052 実力者



 翌日。

 アダン村へ出立の朝。


 ミリシャにしばらく戻れない旨を伝えて新緑亭を後にしたわたしたちは、馬車と馬を借り受けるべく、再び神殿を訪れていた。

 そして敷地内に入った途端、面食らう。


 なぜなら、そこには既に二頭の馬と、驚いたことに居室付きの馬車が用意されていたからだ。

 所謂クーペと呼ばれるタイプの馬車だ。

 ただ、居室部分が儀装車と見紛うばかりに豪華である。

 色がシックな黒で統一されているのが、せめてもの救いか。

 外壁には神殿の扉にもあったネメシアーナを表す紋様がデカデカと描かれている。

 これは完全に高位の神殿関係者専用の馬車なのだろう。


 あー……読めてきた。

 きっと宣伝の意味も兼ねて、この馬車にしたんだね。

 ファトス分殿の者が村を救いに来たんですよって感じの。

 だって紋様の下に『ネメシアーナ神殿 ファトス分殿』って書いてあるし。会社の車みたいに。

 恩を売る気満々じゃん。

 いかにもあの業突く張りな婆さんが考えそうなことだよ。

 ま、雨風を凌げるから、屋根付きなのはありがたい。

 仰々しくて、ちょっと恥ずかしいのがネックだけど。


 そして、その馬車を引く二頭の馬は若い駿馬である。

 どちらも牡馬ぼばで、毛色は葦毛あしげ鹿毛かげ

 毛艶もいいし、とも(後肢)の筋肉の付き方も素晴らしい。

 調教によっては馬車馬に収まるのが勿体ないほどの強い競争馬となり得るのではなかろうか。

 よし。葦毛のほうをマック、鹿毛のほうをテイオーと名付けよう。


 前世の父方のお婆ちゃんの実家が北海道で牧場をやってるのよね。

 そっちの業界では結構、名が通ってたみたい。

 なのでわたしもそこそこ詳しかったりするんだ。


「おはようございます。ミーユさま。メルシェラさま」

「!」


 車椅子で現れたのは、イリーナ老司祭その人だった。

 意外や意外。

 どういう風の吹き回しか、我々に向かって深々と、それはもう恭しく座礼をしているのだ。

 気の迷いなのか、それとも改心したのか、はたまたボケてしまったのか。


 ま、一昨日のが相当効いたんでしょ。

 金に意地汚い婆さんなら名前入りの黄金ペンを紛失したことにも気付いてるだろうし。

 こちらに証拠品とメルが居る以上、下手に出るしかないもんね。


「先日はとんだ御無礼をいたしました……平にご容赦を」


 ヘコヘコと頭を下げまくるイリーナ婆さんだが、皺くちゃな笑顔は酷くぎこちない。

 内心では、はらわたが煮えくり返っていたとしても、全力で媚び諂わねば身の破滅だと悟っているのだろう。


「こちらといたしましても、誠意をお見せするべきと思いまして……これ、シスター・サリーや、あれをミーユさまがたにお渡ししなさい」

「かしこまりました司祭さま」


 少し晴れやかな表情のサリーさんが、革の小袋を捧げ持って、わたしの前に跪いた。

 まるで女神へ礼拝するかのように。

 どうやら彼女は厳しい懲罰とやらを免れたようだ。

 よかったよかった。

 小袋を受け取ってみると、思ったよりも重量感がある。


「これは?」


 敢えて中身を確認せず、そっけなく尋ねる。

 ここで、がっつけば舐められるからだ。

 そう、わたしはクールビューティー。


「わたくしどもの誠心誠意にございます。ミーユさまが最初にご提示された額、報酬の金貨50枚にございます」

「ふーん。でもわたし、前金で、なんて言ってないけど?」

「ええ、ええ、重々承知しておりますとも。ですからこれは、あくまでも誠意でございまして、ですので、何卒どうかひとつ」


 なるほど。

 イリーナ婆さんは、暗にこう言いたいわけだ。


 ミーユわたしの言い値で報酬は払う。しかも前金で。

 馬も馬車も最上品を用意した。

 だから密告も罷免もしないでくれ、と。

 これで見逃してくれ、と。


 わたしとしては別に見逃しても構わない。

 神殿の組織改革をしたいわけではないのだから。

 意地悪婆さんではあるが、老い先短い年寄りを懲らしめても寝覚めが悪いだけだ。

