044 弄ばれる幼女さん



「ほーら、キャルロッ……ではなくミーユ。お水は飲めまちゅか~?」

「だめですよラウララウラさん。そんな手付きでは、こぼしてしまいます」

「ぬ。難しいものだな、子育てとは。メルシェラは手慣れているようだが」

「ですね。私は戦地で赤ちゃんの介護などもしていましたので」

「ふむ。ならば、お主に教わるほうが早いか」

「お断りします」

「何故だ!?」

「ミーユのお世話は私が一人でします」

「馬鹿な! ズルいではないかメルシェラ! 私もしたい!」


 …………解せぬ。


 わたしを挟んでキーキーやり合うこの二人が全く解せぬ!

 話している内容もさっぱり解せぬ! 

 そもそも、わたしが置かれた状況がちっとも解せぬゥ!


 ガタゴト揺られているところを鑑みるに、ここは馬車の上だろうか。

 どうやらわたしは今、赤ん坊の如くメルシェラに抱きかかえられているらしい。


 すぐそばにはもう一人、見覚えのある人物がいた。

 白黒メッシュの前髪で右半面を隠しているキリリとした顔つきの黒髪ショートカット美人。

 黒尽くめの衣服に黒いマフラー。

 わたしがアニエスタを脱出する際に遭遇した暗殺者の人だった。


 そんな人物がなにゆえ下手くそなベロベロバーをしながら、水の入ったコップをわたしの口に近付けているのだ。

 笑わせる気なのか、水を飲ませる気なのかわからない。


 あっ、ちょっと! こぼしてる、こぼしてるってば!

 ゴボガボ。


「不器用ですねラウララウラさんは。そんなことでは良き母親になれませんよ」

「別に母親になるつもりはない。私はただキャルロッテ王女……ではなく、この愛くるしいミーユの世話をしたいだけだ」

「お断りします」

「だから何故だ!? 何故即答する!」

「ミーユは私の運命の人だからです」

「答えになっておらぬわ! いいから私に任せろ! こうしてこうだろ!?」

「ちょっ、がぼごぼ」

「そんな乱暴にしてはいけません。こう、優しくするのです」

「やめ、ぶくぶく…………ぶへぁっ、ダァッ! ダァーーーーッ!!」

「うわー! ミーユが暴れ出したぞ! これはきっとかんの虫だ!」

「きゃあ。落ち着いてくださいミーユ。わたしです。あなたのメルシェラです」


 べらぼうめぇ!

 これが落ち着いていられるかってんでい!

 こちとら陸上で溺れさせられそうになったってぇのに!

 ……見なさい、思わず江戸っ子口調になっちゃったでしょーが!


「なんなの!? 何がどうなったの!?」


 と、自分で叫んでおいて徐々に思い出してきた。

 依頼を受けて現地に赴き、廃村にて地下神殿を発見。

 内部には多数の遺体と盗賊たち、そして頭目のカムジン。

 街道で攫われたティナとご両親も亡き者とされ、わたしは巨大な力で以ってカムジンを……殺した。


 そうだ。

 初めて人を殺したのだ。

 左手にはカムジンを斬った感触が残っている。

 飛び散る脳漿や勢いよく吹き出す血潮、だらりと垂れ下がる眼球。

 全てが鮮明に焼き付いていた。


「うぅっ……うぇえ、おえぇえ……」


 こみ上げる嫌悪感と嘔吐感に堪えられず、馬車から身を乗り出して憚ることなく嘔吐した。

 夕焼けの太陽が涙混じりの目に染みる。


「大丈夫ですかミーユ」

「馬車酔いか?」


 二人が背中をさすってくれる。

 理由はわかってもらえなかったようだが、二人の温かな手はわたしの荒んだ心に沁み込んだ。


 思えばわたしは殺人に対し、嫌悪感はあっても罪悪感はなかった。

 正直、『こんなものか』と思った。

 むしろ、わたしは善いことをしたのだと言う自負すらあった。

 相手カムジンが完全な悪だったせいもあるだろうが、多分にわたしは未だゲーム気分でいるのだと思った。

 NPCならば何人斬ったところでそれほど心は痛まない。

 転生などという有り得ない体験をし、未だ現実感に乏しいこの世界で生きるうちに、わたしはどこかおかしくなったのかもしれなかった。


 ……でも、だったらどうして、こんなに胸が苦しいの……?


