043 疾黒
何と言うことでしょう。
かくも麗しき女神。ネメシアーナさまが御降臨なされました。
我が運命の人、ミーユの身体を借りて。
ああ……ミーユの身体が見る間に変化していきます。
身長が伸び、手足が伸び、髪が伸び、身体つきも丸みを帯びて女性らしく豊満に。
なんと美しい……
ミーユは将来、きっとこんな風に素敵な大人の女性となるのでしょうね。
そう、これは未来のミーユなのです。
ネメシアーナさまが、そのお力に耐えられるよう、ミーユの身体を成長させたのです。
私がネメシアーナさまだと確信したのは、十対の輝ける翼を見たからに他なりません。
七柱の女神さまは全員が輝ける翼をお持ちです。
そして十対の翼はネメシアーナさまだけ。
なので間違いありません。
ネメシアーナさまはミーユの中に御降臨なされたのです。
この御業こそ、治癒魔術系統の最高峰。
神敵を討つための禁術。
『コールゴッデス』なのです!
治癒魔術は、主に神殿関係者の間だけの定義ではありますが、『神聖魔術』とも呼ばれています。
その名の通り、女神さまがたのお力をお借りする魔術なのです。
世に広く知られる初級の治癒魔術でさえも、使い手が少ないのはそこに理由があります。
行使するには、女神さまとの因果関係や因子を持っているかが重要なのです。
それが治癒魔術は他の属性魔術と別系統、と言われる所以でもあるのです。
故に、治癒魔術の属性は、『治癒属性』ではなく『神聖属性』が正しいと神殿側は考えています。
全容はまだまだ未解明ですし、天属性と似ている部分もありますが、神聖属性は全く別の……
あっ。
ネメシアーナさまが宙を駆け、異教の徒、カムジンへと向かっていきました。
生贄と称し、幼い子供を次々に殺害したのですから、ネメシアーナさまが許しを与えることは絶対に有り得ません。
もはや彼の命運は完全に尽きたと言えるでしょう。
この大陸はネメシアーナさまがお創りになられた地。
ゆえに、異大陸の女神であるヘカテルナさまの信徒は異端となるのです。
元々あまり仲のよろしくない七柱の女神さまですが、ネメシアーナさまとヘカテルナさまの相性は最悪だと神殿には伝わっております。
それゆえに、ヘカテルナさまの信徒はこのような地下で細々と活動していたのでしょう。
同じようにヘカテルナさまの大陸ではネメシアーナさまの信徒が迫害されていると思うと胸が痛みます。
ただ、麗しきネメシアーナさまは、ヘカテルナさまと違って生贄など要求したりはしませんが。
異教徒カムジンにも矜持はあったのでしょう。
少々みっともない悲鳴を上げていたものの、華々しく散って行きました。
ネメシアーナさまに断罪された以上、その魂に安らぎはありません。
いえ、むしろ安らぎを得た、とも言えるでしょうか。
彼の魂はヘカテルナさまのもとへは還らず、完全なる無へと帰しました。
彼はもう憂き世のことなど何も思い悩まずに済むのですから。
あぁ……ミーユがカムジンの躯を見おろし、微笑んでいます。
なんと神々しい……
まるでミーユが女神そのものと化したようにすら思えますね。
それにしても、『コールゴッデス』が行使された割にはやけに静かです。
伝承によれば、女神降臨せし時。大気、大地が歓喜と畏怖に震え、天地悉くが……ええと、何でしたっけ?
ちょっと忘れてしまいましたが、ネメシアーナさまが御降臨なされたのにも拘らず、このように静かなのは不思議ですね。
もしや、ミーユが無意識のうちに力を抑えているのでしょうか。
私を巻き込まぬようにと。
あぁ! ミーユはなんとお優しい!
流石は私の運命の人ですねっ!
……はて?
あっ、あっ、これはいけません。
ミーユが落下してきました。
どうやら気絶しているようです。
ネメシアーナさまがお帰りになられたのでしょうか。
ならば、私が受け止めないと……!
えいっ!
あっ!?
