028 禁術



 朝から風の強い日であった。

 これで暗雲でも立ち込めていたなら行末も不安になるところだが、別段そんなこともなく空はすっきりと晴れ渡っている。


 強風吹きすさぶ中、わたしとアルカナちゃんは家の裏の斜面を登り、山頂付近に来ていた。

 アルカンティアナ邸に滞在し始めて数か月ほど経つ。

 しかし、今までこれほどの高山に住みながらも、登頂するのは今日が初めてだった。

 とは言っても、山頂に何かがあるわけでもないし、家屋からは垂直距離にして数百メートルほどでしかないのだが。


 だけど、なんか凄い景色……

 惑星の丸さがわかる……

 エベレストより高そう……って言うか絶対高いよね。

 確か火星のオリンポス山が標高27キロメートルだっけ?

 そのくらいあるんじゃないのこれ。

 もしやこの星って大陸プレートの移動がないのかな?

 それとも重力が小さいとか?

 確かそういう要素がないと超高山は出来ないらしいよ。

 そもそもこの高度で空気が薄くならないのはなんでなの……

 うーん、不思議な世界!


 秀才ゆえに探求心は疼くが(自画自賛)、今はそうも言っていられない。

 なぜならば、ここへは世界の謎を解きに来たのでも物見遊山に来たのでもないからだ。

 昨晩、『修了試験を行う』とアルカナちゃんは言っていた。

 つまりこの山頂が試験場ということなのであろう。


 だがここで一体なにをするのか。

 わたしになにをさせるつもりなのか。

 その内容について彼女は何も語らなかった。


「うむ、ここらでよかろう。ではミーユよ、これよりお主の修了試験を始めるのじゃ」


 少し平らな場所で立ち止まると、アルカナちゃんにしては珍しく厳かな声でそう言った。

 だが、わたしにはどうしても尋ねたいことがある。

 それは『修了』が、どのような意味なのか、だ。


「あの、師匠……」

「見事修了した暁には、ミーユ、お主はここを出て冒険にゆくがよいのじゃ」

「はぁ……ハァ!?」


 痛恨の一撃!

 完全に出端を挫かれた!

 しかも一番聞きたくなかった言葉で!


「そ、それって、出て行けってことですか!?」

「ま、端的に言えばそうなるの」

「わたしがいっぱい食べるからですか!? 魔術が下手くそだからですか!? 弟子失格なんですか!? 昨日からおかしいと思ってたんですよ! デルグラド師匠もアルカナちゃんも急に修了だなんて言い出すから!」

「阿呆! んなわけなかろう! お主は優秀じゃ。優秀がゆえに巣立ちも早くなるのは当然じゃろうが」

「でもわたし、まだ自信がありません……」

「だからこそ冒険を重ねて経験を積まねばならん。お主も冒険者ならば知っておるはずじゃ。経験は力であり宝なのじゃと」

「……」

「それと……わらわの見立てじゃが、お主には大きな目的があると見た。違うかの?」

「!」


 流石は師匠の慧眼。

 今はまだ、到底成し得ない目的を見抜かれていた。

 それはキャルロッテとわたしの約束であり誓いでもある。


 楽しく生きること。

 思い切り生きること。


 そしていつか、こと。


「……はい」

「そうじゃろうとも。魔術を教えたのもデルグラドを呼んだのも、その一助になればと考えたからなのじゃ」

「でもでも、師匠~」

「情けない顔をするでない。わらわまで泣きそうになるじゃろ。それに、帰って来るななどとは一言も言っておらぬのじゃ」

「! 帰ってもいいんですか!? やったー! 師匠大好きですー!」

「ふぎゃー! 痛い痛い! 全力で抱きしめるでない! お主は力がありすぎるのじゃ! 背骨ェー!」


 嬉しすぎてアルカナちゃんにベアハッグをかましていた。

 わたしにはまだ帰る場所があるんだ!

 こんなに嬉しいことはない!


「げっほげっほ……よいか、これから行う試験は魔術の神髄を伴っておるのじゃ。恐怖に耐え、頭と身体に深く深く刻み込むがよい」

「はい! ……はい?」


 勢いよく返事してしまったが、今アルカナちゃんは妙なことを言わなかっただろうか。

 頭と身体に深く……?


「心せよ。今より見せるのは魔術における最高峰。あまりにも強大が故に忌避される業(わざ)……『禁術』のひとつじゃ」

「えぇー!?」


 禁術って確か魔術の中でも一番上のヤツでしょ!?

 わたしが教わったのは上級まで……その次ぎが超級、んで絶級、そして奥義ときて、更に上が禁術。

 ……4段階も上じゃん! 飛ばしすぎじゃない!? しかも『禁術のひとつ』ってことは他にも禁術があるの!?


