020 魔術教練開始



「さて、ミーユや。身体のほうはどうかの」

「えーと」


 アルカナちゃんに言われて身体を動かしてみる。

 上半身をねじり、肩を回してみたが特に問題はなさそうだ。

 彼女が施した治癒魔術のお陰だろう、筋肉痛のような全身の痛みが綺麗さっぱり消えていた。


「大丈夫そうです」

「うむ。それは重畳じゃ。では、若い時代の時間とは貴重なものじゃからの。無駄にせぬよう早速修業を……コホン。授業を開始する」

「はい」


 今、修行って言わなかった?

 まぁいいや。似たようなもんだし。

 強くなれるならなんだっていい。


 ヨッとベッドから脱け出し、軽く屈伸してみる。

 良かった。足腰も問題なさそう。


「こっちじゃ。また燃やされちゃかなわんからの。外でやるのじゃ」

「わかりました…………えぇぇぇ!?」


 一歩表へ出てみて驚いた。

 見渡す限り山、山、山!

 眼下には雲海が広がり、その中から衝き立つように山々が顔を出していたのだ。

 わたしの足元は急斜面。

 それがずっと下方まで続き、雲の中に消えていた。

 振り返れば家屋の後ろに上りの急斜面があり、先の尖った頂上が見える。


 そう、わたしは途轍もなく高い山の天辺付近にいたのである。


 ヨーロレイヒーーー!

 おじいさーん!

 ヨーゼフー!


 ……いけない、テンパってる。

 確かにアルプスの少女がいた山っぽいけど、あれより絶対もっと高い。

 エベレスト?

 にしては草木も生えてるし、大して寒くもない。

 よく見たらお家の横に小さな畑まであるよ。

 なんだか不思議な場所。


「師匠、ここはどこなんですか?」

「世界最大規模の山脈、冥王山脈じゃ。未だに前人未踏の秘境じゃぞ。どうじゃ? 驚いたかの」

「すっごく驚きました……!」

「うむうむ。ミーユは素直で可愛らしいのー」


 嬉しそうにわたしの頭を撫でるアルカナちゃん。

 これを見て驚かないほうがおかしいと思う。

 もっとも、わたしが聞きたかった答えとは違っていたのだが。


「滑落すれば死ぬから気を付けるのじゃぞ」

「……はい」


 そりゃそうでしょうとも。

 見ればわかります。


「さてミーユよ。お主にはまず初級魔術を習得してもらう」

「はい!」

「うむ、良い返事じゃの。どうやらお主は無意識に詠唱を完全省略しておるようじゃが、無詠唱で魔術を行使した際に何か違和感を覚えなかったかの?」

「!」


 すごい!

 まさにわたしが思ってたことをズバリと!

 やばい。尊敬しそう。


「それは正式な詠唱を介しておらぬからじゃ。詠唱とは、ただ文言を読み上げるものではない。己の魔力を術式に変えて詠唱に乗せることこそが肝要なのじゃ。そうせぬとお主のように制御が不安定な吐き出すだけの魔術となってしまう」


 目からウロコとはこのことだ。

 巨大な氷山が、一気に連鎖崩壊したような気分。

 難問が、ちょっとしたきっかけで『なんだ、こんなに簡単だったのか!』とスラスラ解けるような感覚。

 師匠は本当にすごい人だったのだ!


 などと感動に打ち震えていると。


「なんじゃミーユ、おしっこか? ここはそれなりに冷えるから仕方あるまいの。漏らす前にトイレへ行くのじゃぞ」

「違います!」


 お漏らしは2年前に治りましたから!

 って、それはキャルロッテの記憶だってば!

 あぁもう! せっかくの感動が台無しだよ!


