8. BLACK LOVER
真夏の太陽はじりじりと肌を焼く。バンパイアではなくてもこの太陽は堪えるのだから、当のバンパイアにとってみればまさに地獄かもしれない。
武器を新調したいと車を走らせ約30分、ラドは半分死んでいた。いくらバンパイアの祖、バンパイアの王と呼ばれていようと、太陽の下でも死なないというだけで、かなり体力を消耗してしまうようだ。助手席のシートをこれでもかというほど倒し、手を胸の上で重ねると、どこかの吸血鬼伝説で棺桶から登場する吸血鬼のように、ひっそりと目を閉じて目的地まで安静にしていた。
「なぁ、コウモリに化けて箱か何かに入っていれば良いだろ。その方が楽なんじゃないのか」
そう問いかけると、ラドはどこから声を出しているのか分からないほど、細い声で「だいじょうぶ…」と目を閉じたまま囁いている。それが可笑しくて堪らない。どこが大丈夫なんだよ。肋骨でも骨折したのかというくらい細い声出しちゃって。これを笑うなって言う方が酷だ。
「あと少しで着くから頑張れぇ」
棒読みで励ます。いつもなら、「もっと心を込めて言ってくれても良いだろ?」なんて返ってきそうだが、今のこいつは返事をするだけで精一杯らしい。
「うん、ありがとう……」
すっかりしおらしくなり、蚊の鳴くような細い声で俺はつい声を出して笑ってしまったが、当の本人はそれすらもお構いなしだった。笑うなよ、と突っ込む事すら出来ないらしい。それからほどなくして、隣街の外れにある繁華街に到着する。治安は最悪で、バンパイア云々の問題ではなかった。いつも薄汚れた空気に、どこからか聞こえてくる怒号、散らかるゴミに、何かの死骸。
築年数がかなり経っていそうな鉄筋コンクリートのビルの入口にホームレスがたむろしていた。そこはシェルターだった。年齢不詳のホームレス達がゴミ袋を持って、床に腰を下ろしている。
そこから数分、異国民が集う小道があった。ある看板の文字は他国の文字で読めない。そこで立話をしている人々もきっとその国の人で、俺には全く何を話しているのか分からなかった。
その小道近くに車を停めて、ひとつのビルの前で立ち止まる。1階には何処で集めてくるのか分からない、不思議な雑貨が所狭し売っている妙な店だった。外は真夏日で暑いのに、その店の中へ一歩入ると、途端に涼しくなった。日陰だからだろうか、クーラーがついている様子はない。店主は小さな黒い丸サングラスをかけて、パタパタと扇子を仰いでいた。
その店主を確認し、懐からバッジを出す。それはハンターの証だった。幾何学模様のバッジを確認したのかしていないのか、店主は何も言わず、異国の歌を歌っている。それはいつもの事で、奥へ進む事を止められないという事は問題がないという事だった。店主が佇むレジをゆっくりと通りすぎて奥の部屋へ。ラドはこの日陰と涼しさに元気を取り戻しているが、異様な空気にずっと忙しなく視線を配っている。
ドアを開けると狭くて古いエレベーターがある。それは地下1階とこことを繋げるだけのエレベーターであった。階段はあるのだろうが、見た事がない。
安全性が心配になるほど揺れるエレベーターに乗り、地下1階へ。到着したその場所は、知る人ぞ知る武器屋であった。ラドが「へぇ、こりゃぁ凄い」と感嘆して呟いてしまうほど、圧巻の眺めである。壁一面に飾られる様々な国の武器、最新式で実用的な物から収集家が涎を垂らして欲しがりそうな歴史的価値のある武器まで様々だ。奥の部屋からガタンと物音がすると、派手な豹柄が出迎えた。
「あら、あらららら? ちょっと、久しぶりじゃない? てっきりポックリ逝ったかと思ってた」
「ご無沙汰してます、ディアさん」
ん、を言うか言わないかくらいで、ディアさんはラドを見ながら「なに、モデル?」と片眉を上げている。ディアさんはラドと背丈が変わらなかった。この人、すげぇ背が高かったんだよなぁと俺はラドとディアさんとを交互に見ていた。オレンジ色に近い金髪は短く、整えられた細い眉と長い睫毛、切長の瞳、鼻にはピアスが、セプタムと呼ばれる位置に開いている。
「ディアさん、クラウド。クラウド、ディアさん
」
俺はそう互いを見ながら簡単に紹介をすると、ラドはいつもの如く手を差し出して握手を交わす。