 ズズズズ……


 長い長い詠唱を呟きながら、仁王立ちで両腕を広げたアルカナ師匠の周囲に、火炎、水氷、土鉱、風雷、治癒、天、冥……7属性の元素が満ちた。

 それらはまだ形を成すことなく、彼女の周囲をゆったりと漂っている。

 強風のせいか、膨大な魔力のせいか、アルカナ師匠の毛量豊かなトライテール(ツインテール+ポニーテールのこと。作成者、命名者はわたし)が逆立つように舞い上がった。


 わたしはそれだけで驚愕した。

 するしかなかった。

 どう頑張っても今のわたしには同時に3属性までしか操れないからだ。


 なのにアルカナ師匠は全てを同時に発現させ、尚且つ全ての属性を凪いだ水面の如く静穏に安定させている。

 何と言う技量。

 何と言う魔力操作。

 わたしは改めてこの師匠を尊敬する。

 せざるを得ない。


「……七大元素を顕現。その全てをひとつに集約する時、真なる元素、『真素』が生まれる……いや、生まれると言う表現は正しくない。何故ならば……」


 アルカナ師匠が広げた両手を胸の前で合わせると、七大元素も混ざりあっていく。

 混合された元素たちは、一度大きく膨れ上がった。

 そして一挙に収縮していく。

 アルカナ師匠の詠唱は続き、彼女と元素を覆うように無数の魔術陣が展開された。


「防御と制御の術式をこんなにたくさん……」

「ほう、わかるのじゃな。よく勉強しておるのミーユ。感心感心」

「……もしや詠唱は短縮ですか?」

「うむ、よくぞ見抜いた。短縮化に成功してもこの様じゃ。まともに詠唱すれば完成まで半日はかかる」

「ひえぇ……」


 口調は余裕そうだが、汗まみれの表情はそれを否定している。

 偉大なるアルカナ師匠でさえも禁術の使用は相当な無理を強いられるのであろう。

 この量の陣を同時展開しているのなら尚更だ。

 いや、それより気になるのは、なぜこれほどの防御陣が必要になるのかである。


「さあ、刮目して見るがよい。これこそ禁術がひとつ、『ブラキュリオ・タンホイザ』じゃ」

「こ、これって……!」


 混ざりあった元素は、漆黒の球体と化した。

 一見すればただの大きな冥属性初級魔術のダークボールとしか思えない。

 しかし、わたしの目は独りでに剥いていった。

 球体の周囲が不気味に歪んで見えたのだ。

 まるで光すら強引に捻じ曲げたかのように。


 事象の地平面。

 シュバルツシルト半径。

 ホーキング輻射。

 降着円盤。

 重力崩壊。


 特異点。


 頭の中に浮かぶのは、ひとつの現象を示唆する単語ばかりだった。


 嘘でしょ……!?

 いくら魔術があるといっても、こんなものを人工的に作り出すなんて……!

 すごい! けどヤバい!


「全ての元素を一点に集約するとこうなるわけじゃが、その原理は未だ解明されておらぬ。故に禁術。どうじゃ? 驚いたかの? 慄いたかの? 良いぞ、その顔! 見事な驚きようじゃの! くふふふ! くーっふふふふふ……げっほげっほ」

「わ、笑ってる場合じゃないですよ師匠!」


 わたしが思った通りの事象であるならば危険すぎる。

 ふた抱えほどのがどの程度の被害を齎すのかはわからない。

 確か欧州原子核研究機構CERNが大型ハドロン衝突型加速器で作ろうとしてたのだって、量子レベルに極小のマイクロサイズだったはずだ。

 ホーキング輻射により一瞬で蒸発する程度の。

 それですら危険だと裁判沙汰になった。


 そう。禁術とは、ブラックホールに他ならない。


「なんてものを作るんですか!」

「これはの、光だろうが闇だろうが何でも飲み込むのじゃ。実に面白いのー」

「ちょっ! こっちに向けないでください! ちっとも面白くないですよ! いいから早く消してーー!」

「なんじゃなんじゃ、ミーユは怖がりじゃの。じゃが可愛い弟子の頼みは断れぬの」


 怖がりとかそういう問題じゃない。

 この人はブラックホールというものを本当にわかっているのだろうか。

 ……きっとまるでわかってはいないだろう。

 地球の科学力ですら未解明のままなのだ。


 いや、そうとも言い切れないかな?

 あれほどの制御と防御の魔術陣を展開してたのは、アルカナ師匠が禁術の危険性を察知しているからだろうし。

 だったら、そもそもこんな魔術をおいそれと使わないでほしいんですけど。


「ま、わらわではこの程度の大きさで精一杯じゃ。神話だと一柱の女神がこの禁術を以ていくつもの星を消し去ったらしいがの」

「怖っ!」


 神話とは言え、とんでもないことをする女神がいたものだ。

 ……願わくば、それがネメシアーナではないことを祈るばかりである。


「さて、ミーユや。目に焼き付けたかの?」

「……一生忘れられませんよ……」


 わたしの疲れ切った顔が可笑しかったのか、ケタケタと笑うアルカナ師匠。

 いや、敬意を込めてアルカンティアナ師匠と呼ぶべきか。

 思い切り嫌がりそうだけど。


「それで良い。大切なのは神髄を体験することじゃ。さすればいずれ自ずと身に着くじゃろう。よくぞ恐怖に耐えきったの。では、これにて修了試験を終えるのじゃ」

「はい。ありがとうございました」

「うむ。今宵は宴にするのじゃ。ミーユの門出を盛大に祝わせてもらうぞ」

「! ……はい!」


 こうして、辛くとも楽しい修業の日々は終わりを告げたのだった。


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