……ふぅ、どうにか成功しました。
ミーユの頭に大きなたんこぶが出来てしまいましたが、完璧な成功と言えるでしょう。
私が触れればすぐに治りますので何の心配もいりません。
今思えば、右腕を失い、瀕死だったミーユを私が癒したと言うのにも運命を感じますね。
その時はミーユが私の運命の人だなんて思いもしませんでしたが。
……おや、いつの間にかミーユは元の小さな女の子に戻ってしまいました。
とっても愛らしい寝顔ですね。
きっと、ネメシアーナさまの膨大な権能の行使によって疲れ果てたのでしょう。
「もう食べられないよ……」
ふふっ。
ミーユは夢の中でも何か食べているみたいです。
とても可愛らしい寝言ですね。
私がミーユを食べちゃいたいくらいです。
さて、ミーユの無事も確認しましたし、私は死者を弔いましょうか。
まずはティナちゃんとそのご両親から……
あら?
いつの間にか動ける盗賊さんたちは全員逃げ出したようですね。
あちこちに手足が残ったままですが。
彼らの態度によっては後で治してあげるつもりだったのですが、あわてん坊な方々です。
ともあれ、彼らも手足が無ければ盗賊稼業は出来ないでしょうし、相応の罰とも言えます。
「ティナちゃんの魂に安らぎあれ。女神ネメシアーナさまの御許にて永遠の安寧を」
ぶっちゃけた話ですが、この弔いは私の自己満足でしかありません。
なぜなら、ティナちゃんの魂はカムジンが言った通り、既にヘカテルナさまへ捧げられてしまったからです。
他の子供たちも同様でしょう。
ヘカテルナさまは何よりも子供の魂を欲していると聞き及んでいますので。
ですから、せめてご両親の魂だけでもネメシアーナさまのもとへ還さねばなりません。
「ふむ。こりゃひどい有様だ」
どこからともなく人の声がします。
ミーユが起きたのでしょうか。
「しかし、このような場所に隠し神殿があったとはな」
声は女性のもので、入口の方から聞こえました。
つまりミーユが目覚めたのではないようです。
では、誰なのでしょう。
私はミーユのもとへ戻り、その小さな身体を守るように抱きしめました。
まだ盗賊が残っていたのではないかと考えたからです。
いくらミーユが強くとも、今は気を失っており、非常に無防備ですので。
声を発した人物は、私の警戒心を気にした風もなくこちらへ近付いてきました。
はて?
何やら見覚えがあるようなお顔立ちの人です。
「ん? お主、『彷徨う聖女』か?」
「あなたは……ええと……『死っぽく』さん」
「『
そうでした。
この右半面を白黒メッシュの前髪で隠した黒尽くめの女性は『疾黒』さん。
彼女も冒険者で、Tierは私と同じ3です。
各地を放浪していた頃、なぜかあちこちで見かける機会の多かった人です。
あまりにも出くわすので、いつしか軽いお喋りを交わす仲になりました。
一度、戦場でお会いした時は敵同士だったこともありましたね。
私が後方配置だったせいか、直接戦うこともなく終戦を迎えましたが。
普段の彼女は各国を渡り歩き、冒険業のかたわら
そんな『疾黒』さんですが、話してみれば以外に気さくで明朗闊達。ゆえに、あんまり悪い人には思えません。
足が異様に速く、腕も確かなようですが、彼女は本当に暗殺者なのでしょうか。
今でも疑問です。
「アブラアブラさん、どうしてここに?」
「ラウララウラだっ! わざとか!? わざと間違えているのか!?」
そうでした。
彼女は『疾黒』のラウララウラさん。
特徴的なお名前でしたので間違えるはずがないと確信していましたが、やっぱり私はダメな子ですね。
「『彷徨う聖女』メルシェラよ、少しばかり状況を尋ねたいのだが……む? この幼子は……キャルロッテ王女ではないか!」
「キャルロッテ王女、ですか? いえ、このおかたは私の運命の人で、冒険者のミーユですよ。私は現在、ミーユの従者をしております」
「ふむ? そうか、王女は名を変えて冒険者となったのだな。それは良かった。あれからずっと、この子の身を案じていたのでな」
「あれから? ええと、できれば私にもわかるように説明していただきたいのですけれど」
「む。迂闊な発言だったか。まぁいい。お主がこの子の従者と言うのであれば、知っておいたほうがよかろう。代わりにお主も話せ」