 ちっちゃなティナは、他大陸の女神であるヘカテルナの生贄として捧げられてしまった。

 わたしは目の前が真っ赤に染まるほどの激しい怒りと深い悲しみに囚われたのだ。

 

「ミーユ、気が付いたんですね。良かった……」


 わたしの顔を覗き込むメルシェラの赤いジト目が安堵に彩られていた。

 そうだ。カムジンはあの時、わたしではなくメルシェラを狙ったのだ。卑怯にも。

 そしてわたしはメルシェラを庇い、ペンダントが光って膨大な力と、豊満な…………ん? え? あれ?


「どうしましたミーユ」

「またゲロか? 吐けるだけ吐いたほうが楽になるぞ」


 ガバリと立ち上がったわたしを訝し気に見つめるメルシェラと暗殺者さん。

 美人がゲロとか言うのやめてほしい。


「む……む……」

「む?」

「む?」

「胸が無くなってるー! 確かに大きくなってたはずなのに~~!」


 わたしの絶叫で盛大にズッコケる二人なのであった。


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「と言うわけで、だ。私もミユロッテ王女……ではなく、ミーユに同行させてもらえないだろうか」

「……う~ん……」


 ラウララウラと名乗る暗殺者の話を聴き終え、唸るわたし。

 何が『と言うわけで』なのか。

 取り敢えず、ミーユとキャルロッテ王女を合体フュージョンさせないで。

 わたしは身分を隠しているわけだし、名前くらいきっちりと覚えて貰わねば困る。


 別に彼女が暗殺者を廃業するのは構わない。

 それは個人の自由だし、出会った時から彼女に暗殺者は向いていないと思っていた。

 実力があっても、性格的に。

 ただ、それがわたしに負けたせいだと言うなら、わたしにも責任の一端はあるのかもしれない。


 ラウララウラは、メルシェラにわたしの素性を話してしまったらしいが、それも特に問題ない。

 多少早まっただけで、いずれは話そうと思っていたことである。


 問題は、ラウララウラが何故かアニエスタ王国奪還計画を知っていたことだ。

 まだ誰にも話したことはないし、実行どころか詳細すら何ひとつ決めていないというのにだ。

 ただの勘だろうか。


 まぁ、彼女と出会った時のわたしって、ぶっちゃけ全然悲壮感とかなかったもんね……

 少なくとも、『落ち延びるために決死の覚悟で逃げ惑う哀れな幼女王女』には全く見えなかったと思う。

 そのあたりからも推測したのかな。

 将来、国を取り戻す算段があるからあんな風に振舞えるのだろう、とかって感じにね。

 あの時はまだ、そんなこと考えてる余裕もなかったんだけど、今はキャルロッテのためにも必ず実現させたいと思ってるよ。


 しかし今のところ、計画実行の目処は立っていない。

 戦力もなければ財力もない。

 作戦もなければ人材もない。

 わたしには足りないものが多すぎるのだ。

 始動にはまだまだ時間がかかってしまいそうなので、そのうちに彼女ラウララウラも忘れてくれるのを期待しよう。


 ……いや、むしろ知られてしまったのなら、逆に協力してもらうべきかもしれない。

 メルシェラも聞いてしまったようだし、強力な治癒能力を持つ彼女にも……

 まぁ、それもこれも、全てはもっと力をつけてからの話になる。

 だが、この二人が力を貸してくれるのなら計画実行は大幅に早まりそうだ。


 ところで、聞けばラウララウラもメルシェラと同じTier3だというではないか。

 冒険者としては上位の部類に入る。

 わたし、メルシェラ、ラウララウラでパーティーを組めば、高難度依頼も余裕でクリアできるだろう。

 となると、実入りがだいぶ変わってくる。


 ついでにパーティーバランスも向上するはずだ。

 すなわち、前衛(陽動、攪乱主体)がラウララウラ、中衛(魔術主体)がわたし、後衛(治癒主体)がメルシェラ。或いは、前衛(攻撃)がわたしとラウララウラで中衛(援護攻撃、治癒)がメルシェラというパターンも有りだろう。