「恥ずかしがらんでもいいんじゃがの。さて、お主は火炎系統が得意なようじゃから、敢えて反属性の水氷系統から教えるのじゃ」

「はい! お願いします!」

「それと、ひとつ言っておくが、今後しばらくは無詠唱を使ってはならぬぞ。良いな?」

「はい!」


 いちいち『それはなぜ?』などと聞き返さない。

 この師匠が言うのであれば、それはわたしのためになる何かがきっとあるのだ。

 わたしは既に師匠を尊敬している。

 どんなに厳しく辛くとも、絶対に食らいついて行こう。


「先程わらわが使ったものと同じ初級水氷魔術ウォーターボールじゃ。ゆっくりと詠唱するゆえ、魔力の流れを意識しながら復唱するのじゃぞ」

「はいっ!」

「ゆくぞ。清らかなせせらぎよ」

「清らかなせせらぎよ」


 一節目で脳に集まった魔力が右手へ移動する。


「雫となりて」

「雫となりて」


 二節目で魔力が水の術式に変換された。


「水の恵みを与えよ」

「水の恵みを与えよ」


 最終節で水の術式は、球状の水そのものとなった。

 後は魔術名を唱えれば完成となる。


「良し、水球は完全に構築されたようじゃの。優秀優秀。ならばミーユよ、それをそのまま維持するのじゃ」

「へ? は、はい」


 撃ち出さずに保持すればいいわけね。

 簡単簡単。


 ……と思っていたんだけど。


「ほーれほれ、水球が歪んできておるぞ」

「くっ、ふぬぬ……!」


 これが意外と難しかった。

 魔力の流れを常時意識していないと、水球がスネたようにグネグネし始めるのだ。

 なんて繊細な水なの……乙女かっ! とツッコミたい。


 術式によって魔力は水へと元素転換された。

 なので魔力の供給をやめても水は残り、パシャっとわたしの足元を濡らすだろう。

 そうならぬよう長時間水球を維持し、形を保持するのがこの修行なのだ。

 しかし一度放出した魔力の何と扱い難いことか。


「魔力は身体を循環しておる。放った魔力は外魔力と交じり合うが、体内で練っている時と同じく巡っておるのじゃ。良いか、制御と循環こそが全ての魔術の要。そうじゃ、ゆっくりと巡るように……頭の中では常に真球をイメージするのじゃぞ」


 アルカナちゃんの言葉が沁み込むように脳を満たす。

 この人、今まで出会ったどんな教師よりもすごいのではなかろうか。

 これではますます尊敬してしまうではないか。


 そんな風に小一時間も悪戦苦闘していると、だいぶコツも掴めて維持が楽になってきた。

 水球も大きさや形を変えることなく真球を保っている。

 余裕が出てきたわたしは、ふとした疑問をアルカナちゃんにぶつけてみた。


「あの……師匠はどうしてわたしを助けてくれたんですか?」

「ん? 森に赴いたのは減ってきた薬草の補充じゃ。シャックン草はあそこでしか採れぬでの。お主を見つけたのはたまたまじゃ」


 なるほど、シャックン草……ああっ! シャックン草とニュル花!


「そうだ! わたし、依頼の途中で……!」

「こりゃ。水球が乱れておるぞ。意識の乱れは魔力の乱れじゃ」

「あっ、くっ、ふぅ……」

「心配するでない。お主の採取した薬草はファトスの冒険者ギルドに納入しといたのじゃ。ミーユの冒険者カードを提出したんで依頼は達成扱いじゃぞ。安心したら術に集中せい」

「えぇえ!?」

「たわけ。気を散らすなと言うに」

「あたっ。で、でもどうしてそこまでしてくれたんですか?」

「……お主はまだ幼い。あれが初めての依頼だったんじゃろ? 冒険者となって最初の依頼に失敗では自信を失い挫折してもおかしくない。そんなの、ミーユが可哀想じゃろ」

「……師匠………………大好きです!」

「こっ、こりゃ! ぎゃー! 抱きつくのはよいが、思いのほか力強い! ぎゃー折れるのじゃー!」


 水球の維持も忘れてアルカナちゃんに思い切りしがみつく。

 だって優しすぎる師匠がいけないんだよ!

 見ず知らずのわたしを助けてくれた挙句、魔術を教えてくれて更には依頼まで……もう抱きしめるしかないじゃん!

 ホント泣けてくるよ……ありがとうございます、師匠。


「ついでにお主が倒したハンターベアもギルドに搬入したのじゃが、それはもう大騒ぎになったのじゃ。なにせハンターベアと言えば難易度Bの強敵じゃからの。次にギルドへ顔を出したら、ミーユは英雄扱いかもしれぬぞ。あ、依頼報酬と熊を売った金はお主の装備と一緒に置いてあるからの」


「えぇぇえええ!? なんてことをしてくれたんですか!」


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