ラウララウラさんはドッカと床に腰を下ろし、私が抱くミーユを見つめています。
彼女も何か思うところがあるのでしょうか。
その後、お互いが知る情報を交換し合いました。
ミーユがアニエスタの王女、キャルロッテ殿下であること。
クーデターが勃発し、ミーユは護衛の騎士もなく、単身で国を脱出したこと。
その折にラウララウラさんとミーユが邂逅したこと。
初めて知るミーユの過去に、私の心は震えました。
それはラウララウラさんも同様だったようです。
「グスッ、そうかぁ……この子は右腕を食われて死にかけたのかぁ……可哀想になぁ……痛かったろうなぁ……幼子がたった一人であのハンターベアと対峙するなどと、さぞや怖かったろうになぁ……ウグッ、エグッ」
「……まさか、国王陛下と王妃陛下が崩御されていたなんて……お二人は城内に紛れ込んでしまった流れ者の私にもお優しく接していただいて……ヒック、ヒック……ミーユ……まだこんなに小さいのにご両親を亡くされて……とても辛かったでしょうね……ズビッ」
号泣です。
二人でミーユの頭を撫でながらの号泣です。
大の大人が大泣きです。
歳を取ると涙もろくなるのでしょうか。
ひとしきり泣いて落ち着いたあと、らラウララウラさんが、やおら立ち上がりました。
「……しかし、女神ネメシアーナの加護を受けし幼子、か。面白い」
「面白い、ですか?」
「うむ。実に面白い」
近くに転がっていたカムジンの死体を見分しながら、薄く笑うラウララウラさん。
先程、彼女がここを訪れた理由も話してくれました。
ラウララウラさんが所属する
その暗殺者ギルドは盗賊ギルドから要請されたそうです。
この辺りで違法に盗賊行為をしている一団がいるとの情報を受け、その実態調査、及び可能であれば殲滅を、不可能なら頭目を暗殺せよと。
盗賊ギルドは不可視化の技術を持つカムジン一味に相当手を焼いていたようです。
姿が消えてしまうのでは見つけにくいでしょうから。
そこで魔術を使った暗殺術も研究している暗殺者ギルドに泣きついたわけです。
派遣されたのはラウララウラさんと他数名。
他の方たちはこの村の周辺を捜索中だそうです。
お主らが井戸にロープを括りつけていたのが幸いだった。でなければ地下神殿の発見は更に遅れていただろう、と彼女は笑いました。
もっとも、勇んで来てみれば既に全部終わっていたのは情けない限りだがな、と苦笑へ変わります。
「いったいミーユの何が面白いのでしょう? 確かにユーモアのあるかたですけれど」
「ははっ、そう言う意味ではない。この鮮やかな斬り口を見よ」
グイと胸倉を掴んでカムジンの死体を持ち上げるラウララウラさん。
いえ、見せなくても結構です。
「年端もゆかぬのに迷いなく悪を斬れる。この子はきっと大成し、歴史に名を残すだろう。私はそれを見てみたい。傍で見ていたい」
「???」
暗殺者特有の感性でしょうか?
私にはよくわかりません。
ですが、ミーユは将来大成するという部分は大いに同意できます。
ミーユには何か途轍もないことを成し遂げるのではないかと言う期待……いえ、予感が湧いてくるのです。
「決めた。私もこの子に同行する」
ラウララウラさんが突然宣言しました。
さっぱりとした良い笑顔で。
いきなりそう言われても私としては少しばかり納得できません。
嫉妬でしょうか。
この気のいい暗殺者にミーユを取られてしまうのではないかと思う浅ましい気持ちでしょうか。
「ですが、暗殺者の仕事はどうするのですか?」
「辞める」
即答でした。
逡巡することなく言い切るのは、固い決意の表れなのでしょう。
「元々熱心に取り組んでいたわけでもないからな」
「はぁ」
「だいたいだな……この私が逃亡勝負でこのような幼子に負けたのだぞ!? 恥知らずにも仕事など続けられるものか!」
「はぁ、そうですか」
いえ、突然激昂されても困るのですが。
「今日までは義理もあって続けてきたが、もう暗殺業は廃業する。ちと、冒険業のほうが楽しくなってきたところでもある。これからはミーユが成すべきことをかたわらで支えよう。お主と同じようにな」
「ミーユが成すべきこととはなんです?」
「決まっているだろう? 国を取り戻すことだ」
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