 これはかなりバランスがいい。

 フォーメーションを変えながら2~3度ほど討伐依頼でもこなせば良い感じの連携が組めそうだ。


 ……つまり、わたしにはラウララウラの提案を断る理由が大して無いということである。


「ん~……」

「どうしてもお主と冒険をしたいのだが、駄目だろうか」


 少し逡巡していると、目に見えてショボンとしてしまうラウララウラ。

 美人は得だ。落ち込んでいても絵になる。


 何故わたしに拘るのかは知らないが、そうまで言われて悪い気はしない。

 わたしも彼女が暗殺者を辞めて真っ当な冒険者になってくれた方が付き合いも気楽だ。

 それにラウララウラはわたしと初めて出会った時も、暗殺者を名乗った割に殺そうとはしなかった。

 いくらでもチャンスはあったのに。

 更にはアニエスタとドミニオンの国境付近では、わたしを見逃した上に雇い主には既に死んでいたと報告するなどと便宜を図ってくれたのだ。

 あれ以来、このヘンテコ暗殺者に好感を持っている。

 なら決まりだ。


「う~ん、いいよ」

「本当か!?」

「ただし」

「む?」

「言葉遣いをもうちょっと普通にしてくれたらね」

「お主がそういうなら……」

「その『お主』がもう固いよ」

「ぬ……じゃ、じゃあ、お前さんに従おう」

「まだ固いけど、まぁいいか。よろしくねラウラ。あ、名前長いしラウラって呼ぶね。わたしのこともミーユでいいから。絶対覚えてね、ミーユだよ?」

「う、うむ、呼ばれ慣れてなくて何やら照れ臭いが……よろしく頼む、ミーユ」


 ポリポリと赤くなった頬を掻くラウララウラ。

 10代後半くらいの年相応な女の子っぽく見える。

 せっかくの美人なんだから普通にするべきだ。


 ん……?

 『お前さん』?

 あはは、わたしに剣を教えくれた師匠を思い出すね。

 デルグラド師匠、元気かなぁ。

 まだそんなに経ってないのに懐かしく感じるよ。


 馬車に揺られながら暮れゆく空を眺めていると、デルグラド師匠のいい笑顔が浮かんだ気がした。

 これではまるで死亡フラグだ。

 ブルルッ、縁起でもない。


「あれ? そういえばこの馬車ってわたしたちが乗ってきたやつ?」

「そうですよ。置き去りにしたらお馬さんが可哀想ですし、ギルドに賠償金を請求されてしまいますから」

「え、御者は?」

「あぁ、それは、さっき話した私と同じ暗殺者ギルドの者だ。すまんが便乗させてもらっている。どうせを持ってギルドに戻らねばならんからな」

「……うげ」


 荷台の隅っこに転がる物体。

 布で包んではあるが、血が滲んでいた。

 言われずともなんとなくわかる。

 たぶん、カムジンの首だろう。

 討伐の証拠として持ち帰るのだ。


 思い切り頭を斬っちゃったけど、いいのかな……

 まぁ、人相が確認できれば証拠にはなるか。

 そうだ……


「ねぇ、ラウラ」

「なんだ?」


 わたしが小声で呼んだので、ラウララウラは耳を近付けてきた。


「いきなり暗殺者ギルドを抜けるとか宣言しちゃって平気なの? 鉄の掟とかあるんじゃない?」


 わたしが思ったのは『抜け忍』みたいなアレだ。

 秘密組織的なものを辞めるとなれば、抹殺されてしまうのではなかろうか。


「いいや、特に追われたりはしない。依頼の放棄や、何らかの秘密を握ったままの逃亡でもない限りはな」

「そうなの?」

「うむ。そのあたりはどちらかと言えば盗賊ギルドのほうが厳しいぞ。勝手な仕事をすればああなる」


 ラウララウラが親指でカムジンの首を指した。

 先程の説明によれば、地下神殿から逃げ出した盗賊は全てラウララウラと暗殺者ギルド員の三人で仕留めたそうだ。

 掟を破れば、理由も聞かず申し開きもさせずに殲滅すると言うなら、確かに盗賊ギルドのほうが厳しい。


 なんとなく御者台に座るギルド員二人の『殺』と書かれた背中を眺めて背筋を冷たくした。

 手負いとは言え、あの人数の盗賊をなんなく始末する暗殺者集団、か。


「……ラウラ、ファトスの街に戻ったら服屋に行こうね」

「何故だ? 私の格好は変か?」

「うん(特に背中の『殺』の字が、ね)」

「ガーン! そ、そうなのか……」

「ですね。ラウララウラさんにはもっと暖色系の服が似合いそうです」

「あ、いいねー。メル、センスあるじゃん」

「そうですか? ふふ……(ミーユに褒められました)」

「こ、これはお気に入りの服装なのだが……!」

「暗くなってきたね。こりゃファトスに着くのは夜中かなー」

「服屋さんも閉まっちゃいますね」

「服などいらぬと言うに!」

「ライトボールを取り敢えず3個くらい出しとけばいいかな?」

「そうですね。前と後ろと馬車の上にしましょう」

「お前さんたち、私の話を聞けーーー!」


 二人のお陰で、後味の悪い結果となってしまった今回の件に対し、あれこれ悩んだり落ち込んでいる暇もないのが有難かった。

 或いは二人が意図的にそうしてくれたのかも知れない。


 ……いや、やはりわたしは何かがおかしくなってしまったのだろう。


 あれほど胸を痛めたティナの顔が、もうあまり思い出せなくなっていた。


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