「どーも。…って、シン、何者? 説明説明」
すかさず俺の隣に来てラドの説明を求めるディアさんに、「ハンターで、パートナー」と告げると、ディアさんは切長の瞳をこれでもかと見開きながら卒倒する。
「パ、パ、パートナー!? ……てか、このナリでハンター!?」
「まぁ、ハンターですね」
「てかパートナー!?」
「驚きますよねー、俺も驚いてます。ずっと単独でしたから」
「なんで急にパートナーなんかつけたのよ」
「さ、なんでだろ」
そうラドを見つめると、ラドは片眉を上げて肩をすくめる。その仕草を見てディアさんは俺にあからさまな耳打ちをした。
「何、私生活もパートナーなの? ついに誰かと関係を持つ決心したの、あなた」
「そんなんじゃないですよ。本当にただのパートナー。こいつがね、売り込みに来たんです、うちの組織に。で、リーダーが俺と組めと」
「リーダーって、ゼルさんよね? へぇー、良い仕事したじゃない。あなた、少しは人と接した方が良いもんね。それは私も前から思ってた」
「俺は別に…。てか、そんな話は良いンですよ。武器、新調したくて。何か良いの入ってません?」
そう訊ねるとディアさんは俺を見て、ラドを見る。ラドはにっこりと愛想良く微笑み、ディアさんはまた俺を見る。
「何すか」
「良いわ。とっておき、あなたに譲る」
そう言うと奥から何やらアタッシュケースを持って戻って来た。何だろうかと眉根を寄せる。
「…クラウド、って言ったわね、あなた」
そう言われたラドは、「はい」と頷いて眼鏡をくいっとあげた。ディアさんはジュラルミンケースを俺の前に差し出すと、ダイヤルを合わせて鍵を開けて中身を見せる。
「銃……?」
それは黒光りする真っ黒な銃であった。光沢があり、銃口から黒い薔薇が模様として施されている。装飾銃の類だろうか。つまり観賞用。
「世界でひとつだけのね。さ、持ってみて」
そう言われて手に取った。思いの外、ずっしりと重い。装飾銃だと思っていたから意外だ。そのまま装填を確認する。グリップを強く握り、掌に密着させてエイムを合わせる。壁に掛けてある奇妙な絵画の一点に集中し、両目で確認した後、右目で焦点をフロントサイトに合わせる。
「装飾銃にしては作り込まれてますね」
「何言ってんのよ、私がいつ装飾銃を扱ったの。これはきちんとハント用。それも、特級の」
「特級の?」
「そう、」
ディアさんはふっと笑った。
「あのクラウドを殺す為の銃」
眉間に皺を寄せた俺に対して、ラドは「へぇ」と一歩近付いて興味を示した。
「なら、君が手にするべきじゃないのか。あのクラウドを仕留める事ができるのは君くらいだ」
ラドはまるで揶揄うような冗談めかしたように言ったが、それはこいつの本音だろう。もし、ディアさんが言うようにこの銃が本当にラドを灰にできるなら、俺以外の手に渡る事は何があっても避けなければならない。
でも、それは本当なのだろうか。この銃は本当にあのクラウドの命を? なぜ、今になってそんな武器が?なぜ、それをディアさんが? 俺は銃をケースに仕舞い、ディアさんの方に向き直る。
「にわかには信じ難い話ですけど」
「そうね。あの不死身の悪魔を灰にできるから買って下さい、なんていつの時代かに流行った詐欺みたい。…でも暗闇ばっかりの世の中で、少しは光に縋りたいじゃない。朗報があったって良いじゃない。この銃の話を聞いた時、そう思ったの」
ディアさんはそう言うと近くにあった錆びついたカウンターチェアに腰を下ろし、タバコに火を点けた。
「この銃には名前が付いてるわ。BLACK LOVER。黒き恋人、暗闇の恋人、闇の恋人、なんて意味を込められてそう呼ばれているらしいの。この銃をここに持って来た青年はそう説明してくれた。誰か骨のあるハンターにこれを渡して欲しいと、告げてね。シン、良い? これは売り物じゃない。私はあなたに譲ると言ってるの。あの大組織の今やトップのひとり、あなたの活躍は方々から聞いてる。人間離れしたハンターがいると。そいつらは言うの。実はあなたはヘルなんじゃないか、って。冗談のように、でもどこか本当にそうなのかもしれないと疑念を抱きながら」
ディアさんはタバコの灰をポンと近くの灰皿に落とした。