 このまま放っておいても、しばらくすれば司祭は変わる。

 そう、例えばそこのサリーさんとかに。


 仲間の見解はどうだろう、と振り返る。


 ラウララウラは『いいんじゃないか?』と肩をすくめてみせた。

 意思が通じたようなので、わたしも頷いておく。


 一方、メルシェラは『綺麗なお馬さんですね』と言いたげにマックとテイオーの首を撫でていた。

 どうやら現在の情勢など興味すらないらしい。

 わたしが見ていることに気付き、メルシェラは口角だけを上げてヒラヒラと手を振った。

 うむ。天然とは恐ろしい。

 全く意思疎通はかなわなかったが、賛同と受け取ろう。


「ん。じゃあ、ありがたく受け取っておくね。悪いようにはしないから安心して」

「おお! 何と言う慈悲深きお言葉! ミーユさまがたに女神の御加護があらんことを!」


 大仰に、ではなく、本気で喜悦の声を上げるイリーナ婆さん。

 よほど今の地位を維持したいようだ。

 お金も名誉も、あの世には持っていけないのだと悟ってもいい年齢だろうに。


「それにしても、ミーユさま」

「はい?」

「随分と軽装でいらっしゃるようですが、お荷物はいかがなさいました? アダンの方面は大変寒うございます」

「あっ、えーと、うん。街を出る時に買い出ししようと思って。あはは」

「左様でございましたか」


 くっ、目端の利く婆さんだこと。

 そうでなけりゃ財産を貯め込むなんてできないか。

 ちなみに、衣服から食料、テントや雑貨に至るまで、全ての荷物がわたしのアイテムボックスに収納されています。もちろん全員分ね。

 でも多少は偽装しておくべきだったかも。

 ま、いいや。これ以上ツッコミが来る前にさっさと出発しちゃおう。


「じゃ、そろそろ行こっか」

「はい」

「うむ」


 居室に乗り込むメルシェラとラウララウラ。

 それを見届け、わたしは御者台によじ登る。


「ミーユさま御一行の安全と、無事のお帰りをネメシアーナさまにお祈りいたします」


 イリーナ老司祭の内心はどうあれ、心遣いの言葉を無視するわけにもいくまい。

 なので「行ってきます」とだけ応えた。

 ま、わたしたちに依頼を失敗されちゃ、困るのは婆さんだもんね。

 アダン村から謝礼金を貰えなくなるわけだし。

 そりゃ本気で祈るでしょ。


「ハイッ」


 ピシッと手綱を振るえば、二頭の駿馬は軽快に歩き出す。

 昨晩、パーティー会議で決めた通り、まずはわたしが御者で、そのあとにラウララウラと交代する。

 メルシェラは馬にすら乗れないので論外だ。

 その際、数時間おきに交代するか、半日で交代するかで揉めたが、半日は身体的にきつかろうと言うことで数時間おき交代が採用された。

 『半日もミーユの顔がみられないなんて耐えられません。ミーユ成分不足で死んでしまいます。私が』と、のたまったメルシェラの鶴の一声で決まったようなものだが。


 半日交代を唱えたのはわたしだ。

 なぜなら、計画当初は昼夜を問わず駆け通すつもりだったからだ。

 少しでも早く謎の奇病で苦しむアダン村へ辿り着くために。

 到着時には既に村人が全滅していました、では、せっかく貰った50枚もの金貨を返却する事態となってしまう。

 わたしもイリーナ婆さんに負けじと意地汚く見えるかもしれないが、これは将来の壮大な計画を実行するための資金なのだ。

 あ、いっておくけど、ちゃんと三等分するからね?


 しかし、食料の少なくなってくるこの時期は、魔物が飢えで狂暴化していると言う。

 夜ともなれば、夜行性の魔物も加わって遭遇率が激増するそうだ。

 例え街道沿いであっても。

 同時に冒険者の仕事が増えるのもこの時期だ。

 なぜなら、冬だろうと魔物が増えようと、商人は商品を輸送せねばならない。

 しかしやっぱり魔物は怖い。

 背に腹は代えられないので、仕方なく冒険者を護衛として雇う、と言うことらしい。


 勿論、これらは全てラウララウラの談である。

 メルシェラがそんなことを気にして旅をするはずがないでしょ?


