんかに殺されたりしない。だからお前は本音を俺に言ってほしい。強がらないでほしい。いいな?」
ラドは鳩が豆鉄砲を食ったように驚いた様子を見せた後、納得して鼻で笑う。
「エリックか……。あぁ、分かった」
ラドは素直にこくんと頷くと弱々しく笑う。
「なら……君を食いたい。食ったら少しだけ寝て、起きたら風呂に入って、仕事して、それから一緒に帰ろう、シン」
「そうだね」
頬が緩んでしまう。これでラドの重荷が少しでも楽になれば良いのだが、それは土台無理な話なのだろうか。それはJが言っていたように、ラドの自己犠牲が最善の策に成ってしまうのだから。もしラドが犠牲にならなければ、またこうしてニールさんのように標的になってしまう。リアは何をしたいのだろうか。ラドの命を奪える者が現れれば排除する、それはリアがラドに死なれては困るから。苦しめる為にペットをつけてはペットを殺す。永遠と痛みを与えたいようだった。そして今、そのリアはラドに殺意を持っているだろうエヴァと行動を共にしている。
一体、何が目的なのだろう。
俺は何もできないのだろうか…。
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