「けどそれならそれで良い。この世界を蝕む悪を退治するのがヘルであれ人間であれ、何でも良い。ただ私は青年から託された。だからこの銃を使えるハンターに渡したいの。あのクラウドに近付く事が出来そうな唯一のハンターに」
ディアさんが吐き出した煙を眺めていた。少し考え、口を開く。
「であればあなたがこの銃を信じている理由を知りたい。なぜ、この銃であのクラウドが殺せると? ただ朗報に食いついたってわけじゃないでしょう。何が根拠ですか」
ディアさんは視線を俺から外すと片眉を上げ、タバコを咥えたままデスクの引き出しから書類を数枚取り出した。それをポンとケースの上に置く。
「エヴァ・リンクス、彼がこの銃を作り、ここへ持って来た。温厚そうな青年だったわ。物腰の柔らかそうな、でも芯の強そうな。話していて分かったの。見た目では分からないほど、この青年は色々な事を経験してるって。でね、ふと思ったの。この子、本当はいくつなのかしら、って」
一枚の写真が書類と共にクリップで留められていた。写真の青年はブラウンとブロンドが混ざった髪の色、長い前髪はセンターパートに分けられ、整った彫りの深い顔立ちを引き立たせていた。並行な眉と暗い色の瞳。薄い唇を半開きにして笑っていた。
「調べさせてもらったの。跡をつけて、ちょっとしたツテに頼んで探ってもらった。分かった事があった。昔、バンパイアを生み出した人間がいた。マッドサイエンティストひとりがバンパイアを生み出したわけじゃない。ある研究所の人間達がそのマッドサイエンティストの命令に従ってある実験を繰り返していた。国の命運を賭けてね。そうして最終的に成功した科学者がふたりいた。で、そのうちのひとりが、…彼」
ディアさんは顎で写真を指した。俺は写真の彼を再び見つめる。それはつい最近撮られたであろう写真だ。
「でも、それなら…」
「バンパイアよ。彼もまたバンパイア」
ディアさんはタバコを灰皿に押し付け火を消すと、椅子から立ち上がり俺に近付く。
「自ら生み出したバケモノは、自らの手で始末をつける。長い時間を掛けて、何度も何度も失敗を繰り返して、ついに成功させた。あのクラウドを殺す為の銃」
その話が本当だとしたら。いや、本当なのだろう…。俺はラドを見た。お前はこれを、どう思う。ラドは少し動揺しているように見えた。
「エヴァ・リンクス。…その青年、今、どこにいるかご存知ですか」
ラドの真剣な目に俺の心はズキンとなぜか心が波立って痛みを生んだ。なぜ、痛むのか。なぜ、苦しいのか。
「分からないわ。この銃を置いてそれっきり。跡はつけたけど、暗闇は彼らのホーム、私にとってはアウェーよ。住処なんて分からないわ」
「そう、ですよね…」
ディアさんの返答に、ラドの表情は明らかに曇った。その表情に落ちた影に俺は不安を覚えた。その不安が何か分からないのに、何か急に不安に駆られた。
「でも、どうして?」
ディアさんの問いにラドは一瞬だけ眉間に皺を寄せたが、すぐにいつもの表情に戻った。
「分かりません。でも、知りたいと思いました。…なぜでしょうね? ハンターとしての性でしょうか」
ラドはそう笑って誤魔化した。外は相変わらず暑かった。太陽が照り付け、少年が遊び半分に道端に水を撒いている。ジュラルミンケースを持っていた俺の足にぴしゃりと水は跳ねたが、少年は気付いていない。停めていた車に戻った時、暑い陽射しを受けながらラドは意を決したように口を開いた。
「シン、悪いが少し出る。帰りは遅くなるかもしれないが、心配しないでくれ」
あぁ、そうか。お前はお前の居場所を思い出してしまうのかな。
「分かった。心配なんてしねぇよ。お前、不死身だろうが」
ふっとラドは緩く笑った。こんなに太陽が照り付けているというのに、それでも外へ出たい理由。きっとそれはあの青年の事なのだろう。
なぁ、ラド。エヴァ・リンクス、彼がお前にとって大切な存在だったのなら、お前はそいつに殺される事を望むのだろうか。俺はケースをシートが倒れたままの助手席に置いた。
「……くそっ」
訳の分からない感情の正体を俺は否定した。じりじりと焼かれるような感覚を、俺は否定した。否定し続けなければならないと思った。
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