 というわけで、馬車を走らせるのは日中だけ。

 日没以降は夜営。

 御者は、わたしとラウララウラで3時間程度を目処に交代、と決定した。


「随分と乗り心地のいい馬車ですね」

「ああ、これなら尻が痛まずに済むな」


 御者台の背後にはドアと窓があり、メルシェラとラウララウラの声はその開いた窓から聞こえてくる。

 居室と御者台を直接行き来できる造りなのだ。

 開閉式の窓が開けられているのは、きっとメルシェラの仕業だろう。

 わたしと会話したいがために。


「この馬車はサスペンションが付いてるからね」

「さすぺんしょん?」

「なんだそれは?」

「あ、えーと、懸架装置のことなんだけど、曲げた金属板を二枚組み合わせて……」

「はい?」

「ぬう?」

「……ですよね。わかんないよね。とにかく、馬車の揺れを軽減するものが取り付けられてるの」

「ほぁー、ミーユは何でも知ってるんですね」

「博識なのは良いことだな」


 秀才ですから。じゃなくて、博識でも何でも知っているわけでもない。

 お婆ちゃんの実家の牧場に、観光客用の周遊馬車があったのを覚えているだけだ。

 かなり古くて、走っているのを一度も見たことはないが、お婆ちゃんにそんな説明を受けた記憶がある。


「忘れ物はないよね? このままファトスの街を出るよ」

「はぁい」

「問題ない」


 馬車は北区を抜け、そのまま北門を潜る。

 門衛のおじさんがギョッとした顔で見ていたのが印象深い。

 ネメシアーナ神殿の馬車を駆るのが幼女では無理もあるまい。

 馬車泥棒だと誤解してなきゃいいが。


 綺麗に整備された街道を北上する。

 まだだいぶ先だが、途中で左右に分岐するはずだ。


 北東側に行けばアダンの村方面。

 北西側に行けば、ドミニオン王都へ。


 王都にもいつかは行ってみたいね。

 前にメルが言ってたけど、王都は食の都とも呼ばれてるって話じゃん?

 どんな美味しいものがあるのか気になるよね。

 元料理人だと言う、ミリシャのお父さんに一軒の老舗レストランを教えてもらったんだ。

 なんでもミリシャのお父さんの師匠がやってる店なんだって。

 味もボリュームもとんでもないってさ。

 超行きたい!


 などと、おやつのパン(新緑亭と近所のパン屋から仕入れた)を食べながら妄想すること数時間。

 そろそろラウララウラと御者を交代しようかと思っていた頃。


 エネミーサーチに複数の反応があった。

 マーカーは赤。

 獣か魔物である。

 赤いマーカーは分散しており、単独なのか群れなのかは判別できなかった。


「メル、ラウラ。前方になにかいる」

「すぴー」

「む、敵か」


 寝息で返事するメルシェラ。

 素早く武装するラウララウラ。

 なんとも対照的な二人。


 メルが一時間ほど前から寝てるのは知ってたし、獣程度ならわたしとラウラだけで充分でしょ。

 しかしまぁ、本当に街道沿いまで出て来るんだね。

 やっぱり夜の移動は難しいかな、っと。


 馬車を停め、御者台から飛び降りる。

 左手には既に抜刀した大剣を握って。

 ラウララウラも素早く私の隣に並び立つ。

 彼女の得物は二本のショートソード。

 初めてラウララウラと共闘するわけだが、元暗殺者の実力、お手並み拝見といこうではないか。


「あれはバトルウルフだな。分散しているのは奴らの作戦だ。狙いはこの馬だろう。気を付けろミーユ」

「ふーん。バラけてるけどあれでひとつの群れなのね」

「そうだ。私が引きつける。その間に回り込んでくれ」

「了解」


 そう言うなリ、ラウララウラは走り出した。

 いやはや、速い速い。

 まさに『疾黒しっこく』の二つ名通りだ。

 背中に『活』って書いてあるぶん、いささか間抜けだが。

 あれが以前の『殺』と言う文字だったなら、わたしは戦慄したかもしれない。

 ……いや、やっぱりしないかな。


 ラウララウラは一際大きい灰色の狼に肉薄するや、右手のショートソードを一振り。

 狼は機敏にバックステップしたものの、手傷を負った。

 多分、ラウララウラは群れのリーダーを狙ったのだろう。

 一撃で仕留めなかったのは────


 ルオォォオオオオ


 サーベルタイガーのような牙を持つリーダーの咆哮で、群れの全てがラウララウラへ向かっていく。

 強敵だと認識し、集中攻撃の指示を出したのだろう。

 同時にわたしも駆け出す。

 バトルウルフの群れを挟み込むように、ラウララウラと正対する位置へ。


「ミーユ! 焼き払え!」


 ラウララウラの言葉に思わず噴き出した。

 わたしゃ巨神兵かってーの。


 しかし、ちょっと困ってしまう。

 この位置から火炎を放てばラウララウラまで真っ黒焦げだ。

 でも、ラウララウラはそんなことを百も承知で言っているはず。

 つまり何らかの意図があるのだろう。

 ならばわたしはそれを信じるだけだ。

 彼女が反応できるように、敢えて魔術名を叫ぶ。


「フレイムエミッション!」


 広範囲に広がる炎が地を舐めた。

 次々に巻き込まれ焼けていくバトルウルフ。

 一網打尽だ。


「うむ。メルシェラに聞いてはいたが、お前さんの魔術は恐ろしい威力だな。あれで中級火炎魔術とは」


 突然間近で聞こえたラウララウラの声に、ギョッとするわたし。

 いったい、いつの間にわたしの隣へ移動してきたのだろうか。

 気配すら感じ取れなかったことに、今度こそ戦慄する。


 しかもわたしは見た。

 炎が狼のリーダーを包み込む寸前。

 ラウララウラが大きく踏み込み、リーダーへ目にも止まらぬ左右の6連撃を叩き込んだのを。

 その証拠に、彼女の握るショートソードは、二本とも血濡れだった。


 これはまた、とんでもない実力者が仲間になったものだと、わたしは他人事のように思うのだった。


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